ラベル 句集・俳誌渉猟 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 句集・俳誌渉猟 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年4月26日金曜日

句集・俳誌・BLOG渉猟(7)~週刊俳句~/筑紫磐井

「週刊俳句」の<週刊俳句時評78・79>「 "石田郷子ライン"……?」で、中原道夫が提案したという「石田郷子ライン」なる言葉が論じられている。

「作品が全体として本当の意味でのライトバースではなくて、軽い。これはいつから起きたというのは定かではないけれどある時代を画して似たようなタイプが出てきた。勿論一人ずつを吟味すれば違うのですが、私の中では"石田郷子ライン"と名付けている。李承晩ラインみたいに。彼女が新人賞を取ってから、藺草慶子、高田正子、山西雅子などあの辺の一派にディファレンスを感じない。みんな似たようで、さっぱりとしていて軽い、それでいて嫌な感じではないですよ、癒し系と言ったらいいのかも知らないけど、ああいう軽めのイージーリスニング、BGMみたいな集団として一個の塊がずうっと動いている感じがする。」

「街」の座談会で述べているもので座談会特有の軽さがあるが、輪郭として言えば、私はいわば「戦後生まれ世代」の次の世代の特徴を述べているのではないかと思った。これに対して、上田信治は"石田郷子ライン"の作家の列挙をし、

石田郷子 今橋眞理子 津川絵理子 明隅礼子 辻美奈子 西宮舞 浦川聡子 大高翔 中田美子 上田日差子 今井肖子 高田正子 中田尚子 仙田洋子 土肥あき子 黛まどか 中西夕紀 矢野玲奈 名取里美 藤本美和子 山田佳乃 井越芳子 藺草慶子 甲斐由紀子 甲斐のぞみ 日下野由季 藤本夕衣 杉田菜穂 小川楓子 高勢祥子 藤井あかり 鶴岡加苗

という名前をあげ、さらに、幅を拡げて、と言って

片山由美子 武藤紀子 山西雅子 岩田由実 森賀まり 満田春日 対中いづみ 杉山久子 北川あい沙 茅根知子

と書いている。実はこの辺になってくると私の見当のつかない作家も半数ぐらいいるので何とも言いようがない。

それはそれとし、上田の主張は、「"石田郷子ライン"の特徴は、まず、ことごとしい「文学的自我」や「作家意識」を前提としないことにあります」に基準をおくようだが、これは片山由美子を入れるあたりから相当にぶれ始めているような印象を受ける。

上田の根拠は、「片山由美子さんは「光まみれの蜂」の「まみれ」は表現として汚いから、美しいものに使わない方がいいという主旨のことを発言されたそうですが」と言うところに出てくるようだが、だからといって片山が石田郷子ラインの中にあって、神野が石田郷子ラインの外にあるとなると、これまた議論を呼びそうである。

"石田郷子ライン"を――中原が述べているように、「李承晩ラインみたい」で分かる若い人は少ないであろう。「李承晩ライン」については、私の「文体の変化/テーマ:「揺れる日本」より②」に出てくるのでご覧いただきたいが、このラインを援用して李承晩は「対馬」(今話題の竹島ではない)は韓国固有の領土であると驚くような主張をし、アメリカと交渉している(当時日本は主権を回復していないから、独立国韓国と交渉出来ない)。こうした民族主義的愛国運動と結びつけて石田郷子に「ライン」を付けるのはかわいそうであり、むしろまだしも金子兜太ラインや夏石番矢ラインの方がふさわしいような気がする。

脇道に逸れすぎたが、"石田郷子ライン"が分明でないのは、実はそれが対比される、前の代表的世代である(上田が「文学的自我」や「作家意識」を前提と考えている作家)長谷川櫂や小澤實、岸本尚毅らが、実は何であるのかがまだ論じられていないところにある。戦後派世代と言われた金子兜太や飯田龍太の守備ラインははっきりしている、しかし戦後生まれ世代の長谷川櫂や岸本尚毅らが何であるのか、誰もまた論じてあげていないのではないか。

さらに羽目をはずして言えば、前衛俳句(もしあるとすればだが)も伝統俳句(もしあるとすればだが)もそろって「俳句上達」に邁進しているのが現代俳句ではないかという気もする。詩人・歌人にくらべ俳人の異常なほどの仲の良さは、まさに「俳句上達」仲間だからこそのものであろう。

実は私も"石田郷子ライン"にいるのかなと思ったりする。そして冗談を抜きにして正直に言えば、現在問うべきは"石田郷子ライン"に誰がいるかではなく、こうした設問をすることによって俳句を何であると考えようとしているかが当面突きつけられている問題ではないかと思うのである。






2013年4月12日金曜日

句集・俳誌渉猟(6)~『堕天使の羽』~/筑紫磐井

○羽村美和子句集『堕天使の羽』(昭和25年3月10日文学の森刊)

羽村美和子は、俳句を始めて以来、「像」「橋」と入会した俳句会がつぎつぎと解散し、有為転変を繰り返しているようだ。現在でも「WA」「豈」「連衆」と決して、表現の技の習得に役立つような雑誌に所属しているとも思われないから、その意味でも恵まれているとも思われない。にもかかわらず、羽村特有のスタイルは今回の句集でもはっきり現れているようだ。

『堕天使の羽』を読む限り、それは、口語俳句とイメージを特徴とする特有の詠法として現れている。

若葉風背中のあたりがちょっと反骨 
シャム猫とかつては姉妹青い薔薇 
秋の風男がすっと壁抜ける 
血判状しまってしずかに白椿 
知性理性水で戻してカッパ忌 
飛び梅のはるかに飛んで核家族 
魔方陣真ん中に置く蟇 
花野道途方に暮れた鬼に会い 
夢違えたんぽぽの黄に攻められて 
抽選で軍艦当たる宵の春 
落葉道小鬼一匹ついて来る

これだけ読めば、句集のどの作品を読んでも、見当がつかないということにはならない。一つの方向に向って、作品がベクトルをそろえているからだ。敢えて、入門以来の所属雑誌の数々を冒頭に掲げたのも、一つの個性が生まれるのを妨げる条件がいろいろあるにもかかわらず、自分の個性を作り上げている不思議さがあるからである。

私は羽村が何らかの影響を受けた「像」の高井泉、「橋」の加藤佳彦という人たちを全く知らないが、決して羽村に致命的影響を与えたとも思われない。攝津幸彦が、およそ結社と無関係に「俳句とはひねること」と理解して、後は周辺の作家の作品を貪欲に消化して行くことにより、独自の世界を創り出したように、本来俳人には貪欲な消化器さえあればいいと思っているからである。

伝統俳句は有季のもとに先人の選んだ季題の趣味を繰り返すように、我ら前衛俳人は自己模倣を繰り返す。類想の海の中でこの類想の原理を抜け出すことは出来ない、しかし我々の救いは類想を突き抜け、唯一至上の類想句を見出すことだ。この作業の向こうにあるものを名句と言うが、我々は次のような句としてそれを認めている。

滝の上に水現れて落ちにけり  後藤夜半 
帚木に影といふものありにけり 高濱虚子 
幾千代も散るは美し明日は三越 攝津幸彦

大井恒行の解説は、裏返して読めばやはり羽村が前衛派であることを示しており、自己模倣を否定してはいない。少なくとも伝統派の季題趣味でないことをはっきり示している。しかし弱点はまた強みである。例えば、その典型が、

一面菜の花深入りをしてファシズム

である。嫌悪すべきファシズムがこうした我々の日常から生まれることを納得させる。「菜の花」には文部省唱歌の「朧月夜」や山村暮鳥の「風景 純銀もざいく(いちめんのなのはな)」などがあろうが、しかしこれは隠喩などではない、正面切った直叙の思想である。不自由な俳句形式という定型で、自己模倣を繰り返しているうちに発見する独自の思想である。キリスト教がなかりせば、ナチズムなど生まれなかったのではないか、これはタブーとなっている思想であるが、我々はタブーをこういう方法でしか打ち破れないのだ。

例えば対照的な例として、永瀬十悟の一昨年角川俳句賞を受賞した震災俳句「ふくしま」をあげることが出来る。永瀬はこの2月に『橋朧――ふくしま記』(平成二十五年三月十一日コールサック社)を出して、これは「ふくしま」を含むものの、全体として違った構成の句集として仕上げている。これはこれで評価したいと思うが、震災俳句「ふくしま」に関しては、

凍返る救援のヘリ加速せよ 
無事ですと電話つながる夜の椿 
しやぼん玉見えぬ恐怖を子に残すな 
牛虻よ牛の涙を知つてゐるか
これらの句を角川賞の選者の小澤實や池田澄子が批判している。評言の「既視感がある。新聞報道で聞いたことをもう一度読まされている。・・・その土地にいて嘆いているのではなくて、外から詠んでいるような気もしてしまう」は私も同感である。ニュースキャスターや新聞の論説という世論の声を一歩も出ていないように思われる。これに対して、「一面菜の花」は危険な思想である、声高に論じてはいけない。しかし我々はここから学ぶべき多くのものを持っている。戦争を二度と起こさないための知恵はこうした地獄の思想から生まれるのである。

2013年4月5日金曜日

句集・俳誌渉猟(4)~「今」~/筑紫磐井


  • 「今」創刊号(2013年4月)

「白露」の終刊後、「郭公」といういかにも「雲母」・「白露」のレイアウトをそのまま受け継いだ雑誌が創刊され、蛇笏・龍太の系譜を継承した後継雑誌ができたと思っていたら、3月末になってもう一つの新しい雑誌「今(こん)」が届いた。発行人は瀧澤和治、編集人が保阪敏子であり、龍太の手塩に掛けた若手たちである。俳句を始めたばかりの頃、大学生だった私は主要な俳句雑誌を見て行く時に、なかなか東京の書店では手に入りがたい「雲母」を発行所から直接郵送してもらい、しばらく龍太の独特の雰囲気を楽しんだことがある。ただ、あまりにも整然とした結社の雰囲気に、いささか無頼派の私には合わないのではないかと思えたが、その時、見た「雲母」の最初の号で、高校生ながら巻頭作品を採っていたのが瀧澤和治であった。

夜の枝垂れ桜方里を冷たくす

という句である。膨大な会員の中から選ばれぬいた作品は、たしかに言葉も気品も格段のものであり、ある意味では叶わないなと舌を巻いて、以来龍太の身辺には近づかなかった(私が龍太に関係するのはその後20年近くたってからだった)。ただその後も、この高校生が気になってしょうがなかった。

滝澤は、いかにも「雲母」の作家らしく、目立たず、東京・中央俳壇に右顧左眄することもなく、龍太の地元で静かに熟成していった。雲母にはこうした作家が多いようである。「郭公」に残っている金田咲子や亡くなった金子青銅なども俳壇では目立たい人ながら多くの人からは信頼を受けていた。こういう流儀もあるのであろう。

先にも述べたように、「郭公」は「白露」の後継雑誌であって、読者には見た目も変わらない印象を与えたが、しかし内容が変わった(主宰が替わるというのは最大の変更だ)のだから器も当然変わるべきという考え方もある。「今」は、今村由男の表紙が斬新で「未定」や「鬣」のセンスに近く、「雲母」「白露」と全く違う。同人作品欄と会員作品欄があるが、前者は自選、後者は滝沢の選を経ているものの、両者とも半頁に10句を載せているから、巻頭を競うためにぎっちり詰まった雑詠欄とは異なり同人雑誌に近いレイアウトとなっている。これは見かけだけのものではなく、そこで探求される俳句の内容や理念にもかかわってゆくものであると考える。にもかかわらずそれは、外見以外の、伝えるべき内容ではしっかりとした継続性を持っていることも知らせてくれた。

「今」の最大の特徴は、創刊号から始まった福田甲子雄特集である。龍太の高弟に広瀬直人と福田甲子雄がいたが、どういう経緯で広瀬が主宰として後継雑誌である「白露」を創刊したのかは分からないが、この「今」は福田甲子雄系の雑誌といえるほどその影響が強い。瀧澤和治の「福田甲子雄 春の十句」、保阪敏子の「いのちをつなぐうた」(転載記事)、中村誠の連載「生も死もーー福田甲子雄を継ぐ」、斉藤史子の年譜など薄い頁数の中で、福田甲子雄への強い憧憬にあふれている。そこではひたすら俳句に、龍太に、甲斐の国に生真面目に向かい合った福田のエピソードがつづられている。広瀬系であることが歴然としている「郭公」とかなり違うのである。

山梨日々新聞の中村の文章によれば、龍太の妻俊子が当時発行の手伝いをしていた斉藤史子を帰りがけに呼び出し終刊の意志を伝えたらしい。平成4年の春のことである。どうやらこれが龍太の意志の初めての伝達であったらしい。それから、福田と保阪と相談して、箝口令の下で、整然とした終刊への作業が始まった。なぜなら膨大な会員への龍太の意志の伝達と会費の精算作業はすさまじいものであったらしい。このような例はおよそ俳句雑誌ではなかった作業だからである。
直接関係ないが、このエピソードを読んで、攝津幸彦の亡くなった時のことを思い出した。攝津幸彦は肝炎が原因でなくなったが、医師からは家族に余命わずかと宣告され、それは親も本人でさえも知らなかった。近くに住んでいた酒巻英一郎が攝津家を訪問した後見送りに出た資子夫人から告げられ、最後の面会と豈の継続をどうするかが宿題となった。酒巻は私に、私は大井恒行、仁平勝を語らって面会の機会を設け、その後のことを思慮した。ごく親しい人にも知らされていない秘密を知ってしまった苦しさは同感出来るものがある。

    *    *

福田の志を継いだ瀧澤たちの表現はどのようになっているのか。「今」創刊号の作品を見てみる。

空海の三鈷見てゐる春著かな    瀧澤和治 
喰積むに梁黒くして二代経し 
大寒の呪文ならねど口動く
襟髪も髻も吹かれ伊勢参り     保阪敏子 
接骨木(にはとこ)の花山の子は山が好き
山風に覚悟よろしき桜かな
雪晴れや超え曳いてとぶ山の鳥   小林久子 
山姥の血を吐き捨つる寒夜かな   城松喜 
春の潮名にも思はず考へず     原桐子 
ふた親を憎し憎しと夜の桜     村瀬勗

一昔前、『飯田龍太の彼方へ』を書くために読んだ龍太の大量の俳句には、名句よりも、そこに立ち至るために読み捨てられた多くの作品があり、むしろそうした作品に龍太の体臭のようなものがまとわりついていたように思っている。どこか古く、どこか懐かしく、どこか不気味である。一筋縄ではいかなかった龍太の世界が彼らの作品の中にも伺えるようである。

(「今」の投稿は、原則手書きであるらしい、プリンター出力もよしとなっているが、送信は原則ファックスが限度であり、ホームページもないし、メールアドレスも載っていない。パソコン環境もあるかどうか。その意味では、私が書いているこの文章も読まれる可能性は少ないかもしれない。むしろ、この記事は「今」以外の人に勧める俳句の道のあり方なのである。)


2013年3月8日金曜日

句集・俳誌渉猟(4)/筑紫磐井

村上護『其中つれづれ』

村上は昭和16年生まれで、72歳であるが、もともと作家・評論家として活躍し、その間書きためた俳句を今回初めて句集としてまとめたということだ。種田山頭火の評伝でデビューし、以後多くの作家論や俳句鑑賞を行ってきた。現在も全国の新聞に毎日連載している鑑賞は愛読者も多い。その村上が句集をまとめる契機は大病をしたことによるという。

句集は

1の章「待つものかは」(比較的最近の総合俳誌に掲載した作品)
2の章「かつ消え、かつ結びて」(10年間の句作)
3の章「つもりて遠き」(雑多で、しかし捨てきれなかった句)

からなる。

その意味では、大病をしたあとの村上の諦念がにじみ出ている句が1の章である。術後・術前の区別はつきにくいが、
うらやまし見舞の客に汗の玉
赤とんぼやがて地虫の気息かな
など、過剰な思い入れは不要だろうが、やはり70歳以降の作者の心境がにじみ出ているようである。

2の章は、2002年から2011年までの、おそらくは俳句の評論鑑賞を書いている内に出来た俳句の友人たちとの吟行を中心とした作品のようである。
ふてぶてし臍に汗ため昼寝せり
木枯や動かぬ船を氷川丸
俳人諸氏といっしょに見よう見まねで句作を始めたが、「自作が時には誌面に掲載されることもあり、みっともない作品は出せません。」という気構えで作った句もあるという。

そうした意味では、評論家村上護でありながら、舞台に上がったような観客・評論家を意識した句作とならざるを得ず、好き放題の俳句であるわけではなかったようにも見えるのである。評論家を名告る人々の句作の難しさはこんなところにある。自分が論評したり鑑賞したり、時には論難した俳人たちから鵜の目鷹の目で眺められていることを覚悟しなければいけないからである。

   *      *

そんな意味で、3の章が「捨てきれなかった」といわれているところが面白い。作品を鑑賞する立場から見れば、月並みであっても、主観的であっても、表現が不熟であっても、類想句があったとしても、たった一言「捨てきれなかった」で許せるし、案外それが俳句の本質ではなかろうかという気がするのである。

ある座談会で今回の村上氏の句集を取り上げたが、多くの人は村上氏のあとがきに書かれた言葉通り、「雑多で、本来は捨てればよいのでしょう」をそのまま受け取って、この章に注目していなかった。しかし、考えてみれば、「捨てればよい」のであれば載せるはずがない。やはり「捨てきれなかった」何ものかがあるとすれば、それを村上氏と語り合う必要があるのではないか。

喘ぎつつ稿脱しけり寒の明け
振り売りのひなびことばや冴え返る
亀鳴くや遅れて届く招待状
海賊の裔てふ逸話くるひ凧
ひこばえや花いちりんに静心
桜前線我の気がかりは不整脈
乗込鮒むかし覚えしブンガワン・ソロ
時駆ける日矢は春田を輝かす
吾の見遣る佳人は花に執したり
吉野川紀伊も讃岐も遠霞
国分ける長き橋なり春尽きぬ
若夏や恋ごころいま古傷に
かにかくに失ひし恋さくらんぼ
蝮捕り名人の袋気になりぬ
緑蔭や灰から拾ふ喉仏
祇園町どこ折れようと夏の月
鄙びたる不器男旧居の夏つばめ
つば帽子入道雲と並びけり
海蛇を怖れながらも泳ぐかな
移ろひのやがて長雨処暑すぎて
撫子や家付きといふ母かなし
鉦叩闇にたましひ響かせり
芋の露さよならといふ切なさよ
金木犀ゆつたり登る五十坂
里山や愁ひを秘めし緋のかぶら
年の瀬や用のなくても出歩きし
わたなかにあれあれ人魚野水仙

私自身、この章から意外に多くの句を拾ってしまった。いつ、どのように詠まれたのか分からないところが魅力だし、必ずしも個性がないところも却って面白いと思うのである。切なさ、かなしさを言葉にしているところもルール違反であるし、文学以前のところもあるようである。しかし、俳句とは何なのかを考える際には十分許容出来る作品だと思うのである。

こうした選句をした時、作家村上護ではない批評家村上護はどう考えながらこれらの作品を見ているのであろうか。私が村上氏と対談をするならこれらの作品についてこそ論じてみたい。「本来は捨てればよい」、しかし「捨てきれなかった」、―――これこそが俳句の本質ではないのか。

虚子は駄句の山と少しの傑作を作ったというが、われわれは傑作を肯っても、駄句を肯うことはしない。しかし虚子は傑作の作者でもあると同時に、駄句の作者でもある。傑作の論理はどこか駄句の論理に通じているのではないか。傑作と駄句で評価を分けることが近代文学理論の欠点ではないかと思うのである。捨てきれる俳句と捨てきれない俳句という基準は、近代俳句を超えた新しい世界を提示しているように思われる。

2013年2月22日金曜日

句集・俳誌渉猟(3)~「~俳句空間~豈」~/筑紫磐井

「―俳句空間―豈」54号(2013年1月)

このブログで「豈」を取り上げるのも奇異なものだが、豈そのものを読んでいる人が多くないので、ここでその内容に触れてみたい。言っておくが、私は発行人として企画までは関与しているものの、執筆者がどのような原稿をまとめているかは発行段階まで知らない。編集人である大井氏がすべて進めてくれているので、一般読者と同じような感じでこれらの評論を読んでいるといってもよい。

「豈」54号の特集企画は戦後生まれ作家論である。現在「豈」の編集をしている大井氏が今から20年前に編集長をしていた「俳句空間」(弘栄堂書店刊)の休刊号で戦後生まれ十八人を取り上げた<現代俳句の可能性>の特集を行った。その時のメンバーは、谷口慎也・攝津幸彦・西川徹郎・宮入聖・金田咲子・久保純夫・筑紫磐井・江里昭彦・大屋達治・正木ゆう子・片山由美子・対馬康子・林桂・長谷川櫂・夏石番矢・四ッ谷龍・田中裕明・岸本尚毅の18名である。今回は、それらのメンバーを精査して次の14人が登場した(★印は<現代俳句の可能性>と重複)。次号55号でも続く予定であるから2号にわたる戦後生まれ作家と見てもよい。両号を眺めることにより、伝統と前衛のバランスの取れた世代論がうかがえるであろう。

まずは、総論を筑紫が大井恒行にインタビューして始まる。世代論の切り口がまだ確定していない時期(他のジャンルであればこの世代の評価が決まっていないというのは信じられないことであるが!)だけにガイダンスは必要であろう。

【『新撰21』世代による戦後生まれ作家10人論】

この種の特集では普通珍しくないのだが、豈としては珍しいのはそれぞれの作家(いずれも結社主宰者だ)のお弟子さんが一部論じていることである。ただこれらの主宰者は自分の雑誌で自分を論じることに熱心ではないのであまり目立った作家論がないことである。そこで豈の場で強制的に弟子たちに書いてもらうことにした。特に戦後生まれ作家10人という横串の中で論じることは、結社の中の閉鎖的な論と違って若々しさを発揮してくれるだろう。<現代俳句の可能性>で取り上げなかった作家である(その理由は大井恒行がインタビューの中で説明している)が、他意はない。

  • 高野ムツオ論(関根かな)
  • 星野高士論(矢野玲奈)
  • 小澤實論(相子知恵)

読者はじっさい読んでみて感じられたらいいと思うが、読んでみて分かるが決して客観的な論になっていないところがいいのである。作家論は客観的であるべきだなどというのはとんだ錯覚・幻想である。一人の作家からどこまで、何を引きずり出したかが作家論の価値なのである。今回十分その期待に応えてくれたであろう。

   *   *

  • 攝津幸彦論★(北大路翼)

この破天荒な怪物が攝津をどう論じるかは興味津々である。同じ怪物ながら、長谷川櫂論を論じた関悦史と北大路とでは、ケンタウロスの上半身と下半身の闘いのような趣がある。攝津論にはこの他に、「攝津幸彦論、再構築のために」(堀本吟×筑紫磐井)、「千年の時の彼方に」(わたなべ柊)が書いている。これは「豈」の場であることとてお許し頂こう。


  • 正木ゆう子論★(神野紗希)

神野紗希が将来の道筋で見ているのは正木ゆう子あたりにあるのではないかと予測して担当を求めた。


  • 片山由美子論★(松本てふこ)

最も正統的である作家を反正統派と目されている同性作家がどこまで切り込めるかである。てふこが書いた北大路翼論や柴田千晶論(そういえばいずれも「街」作家であった)とは全然違う切れ味を期待した。


  • 長谷川櫂論★(関悦史)

この特集の一つの見物は、新人の中でも知識の怪物じみている関が虚子の如く俳壇に君臨しようとし、一見非常に遠いところにいる長谷川をどのように捌くかにある。


  • 夏石番矢論★(堀田季何)

夏石を論じられる若手作家は滅多にいない。「澤」と「吟遊」に所属するという、古いわれわれでは理解出来ない脳構造をもつ堀田は新しい夏石論を導入してくれる。


  • 田中裕明論★(高柳克弘)

第1回田中裕明賞を受賞した高柳が田中を論ずる。すでに高柳の田中論は幾つか見られるようだが、こうしたラインアップの中で他を意識しながら高柳が論ずることは滅多にないだろうから、人選としては面白いはずだ。


  • 岸本尚毅論★(冨田拓也)

長谷川論と同じ視点で、純粋前衛派とも言える冨田が虚子の権化とも言える岸本を論ずるのも興味深いであろう。


【(豈同人による)戦後生まれ作家論】

豈同人に、何の条件も付けず戦後生まれ作家論を求めたところ書かれたのが次の4人と攝津幸彦論であった。全体が前衛系戦後生まれ作家(上では夏石番矢のみが入っている)論となったのは「豈」という雑誌の特徴であろう。上の10人と比べて読むと面白いものがある。

  • 宮入聖★(青山茂根)

すでに伝説となっているこの作家は、時折論じられることがある。昨年も宇多喜代子が「俳句」の連載評論の中で熱っぽく語っていたが、青山茂根が論じるとは正直びっくりした。長谷川櫂や岸本尚毅を関悦史・冨田拓也が論ずるのと全く逆の意味で常識を裏切る、それだけ期待させる論となっている。


  • 林桂★(杉本青三郎)

未だ豈に参加したばかりの杉本が焦点を絞ったのが、「未定」ー「鬣」の中心にいる林桂である。俳句のニューウェイブといった表現をした時必ず登場した林もすでにすでに還暦だ。是非その全貌を語って貰いたいものである。


  • 江里昭彦★(高橋修宏)

忘れてはならない作家江里を期待通り取り上げてくれた。その過激さは評論でも、作品でも、それ以外の活動でも、極めて分かりやすい旗幟鮮明な陣地を構えていた。


  • 筑紫磐井★(小湊こぎく)

これは私のことなので論じない。ただ、第1句集の若い時代を丹念に論じてくれた。





※画像をクリックすると鮮明な画像に変わります。
 
 
※『-俳句空間ー 豈 第54号』は邑書林のサイトから購入可能です。
関悦史第一句集『六十億本の回転する曲がった棒』、『相馬遷子ー佐久の星』、などなど話題の書籍がぞくぞく!


 

2013年2月8日金曜日

句集・俳誌渉猟(2)~『鳥飛ぶ仕組み』「晶」「第3回田中裕明賞」~/筑紫磐井

  • 宮本佳世乃『鳥飛ぶ仕組み』平成24年12月25日現代俳句協会刊/1500円


時評などを試みているうちに、作家の登場の仕方に関する経験則的な原理に気がついてきた。私はそれを「天才現象」論と名付けてみている。それは、こと俳句に関しては経験年数とその成果が結びつくのではなく、開始して1~2年の間に急速に能力を開化させる人が多いことである。あるいは、鳴かず飛ばずで長いこと続けていた人が、何を転機にしたのか急に目ざめたように素晴らしい作品を作り始める。これを、本当に天才と呼べる作家たち(例えば中村草田男とか攝津幸彦)と比べてみて、両者に共通な要素があるような気がするのである。それは、これらの作家には平均的な作家たちが持つのと違う規則(義務的な規則と違う芸術的な規則だが)があり、それに目ざめて、その法則に従って易々と作品が生まれるようになるということだ。具体的な特徴は2つ、①すべて作品がその人独特のパラダイムによって生まれること、②このパラダイムに従うと湯水が湧くように作品が流れ出てしまうこと(1日100句でも簡単に生まれる)である。

ただこの規則は限定的で、芸術一般と言うよりは、その結社特有の規則である可能性が強い。面白いのは、結社の創設者(初代主宰)が苦労し、紆余曲折の末生みだした結社の独自の個性・作風を、これらパラダイムを理解した作者は主宰をはるかに越えたレベルで容易に量産する。結社の優等生の中にはこうして目ざめた作家も多い。私が所属した「沖」には沖風と呼ばれる作風があり、これらをいちはやく会得し、能村登四郎や林翔よりはるかに巧緻な沖風を展開した作者が何人かいた。句会に出ても、これらの作者の句を能村登四郎はとらざるを得なかった。といってこれらの作者の句が「巧い」というのではない。まさに「沖そのもの」という俳句だったのである。こうして多くの作家が結社賞を取っていった。

一方で、陥穽もある。これらの作者の基準は絶対的ではない。彼らのパラダイムの基準が周囲の作家の基準の先を言っているからこそ天才のように見えるが、いずれ周囲の作家の基準が彼らの基準を追い越した(あるいは方向転換をした)途端に彼らはただの人になってしまう。いや、むしろ古いパラダイムに浸っている旧弊な作家と見えてしまうのである。彼らは何も変わらない、周囲が彼らを追い越して行くのである。よくいう、「神童も20歳過ぎればただの人」に変わるのはこうした原理による。苦労して常に脱皮する天才との違いである。だからこうした、パラダイム型の天才に必要なのは、俳句や結社の基準ではなく、それを越えた芸術や哲学などで視野を広げ、自分自身でパラダイム転換を図り、絶対基準を見出して行くことなのである。そしてじっさいパラダイム型天才ではなく、本当の天才はこうした中から生まれて行く(また、この論理を逆転すると、どうやら天才は結社の中から生まれ易いことも納得出来る)。
 

長々と一般論が続いたが、宮本佳世乃『鳥飛ぶ仕組み』を読んで私の理論にぴったりの人が現れたという感じがした。実に労することなく、楽しげに、そしておそらくこの種の作品を量産していることだろう。それは決して悪いことではない。このレベルの句を生涯1句も作れない同世代の作家もいるのだから。

若葉風らららバランス飲料水
滝までの道にしるしにやうなもの
あはゆきのほどける音やNHK
春の日の光くづさぬやう時計
しまうまの縞のつづきのぼたん雪

上に述べたように、天才とは独自の能力ではなく、社会的産物なのだ。社会(つまり俳壇や結社)の使い捨てにならないためには、俳句にこだわらない広い視野を獲得していくことがこの作者のためには望まれるであろう。

  • 季刊俳句同人誌「晶」第3号平成25年2月5日発行/1年分誌代4000円


昨年8月に創刊された同人雑誌(代表長嶺千晶)であり、中村草田男系の雑誌と見てよいであろう。創刊号は4人からスタートしたが、この第3号は6人に増えている。ご同慶に堪えない。中村草田男系というのは、創刊号以来続く長嶺千晶の「香西照雄著『中村草田男』の検証」がこの雑誌のバックボーンをなしているからだ。興味深いのは、年齢的にも草田男に1回しか選句を受けたことしかない、従ってその意味ではむしろ香西照雄を師と仰ぐ長嶺が、「師と仰ぐためには師の研究をしなければならない。そして草田男先生ほど偉大な方はいらっしゃらない」という香西の言葉を受けて草田男研究を進めるのだが、その結果、香西照雄著『中村草田男』を読みながら、香西に対する批判を展開する。創刊号では、ホトトギス派が反社会的な風流に変更していたという香西の説に、香西の社会主義が色濃く投影されていたのではないか、香西は草田男を人間探究派のリーダーと呼ぶが加藤楸邨、石田波郷をこのような言い方で括ってしまうのは問題ではないか、また草田男の求道的態度から社会主義者である香西は宗教を否定しているのは間違っているのではないか、と挙げる。このような指摘をして、連載を始めているのである。つまり、香西の影響を受けて草田男研究を始めながら、長嶺が見出した草田男は香西の解説を越えて独自の草田男となってゆく、これは作家研究として見逃せないところだ。

第3号ではこのような大上段に振りかぶった論は控え、1句1句の丁寧な鑑賞を加えている。しかし、昭和11年頃から草田男は「や」「かな」「けり」の切字を使わなくなり、散文化する「は」を使う草田男の特長が目立って来るのだという。

毎号外部寄稿を求めているのは、外にも内にも発信を求める趣旨だろう。

 骨片と化す恐竜や流れ星 長嶺千晶
 聖水に合掌を解く冬野蝶 海野弘子

  • 「第3回田中裕明賞」平成25年1月29日ふらんす堂発行/500円


ふらんす堂が主催する田中裕明賞の発表冊子である。田中裕明賞は亡き田中裕明を記念してふらんす堂が授与する賞であり、2010年から開始された。2010年の第1回は高柳克弘『未踏』、2011年の第2回は該当句集なし、2012年の第3回は関悦史の『六十億本の回転する曲がつた棒』が受賞した。自薦他薦の四十五歳未満の作者による応募句集から石田郷子、小川軽舟、岸本尚毅、四ッ谷龍の4人の選考委員が選ぶものであり、今回は7冊の句集というのは少ない気がするが、最終的に、関悦史の前述の句集と御中虫の『おまへの倫理崩すためなら何度でも車椅子奪ふぜ』が最終的には議論の対象となった。角川俳句賞を取った山口遊夢でもなく、俳人協会新人賞をとった押野裕も残っていないのもこの賞の特色を良く表している。同じ選考委員が角川俳句賞の選考の場に出た時、これと同じ結果になるであろうかと興味が湧いた。

論評は丁寧であるし、司会をしている主催者があまり強引にリードしていない(例えば関悦史と御中虫の同時受賞もあり得た)点に好感を持てた。受賞結果があくまで4人の合意であった点はこうした賞の価値にもかかわってくるであろう。そのため、受賞者のなかった第2回と比べて冊子の頁数も2倍半、定価も同様に2倍半となっているのは納得させられる。

さて興味は、関悦史と御中虫の相対評価だが、小川・四ッ谷が御中虫より関を推し、岸本が関より御中虫を推し、石田は関はどう受けとめてよいか分からない(御中虫に点は入れたが関には無点)というところからスタートする。興味深いのは岸本の論法で、二人をとらないで一人に絞るとすると、「賞を取らなかった時の損失の大きさを考えると、関さんのほうが推さないことのっもったいなさ大きいような気がしますね。絞るんなら関さんだなあ。御中虫も捨てがたいけど。」と述べているところだ。こうした選考のロジックもあるのかと感心した。少なくとも一部委員から出た、御中虫と山口にはもう1回チャンスがあるというような考え方よりは、腑に落ちるものがある。

余談になるが、関は雪梁舎賞の選考で現地に赴いていた(この賞は受賞者が会場に来ていないといけないのだそうだ)関がそちらの方が落選が決まった残念会の席で田中裕明賞の受賞の知らせが入り、一転受賞記念の祝いの席に変わったという。

2013年1月25日金曜日

句集・俳誌渉猟(1)/筑紫磐井

  • 鈴木庸子句集『シノプシス』2011年11月3日ふらんす堂/2286円

 鈴木は1952年生まれ、1996年に「知音」に入会。句集は西村和子の帯文、行方克己の序文を付した処女句集。長男が慶応義塾中等部に入ったという縁で俳句を始めたという、まさに私などにはちょっと縁のない慶応ネットワークである。がんセンターに入院したときの

夏ある日ものみな白く見えにけり
を行方が激賞したという。これはなかなかいい。
句集は、題名が、シノプシス、各章がシャンゼリゼ、ピアソラ、マイナスイオン、バスケットシューズ、スイッチバック、モノクロ、ハッカドロップというカタカナばかりの章となっている。俳句そのものにはカタカナは少ないから、ちょっとけれんみをねらった句集構成といえようか。

子宮などなくてもをんな冬の月
かたまつてゐて傷ついて青くるみ


  • 秋尾敏句集『悪の種』2012年12月15日本阿弥書店/2500円

秋尾の第4句集。異色の句集である。全体が「暖かいころ」「暑いころ」「冷ややかなころ」「寒いころ」は春夏秋冬の子規に配したもので表記は変わっているが季節別・季題別句集は世の中に珍しくない。しかし、その各章の中は見開きごとに題が掲げられている。一種の主題詠だ。全体で69テーマあり、1テーマ6句を丁寧に詠んでいる。主宰誌「軸」が45周年を迎えたと言うことでの意気込みが伺える。

さめざめと泣く瀧もあり山の裏
匿名の木に覗かれている焚火

序文に志を語り、跋は「私をつくったもの・私がつくろうとするもの」、解説に松岡秀明の「越境と超越――秋尾敏論」を載せるという、秋尾を語りきったいささか饒舌な句集となっている(これは「俳壇」の連載記事<俳人クロニクル>を転載したためであろう)。電気工作(つまり理工系ということだ)、音楽、批評、そして俳句実作の順番で語るのが秋尾のキャリアにはいいらしい。「吟遊」を退会したという記事があって納得した。

  • 「枻(かい)」創刊号平成25年1月1日発行/1000円

橋本榮治の同人誌「琉」と雨宮きぬよの主宰誌「百磴」が合併して生まれた雑誌。橋本は馬酔木の同人、雨宮は馬酔木の同人であった殿村菟絲子に師事していたからまんざら縁がないわけではない。創刊のことば、作品も、橋本・雨宮の共同発行人が綺麗に並んでいる。同人作品は橋本の「琉集」榮治、雨宮の「梓集Ⅰ」(自選)「梓集Ⅱ」(きぬよ選)、会員作品は雨宮の「百磴集」、橋本の「枻集」とこれまた綺麗に並んでいる。橋本は「当初は二雑誌が併存するかたちで無理をせず、緩やかに溶け合ってまいります。すでに二年先、三年先の展望を胸中には描いております」と述べているから、現在は移行期間の第一歩ということらしい。

あをあをと畦の走れる雪の前 橋本榮治
考へることを止めたり枯葎 雨宮きぬよ
おほいなる肺活量や野分雲 関光義(百磴集巻頭)
ロスタイムのやうに釣瓶落しの日 平野典代(枻集巻頭)

  • 「郭公」創刊号平成25年1月1日発行/1000円

広瀬直人の病気により休刊となった「白露」を次いで井上康明が主宰する「郭公」が創刊された。「雲母」(飯田蛇笏ー龍太)ー「白露」(広瀬直人ー)「郭公」(井上康明)と継承することとなる。編集を長田群青のほか、新たに斉藤幸三、高室有子が加わっているが、私が学生時代に読んだ龍太の「雲母」と「白露」「郭公」のほとんど変わらないレイアウトは、良きにつけ悪しきにつけ伝統であろうか。私も知っている金田咲子、三森鉄治など大半の「白露」同人・会員が本誌に移行し、句会も看板を掛け替えて移行しているように見えるが、一方私と同世代で知名度が高く、直前まで「白露」の編集部に参加していた瀧澤和治、保阪敏子らは同人誌「今」を別に発刊するという。どんな事情があったのだろう。こんな中で長老の訃報も告げられた。有泉七種(91歳)逝去、ご冥福を祈る。

大いなる山に山影去年今年 井上康明
国生みの神の足あと秋の雲 保住敬子(郭公集巻頭)

  • 「舞」第33号平成25年1月10日発行/1000円

岡井省二に師事した山西雅子の主宰する月刊雑誌。瀟洒であるが、若い小川楓子(不思議なことに金子兜太の「海程」にも属している)がいるし、勉強会で「奥の細道」「俳句と鳥」等の研究を進めて発表しているのは地道ながら貴重だ。前の雑誌に比べ指導句会も3つほどしかないが、句会報などを使って丹念に指導を行っている。実は、今回取り上げるのは、この雑誌は家庭の印刷機により手作りで制作し、会員だけに配付しているそうである。ただ年に1回だけ私などのような外部の人間にも寄贈していただく、従って来年まで内容を報告できないのでここに掲げたわけである。俳句の雑誌も多種多様である。

寒の雨傘一本を頼みとし 山西雅子
月にちかづくちかづけるまでゆくよ 小川楓子

  • 「WEP俳句通信」第71号平成24年12月14日発行/857円

ウエップ編集室が発行する総合誌。この号の特集は、「岸本尚毅・坊城俊樹・星野高士――3人かく語りき!!」であるが、ここでは拙著『伝統の探究<題詠文学論>』を長々と語ってくれているのだが、ボロクソである。

坊城:磐井さんは何しろボクたちのことが嫌いだから、すぐ何かっていうと、反伝統、という。
星野:愛情のある嫌い方でしょうね。
岸本:ヘーゲルの弁証法ですね。
坊城:結局、磐井さんとしては自分はどのへんゆきたいのだろう。
岸本:磐井さんは「王国」を超越した「法王」になりたいのかな。
坊城:磐井さんって、評論家になるより、俳人になるほうが面白かったんだよね。
星野:それって、俳人じゃないってこと?俳人だと思うよ、俺は。
坊城:まあ、いいよ。当分会わないからいいんだけど(笑)。
星野:読みでがあるよ。
坊城:よく出来ているけれど、磐井さんの主観的に書かれたところが分かりにくいの。
星野:そこがあるんだよね。
岸本:筑紫さんの文章は、文章の句読点の丸のあと、見えない字で「ナーンチャッテ」と書かれていることがときどきありますよ(笑)。


 
 


  • 「絵空」創刊号平成24年10月15日発行/500円

  • 「絵空」第2号平成25年1月15日発行/500円

中田尚子・山崎祐子・茅根知子・土肥あき子の創刊した俳句同人誌。中堅女性作家たちの出す俳句同人誌は最近流行のようで、先輩格の「星の木」(大木あまり・石田郷子・藺草慶子・山西雅子)や「麟」(山下知津子・染谷佳之子・飯野きよ子・駒木根淳子・野口明子)などがある。「絵空」の場合は総合誌の企画で、吟行を行ったのが機会だそうである。総合誌の行う超結社吟行会はその場限りのものと思っていたがこうした効果もあるらしい。特にそれによって気のあった同士が確認出来たと言うことなのであろう。なまじ男などいないほうがいいのだ。吟行で始まった同人誌だけに創刊号も、第2号も、2回にわたるいわき吟行特集が組まれている。そういえば、相子知恵・関悦史・鴇田智哉・四ッ谷龍たちが俳句創作集『いわきへ』という被災地ツアーの創作作品集(これは雑誌ではない)をまとめていた。こうした冊子を見ることにより少しづつ変化している俳句媒体の姿が見えてくるようだ。「絵空」の場合吟行句とどちらを選ぼうかと思ったが、普通作品から抄出することにする。

創刊号

白日傘町の抜け道知り尽くし 中田尚子
蛇楽しト音記号になつたれば 山崎祐子
小説は真ん中あたり小鳥来る 茅根知子
虫売のしづかにものを食みにけり 土肥あき子

第2号

福島の福ふつくらと筆はじめ 山崎祐子
先生が歩いてゆきし恵方道 茅根知子
雑炊を吹きくたびれてしまひけり 土肥あき子
何もかも酢橘をかけて誕生日 中田尚子

  • 「ジャム・セッション」創刊号2012年8月20日発行/非売品

  • 「ジャム・セッション」第2号2012年12月28日発行/非売品

「戦後俳句を読む」の<文体の変化【テーマ:極限で短歌と俳句を詠む】>で触れた江里昭彦と中川智正の出す同人俳句雑誌である。創刊の経緯を江里は「被告のころ(まだ確定死刑囚ではないという意味。筑紫注)からすでに短歌・俳句の実作を試みていた中川氏は、私との面会が不可能になる直前、歳時記の差し入れを希望した。それを、これからも継続して詩歌を作りたいという意思表示であると理解した私は、最後の面会において、二人だけで同人誌を出そうと提案した。氏は了承した。」と語るばかりである。ちなみに予備知識として言っておくべきは、江里は京都府立大学の学生課に勤務し、そこに大学祭実行委員長として中川智正がしょっちゅう出入りしていたのだということである。

いずれにしても、江里自身、確定判決後面会の機会を失った中で、相手の現状をよく掴めない者同士が、打ち合わせなしで行う即興演奏めいたものになる、と言う理由で「ジャム・セッション」と名付けられた。

すでに中川智正の俳句作品は「戦後俳句を読む」の方で触れたのでここには取り上げない。江里とゲスト俳人の作品をあげることにする。

この椎も春を聴くかや顔寄する    江里昭彦
恍惚としている海の虹を消せ
草雲雀頭蓋に蒼き夢茂り       齋藤慎爾
水澄みて<フクシマ>帰るところなし 望月至高

なお、第2号からは中川の「私をとりまく世界について」の連載が始まった。確定死刑囚がどのような情報環境のなかにおかれているかを詳細に伝える。基本的には、我々の想像を絶する極めて厳しい条件下にあるのは間違いない。「交流者」という不思議な言葉がこれら情報環境のキーワードとなっている。外部の情報はもちろん、中川から外部への情報も極めて限られた状況であったという。唯一の例外は、アメリカの軍人がアルカイダのテロ対策に資する目的で情報を集めに来た時で、この時は拘置所側の特別な許可がおりたという。ぞっとする話である。

一方で不思議なのは、このような厳しい状況の中で、その厳しい状況を語る「私をとりまく世界について」が何故公表されているのかである。当然、「検閲」「抹消指導」が行われているわけである。中川が意図しているものと、私がこの雑誌で読むものとはずれているにちがいない。この文章を読みながら、「検閲」「抹消指導」の向こう側にある中川の意志をわれわれは想像しなければならない。