2016年9月30日金曜日

第51号

平成28年熊本地震の影響により被災された皆さまに、お見舞い申し上げます。
被災地の一日も早い復興を、お祈り申し上げます。
*****
●更新スケジュール(10月14日・10月28日


第1回姨捨俳句大賞
杉山久子さんの「泉」に決定!


平成二十八年 俳句帖毎金00:00更新予定) 
》読む


(10/7更新)合併夏・秋興帖 第五 (クンツァイトの巻)
下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子


(9/30更新) 第四木村オサム・青木百舌鳥・関根誠子・小野裕三
(9/23更新) 第三石童庵・仙田洋子・小林かんな・神谷波
(9/16更新)第二杉山久子・浅沼璞・田代夏緒・曾根毅
(9/9更新) 第一網野月を・小林苑を・池田澄子・夏木久



【記録】
私的な第一回姨捨俳句大賞記録久保純夫と杉山久子

――「理解されてたまるか …筑紫磐井  》読む

※参照 第1回姨捨俳句大賞発足 読む


【抜粋】 

<「俳句新空間」第6号>
「21世紀俳句選集」を編むにあたって
「21世紀俳句選集」巻頭言― 
・・・筑紫磐井 》読む



<「俳句四季」10月号>
俳壇観測連載165/地名俳句と名勝
  ―小諸から吉野へ飛んで俳句の基盤を自由に考える 
… 筑紫磐井  》読む


「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる




    <抜粋「WEP俳句通信」>



    「WEP俳句通信」 抜粋記事 》見てみる



    • 【エッセイ】  「オルガン」第6号座談会の部分的な感想  筑紫磐井 》読む

    • 【書簡】 評論、批評、時評とは何か?/字余論/芸術から俳句へ   》こちらから


    およそ日刊俳句空間  》読む
      …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 … 
      • 9月の執筆者 (柳本々々、…and more. ) 
       

        俳句空間」を読む  》読む   
        ・・・(主な執筆者) 小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子
         好評‼大井恒行の日々彼是  》読む 


        【鑑賞・時評・エッセイ】
        【短詩時評 note27】
        死ぬ前に書いておきたい現代川柳ノート: 
        わたしが川柳を好きな五つの理由 
        ―ヴァルター・ベンヤミンと竹井紫乙から― 
        … 柳本々々    》読む




          【アーカイブコーナー】

          • 西村麒麟第一句集『鶉』を読む  》読む



              あとがき 


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              俳誌要覧




              特集:「金子兜太という表現者」
              執筆:安西篤、池田澄子、岸本直毅、田中亜美、筑紫磐井
              、対馬康子、冨田拓也、西池冬扇、坊城俊樹、柳生正名、
              連載:三橋敏雄 「眞神」考 北川美美


              特集:「突撃する<ナニコレ俳句>の旗手」
              執筆:岸本尚毅、奥坂まや、筑紫磐井、大井恒行、坊城俊樹、宮崎斗士
                


              特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
              執筆:関悦史、田中亜美、井上康明、仁平勝、高柳克弘

              筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
              <辞の詩学と詞の詩学>

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              【短詩時評 note27】死ぬ前に書いておきたい現代川柳ノート:わたしが川柳を好きな五つの理由―ヴァルター・ベンヤミンと竹井紫乙から― / 柳本々々


                君が好き青や緑も好きになる  竹井紫乙
                  
              (『句集 ひよこ』編集工房円、2005年)
                 
              このときのような街路を、ぼくは二度と見たことがない。
                家という家の戸口は炎を噴き、街角の石という石は火花を発し、路面電車はどれも消防車のように走ってきた。
                だってかの女は、どの戸口から、どの街角から現れるか知れなかったし、どの電車に乗っているか知れなかったのだから。
               

              (ヴァルター・ベンヤミン『暴力批判論 他十篇 ベンヤミンの仕事1』岩波文庫、1994年)

                ベンヤミンの著作は、何度も振り出しに戻りながら、遠大な目的にまだ枠づけられていないものを哲学的に稔り豊かにする試みである。彼の遺産を継承する者は、この試みを意外性に富んだ思想の判じ絵の段階にとどめずに、さらに一歩進めて目的や意図に枠づけられていないものを概念化する課題に取り組まなければならない。一言で言えば、弁証法的でもあれば非弁証法的でもあるような思考法を自らに課さなければならない。
              (アドルノ、三光長治訳『ミニマ・モラリアーー傷ついた生活裡の省察』法政大学出版局、2009年)

              前回、小坂井大輔さんと〈死〉をめぐった時評を書きながら、死んじゃったら書けないことが出てくるなと少し考えた。わたしがどうして川柳を好きなのかも書けなくなっちゃうかもしれないなと(霊的交信で代筆してもらうこともできるかもしれないが、それはおいておいて)。

              だから、わたしが現代川柳を好きになった理由を書いておくことにした。

              ただ好きといっても漠然と好きといっていても仕方ないので、テキストとガイドをつけたいと思う。わたしが川柳を好きな理由は、竹井紫乙の句集『ひよこ』にあるような気がするので、それをテキストにし、そしてその気を〈かたち〉にするために、文化のさまざまな隙間を〈かたち〉化していった思想家のベンヤミンと手をつなぎながら、つまりガイドになってもらいながら、現代川柳のノートを書いてみようとおもう。

              たぶん、そんなふうに〈死ぬ前の〉じぶんを仮定し、書き・考えていく過程をそのまま描くことが、わたしが川柳にもとづいていろいろ考えることの、川柳を好きな理由につながっていくとおもうのだ。まだ死なないけれど。


              【1、あなたはわたしに世界の名前を教えてくれる】

                表現というものは、そのいちばん奥深い本質全体からいって、《言語》としてのみ理解されねばならない。
               
              (ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」『ベンヤミン・コレクションⅠ 近代の意味』ちくま学芸文庫、1995年)
                
              化け物に名前をつけて可愛がる  竹井紫乙

              まずなによりも大事なのは、川柳は〈ことば〉だということだ。この意味において、川柳は言語メディアだということを忘れてはいけない。まずことばありき、なのだ。

              だから、川柳はイメージではない。ことばが定型にそって構築され、構造的な連なりとして表出されたのが、〈川柳〉なのだ。だから、川柳を読むときには、まずなによりもこの川柳が〈ことば〉であるという事態について注意しなければならない。ベンヤミンが「人間の精神生活のどのような表出も、一首の言語として捉えることができる」と述べたように、川柳もまた「どのような表出」であれ、「言語」なのだ。

              「言語」とは、なにか。

              それはカタチに名前を与えることだ。「化け物」のような不定形な曖昧さに「名前をつけて可愛がる」ことのできるレベルまでひっぱりあげること。それがことばの役割でもある。わたしたちは曖昧さをつねにラベリングし、それを手紙に書いたり、落書きにしたり、公式な書類にしたり、一回かぎりの愛のことばにしたりする。

              だから、ことば=川柳は、ある意味において、不安定な世界をひとつひとつていねいにラベリングしていく機能をもっている。だれもが見過ごしてしまうような、それでもだれもが漠然と意識していたような「化け物」に名前を与えること。それが川柳なのだし、それがわたしがあなたを好きになった理由だった。


              【2、あなたはわたしに希望をくれる】

                彼らが戦(いく)さのために力を蓄えることが決してなかったとしたとして、それがどうしたというのか? 希望なき人びとのためにのみ、希望はわたしたちに与えられている。

                 (ベンヤミン「ゲーテの『親和力』」前掲)
                干からびた君が好きだよ連れて行く  竹井紫乙

              川柳はリミットを越えてなおそれでも〈希望〉があることを教えてくれる。「干からびた」わたしになったとしてもそれでも「連れて行く」くらいに「好きだよ」といってくれるひとがいること。それを川柳は教えてくれるのだ。

              なぜ、川柳は希望の形態にちかいのか。

              それは、定型というメディアを介して川柳が表現を提出するからである。定型は、饒舌をゆるさない。したがって語り手には背景や文脈を与える隙がない。ということは、読み手が背景や文脈を用意するのだ。

              だからこそ、川柳は、どのような〈読み〉の可能性をもわきおこる。そのような読みの多様性こそが、わたしは〈希望〉だとおもう。読みのアナーキズムこそが、希望の形式なのだとわたしは思いたい。そしてその希望の形式をとったのが川柳なのだと。

              ベンヤミンも書いている。「理想はもっぱら多様性のうちに現われる……それを明るみに出すことが批評の仕事なの」だと。


              【3、あなたは滅びながらも生き生きしている】


                アレゴリー的相貌が実際に目の前に現れるのは、廃墟としてである。廃墟という姿をとることにより歴史は収縮変貌し、具象的なものとなって、舞台のなかに入りこんだのである。…瓦礫のなかに毀れて散らばっているものは、きわめて意味のある破片、断片である。
                 (ベンヤミン「アレゴリーとバロック悲劇」前掲)

                ここが好き生まれ育った地下である  竹井紫乙

              川柳は時間が過ぎ、それそのものが滅びるまでの姿を描かないようにして、描く。ある意味で、川柳には時間性がないし、その時間性がないことによって、川柳は時間性を確保している。だから、川柳にあらわれる時間は、いつも〈廃墟〉である。

              わたしは先ほど川柳には背景や文脈がないといったが、読み手が川柳のなかの〈時間〉をめぐる記号をつかみとり、花に水をやるように、時間をその句に与えるのである。

              たとえばこの句には「生まれ育った地下」という生育としての時間の幅と、「ここ」という〈いま・ここ〉の現在の時間軸がある。この句には、時間の厚みと、しゅんかんとしての現在時が拮抗しつつ、「好き」という表出において結ばれている。その時間を「生き生き」とさせるのは、読者だ。

              川柳は時間を描かない。しかし、時間を読み手に託すのだ。だから川柳は〈滅び〉のすがたをとっていられる。いつでもあなたがわたしをいきいきとさせてくれるから。

              「アレゴリカーの手のなかで、事物は己れ自身ではない他のなにかになり、それによってアレゴリカーは、〔事物について語りながら〕この事物そのおのではない他のなにかについて語ることになる」といったのはやはりベンヤミン。

              【4、あなたはわたしをすっぱぬいてくれる】


                娯楽産業のおかげで人間は簡単に気晴らしができるようになる。なぜなら娯楽産業は人間を商品の高さにまで引き上げるからである。人間は自らを娯楽産業の操作に委ねてしまう。自己からの、そして他人からの疎外を楽しみながら。 

               (ベンヤミン「パリ――十九世紀の首都」前掲)
                お店から盗って来た本くれる彼  竹井紫乙

              川柳はひとつしかありえないと思っていたはずの世界や視点を相対化する文芸である。そしてその相対化のままで絶対化の高みまで届かせずに読者に手渡すのも、また、川柳だ。

              「お店から盗」んだ本をくれる彼。この句の〈倫理〉をかんがえた場合、それはどのような基準になるのだろう。お店から本を盗んできてしまう「彼」が悪いのか。それともお店から本を盗んでくるくらいに思いを寄せられている〈わたし〉が「彼」にそうさせてしまったのが悪いのか。それともこうした事態をたんたんと定型におさめ、川柳化している語り手の〈悪〉を問うべきなのか。それともここに無理に倫理観を押しつけているわたし=柳本々々の倫理観を問うべきなのか。

              わからない。わからないが、川柳が、あるひとつの視点に焦点を定めようとしたときに、即座にその視点を相対化してこようとしてくるのがわかるはずだ。わたしたちは川柳の世界では〈商品〉にはなれないし〈気晴らし〉もできないのだ。なにかになろうとしたときに、その〈なにか〉そのものを相対化し、それってどうなの、と問いかけてくるのが、川柳なのだから。

              川柳とはやはりベンヤミンの言葉を借りれば「疎外された〔他郷(よそ)者になった〕人のまなざし」であり、「それは遊歩者(フラヌール)のまなざし」なのだ。


              【5、あなたはわたしにいつか死ぬことを思い出させてくれる】

                今日の人間のあり方からすれば、根本的な新しさはひとつしかない。そしてそれはつねに同じ新しさである。すなわち死。
                  

              (ベンヤミン「セントラルパーク」前掲)
                すべり台死ぬ子生きる子登ってく  竹井紫乙
              川柳は〈死〉から眼を反らさない。むしろ死の内側に入り込み、死そのものを生きようとする。たとえば石部明の川柳のように、死をカーニバルとして祝祭的に描くのも、また川柳である。わたしたちは〈死〉をかならず経験するが、しかし〈死〉を知ることはできない。だからベンヤミンがいうように、〈死〉だけはいつも新しく、〈死〉を語ることはいつも〈発明〉なのである。

              だが、そうした一方で語り方がパターナリズムに陥るのもまた〈死〉である。わたしたちは日々、大量に再生産される〈死〉の表象に馴致し、あたかも〈死〉を知ってるがように〈死〉を語りはじめる。
              どうすれば、いいのか。

              〈死〉の表象を、これまで/これからの〈死〉の表象への〈あらがい〉とすること。《いや、そうかもしれないが、そうではない》と表象しつづけること。その《いや、そうではない》にこそ、死の表象の強度があるのではないか。

              死を生の内側に置くこと。死をいきるのだ。あらがって。竹井紫乙の句のように、「すべり台」を「死ぬ子生きる子」と生死ないまぜにしつつも、「登ってく」こと。

              馴致されてしまっている〈死〉の表象へのあらがいこそが、わたしがいちばん川柳を好きな理由なのではないかとおもう。川柳は、たぶん、〈死の文芸〉でもあるから。

              明日死ぬかもしれない不能感のなかで、あらがうこと。「世界」はいつも「左の手」からくりだされている。

                誰であれこの日々には、自分が「できる」ものに固執してはならない。力は即興にある。決定的な打撃はすべて、左の手でなされるだろう。 

              (ベンヤミン『暴力批判論 他十篇 ベンヤミンの仕事1』岩波文庫、1994年)
                もう一つ世界を増やす準備する  竹井紫乙



               (「わたしがあなたを好きな五つの理由―或いはヴァルター・ベンヤミンと竹井紫乙―(特集 川柳はお好きですか?-ジャンルを行き交う人々-)」『川柳 杜人』(248号・2015冬)に寄稿した記事を加筆訂正した上で転載)






              【抜粋】<「俳句四季」10月号>俳壇観測連載165/地名俳句と名勝――小諸から吉野へ飛んで俳句の基盤を自由に考える / 筑紫磐井



              小諸の二泊三日

              本井英が発起人となってはじめた「こもろ・日盛俳句祭」が今年で第八回目を迎えた。

              いつのころからか「俳句の林間学校」と愛称をつけているが、まさに俳壇の恒例行事となってきた。きっかけは、高浜虚子が子規の没後碧梧桐と競い合ったとき、碧梧桐が俳三昧という鍛錬会を開いた(明治三七年秋)のに対し、これに対立して俳諧散心という勉強会を開いた(明治三九年三月から四〇年一月まで毎週月曜)。特に第二回目のそれは八月中に連日開いたことから日盛会と呼ばれた。本井の初めの企画は逗子の本井宅で連日行われたが、その後三日に限り、特に高浜虚子が戦中戦後疎開した小諸に場所を移して行っているものだ。小諸市の全面的な支援を受けて町おこしの行事となっている。もうすぐ一〇回目を迎えるわけで、地方の俳句事業として全く定着したのは立派である。

              超結社の参加が特色で、本井の人柄もあり、きっかけは虚子であっても伝統・前衛に関係なく参加者がふえている。いくつもの句会場に分かれ句会・吟行が行われており、追加の企画として、著名俳人・文化人の講演とシンポジウム、懇親会が開かれる。今年は日本文学の研究家の久保田淳氏の講演と、「俳句と地名」のテーマで中堅作家によるシンポジウムが行われた。

               今年は七月二九日から三一日まで開催された。特色はシンポジウムで、藺草慶子・窪田英治・高田正子・行方克己がパネラーとなったが、パネラーがしゃべりまくるシンポジウムを反省し、会場の参加者が発言して盛り上がりを見せた。多分、それまでの、季語や字余りなどはパネラーの強い思い入れがいい方にも悪い方にも働き、聞き手が承るシンポジウムになってしまったのが、今回のテーマはそれが少なかったようだ。

               地名俳句と言っても、芭蕉や虚子の地名俳句ではなく、各パネラー・発言者の地名俳句を掲げ、自身の問題として語らせた。文末に各人の掲げた地名俳句を載せてみたが、各人難渋したようである。自分の代表句や季語に関わる句を求められれば簡単にあげられても、地名俳句はなかなか出てこないというのも意外であった。

              とつぜん言われても困ると司会者は厳しく叱責を受けていたし、正直な横澤放川は地名の名句があると言いながら結局最後まで思い出せなかったようだ。また、高田正子のように長い俳人生活の中である時点から急に地名俳句が多くなった作家もいるし、島田牙城のように地名俳句はないと言いながら句集を点検したらざくざくと地名俳句が出てきたりしたという人もいた。

              また、地名を略称することはどこまで許されるか(以下の例で言えば、窪田の「千曲川(ちくま)」のような例)のような議論も起こった。

              シナリオを予想したシンポジウムとは違って、今回は予想のつかないところが面白かった。



              藺草慶子
              叡山やみるみる上がる盆の月
              貴船口まで冬山の芳しく
               
              窪田英治
              木曽道の石みな仏夏深む
              青胡桃千曲川(ちくま)十里は雨の中
               
              高田正子
              禅寺丸柿の原木の木守柿
              狐火や王子二丁目の角曲り
               
              行方克己
              ふるさとは道の八街麦の秋
              権之助坂の往き来に柳散る
               
              本井英
              小田急が湯元出てゆく秋の暮
               
              中西夕紀
              東京は地下も秋澄む人の声
              新宿や重層の囲を蜘蛛たちも
               
              島田牙城
              浅間山いな初秋の妻の膝
               
              仲寒蝉
              熱帯魚サマルカンドを悠々と
              二百十日山の裏にて東京都
               
              伊藤伊那男
              京の路地一つ魔界へ夕薄暑
               
              長峰千晶
              逞しき炎暑の雲を浅間山
              冬ざるる人間くさきパリの壁

              (以下略)

              ※詳しくは「俳句四季」10月号をお読み下さい。

              【記事抜粋】<「俳句新空間」第6号>「21世紀俳句選集」を編むにあたって   ――「21世紀俳句選集」巻頭言―― 筑紫磐井 



              角川書店「俳句」の〈結社の時代〉キャンペーン(平成二年七月~平成六年七月)の終焉後、その後始末のように行われた企画が角川書店の『現代秀句選集』(平成一〇年九月刊)の別冊刊行であった。百歳から二十一歳まで――河合未光から大高翔まで――の五四二人の作家の十句が掲載されている。十句というのは少ないように見えるが、編集後記によれば、許六・去来の『俳諧問答』に「先師(芭蕉)、凡兆に告げて曰く、一世のうち秀逸の句三・五あらん人は、作者なり。十句に及ばん人は名人なり」とある言葉によったものであり、十分な句数であるという。十句を超える名句が一人にあるはずがないという認識であったらしい。この編集には鈴木豊一氏が関与していたと記憶している。

              さらにその十年後、『平成秀句選集』(平成一九年六月刊)が出されている。一〇一歳から二三歳まで――沢井我来から神野紗希まで――の五〇六人の作家の十句が掲載されている。人によっては昭和と平成併せて、二十句が掲載されることになり大盤振る舞いと言う批判もあろうが、まとまった名句選という意味は変わりない。

              例えば特定の作家ならば、出版社や協会から出されているシリーズで探ることは出来るが、ある時代の名句選というのはなかなか眺めることが難しいに違いない。特に限られた作家ではなくて、その時代全体をうかがう資料はなかなかに得難いものである。ここ以外に時代の名句はないはずだからである(『現代秀句選集』は、初回だけあって、物故作家の名句も収録していたからますますその感じが強い)。

              実はこの選集の影響を受けたのが、現代俳句協会の『昭和俳句作品年表(戦前・戦中篇)』(平成二六年九月刊)ではないかと私は思っている。ただ、何と言っても現代俳句からみれば〈戦前・戦中俳句〉は余りにも遠い。現代俳句協会が、この続編として昭和二一年から四五年までの戦後篇を意図しているらしい方に私は関心がある(この直後が、『現代秀句選集』にうまく繋がるはずだからである)。しかし、果たして続編はいつできあがるであろうか。特に、俳句史観の対立するこの時代の作品の整理は、難航が必至であるような気がする。現に、平成二七年時点においても、
                原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ 金子兜太 
                白蓮白シャツ彼我ひるがえり内灘へ  古沢太穂

              といった社会性俳句時代を代表する作品に対する協会関係者の評価は完全に二つに割れており、一つの歴史の結果を導くことは極めて難しい状態にあると考えられるのである。協会関係者の虚心坦懐な議論による実りある成果を期待したいと思う。

                   *    *

              さて偶然にも角川の二つの選集『現代秀句選集』『平成秀句選集』の総論を私が書かせていただいている。その意味ではこの十年ごとの選集は気になる企画であった。年数からすれば、今年そろそろ次の企画があっておかしくないが、余り聞こえてこないようである。結社誌も総合誌も、もはやそうしたエネルギーを撒き散らす時代ではなくなってきたのかも知れない。

               そこで、超結社の作者の集うこの「俳句新空間」で同じ企画を試行してみることとした。21世紀となって既に一六年、平成という元号が今後どのように続くのか分からないが、21世紀という基準で切ってみてもいいだろう。特にこの十五年間で登場してきた作者にはそうしたきっかけが必要であると思う。

               とはいえ、角川書店の五〇〇人近くの壮大な企画に比べて、「俳句新空間」でできるのは三〇人余の小さな企画である。しかし、そうした企画が成り立ちえるのかどうかは、他の雑誌がやらない以上やって非難されるべき筋合いはない。非難する前に、できるものなら非難する者は自らやってみればいいからである。これがとてつもなく難しいことは体験してみてわかるはずである。

              題して「21世紀俳句選集」。小さな穴から、21世紀の広大な天空がうかがえれば幸いである。秦夕美から川嶋健佑までの世代を堪能していただきたい。


              ※詳しくは「俳句新空間」第6号をお読み下さい。







              ●訂正

              「俳句新空間」第6号「春興帖」P30水岩瞳作品を訂正します。


              永き日のタカアシガニの一歩か 
                    ↓ 
              永き日のタカアシガニの一歩かな

              ※関連 <大井恒行 日々彼是>においても「俳句新空間第6号」の記事あり 》読む

              2016年9月16日金曜日

              第50号

              平成28年熊本地震の影響により被災された皆さまに、お見舞い申し上げます。
              被災地の一日も早い復興を、お祈り申し上げます。
              *****
              第1回姨捨俳句大賞
              速報! 第1回姨捨俳句大賞は杉山久子さんの「泉」に決定!

              ――俳句新空間の筑紫磐井、仲寒蟬が選考委員に 》詳細

              ●更新スケジュール第49号9月30日


              平成二十八年 俳句帖毎金00:00更新予定) 
              》読む




              (9/23更新)合併夏・秋興帖 第三石童庵・仙田洋子
              小林かんな・神谷波

              (9/16更新)第二杉山久子・浅沼璞・田代夏緒・曾根毅
              (9/9更新) 第一網野月を・小林苑を・池田澄子・夏木久





              【エッセイ】  

              「オルガン」第6号座談会の部分的な感想 

              … 筑紫磐井 》読む


              【抜粋】 
              「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる



              <抜粋「WEP俳句通信」>

              93号 新しい詩学のはじまり(5)――金子兜太と栗山理一④ 

              …筑紫磐井  》読む



              「WEP俳句通信」 抜粋記事 》見てみる







              • 【書簡】 評論、批評、時評とは何か?/字余論/芸術から俳句へ   》こちらから


              およそ日刊俳句空間  》読む
                …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 … 
                • 9月の執筆者 (柳本々々、…and more. ) 
                 

                  俳句空間」を読む  》読む   
                  ・・・(主な執筆者) 小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子
                   好評‼大井恒行の日々彼是  》読む 


                  【鑑賞・時評・エッセイ】

                  【短詩時評 26軒目】
                  「仕遂げて死なむ」ことの不可能性
                  ー第五十九回短歌研究新人賞候補作・小坂井大輔「スナック棺」からー
                  … 柳本々々    》読む




                    【アーカイブコーナー】

                    • 西村麒麟第一句集『鶉』を読む  》読む



                        あとがき 


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                        俳誌要覧




                        特集:「金子兜太という表現者」
                        執筆:安西篤、池田澄子、岸本直毅、田中亜美、筑紫磐井
                        、対馬康子、冨田拓也、西池冬扇、坊城俊樹、柳生正名、
                        連載:三橋敏雄 「眞神」考 北川美美


                        特集:「突撃する<ナニコレ俳句>の旗手」
                        執筆:岸本尚毅、奥坂まや、筑紫磐井、大井恒行、坊城俊樹、宮崎斗士
                          


                        特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
                        執筆:関悦史、田中亜美、井上康明、仁平勝、高柳克弘

                        筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
                        <辞の詩学と詞の詩学>

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                        <抜粋「俳句通信WEP」93号>  新しい詩学のはじまり(5)――金子兜太と栗山理一④      筑紫磐井


                        (前略)
                        ・・・・まず一般論で言えば、作家がいかなる作者的本質を持っているにせよ、それが作家をめぐる肉体の変化、社会環境の変化で変身することは不当ではない、従って「変身」とは一概に批判している言葉ではない。慥かに私の時評における書き方は舌っ足らずではあったが、変身は、深化であろうと、成長であろうと、劣化であろうと、「変化」と見る本質は変わらないからである。では何が違うかと言えば、氏が兜太の「社会性俳句の深化」であるとする見方に対し、私もそうした変身・深化は人間としてあるべきことだろうとは思うが(当時の兜太が威勢良く白か黒かの割り切りをしている点は揶揄しているが)、しかし、むしろ大事なのは「社会性の変化」――当時の、と言うより、平成二十八年の我々による社会性の再定義なのではないかと考えている点である。あの時代と現在とでは、同じものが違って見えるのである。

                        兜太の作家の本質については多分論者によって余り評価がずれることはない。例えば兜太の代表句の過半は誰があげても重なることから、評価が分かれているとはいえないのである。じっさい私が読んでみたところ、兜太を批判している草田男だろうが、狩行だろうが、その評論で、煎じ詰めれば同じようなことを言っている。しかし、(兜太が邁進した)社会性俳句に関して言えば千差万別であり、論者百人いれば百の説が成り立つ。岡崎氏のそれも、川名大氏のそれも、私のそれもずれている。その上で兜太の考えを読んでみると、私は、冒頭述べた「社会性はふたりごころである」と言う定義がもっとも素朴ではないかと考えている。もちろんそれを時代の文脈に合わせて「社会主義的イデオロギー」に言いかえても、もう少し普遍的に「態度」と言いかえても悪くはない。しかし「社会性はふたりごころである」とすれば、山本周五郎の人情小説であっても、浪曲のやくざ(例えば大前田英五郎)の世界であっても、自由民権運動(秩父困民党事件)であってもよいはずで、それらの包含を否定は出来ないのである。社会性俳句・前衛俳句のシュトルム・ウント・ドラングが過ぎ去った後、しみじみ回顧すれば「社会性はふたりごころ」と言う兜太の心理はごく自然に理解できるからである。

                         余談となるが、「社会性俳句」は当時の「社会性俳句」の定義の下で論じられている。赤城さかえの「戦後俳句論争史」もそうであろうし、それ以降の俳句史も同じ文脈で語られている。しかし「社会性俳句」以外の社会性に関わる俳句は、当時、ほかにも沢山あったのではないか。拙著『戦後俳句の探求』ではその一例として地域医療を詠み続けた相馬遷子(「社会性俳句」よりももっと長く二〇年以上に亘って地域医療の現場を詠み続け、しかも明らかに「社会性俳句」として一度も取り上げられたことはない)を取り上げたし、岸田稚魚など当時の鶴や馬酔木系の作家たちはおおむねこうした傾向をもっていた。ホトトギスや石楠系で検証はしていないが、全くなかったということもあるまい。だから私の関心には本論冒頭に掲げた兜太や太穂らの「社会性俳句」の一部の作家を含めても良いが、一層私が関心を持つのは、それ以外の社会性を詠んだ埋もれた俳句作家たちである。彼らは昭和二八年にあって自らを「社会性俳句」と呼ばれたいなどとは毛頭思わなかったであろうし、平成二八年にあって私も彼らを「社会性俳句」作家であったと再定義するつもりも全くない。しかし、兜太の視点に立ち返って――「社会性はふたりごころ」の視点から――何故彼らが社会性に関心を持ったかをたどることは価値があるのではないかと思っている。というか、こうした原初的な社会性がなくて、「社会性俳句」が頭の中から生まれたと考えること自体がおかしいと考えるのである。


                         前回も述べたように、もちろんこれは印象論にすぎない。造型俳句論のような緻密な分析を進める材料がないからである。そしてさらに印象論をつけ加えれば「ふたりごころ」と「ひとりごころ」という対概念は、造型俳句論を総合化する過程での兜太郎一流の反省ではないかと思っている。造型俳句論は、やはり何と言っても「ひとりごころ」であった。もちろんそれは兜太の周囲の社会性俳句作家・前衛俳句作家に共通しているものであり、兜太だけの問題ではない。ただ、「ひとりごころ」の造型俳句論に兜太がつけ加えるものがあるとしたら、それは乗り越えたと思った社会性俳句に残してきた「ふたりごころ」だったはずである。
                         その後の兜太の主張を眺めると、実はこんなものも総合化の過程で生まれた対概念ではなかったかと思う。

                        ①孤心・連帯[寒雷三五〇号安東次男対談「孤心と連帯」]
                        ②くろうとのたのしさ(澄雄)・しろうとのたのしさ(兜太)[「熊猫荘寸景」]
                        ③挨拶・滑稽[海程三〇周年記念講演「現代・滑稽と挨拶」
                        ④造型・即興[第一二句集『両神』あとがき]
                        ⑤かたち・自己表現[海程三五周年記念講演「〈かたち〉と自己表現」]

                        もちろんこれは部外者の無責任な印象記と思って貰って良いのであるが、こうした概念が出てくる直前の(ひとりごころ)と(ふたりごころ)を対概念にして俳句の総合化を図ろうとする戦略は、極めて重要である。それは一直線に造型俳句論で既成俳壇に向っていった若き兜太の戦略と違っていることは間違いない。これは兜太の変身であり、深化であり、変化である。そしてまたそこには、今後の俳句のために、芭蕉を否定し、一茶―兜太という文学路線を形成しようとする(アカデミックに対する)暴力があったのである。



                        ※詳しくは「俳句通信WEP」93号をお読み下さい。




                        【短詩時評 26軒目】「仕遂げて死なむ」ことの不可能性ー第五十九回短歌研究新人賞候補作・小坂井大輔「スナック棺」からー  柳本々々


                          放課後の夏服ひかり満ち満ちていつかあなたの死ぬ日がいやだ  武田穂佳
                           (「いつも明るい」『短歌研究』2016年9月)


                          ……何かを奪われている。
                          わたしはそれを文化と呼ぼう。
                          わたしたちは文化を奪われている。
                          日々の労働、日々の消費、管理によって、
                          何かを奪われている。
                          街から公園から学校から労働から生活から。

                           (杉田俊介「フリーターリブのために」『無能力批評』2008年、大月書店)

                        短歌研究新人賞の作品にはたびたび〈死〉の表象が、それはときにとても奇妙な〈死〉の表象がみられます。今回の次席、候補作品から少し引用してみます。


                          木造は感じがいいね また地震きたら死ぬかね ふたりで かもね  山階基
                           (「長い合宿」前掲)

                          ふたをしてカップヌードルシーフード墓標のやうなロゴのあをさよ  門脇篤史
                           (「梅雨の晴れ間に」前掲)

                          (遺影用トレースのため残業をする人が食べる)どら焼きふたつ  和田浩史
                           (「an」前掲)

                        そのなかでも特異な〈死〉の表象をしていたのが、小坂井大輔さんの候補作「スナック棺」です。

                        選考委員の穂村弘さんの選評があるので引用してみたいと思います。

                          無職で金がない〈私〉の日常が「わたくしは三十五歳落ちこぼれ胴上げ経験未だ無しです」のように戯画化されつつも、生々しく表現されている。特に後半、内面の崩壊が加速してゆく様子に引き込まれる。
                          (穂村弘「選考座談会」前掲)
                        この小坂井さんの連作は「スナック棺」というようにたえず〈死〉が潜在的に描かれています。たとえば〈死〉をめぐる三首。

                          あれ 声が 遅レテ 聞こえル 死ヌのかナ だれ この ラガーシャツ の男ハ  小坂井大輔
                          棺のなかはちょっとしたスナックでして一曲歌っていきなって、ママは  〃
                          わたしのなかの進路指導の先生が死ぬなと往復ビンタしてくる  〃
                           (「スナック棺」前掲)

                        こうやってあげてみるとわかってくるのが、〈死〉が〈個人の内面〉のなかで自己完結せずに、〈余剰〉として〈わたし以外の誰か〉とともにあぶれていくということです。考えてみるとその意味で、「スナック」と「棺」が接着されているのはもっともだとわかります。「棺」は〈ひとり〉しか入れない個人的なものですが、「スナック」はひとが集まり飲み食べ歌う〈わたし以外の誰か〉との場です(〈他者〉ではなくて)。それが結びついている。「棺のなか」は自己完結する場ではなくて、「一曲歌っていきな」の〈開かれた場〉です。

                        〈死〉がせりあがってきた瞬間、わたしが孤絶的に自己完結していくのではなくて、「ラガーシャツ の男」や「スナック」の「ママ」や「進路指導の先生」が〈わたし〉をむしろ押しのけてせりあがってくる。穂村さんは小坂井さんの連作の「内面の崩壊」を指摘されましたが、わたしはこの〈わたしの死〉がもはや〈わたしの死〉として回収されえないところに語り手の「内面の崩壊」のようなものを感じるのです。

                        つまり、「内面」が壊れることとはどういうことかというと、わたしの死を自己完結できないことなんじゃないかと思うんです。わたしがわたしの死を感じた瞬間、そこに「スナック」のように誰かがやってくる。「スナック」でも「棺」でもない「スナック棺」的な〈死〉。

                        この「スナック」(開かれる)感覚と「棺」(閉じる)感覚はこの連作においてたびたび変奏されて浮かび上がってきています。

                          サファリパークみたいに祖母が窓に手をかけて話をやめてくれない  小坂井大輔
                          次のかたどうぞ。の声に「あいっ」と言う 壁に気色の悪い蛾がいる  〃
                           (「スナック棺」前掲)

                        たとえば車の窓を閉めても「祖母」は「窓に手をかけて」〈サファリパーク性〉をもたらしてくるので〈閉じる〉ことはできない。「次のかたどうぞ」と〈開かれ〉ても語り手は「壁」をみて〈閉じ〉ている。むすんでひらいて、のように閉じたり開いたりしている。

                        こういう閉じたり開いたりの〈舞台〉的な空間がたえず用意されてるのが「スナック棺」の空間装置のありかたです。そのとき〈死〉は所有されるものというよりは、そうした閉じたり開いたりする空間をいったりきたりするものとしてある。

                        たとえば上であげた「スナック」の歌も「スナック」の「ママ」は「一曲歌って《いきな》」と、いずれはこの「スナック棺」をも〈立ち去る〉ことをそれとなく言い含めているわけです。「棺」なのに。つまり、この空間では「棺」さえも〈一時的〉な立ち去る場所としてしか機能していない。

                        それがこの「スナック棺」に描かれた表象としての〈死〉だと思うんです。そこにはたとえば近代短歌にみられるような〈死〉が所有される感覚がない。

                          こころよく
                          我にはたらく仕事あれ
                          それを仕遂(しと)げて死なむと思ふ  石川啄木
                            (『一握の砂』1910(明治43)年)
                        「死なむと思」えるのは〈わたしの死〉がみずからの手に所有されてある実感です。だからこそ、死がエンド(目的=終局)になりうる。死が人生の大トリを立派につとめられる。たとえどんなに職が〈なく〉ても金が〈なく〉ても「死」だけはじぶんのものとして〈ある〉。

                        ところが小坂井さんの短歌は、〈死〉がじぶんのものにならず、スナックのような共同空間になっている。

                        批評家の杉田俊介さんは『無能力批評』において「貧困」的状況を「私には、それをすることができるのかしないことができるのか、そのこと自体がわからない、判断が《できない》」限界状況としましたが、「あれ 声が 遅レテ 聞こえル 死ヌのかナ」は「無職で金がない〈私〉の日常」によって〈死〉が象徴的に〈貧困〉化し、その死ぬことができる/できないの「判断」さえ奪われてある状況のように思えるのです。

                        だとしたら、

                          わたくしは三十五歳落ちこぼれ胴上げ経験未だ無しです  小坂井大輔

                        この「三十五歳」で「落ちこぼれ」ていることの、ほんとうの疎外感とは、わたしの死すらもわたしの死として所有できないということではないかと思うんです。ほんとうに〈無い〉のは職でも金でもなくて〈わたしの所有する死〉なのではないか。

                        人間の基本的な〈自信〉は、①自己受容、②社会的地位、③他者からの承認、のどれか或いは複合から生まれると言われますが、もし「落ちこぼれ」という自覚から脱し(①自己受容)、「我にはたらく仕事」がちゃんとあって(②社会的地位)、そして「それを仕遂げて死」んだとしても(③「胴上げ経験」的な他者からの承認)、その「死」は所有できずに、「スナック」化し、「ママ」がでてきて、「一曲歌って」さあ「いきな」と《安っぽく》追い出されてしまうかもしれない。わたしの死なのに。
                        「仕遂げて死なむ」ことの不可能性。

                        今、社会で「落ちこぼれ」ることはもしかしたら「死ぬことの可能性」へと身をおくことではなくて、「死ぬことの不可能性」に身をおくことかもしれないという《死の象徴的な貧困化》。というよりも、「声が 遅レテ」きこえてくるような、判断がたえず留保される「自分が十分に努力したかどうか、それがわからない」(杉田俊介)ような《判断の貧困》性へと身をおくことなのではないか。そしてそれこそがが「スナック棺」の語り手が置かれている状況そのものじゃないかと思うんです。

                        先日、日本財団が「依然として日本の自殺率は先進7カ国で突出して高く、若年世代(15歳~39歳)の死因第1位が自殺であるのは日本だけ」として自殺意識に関する調査を行いましたが(http://www.nippon-foundation.or.jp/news/pr/2016/102.html)、わたしたちは現在、〈死〉を〈わたし〉の〈なか〉でだけでなく、或いは〈そと〉で、或いは〈なか〉と〈そと〉が交通した場所で、どんなふうに意識しているのかが小坂井さんの連作では問われているように思うんです。


                        もっと具体的な〈死〉への意識のひだのありようが。いや、「意識している」とはじめから成立させてしまうのではなく、その意識はどういったかたちで〈ある〉だけでなく、どういったかたちで〈ない〉のか、ということも含めて。死への意識はどこにあるんだろう、だけでなく、死への意識はどこにないんだろうというかたちで。


                          無くなった。家も、出かけたまま母も、祭りで買ったお面なんかも  小坂井大輔