2018年4月27日金曜日

第88号

●更新スケジュール(2018年5月11日)

*近日刊行!*
冊子「俳句新空間」No.9 
特集:金子兜太追悼
   平成雪月花句集

第4回攝津幸彦記念賞発表! 》詳細
※※※「豈」60号・「俳句新空間」No.8に速報掲載※※※

各賞発表プレスリリース
豈60号 第4回攝津幸彦記念賞発表 購入は邑書林まで



平成三十年 俳句帖毎金00:00更新予定) 
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平成三十年 春興帖

第二(4/27)大井恒行・田中葉月・椿屋実梛・松下カロ
第一(4/20)北川美美・小野裕三・仙田洋子・杉山久子


【歳旦帖特別篇】金子兜太氏追善
》読む

(4/27)望月士郎
(4/6)山本敏倖・依光正樹・依光陽子・関悦史
(3/23)ふけとしこ
(3/16)長嶺千晶・大井恒行・堀本吟・小林かんな・渡邉美保
(3/9)小沢麻結・竹岡一郎・小野裕三・早瀬恵子・杉山久子・神谷 波・真矢ひろみ・水岩瞳・渕上信子・池田澄子・中山奈々・木村オサム・浅沼 璞
(3/2)辻村麻乃・曾根毅・月野ぽぽな・五島高資・北川美美・島田牙城・豊里友行・加藤知子・仲寒蟬・神山姫余・佐藤りえ・高山れおな・筑紫磐井


平成三十年 歳旦帖

補遺(4/27)ふけとしこ
第五(4/13)松下カロ・内村恭子・浅沼 璞・渡邉美保・佐藤りえ・筑紫磐井
第四(3/30)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子・水岩瞳・竹岡一郎・木村オサム
第三(3/23)真矢ひろみ・北川美美・西村麒麟・曾根毅・青木百舌鳥・小沢麻結・前北かおる
第二(3/16)渕上信子・辻村麻乃・山本敏倖・夏木久・中西夕紀・林雅樹・飯田冬眞
第一(3/9)網野月を・堀本吟・仲寒蟬・坂間恒子・小野裕三・神谷 波・杉山久子



【新連載・黄土眠兎特集】
眠兎第1句集『御意』を読みたい
1 『御意』傍らの異界   大井さち子  》読む
2 つくることの愉しみ   樫本由貴  》読む
3 相克する作句姿勢~黄土眠兎第一句集『御意』~   川原風人  》読む
4 黄土眠兎はサムライである。   叶 裕  》読む


【新連載・西村麒麟特集2】
麒麟第2句集『鴨』を読みたい
0.序に変えて   筑紫磐井  》読む
1.置いてけぼりの人  野住朋可  》読む
2.ささやかさ  岡田一実  》読む
3.乗れない流れへの強烈な関心  中西亮太  》読む
4.ある日の麒麟さん句会  服部さやか  》読む
5.千年宇宙のパースペクティブ  佐藤りえ  》読む
6.鴨評   安里琉太  》読む


【新連載】
前衛から見た子規の覚書  筑紫磐井 
(1)子規の死   》読む
(2)子規言行録・いかに子規は子規となったか①   》読む
(3)いかに子規は子規となったか②   》読む
(4)いかに子規は子規となったか③   》読む
(5)いかに子規は子規となったか④   》読む
(6)いかに子規は子規となったか⑤   》読む
(7)いかに子規は子規となったか⑥   》読む
(8)いかに子規は子規となったか⑦   》読む
(9)俳句は三流文学である   》読む
(10)朝日新聞は害毒である   》読む
(11)東大は早稲田に勝てない   》読む
(12)子規別伝1・子規最大のライバルは落合直文   》読む
(13)子規別伝2・直文=赤報隊・東大古典講習科という抵抗   》読む
(14)(9-2)俳句は三流文学である――続編   》読む




【現代俳句を読む】
三橋敏雄『眞神』を誤読する
   115. 霞まねば水に穴あく鯉の口  / 北川美美  
》読む

   116. 鈴に入る玉こそよけれ春のくれ  / 北川美美  》読む





【抜粋】
<「俳句四季」4月号> 
俳壇観測183/金子兜太逝く――海程終刊後何をしようとしたのか
筑紫磐井 》読む


  • 「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる







<WEP俳句通信>




およそ日刊俳句空間  》読む
    …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 … 
    • 4月の執筆者 (柳本々々・渡邉美保) 

      俳句空間」を読む  》読む   
      …(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子
       好評‼大井恒行の日々彼是  》読む 





      *発売中*
      冊子「俳句新空間」No.8 
      特集:世界名勝俳句選集
      購入は邑書林まで



      筑紫磐井 新刊『季語は生きている』発売中!

      実業広報社




      題字 金子兜太

      • 存在者 金子兜太
      • 黒田杏子=編著
      • 特別CD付 
      • 書籍詳細はこちら (藤原書店)
      第5章 昭和を俳句と共に生きてきた
       青春の兜太――「成層圏」の師と仲間たち  坂本宮尾
       兜太の社会性  筑紫磐井

      【抜粋】<「俳句四季」5月号> 俳壇観測184/金子兜太逝く――海程終刊後何をしようとしたのか 筑紫磐井

      兜太の訃報

       この「俳壇観測」は公的時評のつもりで書いているが、今回はすこし私的事項にわたり筆を延ばしたい。
       二〇一八年の九月の白寿の誕生日にあわせて「海程」を終刊することとし、今年に入ってから新しい雑誌「海原(かいげん)」の創刊と新体制(発行人安西篤)の準備が進み、着々と予定をこなしている感があったが、そうしたただ中、あれほど元気であった兜太の訃報が届いた。
       一月七日に肺炎で入院したが、これは軽かったらしく二五日には退院している。ところが、二月六日誤嚥性肺炎で急遽熊谷総合病院に入院し、以後意識がほとんどない状況となり、二月二〇日午後一一時四七分息を引き取った。
       葬儀は熊谷市の斎場で三月一日通夜、二日告別式があった。家族葬と聞いていたが、俳人は家族だということで海程、現俳協の人など二~三〇〇人に混じって参列させていただいた。偲ぶ会は改めて行われるそうだ。驚いたのは自宅にいた二週間の間に三本のインタビューをこなしていたことだ。最後の一瞬まで自分が亡くなると意識はなかったようである。
       「アベ政治を許さない」と全国に発信した反戦俳人に死亡叙勲の話が届いたとは聞かない。その代わり、最後の見送りに、近所のおばさんたちが折ったという小さな折り鶴が数百用意されており皆でこれを棺に納めていた。民衆俳人らしい最後であったように思う。死後叙勲を貰うよりはるかに兜太にとって光栄ではなかったかと思う。
            *      *
       実は、昨年一二月一三日に仲間たちと金子邸を訪問しインタビューを行っている。元気だった。俳句に関するインタビューとしては多分最後のものになるのではないかと思う(退院後こなしたインタビュー三本は必ずしも俳句に関わるものではないらしい)。私の手元にはテープ起こしした原稿がきており、しかるべき時期に公表することになると思う。
       私自身兜太と話をする機会はむしろ最近の方が多かった。主宰誌「海程」への戦後俳句史の連載を依頼され、その後「海程」の秩父俳句道場には二回招かれた。掲出の写真は二〇一五年四月のもの(左から安西篤、筑紫、金子兜太、関悦史氏)であるが、この背景のホワイトボードには、見づらいが私の「金子兜太:老人は青年の敵 強き敵」の句が書いてある。なかなか意味深長な句なのだが、兜太も「海程」同人たちも気にしないで話を聞いてくれた。気を許した相手には、至極磊落な態度を示す人だった。
       俳壇観測の前々号で「二つの大雑誌の終刊――高齢俳人の人生設計こそ俳壇の課題」と時評を書いたが、この中で兜太自身の今後の仕事について書いている。実はこの時、すでに兜太と話を重ね、白寿以後の兜太と新しい仕事を一緒に始めようと申し合わせたのであった。前述のインタビューもその時のためのものである。私個人としては、高浜虚子がホトトギスの選者を止めた後、新人たちと戦後俳句を論評する座談会を五年にわたって続けていたこともあり、兜太にも戦後俳句評を是非語らせたかった。「そんなのはアンタがやればいいんだ」と言っていたが、それでもこの最後のインタビューではいままで語られなかった波郷の評を語ってもらっている。もう少し長く聞くことが出来たらばと惜しまれる。
      (以下略)
      ※詳しくは「俳句四季」5月号をお読み下さい。

      【新連載・西村麒麟特集2】麒麟第2句集『鴨』を読みたい6 鴨評  安里琉太

       北斗賞受賞作「想ひ出帳」については、ちょっと頑張った文章を書いたので、今回は気ままに一句ずつ好きに書こうと思う。
      第一句集『鶉』は秋から始まっていた。この第二句集『鴨』は新年から始まる。どちらの句集も始まり方、終わり方が全体の雰囲気と密接に関わっている。

      見えてゐて京都が遠し絵双六

       絵のはなしは絵空事になりやすいから難しいのだけれど、『鴨』には屏風や絵が程よく出てきて嬉しくなる。高橋睦郎氏に「振りふりて上ガれば京や雪ならん」なる句があるが、この京都と京の違いは案外大きい気がしている。

      宝舟ひらひらさせてみたりけり

       「ゐたりけり」だと笑えすぎちゃう気がする。試しに、手持ち無沙汰で、という感じがすこし笑えていい。クスッとした後に、ひらひらしている宝舟の透け具合とか、色合いとか、そういうところが見えてくる気がする。笑えすぎちゃうと、こういうところに目が行かない感じがする。

      初雀鈴の如きが七八羽

       すずめ、すず、というように音で展開している。そんなに大きい鈴ではなく、お守りなんかに付いている程度の小さいやつだろう。この比喩は鈴と言いながら、音でもなく、また完全な見立てでもない。思いつくところ、光の当たり具合とか、サイズ感とか、揺れ具合とかである。比喩に収まっているのではなく、比喩が広がりをもっている。

      蛇穴を出てゑがかれてゐたりけり

       蛇穴を出るという季語の、その後の展開を如何に面白くするか、という作り方に腐心する句を私はよく見る。「蛇穴を出て」と、ちょっと大喜利的な感じがしないでもない季語だ。そっちの方向に陥りすぎず、詩に昇華したいのである。なるほど確かに蛇穴を出てからしか書けないのだけれど。

      日の如く印度の月や涅槃像


       この比喩も不思議である。涅槃像というけれど、これは涅槃図のなかのことと読みたい。日に月を例えるというのもすごいのだが、経年劣化した月が次第に赤みを帯びて太陽に見えるというのは、凡庸の比喩ではない。何か現実世界の月が降りて、日が昇って、を繰り返している間に、涅槃図の月が古びて太陽になったような、そんな不思議な時間の感覚や幻想を立ち込めさせるように思う。

      早蕨を映す鏡としてありぬ

       評しづらい、或いはほかの言葉で言い換えられないということは、かなりの大成功なのだと思う。その詩が唯一としてあるように思える。

      蛤の水から遠く来たりけり

       今井杏太郎に「蛤を焼けばけむりのあがりけり」があるのを、ぼんやり思い出した。とんでもなく当たり前なんだけれど、どこか蜃気楼っぽいかんじもする。この句、「(誰かが、或いは私が)蛤の水から遠く来た」とも「蛤が水から遠く来たのか」とも読めるが、どちらが良いだろう。私は前者の方が好きである。

        月光や椿の杖を遊ばせて

       いよいよ仙人っぽい感じがする。

        食べ応へある白菜を神様に

       『鶉』には「けふの月野菜を持参したる人」、「初雁や野菜どつさり持ち帰れ」という句がある。農家と言うよりほまち畑のようなものなのかもしれない。野菜がつなげる関係。

        蜷の道水面に何があらうとも

       mやnの鼻音に、なんだかまろやかな印象を思う。そのためか、水面の印象もそれに沿ったものを思い浮かべた。「何があらうとも」と言っているものの、何ごともなく過ぎ去っていく時間を思う。

        春風やまだそこにある烏瓜

       秋からずっとある烏瓜というより、最近見た烏瓜が、或いは来るたびにある烏瓜が、として読みたい。

        雨に冷え月に冷えたる蟻地獄

       「蟻地獄」と「月」と「冷え」の三つが季語のように思われるが、どれが中心的に働いているのだろうか。「蟻地獄」が夏だと「冷え」の感覚が追い付かない。では、この二回使われた「冷え」がそうかと考えてみるものの、それも違うように思う。この「冷え」は実際の「冷え」のみを言いたいわけではない。「蟻地獄」を雨が物質的に溺れさせ、冷える。雨がひいて空虚になった蟻地獄は更に月明に溺れて、冷える。二つの特性の違ったものによって冷やされていることを考えると一つ目の「冷え」と二つ目の「冷え」が違っていることが分かる。そして、その何れも非常に観念的な「冷え」を内包しているように思える。残るは「月」だが、これが他の二つをうまく包括しているように思える。長雨のあとのすさまじい月明。「雨」とか「月」といった天文の言葉と「地獄」という言葉の出会いが、観念的な「冷え」を何か空間的な大きさにまで広げているように思う。かなりレトリカルな印象だ。
       まだまだ挙げたいところだが、キリがないので、ぜひ『鴨』を手にとってもらえればと思う。そして、この句集について、一緒に話せればと思う。

      【新連載・黄土眠兎特集】眠兎第1句集『御意』を読みたい4 黄土眠兎はサムライである。  叶 裕

       黄土眠兎第一句集「御意」。絶滅寸前といわれる活版印刷に正字を奢るページからは正しく清潔な匂いがする。表紙画に速水御舟「翠苔緑芝屏風図」。この俳人の矜持は表紙からしてあきらかだ。そして手に感じる重さ。それはこの俳人の視座の質を表すものに他ならない。

      まだ熱き灰の上にも雪降れり

       阪神淡路大震災から二十三年。長田付近の大火災は今も脳裏に焼き付いている。人間の狭小を、無力を嗤うように天災のあぎとは容赦無かった。心折れる罹災者の上に降り出す雪の純白のなんと残酷なことだろう。放心の先に見る六弁の白い結晶を俳人は今も忘れていない。

      朝寝して鳥のことばが少しわかる

       人間の聴覚はよく出来ていて、脳でフィルタリングしている。音は音と認識して初めて存在するのだ。いつも慌ただしく過ぎてゆく平日朝の狂騒曲。そこに一拍の休符が入る。休日だろうか、それとも、、休符とは無音を意味しない。休符に鳴る音こそサウンドを決すると言ったのはマイルス・デイビスだったか。 「鳥のことばが少しわかる」悔しくなるじゃないか。 朝寝という休符に彼女は何を聴いたのだろう。それを問い詰めてみたくなった。

      病葉や男の日暮さびしいか

       下五の「さびしいか」この問いに五十路のぼくは絶句する。
      声が聞こえる。諦観滲む芯のある俳人の声だ。斧の一撃のように虚勢が割れる。ひでぇじゃねぇか。知ってるくせに、、と弱々しく返すしかない。まるで姉貴だ。全部知ってて言ってやがる。さびしかねえや、こうみえたって男だぜ。長男だぜ?と下を向いてついに嗚咽してしまう。
       この句集には迷いがない。俳人として生きることを選択した人の句集だ。まるで侍じゃないか。と独り言ちて「御意」というタイトルにようやく合点がいったのである。
      彼女がどこに属しているかは問題ではない。研ぐのは常にひとりの時だ。

      三橋敏雄『眞神』を誤読する 116.鈴に入る玉こそよけれ春のくれ  / 北川美美



      116)鈴に入る玉こそよけれ春のくれ


       なかなか決着のつかない句である。整合性から考えてもあらゆる読みが可能になるからだ。「春のくれ」を考えても、時候の暮なのか時刻の暮なのかという点において、どちらでも可能な読みができる。最大の読者である自分をも欺く句を作ることが敏雄には可能なのだ。

       どのような読みが可能かを列記しよう。

      例えば、鈴の暗がりに玉が入る景は、春の夕暮れがふさわしい。鈴の神秘性や古代からの人間とのかかわりを考えれば、玉がはいってこそ、獣から身を守り、仲間を呼び寄せ、そして神とも交信できる鈴になる。肉体にたましいが入り人として他者と交信できることを想望すれば、それは青年期の終わりを告げ大人になることを意味する、すなわち人生の春の暮、という読みもできる。また妖艶な読みとしても、その気怠さが春の夕暮れ景にふさわしい…など読みが可能になり、その答えは果てしなく続きそうだ。

       それが敏雄の句なのである。確定する読みの答えなどない。全ての読みを引き受けて一句が成り立っているといってもいい。

       さて、この句が何故「春のくれ」の仮名表記なのかを考えたい。

      「春の暮」と「秋の暮」は「暮」の意が、夕暮れなのか、季の暮か江戸期に長い間論争があり、現在では、夕暮れの意味で使うことが多いと記述し、暮の春・暮の秋と別項を設けている歳時記と両義曖昧なままと述べる歳時記とがある。『日本大歳時記』(講談社)では、春の暮・秋の暮ではそれぞれ異なり、「春の夕」は「春の暮」から独立しているが、「秋の夕」は「秋の暮」からまだ独立していない。

      仁平勝氏の『秋の暮』(評論集)の「秋の暮論」に於いて山本健吉論を丁寧に取り上げ、健吉論に一石と投じ議論をはじめている。そこには秋という季節の「もののあはれ」が関連している。「秋の暮論」なので当然「春の暮」については述べていない。

      健吉の『基本季語五〇〇選』(講談社学術文庫)の「春の暮」は以下である。

      春の夕暮の意味で今日使っているが、古くは春の暮、秋の暮ともに暮春・暮秋の意味に使った。暮という言葉は、大暮(時候の暮)と小暮(時刻の暮)と両義に使うので、両義を兼ねて気分的に曖昧に使っている場合もある。虚子(『新歳時記』)は共に夕方の義に定めて置くと言っているが、どちらの意味にとるかは、一種一句の趣によるべきである。今日では春の夕暮れに使うことが多い。ただし詩歌俳諧の上の、もともと春の暮、秋の暮ともに日常生活語でなく、雅語に属するから、曖昧につかわれていても、生活上の何の支障もなかったのである。春の夕に対して、多少暮が進行した形だが、春の夕暮れともいうから、それは結局語感の問題である。
      『山本健吉/基本季語五〇〇選』(講談社学術文庫)

      時候の暮か時刻の暮かやはり曖昧である。「春の暮」では春という季節の華やぎや気怠さ、憂い、などが含まれているだろう。それを全て含んだ上での「春のくれ」ではないか。敏雄は、この曖昧さに同調しつつ、「春の暮」の語感を考え仮名表記にしたのか。以降の敏雄の「春の暮」の句をみてみたい。

      相知らぬこちらも翁や暮の春 『長濤』 
      天然の石の大小春の暮 『畳の上』 
      十七字みな伏せ字なれ暮の春 〃 
      老いの春とは暮の春のこと飯御代(おかわり)『しだらでん』
      生前の長湯の母を待つ暮春  『しだらでん』以降

      いずれも人生を全容した春の暮と読める。それが俳句としかいいようがない。掲句の「春のくれ」はいささか夕暮れに傾いている気もする、…やはり決着がつかない。曖昧にするための仮名混じりなのだろうか。



      三橋敏雄『眞神』を誤読する 115.霞まねば水に穴あく鯉の口 / 北川美美


      115)霞まねば水に穴あく鯉の口

      掲句上五の「霞まねば」の「霞」は、隠れてはっきり見えない状態の意で捉えたい。水面に何かはっきりと見えないのであれば、水面に穴が空く、それは鯉の口だった。

      上から読んでくると、「霞まないので、水に穴があく」という順序が、自然の摂理、神の意志のような構造になり、下五で種明かしをするという構造になっていると読める。この下五の意外性が名句となる所以だろう。

      水面に空く穴が異界の入口のごとくに怖い。霞の使い方、そして鯉の口を穴と捉えた視点に感嘆する。

      眉間みな霞のごとし夏の空〉(17)同様に「霞」は天候の他に音、声、形がはっきりしない状態を意味し、人の心情にまで発展し多義である。天文の霞を別の次元で駆使している。

      子規に人が霞に同化する句、白泉に恋の返事がはっきりしない句、糸大八に霞む練習をする句があるが、いずれも気象現象の霞から意味を拡大し逸品である。 

      行く人の霞になつてしまひけり 正岡子規 
      われは恋ひきみは晩霞を告げわたる  渡辺白泉
      それとなく霞む練習してゐるたり  糸大八


      2018年4月6日金曜日

      第87号

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      第二(3/16)渕上信子・辻村麻乃・山本敏倖・夏木久・中西夕紀・林雅樹・飯田冬眞
      第一(3/9)網野月を・堀本吟・仲寒蟬・坂間恒子・小野裕三・神谷 波・杉山久子


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      (3/2)辻村麻乃・曾根毅・月野ぽぽな・五島高資・北川美美・島田牙城・豊里友行・加藤知子・仲寒蟬・神山姫余・佐藤りえ・高山れおな・筑紫磐井



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      前衛から見た子規の覚書  筑紫磐井 
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      (2)子規言行録・いかに子規は子規となったか①   》読む
      (3)いかに子規は子規となったか②   》読む
      (4)いかに子規は子規となったか③   》読む
      (5)いかに子規は子規となったか④   》読む
      (6)いかに子規は子規となったか⑤   》読む
      (7)いかに子規は子規となったか⑥   》読む
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      (10)朝日新聞は害毒である   》読む
      (11)東大は早稲田に勝てない   》読む
      (12)子規別伝1・子規最大のライバルは落合直文   》読む
      (13)子規別伝2・直文=赤報隊・東大古典講習科という抵抗   》読む
      (14)(9-2)俳句は三流文学である――続編   》読む




      【現代俳句を読む】
      三橋敏雄『眞神』を誤読する
         113. 積む雪の乗り捨ての花電車かな  / 北川美美  
      》読む

         114. 大正の母者は傾ぐ片手桶  / 北川美美  》読む





      【抜粋】
      <「俳句四季」3月号> 
      俳壇観測183/虚子の不思議な心理 ――虚子の写生文の表面と裏面
      筑紫磐井 》読む


      • 「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる







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      およそ日刊俳句空間  》読む
        …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 … 
        • 3月の執筆者 (柳本々々・渡邉美保) 

          俳句空間」を読む  》読む   
          …(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子
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          題字 金子兜太

          • 存在者 金子兜太
          • 黒田杏子=編著
          • 特別CD付 
          • 書籍詳細はこちら (藤原書店)
          第5章 昭和を俳句と共に生きてきた
           青春の兜太――「成層圏」の師と仲間たち  坂本宮尾
           兜太の社会性  筑紫磐井

          【新連載】前衛から見た子規の覚書  筑紫磐井(9-2)俳句は三流文学である――続編

          〈「俳誌要覧2018年版」〉 特別展望・漢詩が詠みたい!「俳人正岡子規は漢詩から始まった」は、〈「前衛から見た子規の覚書」(9)俳句は三流文学である〉で省略してしまった、子規の短歌に対する批判が、「俳誌要覧2018年版」が出たので解禁となった。   
           現在連載中の「子規別伝」に割り込む形になるが、首尾一貫していないのは気持ちが悪いのでここで書かせていただくこととする。
           要は、見識のない(つまり思想・意匠のない)歌人は詩人(漢詩人)に席を明け渡すべきだと言うのである。
                  *        *
          (前略)
          文学に臨む態度
           このように幼少より子規は漢詩・漢文・論説などにたけていたが、和歌、俳句はよほど年を加えてから関心を持ち始めている。和歌、俳句に関心を持ち、それらを記録し始める頃には、当時の文学と考えられる大半のジャンルにある見識を持って臨むようになっていた。単なる和歌、俳句に関心を持っていたのではなく、文学の中における和歌、文学の中における俳句という位置づけで歌論も、俳句論も展開されていた。この点を見逃すと、子規の位置づけがやけに矮小なものとなってしまいかねない。
           こうした理由から子規の俳句や短歌についての考え方について詳細に見るべきなのである、実はそうした個別のジャンルに入る前に子規が「詩歌の起原」(明治二二年四月「真砂集(常磐会寄宿生文集)」)や「我邦に短編韻文の起りし所以を論ず」(明治二五年一〇月「早稲田文学」)などの文学総論を論じていたことを忘れてはならない。
           すでに、文学ジャンルについては明治二一~二二年の「七草集」において七つのジャンルを縦横に操ったことを知っているわれわれは、子規が文学のカテゴリーの中で、①漢詩②和歌③俳句④漢文⑤擬古文⑥雑文(論説)を批判的に選択し、ついに俳句、和歌、擬古文の改良運動を成し遂げたことを知っているが、その根拠は必ずしも明らかではない。たまたま手近にあったと言うだけのように受け取られるかも知れないが、じつは確信的な戦略であったのだ。逆の例をあげれば、あれほど幼い頃から勉強していた漢詩・漢文について何ら批判的運動をしていないのは不思議に思われる。漢詩・漢文が古くさく文学に価しないかと言えばそうではなく、この時代俳句よりかは遙かに高尚な文学と考えられていたのである。
           俳句という個別のジャンルについて考える前に、文学のあらゆるジャンルについて子規の文学総論を眺めておくことは決して無駄ではあるまい。
              *      *
           「文界八つあたり」(明治二六年四~五月「日本」)より一例として和歌の評を眺めてみる。漢詩との関係がはっきり言及されているが、それにしてもすさまじい酷評ぶりである。和歌にしてからがこうであるから、まして八公・熊公の俳諧(俳句)などは論外なのである(俳句が文学の一種と子規に自覚されたのは、「俳諧大要」(明治二八年)以降である)。

           「試みに今日の歌人にはいかなる人がなると尋ぬるに先づ〈国学者/神官/公卿/貴女/女学生/少し文字ある才子/高位高官を得たる新紳士/わが歌を書籍雑誌の中に印刷して見たき少年〉のごとき者なりけるぞうたてしや。」
           「新聞雑誌の文学にても余は漢詩をもって比較的に発達したるものと思惟するなり。本邦在来の耳なれ口なれたる和歌が下落して外国語の珍奮漢的の漢詩が騰貴するとはやや受け取れぬ話なれどもこれには二原因ありて存する如し。第一はすなわち前に述べたる歌人の見識なきによるものにして歌人に比すれば詩家の見識なお数等上にあるを証すべきなり。第二は漢詩の言語多く句法変化するにも似ずわが和歌は言語の区域狭きと字数少なきと古歌多きとによるものにしてこれがために新句法を用ひ新意匠を述ぶることを得ぬは是非もなき次第なり。この上は多少の新語を挿むか短歌のみに頼らずして長歌を用ふるかの外は別に方便もあるまじと思はる。」
           「今日和歌といふものの価値を回復せんとならばいわゆる歌人(すなわち愚痴なる国学者と野心ある名利家)の手を離してこれを真成詩人の手に渡すの一策あるのみ。」

          (後略)

          ※詳細は、「俳誌要覧2018年版」をご覧下さい。

          【新連載・西村麒麟特集2】麒麟第2句集『鴨』を読みたい5 千年宇宙のパースペクティブ  佐藤りえ

          『鴨』を読みながら、思うことが二つあった。ひとつめは、そのパースペクティブの自在さについて、である。

           見えてゐて京都が遠し絵双六

           句集冒頭の一句。今日のすごろくは多種多様な題材のものがあるが、絵双六といえば「東海道五十三次」、日本橋を出て京都までを行く廻り双六が浮かぶ。指でたどれば数センチの場所にある「あがり」の京都が、数十コマを経なければたどり着けない、まさに「見えてゐて遠い」状態だ。床に広げて遊んでいる、賽の目がはかどらず、進みの遅さに辟易している尺の「遠さ」と、平面世界の東海道を進む、双六の「中の距離」の「遠さ」を二重写しに読むと、より楽しい。

           蛇穴を出てゑがかれてゐたりけり

           こちらも二次元と三次元の問題(?)が同一視されているようである。蛇の絵を描いているか、描かれた蛇を見ているのか。穴を出ようとして(あるいは全身が出て)その結果描かれてしまった、とは、なんとなく「星の王子さま」のウワバミの話を思い出してしまった。「ゑがかれてゐたりけり」には、たとえば絵の見事さに驚く、というような趣ではない、「穴を出てしまったから絵になってしまった」「穴を出なければ描かれなかったのに」というような「あれあれ」な感興をおぼえる。

           早蕨を映す鏡としてありぬ

           庭の片隅か、林の中か、とにかく芽吹く蕨を見つけた。それらがうつる水の存在を「映す鏡」と描写している。水の素性は鏡として提示されているだけで、潦なのか、小川なのか、全貌は要として知れないが、「鏡」なのだから、澄んで静かに留まる水なのだろう。「~としてありぬ」という提示のされ方から、眼目は早蕨から名もなき止水の側へ移りゆく。その水は、春を待ち、早蕨のためにあったのだろう、と、水に存在意義を与えているようでもある。

           砧打つ千年前の科挙に落ち

           砧打ちの地味な、力のいる、根気のいる仕事について、この労働は、千年前の科挙に失敗したせいである、というニュアンスのある結句になっている。罰ゲーム的な感覚のようでもある。たいへんな時間の飛躍が「砧」と「科挙」のあいだに流れていることが、もうおかしい。因果によってやらなければならないのだと思わねば、やっておれぬほどに、必死に叩いているのだろうか。

           隠れ住む人かがんぴの花咲かせ

           和紙の原料となる雁皮は栽培の難しい木だが、野生の木を森林で目にすることはそれほど珍しくはない。やせた山野にも育つ地味な低木で、生育は遅く、白い地味な花が咲く。
           「隠れ住む人」の表現から、里山あたりの、居住地を少し離れた、人目につかないあばら家を想像させる。人気のなくなった家屋に寄り添うように自生する花を、「咲かせ」る人の不在のアリバイとして描いているのがおもしろい。たった今はいないけれど、そこに人がいるのだろう、という、「早蕨を映す鏡としてありぬ」同様に、眼目そのものを直接描かず、焙り出すかたちで存在感を与えている。

           このように、二次元/三次元、在/非在、現在/過去を自在に持ち寄りながら、『鴨』の句は「見たままを詠む」という作句上達法最大の「嘘」を軽々とクリアしてみせている。平明に、「ありのまま」言っているっぽく見せながら、実際は観察から内省を通って一句が成り立つ間に、とんでもなく遠いところまで行って帰ってきているのが、これらの句の見所だ。

           内部機関を循環して濾過された水が、器に巧妙に、整然と配されているかのような作りは、あまりに手際がただしく、突発的なところを伺わせないがために、その内省が「仙人的」とか「達観」といった印象を与えているのだろう。

           ここでもう一つの思うこと、「挨拶性」を挙げたい。

           花衣そのまま鍋の蓋開けて

           久女は「花衣ぬぐやまつはる紐いろ/\」と、帰宅次第ちゃっちゃと脱いでしまうが、ここでは装いそのままに鍋の蓋を開けている。「そのまま」が筆者との距離と少しの時間経過を伝える。現在の花衣の主はよそゆきのまま鍋を構っちゃってるなあ、と微笑ましく見つめているようだ。「ぬぐやまつはる」の鬱屈と「そのまま鍋の蓋」の鷹揚さを対比するのは深読みかもしれないが、先行句を思うと、より鷹揚さがいとおしくなってくる。

           長身の千利休が果てたる日

          千利休の忌日は旧暦の二月二十八日、現在の三月二十八日にあたる。利休のものとされる現存する甲冑の寸法から、茶人は180センチ余という、当時としては相当に大男だったであろうことが伝わっている。その、おおきなおおきな利休が、太閤秀吉から切腹を言い渡され果てた日は、春たけなわを待つ時期の一日だった。この春の日に、かつて、物理的にも、文化的にもおおきな男が果てた。その欠落を、「そういうことのあった日」としてのみ描いている。忌日の性格を自然描写に語らせるのではなく、春の、今日のこの日が「そういう日」であると語る、逆説的な構造を持ったこの句は印象深い。

           これらの句は、現在性を厳格にたもちながら、さらにおおいなる時間への挨拶を内包しているように見える。
          今日のこの日に、無数の「かつて」が絡まっている。「かつて」を持ち重りのする荷物としてでなく、あくまで軽く手に取って、現在に混ぜてみせるのが、麒麟流ではないだろうか。
           「軽さ」というキーワードは、「身軽さ」として、前述したパースペクティブとも密接に関わっているように思う。

           焚火して宇宙の隅にゐたりけり

           句集の中から特に好きな句をひいた。集中には他にも焚火の句(「栃木かな春の焚火を七つ見て」「俊成は好きな翁や夕焚火」など)があるが、どの焚火もまったくといっていいほど象徴性を帯びていないところも、麒麟氏らしい。
           この句には、足下の小さな焚火から、どんどんカメラがひいていき、関東平野、日本、地球、太陽系、とどんどん遠ざかっていくイメージを持つ。「宇宙の隅」という把握が、火を扱う主体を、非常な遠さから見守っているようだからだ。

           もし、いつか、どこか別の銀河から宇宙人がやってきたとして、麒麟さんなら、「やあこんにちは、どちら様ですか」と、焚火を囲む輪に迎え入れてあげるのではないだろうか。

          【新連載・黄土眠兎特集】眠兎第1句集『御意』を読みたい3 相克する作句姿勢~黄土眠兎第一句集『御意』~  川原風人

           黄土眠兎さんは私にとって、俳句の世界の扉を開いてくれた人物の一人である。眠兎さんが第一句集を上梓されたことを、先ずは心よりお祝い申し上げたい。

           さて、『御意』を読むなかで感じたのは相克する作句姿勢である。これは作者が作句における新たな境地を切り拓くうえで発生したものかもしれないが、「鷹」「里」と二つの場所で活躍する作者独自の境地ではないかと推察される。

              阪神淡路大震災
           まだ熱き灰の上にも雪降れり

           前書のとおりの震災詠である。この句によって提示される、震災跡に立つ作者の姿が句集全体を牽引しているように思う。しかし、句集末尾の年譜を見るに作者が俳句を始めたのは阪神淡路大震災から八年ほど経っている。つまり掲句は(おそらく)、復興していく街に立ち、記憶のなかの震災を詠んでいるのである。この景色には被災者としての作者の万感の思いが込められている。作句までのタイムラグは、作者が震災と向き合うために必要だった時間を想像させる。

           遠足の列に行きあふ爆心地

           遠足のこどもたちに出会い、自分の立つ場所が爆心地であるということがふと意識された、ということが大意であろう。前掲句同様ここに見られるのは年を経た対象を見る上での、作者のつめたい抒情である。生と死や現代と過去の対称はいかにも俳句的、と言ってしまえばそれまでなのであるが、本句集を貫くひとつの魅力であるのは確かである。

           冬帽を被り棺の底なりき
           草笛を皇子は聞かずや明日香川
              父死す
           白木槿身のうちに星灯しけり
           胸中に古き地図あり日向ぼこ

           これらの句も「いま在るもの」「過去に在ったもの」の対比という日本的無常観がテーマとなっている。作者の心のなかで、詩が発生した工房は同じ場所だったのではないだろうか。
           さて、句から見えてくるもうひとつの作句姿勢を紹介する。

           夏兆す木工ボンド透明に


           トリビアルな題材であるが、他に季感はあてはまらない。まぎれもなく夏の到来を告げる句であるように感じる。本句集には、このような小さな題材を丁寧に詠み込む、市井の人としての作者の姿が見えてくるのである。

           うかうかとジャグジーにゐる春の暮
           子規の忌の銀紙破れやすきかな
           鈴あれば鳴らす女や西鶴忌
           日に一度帰る家ありすいつちょん
           出展者D冬空に本売りぬ
           酒臭き夜警一人やクリスマス


           これらの句には都市生活者としての作者の生きる姿がありありと見えてくる。一句目などは仕事に追われる女性のひとときのやすらぎが表れているようで、眠兎さんを知る者からすると応援すらしたくなってくるのである。

           相克する二つの作句姿勢であるが、その二つが豊かな結合をしている一句を最後に紹介したい。

           ゆふぐれはもの刻む音夏深し

           断定的な言い方である。しかし、このように言われると納得させられてしまうところがある。この句に漂うノスタルジーは、俎板に野菜を刻む女性の後ろ姿の残像が、読者それぞれの脳裏に存在することを示している。夏の倦怠のなか、読者の思いは過去へ飛ばされ、俎板に物を刻む音だけが余韻として響くのである。

           作句経験の浅い私などは、自分の作風や方向性を考えることがある。まだ成熟しない自分の前に道が複数あるように錯覚してしまうのである。そんなとき、結社には師として主宰がおり、選を通じて私自身の進むべき方向を示してくれるように感じている。そういう意味では、眠兎さんは志願して二つの道を選び取った人であるように思う。進むことが簡単な道であるとは思わないが、本句集は眠兎さんのひとつの答えとして読者に提示されている。今後も自在な俳句を期待したい。

           川原 風人(かわはら ふうと)
          鷹俳句会所属 1990年1月11日生 東京都出身

          三橋敏雄『眞神』を誤読する 114. 大正の母者は傾ぐ片手桶  / 北川美美



          114)大正の母者は傾ぐ片手桶

           片手桶が使われる場所は風呂場だろう。片手桶からの湯を受けるため、身体を傾けている。今となっては、昔の生活というものがどのようなものなのかは想像でしかないが、湯というものを大切にした時代だったことが伺える。シャワーでの湯あみが当たり前の今の時代からみれば、風呂というのは、共同で使うものであり、特に身体を流す湯は大切に使われたことを想像する。

          「母者」(=子などが親愛の情をこめて母を呼ぶ語。おかあさん)という浄瑠璃言葉から来る日常では使われない言葉が美しい。昭和を生きた敏雄だが、更に前の世代の大正を生きた母を見て、湯を大切にした時代観を思っての句だろうか。

          冒頭一句目「昭和衰え」と掲句「大正の」と合わせ年号の句が登場する。二つの元号を生きて来た作者の人生の長さをも伺える。

          制作時の拾遺と思える句がある。

          生前の長湯の母を待つ暮春  『しだらでん』以降
          <定本・三橋敏雄全句集>より






          三橋敏雄『眞神』を誤読する 113. 積む雪の乗り捨ての花電車かな  / 北川美美



          113)積む雪の乗り捨ての花電車かな

           「花電車」とは、主に電飾や生花を飾った電車のことで、通常一般客は乗せず、宣伝あるいはイベント興行のための特別な車輛だ。明治時代に日露戦争での勝利を祝し運行したのが始まりらしい。第二次世界大戦前は、政府のプロパガンダとして利用された時期もあり、広告掲載としての効果があった。現在も路面電車が残る路線で祝祭と合わせ花電車の運行が行われ、大正、昭和のレトロ感が漂う。詩歌では、北川冬彦の詩集『花電車』の中に表題の「花電車」「花電車と子」が収録されている。以下の「花電車と子」は三行の詩である。

          花電車と子 
          「あの電車ウソ電車ね 乗れないんだもの」 
          三歳のわが子が口走った 
          華麗な電飾の花電車に見とれもしないで
          『花電車』北川冬彦(昭和二十四年刊)

           実際の「花電車」に馴染みが無いが、北川冬彦の詩と合わせて句の背景を考察すると、敏雄の中にも冬彦の詩と同じような乗れない電車を待っていた幼少の記憶があるのではないだろうか。横光利一は、冬彦の詩集『花電車』の序に以下の解説を残している。

          なるほどまだ誰も花電車にだけは乗ったものはないだらう。渡船場で、人を轢き殺して来た大群集のまん中を通るのは、かういう妙音でなければ渡れない。誰の前にも橋のない河は流れてゐる。三途の河が。望む平和郷は乗れないウソ電車の中にあるだけか。乗れ乗れ、介意ふこたアない、とこの運転手北川冬彦は言ってゐる。
          詩集『花電車』序/横光利一

          掲句の「花電車」を乗ることのできない架空の乗物と考えると、乗り捨てなければ現実に戻れない前線から帰還した視線がある。それを敏雄は「積む雪」に託したのかもしれない。掲句の解釈は、花電車に積もった雪が落ちる風景を詠んでいると推測する。

          しかしながら恐らく、花電車の運行は厳冬の積雪の時期は外されると予想するが、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のように盆と列車と天の川を結びつけなかったのは、冬彦の詩の影響を受けているのではないだろうか。花電車は現実に戻るのための架空の乗物なのかもしれない。

          掲句、ストリップ芸に「花電車」という演目があるようだが、破礼句として読めなくもない。そもそも<「花電車」=乗れない列車>に悲しい意味合いがある。どちらも日本独特のパフォーマンスだ。

          敏雄が創刊同人である「面」俳句会では、回顧談で二次会の話題の常だったがが、高橋龍は、山本紫黄とストリップ劇場へ行った話をよく話していた。敏雄の名前は出ていないのは敏雄が海上勤務だったからだろう。

          2010年頃、敏雄の話を聞いてみたく、コーべブックス装丁家の渡邊一考氏の店を訪ねた。赤坂のバー・デスペラというスコッチウィスキー専門の店だった(現在渡邊氏はデスペラを引退していると伺っている。)。渡邊氏の話に因ると、敏雄はよく船が停泊するごとに神戸の繁華街に寄り「トシ坊」と呼ばれ可愛がられたらしい。敏雄はバーや置屋での三鬼の遊びのツケを払うために下船の度に神戸に寄っていたというのだ。当時の三鬼の破天荒さとともに敏雄の生真面目さが伺える話だ。そのような三鬼との師弟関係であったからこそ、敏雄が八王子の実家を抵当に入れられる惨事に遭遇したことが納得できた(詳細は遠山陽子著『評伝・三橋敏雄』に詳しい)。

          掲句の花電車が例えストリップ芸だとしても、悲しい句であることには変わりがない。破礼句だとしても哀愁がある。




          函館市電 函館港まつり花電車 2001年8月

          【参考】にしてつWEBミュージアム 歴代花電車アーカイブス 》見る