2015年3月20日金曜日

第13号





  • 4月の更新第14号4月3日/第15号4月17日




  • 平成二十七年 俳句帖毎金00:00更新予定) 》読む
    (3/27更新)春興帖、第四
    …仮屋賢一・豊里友行・網野月を・瀬越悠矢・小野裕三・小沢麻結
    (3/20更新)春興帖、第三
    …早瀬恵子・前北かおる・堀田季何・岡田由季・浅沼 璞・真矢ひろみ
    (3/13更新)春興帖、第二
    …木村オサム・月野ぽぽな・陽 美保子・中村猛虎・山田露結・近恵
    (3/6更新)春興帖、第一 
    …福永法弘・曾根 毅・杉山久子・仙田洋子・神谷波・堀本 吟


    【評論について考える】

    「評論・批評・時評とは何か?――堀下、筑紫そして・・・
    その6
      筑紫磐井・堀下翔 》読む


      【俳句自由詩協同企画】

      「俳人には書けない詩人の1行詩  俳人の定型意識を超越する句」
      ●俳句・自由詩協同企画縁由 …… 筑紫磐井 》読む


        • 自由詩2月  五つの文字の変容……森川雅美  》読む
        • 俳句2月 うきはしをわたる風景 …… 小津夜景  》読む

          【お知らせ】 「第2回 詩歌トライアスロン
          作品の公募・公開選考会予告  》読む





            当ブログ媒体誌俳句新空間』を読む
            堀下翔、仮屋賢一、網野月を、浅津大雅、中山奈々… 執筆者多数  》読む
              およそ日刊「俳句空間」 (おおよそ月~土00:00更新) 
                日替わり詩歌鑑賞 》読む
                …(3月・月~金の執筆者)竹岡一郎・黒岩徳将・依光陽子・仮屋賢一 
                  大井恒行の日々彼是(好評継続中!どんどん更新)  》読む 



                    【時評コーナー】
                    • 時壇(隔週更新)新聞俳句欄を読み解く
                      ~登頂回望~ その五十五~五十八…    網野月を  》読む
                      • 俳句時評 (隔週更新  担当執筆者: 外山一機 / 堀下翔)
                      「復興」する日本で『小熊座』を読む
                      外山一機    》読む 
                      • 詩客 短歌時評 (右更新リスト参照)  》読む
                      • 詩客 俳句時評 (右更新リスト参照)  》読む
                      • 詩客 自由詩時評 (右更新リスト参照)  》読む 




                        【アーカイブコーナー】

                        ―俳句空間―豈weeklyを再読する
                        2008年8月15日発行(第0号(創刊準備号))■創刊のことば            
                        俳句など誰も読んではいない     ・・・高山れおな   読む

                        アジリティとエラボレーション     ・・・中村安伸  読む

                        2009年3月22日発行(第31号)
                        遷子を読む(はじめに)・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井   》読む



                            あとがき  》読む
                            (戦後俳句を読む…赤尾兜子研究執筆中)
                            祝 仲寒蟬 芸術選奨新人賞受賞!

                            句集『巨石文明』の成果により受賞  文化庁による報道発表
                             
                            筑紫磐井からの祝辞は あとがきに記載 ≫読む


                            薄紫にて俳句新空間No.3…発刊!
                            購入ご希望の方はこちら ≫読む

                                筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
                                <辞の詩学と詞の詩学>
                                川名大が子供騙しの詐術と激怒した真実・真正の戦後俳句史! 




                                筑紫磐井連載「俳壇観測」執筆







                                【俳句時評】 「復興」する日本で『小熊座』を読む  / 外山一機



                                高野ムツオが『萬の翅』(角川学芸出版、二〇一三)で読売文学賞や蛇笏賞などを受賞し俳壇内外から注目されたのはちょうど一年前のことであった。『萬の翅』は震災詠ばかりを収めた句集ではないが、少なくとも審査員らの評言を読むかぎり、この句集に対する高い評価がその震災詠に対する評価と密接に結びついたものであったことは間違いないだろう。高野の主宰する『小熊座』がこの「吉報」を報じたのは、二〇一四年三月号の「編集後記」におけるそれが最も早いものであろう。この記事は高野の読売文学賞受賞について報じたものであったが、しかしながら、そのわずか三ヶ月後の同じ「編集後記」に次の言葉のあったことを僕は知らなかった。

                                今号では第七回佐藤鬼房顕彰全国俳句大会の嘱目の結果と参加記を掲載した。大会の嘱目句では選者全員の公開審査の結果、塩竃市の堀籠政彦さんの〈海底の大きな歪み浮かれ猫〉が佐藤鬼房奨励賞となった。震災詠である。今回の大会でも多くの震災句を目にした。われわれにとっては普通のことであると思う。しかし、選者のお一人である星野椿氏は、主宰誌である『玉藻』の近号で、大会での震災句の多さに「吃驚」したと述べている。鎌倉在住の椿氏にとっては率直な感想であったようだ。被災地である東北とその他の地域の間には、大震災を受け止める温度差が厳然とあることに気づかされた。 
                                (渡辺誠一郎「編集後記」『小熊座』二〇一四・六)

                                 『萬の翅』が脚光を浴びているちょうどその時、一方にはこうした状況があったことを忘れてはならないだろう。むろん、執筆者の渡辺は星野を批判しているわけではないし、僕もまた星野のこうした態度を批判するのは違うと思う。しかしこの一文は何より、『萬の翅』を読むことと東日本大震災の記憶を忘却することとが僕たちにおいて決して矛盾することではなく、むしろ同時に成立する行為であったということを今さらながら僕たちに気づかせてくれる。もっとも、このような態度を早晩僕たちがとるようになるだろうことは、すでに渡辺の予期するところであったようだ。この記事に先立って、渡辺はすでに次のように記してもいたのである。

                                東京に7年後のオリンピック開催が決まった。東日本大震災の地から見ると東京がまた遠い存在になったように思える。被災地への「絆」の結び目が解れて5つの輪が現れた。オリンピックはなぜか眩しすぎる。 
                                (「編集後記」『小熊座』二〇一三・一〇)

                                東日本大震災から早いもので三年が過ぎた。私の住む塩竃には、今なお仮設住宅が立ち並んでいる。被災地においては、震災遺構を保存する話も遅まきながら始まった。記憶の風化を防ぐために、津波の到達地点に桜を植えたり、記録の石碑を建立する動きもある。一方被災地のことが、全国的な話題の中から少しずつ遠くへ押しやられつつあるような気もする。時は人の記憶を薄くさせるものだ。 
                                (「編集後記」『小熊座』二〇一四・四)

                                さて、この『小熊座』は他の多くの結社誌と同様その巻頭に主宰である高野の作品を掲載している。『萬の翅』上梓後も、高野はここに少なからぬ数の震災詠を発表している。

                                寒夜無限地底の放射能無限(「堅雪」二〇一四・四)
                                疎開児童避難児童も春夕焼(「初桜」二〇一四・五)
                                花万朶被曝をさせし我らにも(「紙屑」二〇一四・六)
                                鬱金桜の鬱金千貫被曝して(「蕗の下」二〇一四・七)
                                西瓜の皮その先は闇原子炉も(「奥歯」二〇一四・一〇)
                                児童七十四名の息か気嵐は(「冬鷗」二〇一五・一)
                                蓬莱に盛れ汚染土の百袋を(「仙台白菜」二〇一五・三)
                                冬眠の心臓原子炉より熱し(同前)

                                 『萬の翅』では「車にも仰臥という死春の月」など震災を生々しく詠んだ句が目立ったが、最近の作品では震災の記憶や原発を詠んだ句が多いようだ。ここに挙げたのはほんの一部であって、震災詠とはっきり断定できないものまで含めればその数はもっと多くなる。正直に言えば、僕は高野が今なおほとんど毎号のように震災を詠み続けていることに驚いている。いったい高野はいつまで震災詠を続けるのだろう。震災を詠み続けることが今後ますます困難になっていくであろうことは容易に想像がつく。僕たちはきっと震災を忘れていく。仮に今から十年の後、いったい誰が東日本大震災を詠み続けているだろうか。震災発生直後、あれほど震災詠に躍起になっていた僕たちだけれど、僕たちにとっての東日本大震災の耐用年数など結局その程度のものなのではないだろうか。またそれにくわえて、僕には―高野がこんなふうに詠み続けることに眉をひそめる読者が出てこないとは思えないのである。たとえば僕は、こうした句を東北で農業を営む人々がどのように受け取るのか知らないし、想像もつかない。けれども、本来東北で震災詠を続けるということは相当に覚悟の要ることであるはずだ。

                                僕は震災詠を続けていることが良いことだとか、やめてしまうことはいけないのだとかいいたいのではない。もとより高野にしても―震災は重要なテーマにちがいないであろうが―決して震災を詠むことばかりにこだわっているわけではないだろう。高野のこれまでの仕事を見るかぎり、その作家としての本懐はむしろ東北における人間や生きもの、あるいは海や山といったあらゆる存在の生と死を、ときに時空さえ超えながら見つめ続け詠い続けるということにこそあるように思う。したがって、高野における震災詠とは、その本懐を遂げるうえで必然的に選択されたもののひとつであり、二〇一一年から今日にかけてはその比重が他よりも圧倒的に大きかったのだと捉えたほうが適切であろう。実際、高野の最近作二〇句(「仙台白菜」『小熊座』二〇一四・三)のうち、震災詠とはっきりわかるのは二句だけなのである。そして、それでよいのだと思う。高野は震災後のみを生きているのではない。高野は震災の前から生きていたし、震災後も生きているのだ。そのような高野であればこそ、その震災詠がたしかな射程を持ちうるのではなかったか。

                                とはいえ、こうした句を詠み続ける高野はいまや特異な存在と化しつつあるのではないだろうか。そして高野だけでなくこの一、二年の『小熊座』は、震災の記憶が早くも風化しつつあるなかで震災と向き合い続けることの困難を抱え続けてきたように思われてならない。

                                たとえば『小熊座』には「小熊座の好句」と題された高野の連載記事がある。これはその名の通り高野がいくつかの句をとりあげ、その鑑賞文を綴ったものである。巻頭の高野の句が『小熊座』というコミュニティで共有される俳句作品の代表であるとすれば、この鑑賞文において披瀝される高野の俳句観や美意識もまた『小熊座』の共有するものであろう。震災後の「小熊座の好句」を辿っていくと、高野が自身の置かれた困難な状況と対峙しているさまが垣間見える。それを端的に示しているのは「行く夏のからとむらひか沖に船」(栗林浩)についての一文であろう。高野はこの句について語るとき、次のような言葉から始めなければならなかった。

                                 東日本大震災から三年半過ぎた。この間、復興が声高に語られ、瓦礫撤去や整地、建造物再建もそれなりに進められてきた。これに景気高揚との威勢のよい掛け声も加わって、ともすると、震災からの復興は、もう果たしたのだという錯覚に陥る人も多いようだ。しかし、それは情報社会がもたらす陥穽であって、例えば、津波被災の沿岸部を垣間見るだけでも、復興はまだまだだと誰もが納得するだろう。まして、目には見えない部分、例えば、一家庭、一家族の有り様やその未来への不安や課題に焦点を充(ママ)てれば、私も含め、当事者以外に入る(ママ)込むことができない闇をたくさん内包している。まして、汚染水の処理一つに未だ綱渡りの福島原発被災の未来はまったく展望できないわけで、これ以上深刻化する可能性もある。ことに精神面の復興は、むしろ、より被災が深まりつつあるのではないか。(略)東日本大震災後もまた、人の心が抱える闇は、これからも長く、深く広まっていくと覚悟しなければならないのである。そして、そのことに俳句はどう向き合うことができるか。課題はあまりにも大きくて重い。 
                                (『小熊座』二〇一四・一〇)

                                高野はこれに続けて「句の関わりのないことを書きつらねたように見えるかも知れないが、掲句もそうした問題意識を持って生まれた作品であると感じたので、あえて書かせていただいた」と記している。高野にとって俳句を読む行為とは、たとえば先の句とこのように向き合うということなのである。僕たちはこうした高野の読む行為の切実さにどこまで想像力を及ぼすことができるだろう。僕は、このような読みかたが適切であるとか、このような読みかたが栗林のこの句にとって幸福なことであるとか、そういうことをいいたいのではない。ただ僕は、このような高野の読む行為を高野と僕たちとがいずれ共有できなくなるであろうと予想される寂しい未来のとば口に立っているひとりとして、せめて今だけでも高野の読む行為に対して謙虚でありたいと思うのである。

                                たとえば高野は「日高見の小吹雪光伴ひて」(関根かな)に対し「日高見は下流一帯のことだから、そのまま東日本大震災の被災地に重なる。それゆえ『小吹雪』を自然現象の吹雪としてのみならず、津波で亡くなった幼子の化身とも想像してしまう」と書き、また同じ筆で「白木蓮や魂に不明者なんて無し」(さがあとり)には「この句の『不明者』も津波の死者とは限らないはずだが、どうしてもそう読めてしまう」と書く(『小熊座』二〇一四・五)。けれど、これらの句を高野のしたように読む必然性を、おそらく僕たちは持たないだろう。もとより読みは多様であっていいのだから、どちらが正しいというわけでもないし、高野にしてもそんなことを知らないはずはない。でも、だからこそ僕は、高野が「津波で亡くなった幼子の化身とも想像してしまう」「どうしてもそう読めてしまう」と言い添えてまで、多少の無理をはらんだ自らの読みを僕たちに差し出した意味を考えないわけにはいかないと思う。僕たちはきっと、このような読みが自らの読む行為の必然的帰結としてありえた人間のいたことなど忘れてしまうだろう。

                                さらにいうなら、高野において読む行為とは詠む行為と不可分のものなのであって、高野の読みに思いを致すことは、そのまま高野の作家としてのありように思いを致すことでもあるのだ。

                                遺されしことも忘れて日向ぼこ     塚本万亀子

                                たとえばこの句について高野は「どうしても大震災後の思いと読んでしまう」(『小熊座』二〇一四・四)と書く。興味深いことに、同じ号で高野は「瓦礫失せしことすら忘れ春渚」いう句を発表している。言いまわしは似ていても内容の異なるこの二句の間に何らかの影響関係があるのかどうか、僕は知らない。ただ、本来震災詠とは断定できない塚本の句が、「どうしても大震災後の思いと読んでしまう」という高野の読みによって震災詠へと転換されたことと、高野に震災詠を思わせる「瓦礫失せし」の句があること、そしてたとえ偶然であるにせよその両者に類似する点が見出せることは看過できない問題であろう。高野によって句を読むことと詠むこととが一つのことであって決して二つのことではないらしいことは、次の句の読みにおいてもうかがえる。

                                枯蘆のなかに立ちたる初詣       浪山克彦

                                 高野は「辺り一面蕭条たる枯蘆原、その真っ只中に一人立っているのである。たぶん、そこも津波の被災地であろう」と記している(『小熊座』二〇一五・三)。蘆は高野が繰り返し句に詠み込んできた重要なモチーフである。『萬の翅』にも「泥かぶるたびに角組み光る蘆」といった句があるが、『萬の翅』以後も「揺れ止まぬのは蘆の意志蘆の花」(「怒涛音」『小熊座』二〇一四・一)がある。浪山の句の「枯蘆のなか」を「津波の被災地であろう」と読むのは、この句が震災後の『小熊座』に発表されたという文脈を踏まえないかぎり困難であろう。だが、この高野の読みによって、僕たちは浪山の句よりも前に発表された高野自身の「蘆」のありようを―さらには高野の震災詠のありようをうかがい知ることができるのである。



                                第13号 あとがき



                                北川美美記 

                                「俳句新空間」としては13号ですが、2013年1月4日創刊の「俳句空間ー戦後俳句を読む」からの通算で101号目となります! 前回が100号でした。 昨年秋から隔週として再スタート。今後とも努力して基礎体力をつけつつ、ゆるやかに山を登り続けたいと思います。

                                豈weeklyの終刊の辞<「―俳句空間―豈weekly」の終刊にあたってなすべきこと…筑紫磐井>を読み直しましたが、約4年半越しで着々とその「なすべきこと」が実行されている…と検証。 例えば、インターネットと紙のダブルスタンダード…。 冊子の「俳句新空間」もNo.3発行とチャクチャクドアイが加速しています。 

                                途中、「俳句樹」「詩客」と共同サイトとして縦走した感がありますが、確実にいくつかの三角点は超えていましょう。  やるべきことの中のやれることを、やっていくのみです。

                                今号では、「評論とは?」で堀下翔さん単独掲載。ロランバルトはミーハー的なことをいうと、中村江里子の夫が遠縁で(どうでもいいといえばいい)、彼女は現在、「エリコ・バルト」を名乗っています。「エリコ・ロワイヤル」っていうパリ通信本が売れているみたいですが、常々、このネーミングは「バルト・ロワイヤル」いや「バトル・ロワイヤル」(映画:深作欣二監督)から来たのでは、と思っていました・・・近からず遠からず。ロランバルトの「モードの体系」というのに興味があります。ファッション×哲学っていうのがカッコイイじゃないですか! いずれイブサンローランを俳句に無理くり結び付けてみたいと思っています・・・。(無謀な計画…)



                                通算101号目のお祝いに、仲寒蝉さんが芸術選奨新人賞を受賞!されました。 おめでとうございます! 筑紫相談役からの祝辞が下記につづきます。
                                (私は仲さんから寒稽古句会で2年連続総計2回の特選を頂いています! 精一杯の小さな自慢。)


                                (赤尾兜子研究執筆中)
                                祝 仲寒蟬 芸術選奨新人賞受賞!
                                句集『巨石文明』の成果により受賞  文化庁による報道発表







                                筑紫磐井記


                                仲寒蟬氏が芸術選奨新人賞を受賞した。昨日受賞者に、芸術選奨文部科学大臣賞と新人賞の違いを聞いたら、年齢が若いと新人賞、年輩だと大臣賞だそうで違いはないらしい。それならば新人賞の方こそ未来があるだけ魅力的だ。この賞を受賞した著名俳人が多いだけに、我々の仲間の仲寒蟬の受賞は慶賀に堪えない。

                                彼の受賞作である句集『巨石文明』を紹介すべきであろうが、すでに「俳句四季」の『俳壇観測』で紹介しているので、なかなかうかがい知れない作家像を紹介しておきたい。

                                寒蟬氏は昭和32年大阪に生まれて、信州大学医学部に入学した。医者の道を、長野に選んだことになる。佐久市立浅間総合病院の医師である。

                                俳句を始めたのは40歳ぐらいからではなかろうか。医師は待ち時間が多いから俳句はうってつけの趣味ではないかと思う。水原秋櫻子とか高野素十とか俳人医師は枚挙のいとまがない。それでも40歳はやや晩稲だ。しかし年取ってからの道楽は、若い者の道楽と違って深みにはまりやすい。

                                彼の住む佐久に邑書林社主の島田牙城が来た所から道楽(失礼)は激しさを増す。島田牙城が主唱して佐久で毎年開く朗読会「朗読火山灰」という会に毎年参加していた。このころ東京では新宿のジャズバーの店主宮崎二健の俳句ライブの会のような朗読会がしばしばあったから流行ではあった。しかし、大病院の先生が河童の装束を着て俳句の朗読をする必要もあるまいという気もしたが、これも若気の過ちであろう。このころから私も、牙城を介して知り合うようになった。
                                言っておくが名医である。そして糖尿病学会の権威でもある。日本中で講演に回っている。患者の信頼も厚いに違いない。

                                では俳句は趣味かというと『巨石文明』を読めばわかるように膨大な作品を詠んでいる。作品量に実は句集が追い付いていないのだ。だから、数の多さから云ったら業俳と言えるかもしれない。
                                さらに、島田牙城の雑誌「里」の編集長を務める。おまけにやたらと受賞歴が多い。第一句集『海市郵便』で第21回山室静佐久文化賞、その後第50回角川俳句賞を受賞した。

                                しかし注目したいのは、散文だ。実におびただしい文章を書いている。すでにその一部は、『鯨の尾』(邑書林)があったが、そこで私が仲間に引き入れたのが、相馬遷子研究であった。彼の住む佐久の著名な医師俳人として相馬遷子がいた。人格者であり、医師俳句と言う特殊なジャンルを開拓した作家であり、水原秋櫻子が馬酔木の中で石田波郷亡き後唯一信頼していた作家であった。埋もれかけていたこの作家を調べるのに俳人だけでは限度があった。医師の眼がどうしても必要であった。佐久、医師、俳句、これだけ重なり合った条件で寒蟬氏に入ってもらうのは当然の事であった。『相馬遷子 佐久の星』(邑書林)が出たのは参加者の努力も大きかったが、寒蟬氏がいなかったらとてもまとめられなかったであろう。最大の功績者である。今でも感謝している。もちろん、幅広い注目を浴びたわけではないが、相馬遷子を知ることのできる唯一の本となったと自負している。しかしこれは我々が恩恵を受けただけではなく、寒蟬氏にとっても一つの契機になっているような気がする。療養俳句に関する連載を見るようになったからだ。


                                彼の医師俳句はあまり見ないように思うが、むしろ文章の形で彼の思想や感情には共感するところが大きい。そしてそれこそが、優れた医師の業との関係ではふさわしいように思うのである。頑張れ、仲寒蟬。(筑紫磐井)





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                                当ブログの冊子も何卒ご贔屓の程よろしくお願いいたします。
                                (ちなみに、最新号 No.3 では、仲寒蝉氏20句詠 「戦争と平和」が収録されております。)


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                                「評論・批評・時評とは何か?――堀下、筑紫そして・・・」その6 / 筑紫磐井・堀下翔


                                20.堀下翔から筑紫磐井へ(筑紫磐井←堀下翔)
                                the Letter from Kakeru Horishita to Bansei Tsukushi .


                                磐井さんの「詩学」のお話が出てきました。これまでのやりとりの中で聞いておかないといけないと思ったことがこの「詩学」についてです。

                                僕は先年大学に入ったばかりで、文学の勉強をしているのですが、そこでまず最初に教えられるのは「作者の死」なんです。ロラン・バルトが1960年代末にこれを宣言して以来、文学研究に作者の伝記的事実は不要である、というのは常識的な言説になっているのだ、と。

                                バルトの理論がどれほど実際的に普及しているのかは不勉強にしてピンときていません。世界での受容度はバルトフォロワーの福田若之なら分かるんじゃないかと思うので今度会ったら聞いてみます。ただ日本の俳句の世界ではまったく浸透していないのは見ればわかります。もちろん「俳句史」となれば伝記的事実の前後関係が織りなすものですから話は違ってきますが、一句一句に関してさえ作者の伝記的事実に関わって解釈されている。遷子の例をこれまで振り返ってきましたが、あの方法はまさに「作者の死」の裏側にあるものだと思われます。それが遅れていると言いたいのではありません。遷子がどのような場所で俳句を書いていたのか、それに思いを馳せることで感ぜられてくる、きわめて身体 的なインスピレーションはあると思います。また、「俳句史」が、つまり歴史的関係が、一句を生み出すことがあるという点も事実だと思います。一番簡単に言えば、この師匠についたから、こういう句を作った、ということです。バルトはその原因と結果から結果だけを取り出そうとしたわけですが、どのような文脈から一句が生じたのかを考えることがまったく無価値だとは僕は思いません。

                                遷子の例は「作者の死」とは異なった方法論だったわけですが、一方で、進化論的な俳句史に懐疑的だという磐井さんの、たとえば〈虚子・波郷に代表される伝統派と、草田男・兜太の反伝統派の2軸で俳句史を読んでもいいのではないか〉といった把握の仕方は、ダイナミックで、伝記的な俳句史から離れたところで展開されています。独自の史観から独自の把握が得られる、というのが磐井さんの考えていらっしゃることのようですが、その「史観」は、伝記的な事実の前後関係で生じるものではありませんから、ある意味では、バルトのテクスト論と近いのかもしれない、という印象を受けました。

                                と、いったことを磐井さんとのやりとりの中で考えていたわけです。磐井さんご自身は、西洋的なテクスト論について、どのような付き合いをしようとお考えなのか、気になるところです。


                                時壇  ~登頂回望~  その五十五~五十八   / 網野月を

                                その五十五(朝日俳壇平成27年2月23日から)
                                                          
                                ◆雪の山光の中に迷ひけり (熊谷市)内野修

                                長谷川櫂と金子兜太との共選である。長谷川櫂の評には「三席。雪の山道をゆけば、光の交響。冬の句だが、春の気配あり。光の一字ゆえに。」と記されている。金子兜太の評には「上位三句は〈省略〉の効果。内野氏。「光の中に」は動かない。「光の中を」では凡化。」と記されている。
                                確かに「迷う」は空間を目的語にする場合は「に」をとることが一般であろうから「光の中を」では成立しないだろう。掲句を含んで、金子兜太の選した上位三句の句はどれも十分な叙景であって、「上位三句は〈省略〉の効果。」の意味合いが筆者にはあまり感じられない。長谷川櫂の評にあるように雪山の春光の圧倒的なさまが主題であるから、掲句はその中に作者自身を配して十分に語られている。

                                ◆梅林のはらおび山を巻きにけり (茨城県阿見町)鬼形のふゆき

                                大串章の選である。自然とは時に人工的な演出よりも驚愕すべき様を作り出すことがある。山裾か?山腹か?分らないけれどもその山のぐるりを梅の花が取り囲んで巻き付いたようになっているのである。そのように植樹されているというよりも、山の高度の差による季温帯が梅の花期をコントロールしているのだろうと考える。見事でもあるが、一種面白みのある景である。

                                ◆三月や昔話にせぬ集ひ (芦屋市)戸田祐一

                                稲畑汀子の選である。評には「二句目。昔話にしないための仲間との会合。前向きにしたい作者の提案。」と記されている。以前会ったときの約束を反故にしないように、三月に仲間との集いを催そうと実行に移した、と稲畑汀子は解しているようだ。筆者は、三月の集いを昔話だけの内容にせずに今の境涯やこれからの人生の抱負を語らいたい場にしたいという作者の思いなのではないかと想像する。「に」の解釈に拠るだろうか?「昔話を」なら筆者の解釈が担保される割合が多くなるだろう。それとも評者と筆者の年齢差によるものだろうか。

                                その五十六(朝日俳壇平成27年3月2日から)
                                                          
                                ◆早春の雲白馬なり白兎なり (今治市)横田青天子

                                大串章の選である。評には「第二句。早春の雲が白く輝いている。「白馬」「白兎」の比喩が佳い。」と記されている。ぽっかり浮かんでいるのかも知れないが、ある程度の速さで流れているのかも知れない。「馬」の、「兎」の速さに適うように流れているのなら上空はかなりの強風であろう。強風の中でのぽっかりは句意の中に矛盾を生じるであろうから、これは春らしくほとんど動かない白雲である。白雲の動きが「馬」のように、「兎」のようにではないのである。それらの白雲の形状が「馬」のような、「兎」のようななのである。評に言う「白く輝いて」に春の光を感じているのだ。

                                ◆流氷の破片を掬ふ柄杓星 (網走市)礒江波響

                                金子兜太の選である。評には「礒江氏。北斗の柄杓にあたる第七星が、流氷の破片を掬いとるとは、荒涼の極み。」と記されている。上五中七の「流氷の破片を掬ふ」から作者は海へ北面して眺めている構図を想像した。確かに作者は網走市在住の方であるから北斗七星の一部が水平線に落ちた頃合いの時刻の景であろう。評にあるように「荒涼の極み」と解するか、それともやがては春へ繋がる時間を感じているのかは読者の自由である。

                                ◆晩酌や明日があれば二月尽 (岐阜市)阿部恭久

                                長谷川櫂の選である。評には「二席。「明日があれば」という不穏なことばが、やや切実に思われる昨今。」と記されている。一読、掲句から妙なロジックを感じた。「あれば」の位置が解せなかったのである。評のように明日の無い事態を想定すれば「あれば」の意味合いがよく解る。将に今現在は忌々しき時代へなろうとしていることを感じないわけにはいかない。

                                講談社刊『日本大歳時記』の「二月尽」の項目には「二月がおわること、つまり平年は二十八日、閏年なら二十九日であるが、用法としては二月も末の方という意味合いに使われる場合が多い。(後略)」と記されている。つまり「二月尽」の意味合いは末日一日限りを表現しているのではないだろうから、ことに拠ったら明日を待つ前に今日既に「二月尽」かも知れない。


                                その五十七(朝日俳壇平成27年3月9日から)
                                                         
                                ◆山河恋うて国を恐るる余寒かな (オランダ)モーレンカンプふゆこ

                                金子兜太と大串章との共選である。金子兜太の評には「ふゆこ氏。今のとき海外に暮らす情熱の人の、この思いは更に深いのだ。」と記されている。大串章の評には「第一句。「世を恋うて人を恐るる余寒かな 鬼城」を踏まえる。「人」を「国」に変え、日本と世界の危機感を示す。」と記されている。鬼城の句よりも掲句の方が、「山河」と「国」という自然といわば人工物の対比があって解り易い。人は時に自らコントロールできないものを作り出してしまうのだ。政治も然り、原発も然りである。人は時として自然の強大さを思い知ることがるのだが、人工物もまだまだ発展途上なのである。

                                ◆陽炎や夜郎自大な政 (川越市)渡邉隆

                                金子兜太と長谷川櫂との共選である。金子兜太の評には「十句目渡邉氏。上五が働いて中七ますます愉快。」と記されている。今や「愉快」では済まされない事態にまで来ていると考える。

                                ◆苦しげな流氷の音ラジオより (東京都)竹内宗一郎

                                長谷川櫂の選である。評には「二席。苦しみあえぐかのような流氷のきしむ音。白く冷たい氷の海で。」と記されている。筆者は「流氷の音」を聴いて貰って、「何の音か?」アンケート調査した経験がある。ドアの軋む音、伐採木の倒れる時の音、ボートの音、何かの音を機械的に加工したもの、と様々だが正解は無かった。聴いた経験のある人にしか解らない想像を絶する音ということだろうか?「苦しむあえぐ」音、「きしむ」音というだけではなくて流氷同士の衝突する際のエコーの効いた余韻の長い音が印象的だ。ラジオでは余韻はなかなか聞き取れないかもしれない。「苦しげな」と把握している点はその為だろう。現地で聞けば長い余韻の方に印象を縛って叙したかも知れない。

                                その五十八(朝日俳壇平成27年3月16日から)
                                                           
                                ◆力士らの梅花のやうな乳首かな (養父市)足立威宏

                                金子兜太との選である。評には「足立氏。「梅花」の喩えがじつに魅力的。」と記されている。講談社刊『日本大歳時記』の「相撲」の項には「本来は神事と関係の深いもので、宮廷では初秋の行事として、相撲節会があった。(後略)」と記されている。もともと初秋の季語であった「相撲」であるが、筆者などの世代は一年中の行事のようにして育ったので「梅花」があってしっくりと読むことが出来る。神へ奉納する目的が大であったから、力士の乳首を取り立てて詠むのは恐れ多いようでもあり、多神教の日本の地信仰では、色っぽくて佳しとされる向きもあろうか。

                                贔屓の力士の星取り表だけが楽しみなのではない。錦絵になるくらいの力士であるからその美姿・魁偉も愛でたいものである。

                                ◆兀兀と春来る音やドロップス (東京都)大網健治

                                長谷川櫂の選である。舐めて半ばまで小さくなったドロップを奥歯でガリッとやったりする。その音質と春が来る音感を「兀兀と」にしてみたのだ。春は待つもので、来るものなのだ。夏のように自ら飛び込んで行くものではないのだ。「兀兀と」は時に速くなったり遅くなったりする。

                                筆者はドロップの欠片が歯に残るのが厭で噛み砕かずに最後まで舐めることにしている。

                                ◆春昼や見舞ひし人に励まされ (高松市)白根純子

                                稲畑汀子の選である。こういうことがあるものだ。もしかしたら類想もあるかも知れないが、上五の「春昼や」が如何にも気分を楽にさせてくれる。見舞い時間に訪ねてみると、既に元気を取り戻している病人(もしかしたら怪我人?)が出迎えてくれた。世間の瑣事に追われている窶れた自分よりも余程溌剌としていて、その頼もしさにうっかりと愚痴をこぼしてしまった。見舞った自分はやれやれと思う一方で温かい気持ちになっているのだ。退院も近いに違いない。

                                2015年3月6日金曜日

                                第12号

                                ※「BLOG俳句空間」は基本隔週更新です
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                              • 平成二十七年 俳句帖毎金00:00更新予定) 》読む


                                (3/13更新)春興帖、第二
                                …木村オサム・月野ぽぽな・陽 美保子・中村猛虎・山田露結・近恵

                                (3/6更新)
                                春興帖、第一 …福永法弘・曾根 毅・杉山久子・仙田洋子・神谷波・堀本 吟




                                【評論新春特大号!】

                                「評論・批評・時評とは何か?――堀下、筑紫そして・・・
                                その5
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                                  【俳句自由詩協同企画】

                                  「俳人には書けない詩人の1行詩  俳人の定型意識を超越する句」

                                  ●俳句・自由詩協同企画縁由 …… 筑紫磐井 》読む


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                                        …(3月の執筆者)竹岡一郎・黒岩徳将・依光陽子・仮屋賢一 
                                          大井恒行の日々彼是(好評継続中!どんどん更新)  》読む 



                                            【時評コーナー】
                                            • 時壇(基本・毎金更新)新聞俳句欄を読み解く
                                              ~登頂回望~ その五十四…    網野月を  》読む
                                              • 俳句時評 (隔週更新  担当執筆者: 外山一機 / 堀下翔)
                                              山本たくやの分かりやすさに関して
                                              堀下翔    》読む 
                                              • 詩客 短歌時評 (右更新リスト参照)  》読む
                                              • 詩客 俳句時評 (右更新リスト参照)  》読む
                                              • 詩客 自由詩時評 (右更新リスト参照)  》読む 




                                                【アーカイブコーナー】

                                                ―俳句空間―豈weeklyを再読する
                                                2008年8月15日発行(第0号(創刊準備号))■創刊のことば            
                                                俳句など誰も読んではいない     ・・・高山れおな   読む

                                                アジリティとエラボレーション     ・・・中村安伸  読む

                                                2009年3月22日発行(第31号)
                                                遷子を読む(はじめに)・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井   》読む



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                                                    薄紫にて俳句新空間No.3…発刊!
                                                    購入ご希望の方はこちら ≫読む

                                                        筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
                                                        <辞の詩学と詞の詩学>
                                                        川名大が子供騙しの詐術と激怒した真実・真正の戦後俳句史! 




                                                        筑紫磐井連載「俳壇観測」執筆






                                                        第12号 あとがき

                                                        (2015年3月13日更新)

                                                        毎度あとがきが遅延し、お詫び申し上げます。

                                                        当ブログ「評論・批評・時評とは何か?――堀下、筑紫そして・・・」その5に突入しました。筑紫氏文中に出て来る<「俳句」3月号で関さん>とは…、すでに発売されている角川『俳句』(2015年3月号)の関悦史氏執筆の俳句時評の記事のことですが、「近代文学の終わりと俳句」というタイトルの元、冒頭で<評論とネット>について触れており、当ブログの名称も挙げていただいています。

                                                        関さんは、評論に焦点をあて、その場がネットに移行している現状に触れています。時を同じくして筑紫氏が書いた「媒体選択の時代を考える」は紙かネットか、更に参加者の選別、現在の課題点を提議しています。当ブログ媒体誌「俳句新空間No.3」のみで閲覧可能!ご希望の方は下記必読です。

                                                        ***
                                                        さてその紙媒体 俳句雑誌「俳句新空間No.3」、を発行しました。
                                                        ご希望の方には一冊500円にて販売いたします。

                                                        氏名・送付先 を明記の上、下記メールアドレスまでご連絡ください。

                                                        sengohaiku@gmail.com

                                                        500円の納入先、納入方法については、返信メールにてお伝えいたします。


                                                        (北川美美記)




                                                        紫色のNo.3。 

                                                        【俳句時評】 山本たくやの分かりやすさに関して / 堀下翔



                                                        山本たくや(1988-)が第一句集を出した。『ほの暗い輝き』(2015年/一粒書房)。「船団」「ふらここ」所属の若手作家で2011年には鬼貫青春俳句大賞を受けている。

                                                        もとより独特の文体で奇想を書く作家と思っており、句集になってそれらをまとめて読むことができるのを楽しみにしていたのだったが、収められた句を読んで筆者は、それらがあまりにも分かってしまうことにいささかの戸惑いを覚えた。一見突拍子もないことを書いているようであり、一読してその世界に胸が躍りつつ、しかし一方心の中のどこかで、これらが言っていることがよく分かるような気がした。

                                                        理科室で待ってて花火をあげるから 山本たくや

                                                        理科室と花火、という組み合わせがまず分かる。この二物を一直線上に置くことができる文脈がどこかにある。花火は化学反応の組み合わせで出来上がっているから、たとえば科学少年にとっての花火は理科室と結びついているのだ、といったふうな。それだけではない。理科室と「待つ」ということが組み合わされるのもまた分かる。筒井康隆の『時をかける少女』が理科室から始まり、少女が少年を待つ場面で終わった、ということを挙げてもよい。小説の影響があると言いたいのではない。ただ、理科室と「待つ」ということを並べて置きうる一直線をもまた、われわれは持っている気がするのだ。

                                                        われわれは無数の文脈を知っている。理科室と「待つ」ことの文脈だけではない。これがたとえば音楽室と「待つ」こと、理科室と「帰る」ことなどであっても、きっとわれわれはそのことについて何がしかを知っているような気になるだろう。

                                                        夏休み終わる!象に踏まれに行こう!

                                                        夏が終わることと象という組み合わせには類想感といって差し支えないほどの強い文脈がある。それから、象と「踏む」といえば、サンスター文具が1960年代に放送していた「象が踏んでも壊れない」という筆入のテレビCMが思われて、そうなるとそれは夏休みの少年性ともイメージを共有することになる。

                                                        一句があって、それに心が躍ることには、ほんらい、その一句がどこまで行っても完全には分かりきらないというあきらめがついて回ると思う。おどろくべきことをどれほど的確に描いているにしても、その一句自体はあらゆる文脈から切り離されていて、ゆえに得体がしれない。『ほの暗い輝き』に筆者が戸惑ってしまったのは、つまり、収められた句の多くが、文脈を明らかにしたうえで生まれているように見えたからだ。

                                                        分かることが悪いことではないと思う。ただそこにプロセスがあるかどうかということが分かれ目としてある筈だ。このような理由でこのことが分かる、ではなく、ただ直感として、分かる。そこには「なぜ分かるのかは分からない」という不可知があって、だからこそ一句が一句でありえている。

                                                        月仰いで唾ぺってもっとぺってぺってする

                                                        そういった意味でこの句には分からないという安心感があった。この「ぺって」している人間がどこかにいるだろうな、という気はする。しかし「ぺって」することが執拗に繰り返される理由は分からない。

                                                        句集あとがきに山本はこう記している。

                                                        昨年、親友が亡くなりました。自殺でした。それがこの句集を作った一番の動機です。/生きることは、歯痒いことの連続だと思います。実力とは違うところで、出身や結社の如何で、チヤホヤされる若手の俳句界もそう。/それでも、這いつくばっていれば、いつかはきっと、報われるんじゃないかと信じています。もう手遅れですが、その親友に伝えたかったことです。(中略)/こんな小さな句集ですが、いつか誰かの励みになれることを、切に願います。

                                                        若手の俳句界でそんなことが起こっているのかはよく知らないが、さておき、これを読んで筆者には本句集のイメージがすこしちがって見えるようになったものだった。親友の死と句集出版との関係性は自分には知りえないと思ったからだ。俳句を通じて感じた歯痒さに耐えることが親友の死への思いと結びつけられてはいちおういるが、その関係性は山本自身によって見つけ出され、密かに納得されたものにすぎない筈である。筆者にはそれ自体が山本の感じた歯痒さと同じものであるように思われるのだがどうだろうか。山本があとがきでことさらに記したその歯痒さは、彼の第二句集への布石として予感された。


                                                        上田五千石の句【窓】/しなだしん



                                                        開けたてのならぬ北窓ひらきけり  五千石


                                                        第二句集『森林』所収。昭和五十年作。

                                                        著書『上田五千石』(※1)の冒頭に収録された、村上護氏との対談「わが俳句を語る」の中で、以下のように述べている。

                                                        (『田園』で俳人協会賞受賞のあとの)大スランプのころ、静岡県の富士市にいました。身延線に乗るとすぐ山の中に入れるので、甲州の山地をずっと歩きました。(中略)あるとき、峠を越えると蚕を飼っている二階家がありまして、上の北窓をベリベリと剥がしているところにぶつかったんです。そのときサッと句ができちゃった。そのまんま、拾ったんです。 
                                                        初めて物を見たまんまが言葉になった」んです。何か会得するものがありました。 
                                                        (中略)第二句集『森林』では、「森林は私自身である」なんてキザなことを書いているんですが、やっと自分の俳句に自信を持ち得ました。

                                                        また、著書『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』の第一章「俳句こそ青春」の中でもこの句を挙げ、「物の見えたるひかり、いまだ心にきえざる中にいひとむべし」(『三冊子』)などという芭蕉の言葉が、観念でなく、実体験として私が納得したのは、このときでした。

                                                        と記しており、この句が五千石のひとつの転機であったことが分かる。

                                                             ◆

                                                        これらの掲出句に関する記述に、ほぼ同時に扱われる句に、

                                                        竹の声晶々と寒明くるべし 上田五千石
                                                        がある。この句について、著書『上田五千石』の対談で、掲出の「北窓」の句を得たあと、
                                                        さらに、もう少し歩いていくと竹藪があって、サァーッと竹がなるわけです。「ああ。明日は節分かな」と思った瞬間、句になりました。即座にできたんです。身体を使って、足を使って、頭が空になっているんですね。そうすると物が向うから入ってくる。それで非常に大きな自信をつけました。
                                                        と語っており、掲出の「北窓」の句も、「竹の声」も実は節分の前日のほぼ同時作であったことが分かる。

                                                        ちなみに、この二句は『森林』の収録では、季の順通り、「竹の声」が先で、「北窓」が後に調整されている。また先に触れた『俳句に大事な五つのこと』の中でも、句集同様「竹の声」、「北窓」の順に触れられている。

                                                        なお、著書『上田五千石』の村上護氏との対談「わが俳句を語る」は、「平成四年七月十三日、東京世田谷の自宅にて」と記されている。一方『俳句に大事な五つのこと』改訂前の『上田五千石 生きることをうたう』(日本放送出版協会)の刊行は平成二年五月で、対談の方が後年である。

                                                        この二句を得た場面を昨日のことのように語っているのは、よほど嬉しい出来事であり、その後何度もこの時の事を語っているからだろう。

                                                                ◆

                                                        さて、掲出句についてである。「開けたて」は開けたり閉めたりすること、あけしめ(開け閉て)。「開け閉てならぬ」は文章として成り立つが、「開けたてのならぬ」と「の」を入れるのは正しい用法と云えるだろうか。五七五のリズムに収めるための俳句独特の表現と云うことになろうか。

                                                        一方、意味の側面では、開け閉め可能な窓だが、建付けが悪いなどの理由でそれが出来にくい窓ということだろうか。蚕農家の二階の窓は引き戸だろうか、それとも観音開きの扉だろうか。実は分かったようで分からない。

                                                        「北窓開く」の逆は冬の「北窓塞ぐ」。歳時記には「窓を板で塞いだり目ばりをしたりする」とある。先の五千石自身の解説に「北窓をベリベリと剥がしているところ」とあるから、窓を塞いだ板を剥がしているということだろう。板で塞がれた内には引き戸か扉があるのだろう。その窓が開け閉てならない窓であるのかを、五千石は知り得たのだろうか。

                                                                ◆

                                                        こういう単純な俳句があることを知らないで、抒情詩まがい、思想詩まがいのものを俳句としていたのが、はっきり誤りであったことがわかったのは、私にとってなによりでありました。

                                                        著書『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』のこの句についての記述はこのように結ばれている。この句は、五千石自身が云うように率直ではある。だが、単純な、もしくは正しい写生句とは言い切れないようにも思える。



                                                        ※1) 『上田五千石 自選三百句』俳句文庫 / 平成五年四月二十五日 春陽堂書店刊

                                                        「評論・批評・時評とは何か?――堀下、筑紫そして・・・」その5/筑紫磐井・堀下翔


                                                        18.堀下翔から筑紫磐井へ(筑紫磐井←堀下翔)


                                                        the Letter from Kakeru Horishita to Bansei Tsukushi .


                                                        論争が「評論を誰かが読んでいる」ことのネガティブな証拠であればこそ、なのですね。よく分かりました。論争に変わる何かがあればそれでよい。その何かを考えるのはひとまず置いて、BLOGの批評の話になったので、そちらのことをもう少し聞いておきたいと思います。少し話が離れてしまうかもしれませんが。

                                                        このところ短詩界隈で俄かに人気の沸騰している柳本々々が、ブログにこんなことを書いています。

                                                        わたしは毎日バックナンバー(堀下註――週刊俳句の)を読み進めているのですが(そのあいだに『週刊俳句』はわたしをおいて未来にどんどんすすんでいくのですが)、週刊なのにこんなにも長く続けておられるのがすごいなあと率直におもうのです。わたしが図書館で閉館まで毎日本を読んでいたときも、寝込んでなにもせずにつっぷしていたときも、ふらふらとチョコレートをかたてに夜の街を遊び回っていたときも、終電のおわってしまった駅の階段ですやすやしていたときも、『週刊俳句』はずっとそしらぬ顔で続いていたのだなあとおもうと、ほんとうにすごいことだって素直におもうんです。(『あとがき全集。』2015/02/18 21:07更新分〈【お知らせ】「夢八夜 第三夜 本屋で鮫じゃんか」『アパートメント』〉)

                                                        柳本々々がこのような形で記した「週刊俳句」を読む気分というのが僕にもよく分かるんです。電車の中だとか、本を読むほどでもないけれど時間のあるときだとか、そういうときに週刊俳句に限らずBLOGの批評をさかのぼっては読んでいます。読んでも読んでも読み終わらない。こと僕の場合、作句開始の2012年以前にまったくそれらを読んでいないことも大きいのですが、すでにして巨大化しつつある過去の評論に圧倒されます。その時々の勉強会や書籍に色々な人が言及していて、自分はそれを過去のものとして読み、楽しむ。まさしく「アクセス」という感じです。

                                                        BLOG批評の醍醐味はこんなところにある気がしないでもないのです。その時々において何が話されていたか、という点が空気感としてある。時評的文章に限りません。このところ週刊俳句は八田木枯今井杏太郎をよく取り上げています。もちろん運営者とその人との関係性はあるにせよ、記事になればそれがきっかけで読者も増えるでしょうから、あとからこれらの記事を読んだ人は「ああこの時期には木枯や杏太郎が読まれていたんだな」ということを感じるわけです。

                                                        このたとえを挿入する必要があるかは自分でも疑問ですが、思いついたので言えば、BOOKOFFの品ぞろえを思い出します。BOOKOFF台頭の時代の子なものですから、小学校のころから本を読みたくなったらここに通いました。それで、さいきん気が付いたのですが、わずか数年のうちにどの店舗でも品ぞろえががらっと変わっているんです。僕が中学校にいた2000年代後半、BOOKOFFにはかんべむさし豊田有恒、横田順彌が置いてありました。ところがここ数年の間にこういった作家はほとんど並ばなくなってしまった(ように思われる)。新しい本ばかりが並ぶようになったわけではなく、同じ時期の本であっても相変わらず出ている作家はいるのです。売られなくなった、並べられなくなった、残らなくなった、いずれのプロセスを経たのかは知りません。ただその時代時代において、新刊でなくとも読まれない作家/読まれる作家がいるのだとBOOKOFFで学びました。

                                                        誰が読まれているのか、という時代の空気感をとどめる役割をいまBLOG批評はになっているのではないか、と思います。総合誌も、結社誌も、そういうものはになえるし、あるいはになっていた時期もあるのは承知ですが、BLOG媒体のアクセス性はそれらを凌駕しているように思われました。

                                                        と、評論とは何か、という話からはそれてしまいましたが、そんなことを思いました。


                                                        19.筑紫磐井から堀下翔へ(堀下翔←筑紫磐井)


                                                        the letter rom Bansei Tsukushi to Kakeru Horishita,Yuki 

                                                        時代の空気というものはなかなか見定めがたいものがあります。ちょっと前のことですが(堀下さんが俳句を始める以前のことでしょうが)、週刊俳句等で「サバービア(郊外住宅地)な俳句」が提唱されちょっと話題になったことがあります。榮猿丸氏が発端ではなかったかと思います。何か時代をつかんでいるように思われたのですが、それがどのように定着したのか、あるいは猿丸俳句などを論じるときに、これはどのような痕跡を残したのかは分からなくなっているように思えます。多少の論争もあったように思いますから、その意味で「読まれた」ことは間違いないと思います。ただ、時代に対する感度が大事だということは言うまでもありませんが、もう一つどのように定着するかということも不可欠のように思います。定着するかしないかは、それぞれの作家が持っている人生観、まあそれが大げさであれば、ある文学や言葉に対する体系とどう呼応するかではないかという気がします。

                                                        以前堀下さんが言っていた(連載⑥)「人間探究派」、あれが定着するための条件を、あの時代の精神の体系で考えてみる必要があると思うのです。

                                                            *

                                                        それよりなにより、このところ色々取り紛れて、BLOGはもとより余り俳句雑誌を読む時間もなかったのですが、たまたま「俳句」3月号関さん(編集部注:関悦史)が拙著『戦後俳句の探求』を紹介してくれているのを読みました。拙著そのものというよりは、私と川名大氏との違いを指摘して、川名氏は近代文学の立場にたった「俳句表現史」、筑紫は近代文学的価値評価とは必ずしもかかわらない「詩学」の立場に立つと紹介しているのが面白かったです(ついでながら川名は、90年代の近代文学の終わりとともに取り上げるべき新作句を見失う、と書いています)。成程そう言う面もあるかも知れませんが、俳句史を書く以上前提となる詩学があるべきでしょうし、抽象化された詩学にはその背景に具体的な俳句史観が存在しているでしょうから、そう厳密に切り分けるわけにはいかないかもしれません。

                                                        川名氏がいかなる詩学を持っているかは自ら語るべきでしょうが、私の場合は、金子兜太の史観をかなり下敷きにしていることは言ってよいかも知れません。「造型俳句」論で兜太は、俳句史では諷詠的傾向と表現的傾向の対立があったと見ています。諷詠的傾向に「花鳥諷詠」(虚子)「人生諷詠」(波郷)があり、表現的傾向に「象徴的傾向」(楸邨・草田男「主体的傾向」(誓子、赤黄男、三鬼らの新興俳句)があったと見るのです。以前から素朴に思っていた感想、戦前の新興俳句と人間探究派(ある時期からの波郷は除きますが)の本質はそれほど変わらないのではないか、戦後の草田男兜太は実は瓜二つではないか、の答えが、これによりぴったりとした回答を得られることになったように思いました。言ってしまえば、虚子・波郷に代表される伝統派と、草田男・兜太の反伝統派の2軸で俳句史を読んでもいいのではないか。その根拠を「造型俳句」論は与えてくれたのです。兜太にすれば、新しい俳句は常に反伝統派から生まれ、かつ、一層新しくなるためには前の反伝統派を乗り越えなければならないから「造型俳句」を唱えた、と見るのが妥当でしょう。ですから兜太は、独自の史観に基づいて、自分の居場所を定めたことになります。

                                                        しかし、言っておくべき事は、この立場に立つ以上、それぞれの詩学が他の詩学を否定する根拠はありません。花鳥諷詠の詩学は、造型俳句の兜太の詩学(兜太の場合は『短詩型文学論』で集約されたと見てよいかも知れません)を否定するものではありません。逆もまた然り。勝敗は詩学ではなく、その詩学で生まれた作品が決めるものであろうと思います。ですから、進化論的な一本調子の俳句表現史について私はかなり懐疑的です。花鳥諷詠はダメだといいつつも、ある日、ある一句によって、花鳥諷詠が傑出した理論になる可能性を秘めていることもあると思います(もちろん可能性だけです)。実は豪放磊落に見える兜太にも案外こうした謙虚さがあるように思うのです。

                                                        堀下さんの最初の連載④で俳句史に関する話題があったので、ふと思い出して、書いてみたくなりました。私の場合は、なかなか同じテーマでやりとりするタイプではないので話題が飛びますが今回はこんなことでお答えしておきます。








                                                        時壇  ~登頂回望その五十四 ~  / 網野月を

                                                        (朝日俳壇平成27年2月16日から)
                                                                             
                                                        ◆なりたての独居老人日向ぼこ (倉敷市)森川忠信

                                                        金子兜太の選である。評には「森川氏。「なりたて」がユニーク。」と記されている。「独居老人」の句はネガティヴな意味合いの句意になることが多いと考えるし、実際に目にする句にはネガティヴな内容からマイナス志向までの領域内にあることがほとんどだ。それに対して掲句の発信しているメッセージは、極めてポジティヴだ。季題の「日向ぼこ」のなせる業である。掲句の場合、実際に作者自身が「独居老人」なのかどうかは不明だし、作者以外の人物を叙しているのかも知れない。そしてその描かれている老人の心境は全く別問題だが、句としてはポジティヴな意味合いの表出である。俳句にはその力があるということであろう。実際に存ることを実際に存ることとして表現するだけでなく、無いことを存ると言ったり、無いことを無いと言ったり、存ることを無いと言ったりする力である。虚構でも嘘でもなく、「芸術上の真」と開き直るつもりではないのだが、まさしく「芸術の力」なのである。サイエンスでは存ることを存るということしか出来ないのであるが。従ってサイエンスの議論の中で芸術を把握することが出来る場合は極めて限られている。


                                                        ◆ひたむきな手話の別れや春寒し (名古屋市)坂井巴

                                                        金子兜太の選である。この景の中では、決して饒舌にならない会話がなされている。手話も言語話も会話として同価値であり、人間の情感の表し方が何ら変わらないことを宣言しているように読める。


                                                        ◆死してなほ国に帰れず春一番 (船橋市)村田敏行
                                                        長谷川櫂の選である。七十年昔の事のようにも読めるし、つい最近の事のようにも読める。そのくらいこのような災悲は人類の歴史の中で繰り返されてきたということであろう。季題「春一番」の訴える力が強烈である。他の長谷川櫂の選に「神の名の殺戮やまず冴返る」(朝田冬舟)がある。