2018年4月6日金曜日

【新連載・黄土眠兎特集】眠兎第1句集『御意』を読みたい3 相克する作句姿勢~黄土眠兎第一句集『御意』~  川原風人

 黄土眠兎さんは私にとって、俳句の世界の扉を開いてくれた人物の一人である。眠兎さんが第一句集を上梓されたことを、先ずは心よりお祝い申し上げたい。

 さて、『御意』を読むなかで感じたのは相克する作句姿勢である。これは作者が作句における新たな境地を切り拓くうえで発生したものかもしれないが、「鷹」「里」と二つの場所で活躍する作者独自の境地ではないかと推察される。

    阪神淡路大震災
 まだ熱き灰の上にも雪降れり

 前書のとおりの震災詠である。この句によって提示される、震災跡に立つ作者の姿が句集全体を牽引しているように思う。しかし、句集末尾の年譜を見るに作者が俳句を始めたのは阪神淡路大震災から八年ほど経っている。つまり掲句は(おそらく)、復興していく街に立ち、記憶のなかの震災を詠んでいるのである。この景色には被災者としての作者の万感の思いが込められている。作句までのタイムラグは、作者が震災と向き合うために必要だった時間を想像させる。

 遠足の列に行きあふ爆心地

 遠足のこどもたちに出会い、自分の立つ場所が爆心地であるということがふと意識された、ということが大意であろう。前掲句同様ここに見られるのは年を経た対象を見る上での、作者のつめたい抒情である。生と死や現代と過去の対称はいかにも俳句的、と言ってしまえばそれまでなのであるが、本句集を貫くひとつの魅力であるのは確かである。

 冬帽を被り棺の底なりき
 草笛を皇子は聞かずや明日香川
    父死す
 白木槿身のうちに星灯しけり
 胸中に古き地図あり日向ぼこ

 これらの句も「いま在るもの」「過去に在ったもの」の対比という日本的無常観がテーマとなっている。作者の心のなかで、詩が発生した工房は同じ場所だったのではないだろうか。
 さて、句から見えてくるもうひとつの作句姿勢を紹介する。

 夏兆す木工ボンド透明に


 トリビアルな題材であるが、他に季感はあてはまらない。まぎれもなく夏の到来を告げる句であるように感じる。本句集には、このような小さな題材を丁寧に詠み込む、市井の人としての作者の姿が見えてくるのである。

 うかうかとジャグジーにゐる春の暮
 子規の忌の銀紙破れやすきかな
 鈴あれば鳴らす女や西鶴忌
 日に一度帰る家ありすいつちょん
 出展者D冬空に本売りぬ
 酒臭き夜警一人やクリスマス


 これらの句には都市生活者としての作者の生きる姿がありありと見えてくる。一句目などは仕事に追われる女性のひとときのやすらぎが表れているようで、眠兎さんを知る者からすると応援すらしたくなってくるのである。

 相克する二つの作句姿勢であるが、その二つが豊かな結合をしている一句を最後に紹介したい。

 ゆふぐれはもの刻む音夏深し

 断定的な言い方である。しかし、このように言われると納得させられてしまうところがある。この句に漂うノスタルジーは、俎板に野菜を刻む女性の後ろ姿の残像が、読者それぞれの脳裏に存在することを示している。夏の倦怠のなか、読者の思いは過去へ飛ばされ、俎板に物を刻む音だけが余韻として響くのである。

 作句経験の浅い私などは、自分の作風や方向性を考えることがある。まだ成熟しない自分の前に道が複数あるように錯覚してしまうのである。そんなとき、結社には師として主宰がおり、選を通じて私自身の進むべき方向を示してくれるように感じている。そういう意味では、眠兎さんは志願して二つの道を選び取った人であるように思う。進むことが簡単な道であるとは思わないが、本句集は眠兎さんのひとつの答えとして読者に提示されている。今後も自在な俳句を期待したい。

 川原 風人(かわはら ふうと)
鷹俳句会所属 1990年1月11日生 東京都出身

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