2015年6月26日金曜日

第20号


  • 7月の更新第21号7月10日第227月24日




  • 平成二十七年 俳句帖毎金00:00更新予定) 》読む

    (7/3更新)花鳥篇、第七
    豊里友行・近恵・大塚凱・小沢麻結・小林苑を・瀬越悠矢
    関根誠子・飯田冬眞・岡村知昭・筑紫磐井・北川美美

    (7/3更新)特別版澤田和弥さん追善・追補
    …上田信治


    (6/26更新)特別版澤田和弥さん追善・その3
    …仲田陽子・小沢麻結・堀田季何・仲寒蟬・小林かんな
    飯田冬眞・西村麒麟・依光正樹・依光陽子
    (6/19更新)特別版澤田和弥さん追善・その2
    …筑紫磐井・岡田由季・関悦史・北川美美・中山奈々・大井恒行
    (6/12更新)特別版・澤田和弥さん追善・その1
    …神谷波・曽根毅・真矢ひろみ・福永法弘・杉山久子

    (6/5更新)花鳥篇、第六
    …下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子・五島高資・真矢ひろみ
    (5/28更新)花鳥篇、第五
    …水岩瞳・小林かんな・神谷波・田中葉月・福田葉子・羽村 美和子
    (5/22更新)花鳥篇、第四
    …小野裕三・早瀬恵子・浅沼・璞・林雅樹・網野月を・佐藤りえ
    (5/15更新)花鳥篇、第三
    …東影喜子・ふけとしこ・望月士郎・堀本 吟・山本敏倖・仲寒蟬
    (5/8更新)花鳥篇、第二
    …関根かな・中村猛虎・山田露結・夏木 久・坂間恒子・堀田季何・大井恒行
    (5/1更新)花鳥篇,第一
    …杉山久子・曾根 毅・福永法弘・内村恭子・木村オサム・前北かおる・仙田洋子・陽 美保子


    【好評連載】


    「評論・批評・時評とは何か?――番外編
    筑紫磐井・福田若之 》読む

    ・今までの掲載
    (筑紫×堀下書簡)
    (筑紫×福田書簡)
    番外1
    【特別連載】
    ■  追悼句篇 その1 
     -戦後俳句作家の最晩年 ー 
    …堀本吟  》読む 

    ■  追悼句篇 その2 
     -未見の人澤田和弥の夭逝を惜しむ ー  
    …堀本吟  》読む  


      ブログではない紙媒体誌俳句新空間を読む(当面、月~日00:00更新)… 》読む
        およそ日刊「俳句空間」 (おおよそ月~日00:00更新) 》読む
          …(主な執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美 … 
          (6月の執筆者: 竹岡一郎、依光陽子、黒岩徳将、北川美美…and more  )

           大井恒行の日々彼是(俳句にまつわる日々のこと頻繁更新中)  》読む 




          【時評】


           澤田和弥を悼む
          -多面性と屈折感ー
          … 竹内宗一郎  》読む

          極私的な「読み」の意志  
          ―堀切実の「高柳重信」論から考える―
          … 外山一機  》読む 


          【鑑賞】 


          ~登頂回望~ 七十・七十一   
          網野月を  》読む

          ■ れんあい、のようなもの。 
          -川上弘美『句集 機嫌のいい犬』における〈恋愛〉- 
           …柳本々々  》読む


           上田五千石を読む テーマ 【緑雨】 
          ー 蓼科や緑雨の中を霧ながれー
          … しなだしん 》読む  

          「俳句空間」№ 15 (1990.12 発行) 〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ
          ー続・18、田中裕明 「夏鶯道のおはりは梯子かな」ー
          大井恒行 》読む


          リンク de 詩客 短歌時評   》読む
          ・リンク de 詩客 俳句時評   》読む
          ・リンク de 詩客 自由詩時評   》読む 





              【アーカイブコーナー】

              週刊俳句『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会を再読する

              参加:筑紫磐井、高山れおな、対馬康子、上田信治、西原天気(乱入・西村我泥吾)
              日時:平成24年1月18日
              場所:帝国ホテル鷽替の間


              • 総括座談会(1)2012-02-19  
              3冊誕生の経緯「誰が言いだして、資金はどう支払われたのか」 …》読む

              • 総括座談会(2)2012-02-26 
              特徴的人選「ぎらぎらとしていたのは誰か」 …》読む

              • 総括座談会(3)2012-02-26 
              企画の特徴「年齢制限・自撰他撰・公募など」 …》読む


              俳句樹 回想の『新撰21』―いかにしてアンソロジーは生まれるか を再読する
              ・・・筑紫磐井 2011年1月18日  》読む


                  あとがき  読む

                  祝 仲寒蟬 芸術選奨新人賞受賞!
                   祝辞 筑紫磐井 第14号あとがき ≫読む

                  攝津幸彦祈念賞募集 詳細
                  締切2015年10月末日!

                  豈57号刊行!
                  豈57号のご購入は邑書林まで

                  薄紫にて俳句新空間No.3…!
                  購入ご希望の方はこちら ≫読む

                      筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
                      <辞の詩学と詞の詩学>
                      川名大が子供騙しの詐術と激怒した真実・真正の戦後俳句史! 

                      特集:「突撃する<ナニコレ俳句>の旗手」
                      執筆:岸本尚毅、奥坂まや、筑紫磐井、大井恒行、坊城俊樹、宮崎斗士


                      特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
                      執筆:関悦史、田中亜美、井上康明、仁平勝、高柳克弘

                      筑紫磐井連載「俳壇観測」執筆






                      第20号 あとがき

                      2015年6月最終週、第20号をお届けします。

                      豈57号(最新号、2015年4月24日発行)に「現在という二十世紀」執筆の澤田和弥さんが去る5月9日に34歳という若さで夭逝され、その死を悼む追善が多数寄せられました。澤田さんと既知の竹内宗一郎さん(街編集長・天為同人)、そして堀本吟さんは特別連載として追悼句篇その2にて未見の澤田さんへの追悼を句と短歌で綴られています。追悼特別版としてお届けします。また、花鳥篇特別版として追善句の中、飯田冬眞さんのメッセージを掲載しています。

                      当サイトでは、澤田さんの寄稿は西村麒麟第一句集についての稿が唯一でした。
                      ●【西村麒麟『鶉』を読む5】  肯うこと ―西村麒麟第一句集『鶉』読後評― / 澤田和弥
                      》読む

                      ●平成二十六年 花鳥篇 第六  》見る


                      ●平成二十七年歳旦帖、第五 》見る


                      澤田さんのご冥福をお祈り申し上げます。


                      ***

                      「評論とはなにか?」では福田若之さんと筑紫さんの書簡その2です。 柳本々々さんは川上弘美句集を、そして外山一機さんの時評では堀切実氏の重信論について。網野さんの登頂回望、朝日俳壇を読むに今号ご寄稿の竹内宗一郎さんと思える投句が…。今号も充実いたしました。 

                      また、俳誌『俳句新空間を読む』では、No.3での鑑賞を日替わりで掲出しています。「およそ日刊俳句新空間」もぼちぼち継続中! 

                      2015半分終わります。 梅雨空の変わりやすい天候に伴う気圧の変動…、どうにも体調が狂います。皆様どうぞご自愛ください。 7月の更新は、10日(金)、24日(金)になります。  

                      (北川美美記)

                       【特別連載】 追悼句篇 その2 -未見の人澤田和弥の夭逝を惜しむ ー   /  堀本 吟



                       未見の人澤田和弥の夭逝を惜しむ        堀本 吟



                      荒梅雨の家庭にも坐す革命家

                      梅雨茸「革命前夜」という思想

                      語りたし革命の尾を踏みしこと

                      メビウスの環やさかしまに隣る人

                           *

                      国はいちど滅びたりしと憶えども我れの未遂の書かれざる惜し

                      阿部定の裸身は晴れて太虚おおぞら彷徨く霊魂と男根を提げ

                      男には寺山修司女には管野スガあるいは阿部定

                      方舟を流木として放ちやれば革命の基地世界をまわる

                      「評論・批評・時評とは何か?――番外編」その2/福田若之・筑紫磐井



                      【福田】
                      まず、「現代文学(?)に関する教養とは思いますが、教科書的に、現代の文学の理解としてこれを習わなければ文学論が成り立たないというものではない(大体どこの文学論?と聞いて見たくなりますが)と感じましたが如何でしょうか」というご質問から。

                      「作者の死」は教養である――このことだけでも、「作者の死」が学問としての文学にとって相当に有意義なものであることには、疑いの余地がないように感じられます。学問としての文学は、その全体が、ある意味では教養に他ならないとさえ言えるからです。逆に、およそ教養でありうるようなものはどんなものでも、文学に含まれうるのではないでしょうか。とはいえ、その中で「作者の死」が飛びぬけて重要なのか、といわれると、確かに難しいところではあります。理論としては、たとえばジェラール・ジュネットの物語論などを理解することのほうが、文学研究にはよほど役立つ気もしないではありません。ただ、いずれにせよ、60年代から70年代にかけての文学研究における思想的展開が今日の研究をかなり直接に基礎づけていることは確かです。そして、「作者の死」ほど、その変動を端的に示してくれている文章も珍しいと思います(「作者の死」を除けてしまうと、この変動のさわりを理解するために、分厚くて難しい本を何冊も読まなければいけなくなると思います)。こうした理由から、たとえば大学で文学に取り組むとしたら、「作者の死」を早い段階で学ぶことにはやはり意味があるのではないかと思います。

                      少なくとも、僕の実体験として、高校までの国語科の教育と大学での文学研究の違いを乗り越える上で「作者の死」を知ることが助けになったことは確かです。書いた人間の意図を尊重する国語的な読解は、コミュニケーション能力を養うという意味では重要なものに違いありませんが、それだけでは文学は窮屈なものになってしまいます。「作者の死」はその突破口を与えてくれるのではないでしょうか。

                      次に、「バルトがそうしたテクストで想定しているのは、文学作品なのか(そもそもその文学も何なのか)、ゴッホやチャイコフスキーが出てくるとすると(それでもまだ芸術、美術という理念的なものがまとわってくるような気がしますが)もっと幅が広いものか、さらに(日本の多くの文芸評論家が忌避する)浪曲や雑俳、などが入るのか(当然入っているように思いますが)などについて、何かヒントになる発言はあるでしょうか」というご質問にお答えしたいと思います。

                      ゴッホやチャイコフスキーの名前がどのように出されているか提示しておく必要がありそうですね。バルトは以下のように書いています――「批評は依然として、ほとんど常に、ボードレールの作品、それはすなわち人間ボードレールの挫折である、とか、ヴァン・ゴッホの作品、それはすなわち彼の狂気である、とか、チャイコフスキーの作品、それはすなわち彼の悪趣味である、とか言うことにある」。これらの語りはそのどれもが作者に作品の起源を求める批評の紋切り型であって、バルトはそれを問題にしているわけです。

                      これらがいわゆる「芸術」に限られたもののように見えるというのは、正しいと思います。ただし、それには理由があります。バルトが、確固たる「芸術」しかそもそも相手にしない態度の批評、はっきり言えばスノビズムに陥った批評をこそ、ここで問題にしているからなのです。

                      バルトは、浪曲についてはもしかすると日本映画の芸道物などを通して知っていたかもしれませんが、雑俳についてはまず知らなかっただろうと思います。したがって、その意味では、おそらくそれは「想定」されていません。ですが、「作者の死」で問題になっている二つの重要な概念は、それらをも包括するものに違いありません。二つの概念というのは、先日お送りした文章にもすでに登場している「エクリチュール」と「テクスト」です。これらの概念は実際にはどこまでも掘り下げても切りがないような代物ですが、いまはごく簡単にいきましょう。

                      まず、エクリチュールécritureについて。これはフランス語で一般に「書くこと」および「書かれたもの」を指す言葉です。少なくとも「作者の死」のなかでは、この言葉がそれ以上のことを意味しているようには思われません。ただし、それに含まれる範囲は最大限広くとっておく必要があります。たとえば、演劇における登場人物のもろもろの言動は、台本を読むにせよ上演されるのを観るにせよ、すなわち、文字として読むにせよ演技として観るにせよ、エクリチュールです(「作者の死」の文中で、演劇は、さまざまな登場人物の言動が観客の側で捉えられるということをモデルに、エクリチュールと読者のかかわりを説明するために出てきます)。チャイコフスキーの音楽にしても、楽譜があるのですから、そこにはエクリチュールが見出されるに違いありません。こうなってくるともう、ゴッホの絵画も、捉えようによってはエクリチュールではないでしょうか。

                      お二人の文脈に沿わせるために、ここで、バルトが「文学la littérature(これからはエクリチュールl'écritureと言うほうがよいだろう)」と書いていることに触れておくのがよさそうです。ここで提案されているのは、文学という捉え方からエクリチュールという捉え方への移行です。エクリチュールという表現がバルトにとってより好ましく思われたのは、それが動的な生成(ただし創造というほど神秘的ではない)のイメージを孕んでいるからだと考えられます。しかし、それだけではなく、かつて「文学」と呼ばれながら芸術の中に囲い込まれていた領域が、この言葉の置き換えによって、既存のイデオロギーを取り払われつつ拡張されます(ただちに別のイデオロギーが生じることには注意しなければなりませんが)。おそらく、かつてはlittérature(綴ること、綴られたもの)とécriture(書くこと、書かれたもの)のあいだには大きな違いなどなかったと思うのですが、前者の言葉があまりにもいろいろなものを背負いすぎてしまったため、この呼び換えには意味があります。

                      エクリチュールがこうした概念であることを踏まえて、テクストtexteについての説明に移りたいと思います。この場合、テクストという言葉が表わすのは、多様なエクリチュールによって構成される広がりのことです。バルトはその意味を込めて、テクストとは「引用の織物」であるとします(僕が「作者の死」を「引用の織物」であるとしたのも、バルトのこの言葉を借りてのことです)。ご想像の通り、極めて包括的な概念です。狭義の文学にこだわることがばかばかしくなってきそうなほどです。

                      したがって、文学をどう定義するかということからして問題です。俳句は文学か、と問うとき、その文学というのはそもそも何のことなのでしょうか。バルトが後に『文学の記号学』でそうしたように「文学」という語によって言葉を媒体としたエクリチュールやテクストの全域を射程に収めることにするならば、そして、俳句もまた広い意味での書き物の一種であると捉えるならば、それは文学だというほうが妥当でしょう。したがって、浪曲や雑俳についても同様です。しかしながら、文学というものをもっと狭く、仮にファイン・アートの言語部門とでも規定するなら、おそらくその限りではありません。

                      拝読したかぎり、お二人の議論が問題にしているのは、さしあたりこの狭義の文学だとお見受けしました。ただし、俳句は文学かという問いは実際には表面上のものにすぎず、むしろ、俳句をファイン・アートの言語部門としての文学にあてがわれてきた物差しで測ることの是非こそが改めて問われているように思われます。おそらく、堀下君は、俳句にあえてそうした物差しをあてがうことで、新しい俳句の見方や価値が生成されることに期待しているのではないかと思います。それに対して、磐井さんは、あえてそうした物差しをあてがわないことで、今日ではかえって新しくなってさえいる俳句の見方や価値が再発見されることのほうにより強く期待しているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。ちなみに僕はといえば、俳句に文学の物差しをあてがうことは、逆にその物差し自体を俳句によって更新することにつながるのではないかと考えています。目盛りがついているほうばかりが物差しであるとは限りません。こうした考えについて、ご意見をいただけたら幸いです。

                      ロラン・バルトと僕の関わりについて、ひとつ思うことがあります。ロラン・バルトについて書くということは、結局のところ、ロラン・バルトではない自らを引き受けるということにほかならないだろうということです。驚くべきことですが、ロラン・バルトにとってさえ、いくらかそうだった節があります。ロラン・バルトの書いた『彼自身によるロラン・バルト』の原題は、直訳すれば『ロラン・バルトによるロラン・バルト』です。語り手としてのロラン・バルトは、語られる対象としてのロラン・バルトと同一性を保ちながらも、同時にいくらか遊離しているのです。さらにバルトは「バルトの三乗」という文章で、全くの他人であるかのように『彼自身によるロラン・バルト』について語っています。こうしたバルトの文章は自句自解の問題にも通じるものだといえそうです。

                      【筑紫】

                      1.文学

                      ●興味深い整理をありがとうございます。堀下さんと私の考え方の調停をしていただいたようでありがたいです、また読者のためにも分かりやすい解説となっていると思います。

                      ●しかし、指摘されているように、私も堀下さんも「狭義の文学」を「文学」としていることに違いはないようです。その意味では二人に用語の齟齬はないのは幸いでした。それがいいのか悪いのかはまた改めて考えることにしてその前提で話を進めましょう。

                      違うのは堀下さんが狭義の文学から逸脱しないという行動原理を述べているらしいことに対して、私が狭義の文学から逸脱するという行動原理を持っていることでしょう。

                      この点をさておけば、狭義の文学こそが明治以降の俳句を引っ張って来たことは間違いないと思います。独断と偏見に満ちていたからこそ力を持って来たのです。子規による俳句の新生はこの独断がなければ生まれなかったと言えるでしょう。そのことは、守旧派の虚子も言っています。

                      ただ、それが余りに正論になって俳句の実態に合わなくなった時に部分停止をかけるのが「文学ではない」という主張だろうと思っています。だから、ボーダーから1センチはみ出せばよい、それが俳句だといいたいわけです。俳句が広義の文学だと主張しているわけではありません。

                      だからしばらく堀下さんとの議論は、文学は「狭義の文学」であることを前提として、俳句はこの狭義の文学うちに収まるべきか、はみだすかを議論してみたいと思います。

                      2.効用論

                      ●この場合の文学論は真正の科学としてより効用論で見た方がいいと思っています。私の第一の目的は、「文学」(狭義の文学)を持って俳句の価値が裁断されるのを拒否することです。吾々の周辺には具体的な、文学による俳句の裁断が満ちていますから、それから俳句を防衛することといえましょう。例えば、「第二芸術の」桑原武夫もそうであったろうし、現在「俳句表現史」の名称で戦後多様に展開された俳句をたった一つの基準で評価しようとしている動き(「俳句表現史派の人々」ということにしようと思います)もそうでしょう。俳句は様々な可能性があるにもかかわらず、「文学」という観点からそれを否定する動きには反発したいと思います。

                      第二の目的は、現在自分のおかれた環境にあって、新しい、あるいは自分に必要な俳句の道筋を示すことです。かつて、昭和30年代に金子兜太が「造型俳句論」で行おうとしたこと(新しい俳句史観を示し、新興俳句や中村草田男の流れの先にある「主体的傾向」を推し進めようとしたこと)もこの新しい場を示すためだったと思います。誤解を受けやすいのですが、兜太は「造型俳句論」で特に在来の俳句を否定はしていません。不足しているものがあると言っているのです。ただそれを乱暴に言ったにすぎません。

                      もっとも、第一と第二は同じことの裏表を言っているにすぎないかもしれません。

                      ●前衛俳句の時代のあとにやってきた、伝統の時代、結社の時代は反文学(狭義の)の時代でした。現象的に見れば(狭義の)文学敗残の時代であったということができます。それがいい環境でないと考えることは至極まっとうな考え方だと思います。私も共感します。しかしそれを是正するにあたり、桑原武夫や俳句表現史派の人々のように、これは文学(狭義の)ではないという主張を下してもしょうがないのではないかと思います。

                      ●当時、金子兜太は「熱い情熱」でその道筋を示しました。しかし、私は現代においてはむしろ「冷たい情熱」こそが必要なのではないかと思っています。「冷たい情熱」とはいろいろな思いをこめていっているのですが、新しい俳句の一つの属性とはなり得そうな気がしています。


                      3.堀下作品と評論

                      しがみつく   堀下翔  
                      熊ん蜂二匹や花を同じうす 
                      亀の鳴く八方に水ありにけり 
                      一面に蝌蚪をりすべて見失ふ 
                      ある葉桜の立つてゐる日蔭かな 
                      黒揚羽とほくに見えて奥に消ゆ 
                      よく蛇行するひまはりの小道かな 
                      となり合ふカンナ互ひの影かくす 
                      濡れてをる石榴やあれはさつきの雨

                      これは、第6回石田波郷俳句大会新人賞(平成26年10月)を受賞した堀下さんの作品です。後に選考結果を見て岸本尚毅が一位に推したのは頷けました。岸本氏が選をした句の半分は私も選んでいるから、彼がどういう意識であったかは解る気がします。私の選んだ句で言えば、1行の中にどこか軽いギャップが存在し、それが心地よい違和感を与えてくれます。言ってみれば、路面電車に乗ってごと、ごと、ごとと揺られる快感といえましょうか。それが微妙な助詞や助動詞の駆使により生まれており、それ自身固有のリズムとなって読者に作品全体の共鳴を与えるのでしょう。今回の新人賞候補の中の他の作品と比べても圧巻であることは間違いありません。

                      不都合があって、表彰式に行けなかった私に代わって参加してくれた北川美美さんが「ちょっとかないませんよ」といって作品集を送ってくれたのですが、読んでみて確かにその気持ちはよく分かるところでした。

                      私はどこで書いたのか忘れてしまいましたが、若い世代もすでに第1世代の神野紗希・佐藤文香世代から第2世代の西村麒麟・堀下翔世代に移行しており、大きく変わっているのではないかという気がしていると述べました(本当は第0世代で関悦史がいる筈ですが)。その意味では、西村麒麟・堀下翔などは既に『新撰21』を超えている作家たちではないかと思います。『新撰21』を編んだ時に、高山れおなは「若手の先頭集団を総浚えにしてインパクトのある本を作ることに主眼を置いていた」といっていましたが、私ははたしてそうかな?早晩『新撰21』は乗り越えられる対象になるのではないかと思っていました。だからこそ続編の『超新撰21』が必要であったと考えたのです、決して『新撰21』は単独では完結しないのですから。残念ながら同じ趣旨の『新撰21 パート3』は出ませんでしたが(世代を限定し、自選する、ギラギラとした選集というコンセプトのシリーズは後続しなかったということです)、みなの意識は常にそういうものがあるという考えに向いたのではないかと思います。当時『新撰21』『超新撰21』にも選ばれず、多くの若手は鬱屈した思いであったと西村麒麟は私に語っていましたが、そうした思いがあったからこそ『新撰21』を乗り越える作家も生まれたのではないかと思ったのです。

                      堀下作品に対する感想はこれくらいにしておきましょう。問題は作品と堀下さんの俳句に対する考え方の関係です。これらの作品はどう見ても堀下さんの言う「(狭義の)文学」というより、その1センチ外側にある作品ではないかと思えます。短いコメントですが、岸本尚毅もその点に共感して選んでいるように思われます。決して「(狭義の)文学」にへばりついていてはこんな作品が生まれるわけはないはずです。

                      これは決して、堀下さんの言っている言葉と作品の矛盾をあげつらって批判しているわけではありません。作家は理論で作品を作ることはできません。すぐれた作品のあとから、後追いで理論が生まれて来るものでしょう。では堀下さんの俳句文学論が間違っているのかと言えば、むしろ創作に当たっての理論は一種の「気合い」であると思っています。「俳句は文学である」という気合いがなくては作品に魂は籠らないでしょう。子規や虚子もそうでした。兜太が俳句造型論をわめいたのもそうした理由でありました。堀下さんが「俳句は文学である」といって、(私からすれば実は文学の1センチ外側で)作品を生み出してもらうことは非常に結構だと思います。それは矛盾ではないのですから。

                      ただ止めてほしいのは、桑原武夫や「俳句表現史」を主張する人々のように、これは文学(狭義の)ではないという教条主義的な主張から、さまざまな作り方のある俳句に偏狭な差別を導入してはほしくないと言うことなのです。堀下さんの場合はそういう心配はないと思いますが、少なくともそうした人々に便乗されることは十分注意すべきでしょう。差別に荷担することになるからです。かつて、小野裕三氏が「前衛は死んだ」と言うことを言っていました、気持ちはよく解るもののその発言は政治的に利用されやすいことは心配でした(じじつ、俳人協会の一部有志は、無季俳句は「俳句のようなもの」であり、厳密には「俳句」とは言えないから教科書には採用しないようにと教科書会社に申し入れを行っています。もちろん無季と前衛は違うものですが、無季俳句を排斥する過程で「もはや前衛は過去のものだ」という利用のされ方はありそうです)。「冷たい情熱」というのはそういう意味合いも含まれていると思ってください。情熱は必要です。

                      4.教養

                      ●余計なことを一言。教養という言葉で思い出すのは、角川書店で数年前新しい俳句講座を企画した時のことです。俳文学に関する広範な講座、それも研究者から実作者までを対象としたものを作りたいという相談を受けて、宮脇真彦、谷地快一、片山由美子の3人と1年間にわたり企画の議論を繰り返し、テーマ、執筆担当を決めました。戦前の改造社の10巻シリーズ以来戦後しばらくまでこうした講座はよく出たものでした。懐かしい活字文化の時代の産物であったといえるでしょう。今の出版状況から見ると、角川のそれは、現在にまで至る最後のそうした企画となったのではなかったかと思います。こうしてすべてがゆっくりと、しかし順調に進んだ後、問題はこの講座の名称をどうするかになりました。幾つか案が出、私はふと中学時代に読んだ筑摩書房の『教養全集』を思い出して『俳句教養講座』と提案したのですが、他の三人から猛烈な反対を受けました。特に大学人からすると、戦後の大学改革の中で出来た教養部・教養学部のイメージからして教養は全くネガティブなものでしかなかったかと思いました。私自身固執するものではありませんでしたが、最後に、議論した候補をあげて角川学芸出版の社長の判断を仰いだところ『俳句教養講座』に決まってしまったのには驚きました。これは角川書店としても――私と同様――「教養」という郷愁ある言葉にまだ一抹、ジャーナリスティックな価値を認めていたためであろうと思います、しかしその後はそれも消えてしまっていることでしょう。だから私なりに考えるともっと中性的な言葉で、例えば<俳句「中級」講座>が内容からしてよかったのかもしれないと思っています。今回、「教養」という言葉を使ってから、こんなことを思い出して苦笑いしています。参考までに教養講座の内容を。

                      『俳句教養講座第1巻――俳句を作る方法・読む方法――』平成21年11月刊
                      『俳句教養講座第2巻――俳句の詩学・美学――』同上
                      『俳句教養講座第3巻――俳句の広がり――』同上

                      ちなみに、『俳句教養講座』を使って俳句が上達したという人の例をまだ一人も知りません。



                      【特別連載】 追悼句篇 その1 -戦後俳句作家の最晩年 ー /  堀本 吟


                                                             
                       
                       二〇一五年二月から五月にかけて、私の俳句人生に大きな意味をもった関西在住の戦後俳句作家、和田悟朗氏、津田清子氏の逝去があった。故榎本冬一郎を介して両者に浅からぬ俳縁のある藤井冨美子氏の『藤井冨美子全句集』が昨年十二月に刊行され、その記念祝賀会が悟朗の忌明けのころにあった。

                       大先輩が亡くなられた時には、一般的には儀礼としての追悼事業をするものだが、実は追悼句とか忌日の俳句はどういったらいいのかはわからない。誰彼の句を読んでみてもこれらもひとつの誹諧的芸なのだと思うこともある。一俳句者としての私には、攝津幸彦の場合と同じく、この人たちとこういう関わりがあったが故にこうなった、というような表現活動の個人的な思いが先に迫ってくる。そして、いくばくかの思い出をのこしてくださったことどもについて、愛惜の感慨を「句」にしてきた。こういう句に上手下手はないのだろう、とも思う。今回もそこから始めることにする。

                       そして次回からは、散文の形式によって、同時代の後輩として、この人たちが残した表現の思想にすこしでも切り込んでおきたい。
                       
                      A 《 和田悟朗という謎 》
                      2015/2/23逝去、2/25葬儀

                      危篤とは知らぬ句会の空席二月
                      梅の国の道いりくんでおのずから
                       近畿大学奈良病院が終焉の場所
                      病院は山の中にて風車
                      遺影抱く人に間近き蝶の息
                      焦点を遠くにおいて目が笑う
                      諸葛菜世間を離れたきことも
                      つばくらめ手紙の中で叱られし
                      先生とくんちゃんさんしあたたかし
                      先生や春の塵めく霊柩車
                      微風来る悟朗先生さようなら

                      B 《 津田清子という謎 》
                       2015/5/5逝去、5/8葬儀 

                       芭蕉句碑のある暗峠を共に越えた日。無住のお堂に腰掛け荘子の話を聞く。
                      黄落のしきりしきりに荘子聴く
                       会ひ別るくらがり峠霧峠 清子
                      老少女鳥の眸をして見返れり
                       「関西戦後俳句聞き語りの会」は阪神淡路大震災の年1995年4月29日に開催、女史の協力もあり 
                       100名.和田悟朗、鈴木六林男、藤井冨美子、他当時の「圭」「花曜」「群蜂」同人、川柳人等多数参加。
                      花峠はるばる超えて津田清子
                       ともに紫香楽宮跡に満月を見に行ったとき。
                      木津川や月のかけらをひと括り
                       老人養護ホームにはいられた津田さんをときどきお見舞いに行った。筆談が多かったが、 とても楽しい時間 
                       だった。道々に作ったメモをお見せしたらゆっくり読んで遠慮なく添削された。話の合間に一句出来上がる。以下、既発 表も含む。
                       昨年の母の日に、カーネーションをもちゆき、けっきょく共同製作となった 
                      母の日にあげるかわいいカーネーション(初案) 
                      母の日にぴんくのかーねーしょんあげる
                      母の日に赤いカーネーションあげる
                      ↓ 母の日といえば「赤いカーネーション」だったのだろう。今年、間に合わなかった。
                      母の日にまっ赤なカーネーションもらう(完成体。清子添削句)
                       「俳句にならないものを取り合わせること」と。「見えるものだけで詠むと狭くなる」と。
                       「アンタの俳句はかなり変わってるね」といわれた。
                      わたしはワタシ黒き揚羽の随きくるも
                      屋上の風に抗ひひるがお咲く(原句・屋上にひるがおそっと花ふたつ)
                      ひめじょおん無職の腕に摘み剰す(原句・ひめじょおんいっぱい摘んで無職なり)
                      母の日の子犬優しき糞をして(原句・母の日に子犬かわいい糞をする)
                      奈良の街周囲の山も昼寝どき(原句・奈良の街若草山も昼寝する)
                      つばめ翔ぶ翔ぶときなにも思はずや(原句のまま)。 
                      津田さんは大正8年6月25日に生を受けた。この句はそのまま合格。
                      梅雨空に青空見ゆる誕生日
                       紫陽花剪るなほ美(は)しきものあらば剪る 清子
                      シャキシャキも女盛りも濃紫陽花
                       砂漠の木百里四方に友は無し 清子
                      砂漠の木生きとし生ける津田清子
                       絶筆  もっとゆっくり歩こうと羊が言いました・津田清子。 (旧「圭」同人との新年句会) 
                       絶筆  ひとときの太古の焔お水取り 和田悟朗。(「風来」二十号)
                      悟朗逝き津田清子逝き春が逝く

                      C  《藤井冨美子という謎 》『・・全句集』刊行を記念して

                        2014/12/藤井冨美子全句集刊行、12/24 冨美子生駒和田邸へ表敬訪問
                        2015/4/16 刊行記念祝賀会  於和歌山・吟行・句会

                        (序文を書いた故和田悟朗氏へ)
                      黙祷のひととき薔薇の色きわむ   
                       水清し花びら清し母の膝 藤井冨美子句碑(和歌山市・慈光円福院境内)
                      流れつつ膝がしらとも花びらとも
                      美しき藤や市井の冨の外(ほか)(祝句)
                      南海の春に言挙ぐ全句集(祝句)
                        和歌山港魚市場。故榎本冬一郎がよくここに来て漁師と話をしていたそうだ。
                         加太淡島神社境内句碑
                           明るさに顔耐えている流し雛 榎本冬一郎
                      雛流すための桟橋加太の海
                      遅桜冬一郎碑あるからは
                      碑は独り立つ緑陰に弟子も孤人
                      戦前に迫る戦後や養花天
                       和田悟朗「序文]の結びに
                      青高野「藤井冨美子の長寿を」とぞ  



                             

                      れんあい、のようなもの。-川上弘美『句集 機嫌のいい犬』における〈恋愛〉-  柳本々々



                       俺、ときどき思うんだけど、恋愛をするという行為は、人が一杯いる中で二人きりになろうとする行為じゃない? だから、恋愛は良いことなんだけど、もっと大きな目で見れば、ほとんど2人で破滅しようという行為に近いなと思って。絶対、その2人だけでは成立しないものが生まれてくる。「そのことを知っていて尚、なぜ人は恋愛をするのか?」というのを考えることがある。 
                      そうすると、恋愛は良いこととばかりも言えなくて、わかっていながらそこに入り込む、破滅に向かう運動だという感じがあるんですよ。   岩松了「対談:岩松了×若手写真家 第1回●中村紋子/世間に対してどう立ち向かっていくか?」2009/10/13)

                       失敗において表現されることにこそ、むしろ、主体の真実がある。…本気のラブレターの文体は、常にどこか乱れている。
                        (大澤真幸『夢よりも深い覚醒へ-3・11後の哲学』岩波新書、2012年、p.235)

                       恋愛の如(ごと)く吾(わ)が子と抱(いだ)きあふ  川上弘美 

                        (川上弘美『句集 機嫌のいい犬』集英社、2010年)


                      〈恋愛〉の〈ように〉じぶんの子と抱き合っています。

                      それは〈恋愛のようなもの〉ではあるけれど、決して〈恋愛〉ではない。この句における「如く」が、その歴然とした〈隔たり〉になっています。

                      「吾が子」なので、〈恋愛〉はできない。けれども、その〈ように〉抱きあっている。

                      この〈恋愛の(ような)抱擁〉は、川上弘美のデビュー作『神様』においても、とても印象的に描かれています。

                       「抱擁を交わしていただけますか」
                       くまは言った。
                       「親しい人と別れるときの故郷の習慣なのです。もしお嫌ならもちろんいいのですが」
                       わたしは承知した。
                       くまは一歩前に出ると、両腕を大きく広げ、その腕をわたしの肩にまわし、頬をわたしの頬にこすりつけた。くまの匂いがする。反対の頬も同じようにこすりつけると、もう一度腕に力を入れてわたしの肩を抱いた。思ったよりもくまの体は冷たかった。
                       
                        (川上弘美「神様」『神様』中公文庫、2001年、p.17)

                       くまは傘を地面に放り、体でわたしを包みこむようにして地面にうずくまった。……
                       「怖くないですか」くまが静かな声で聞いた。……
                       こわい、とわたしは思った。かみなりも、くまも、こわかった。くまはわたしのいることをすっかり忘れたように、神々しいような様子で、獣の声をあげつづけた。
                       
                        (川上弘美「草上の朝食」『神様』中公文庫、2001年、p.186-7)

                      「わたし」は「くま」と身体的に接触するたびに、「思ったよりもくまの体は冷たかった」や「こわい、とわたしは思った」のように、「わたし」がふだん感じている「くま」への〈親愛〉の情が身体をとおしての思いがけない〈違和=異和〉としてずれてしまう。

                      松本和也さんがこの「神様」についてこんなふうに指摘をしています。

                       つまり「神様」とは、露骨な差別の視線・言葉をも抱えこみ、その上で類を異にする他者同士──「わたし」と「くま」のコミュニケーションの可否を問うた、その意味で実に問題含みの小説でもあるのだ。あわせて、類を異にするものとしてまなざされる「くま」の潜在的な危険性や、「くま」と散歩に出て抱擁まで交わす「わたし」のコミュニケーションへの勇気も同時に読みとっておくべきだろう。
                        (松本和也「川上弘美の出発/現在」『川上弘美を読む』水声社、2013年、p.28)

                      ここにあるのは「親しい人」である「くま」との〈抱擁〉という身体的コンタクトでありつつ(「類」)、それがあたかも〈恋愛〉のベクトルを向きながらも、しかし〈恋愛〉化できない〈恋愛のようなもの〉としてのズレ(「異」)だとおもうんです。

                      〈恋愛〉になろうとしたしゅんかん、〈恋愛〉ではなく、〈恋愛のようなもの〉がたちあがってくる。おおいなる〈如く〉としての〈ようなもの〉。

                      たとえば川上さんのこんな句。

                       接吻(せつぷん)や冬満月の大(おほ)きこと  川上弘美

                      ここで「接吻」の〈隔たり〉としてあらわれてくるのが、大きい冬の満月ではないかとおもうんですね。かんたんにいえば、キスに集中してないわけです。ここでもキスをしているから形式的には恋愛をしているんだけれども、キスに集中していない点においてそれはやはり〈恋愛のようなもの〉になってしまう。〈接吻〉は「ようなもの」にしかなれず、〈中断〉されてしまう。接吻、のようなものとして。

                       メザキさんが両手で頬をつかみ、真剣に接吻してきた。
                       メザキさんたら。接吻の最中に言った。…メザキさんはすぐにこちらの顔をひき寄せなおし、接吻をつづけた。やたらに強く吸ってきた。…サクラさん。すきだ。メザキさんが真剣な調子で言った。ほんとかなあ、ほんとなの。聞くと、メザキさんは接吻をやめて頭をかかえた。両手に顔をうずめるようにした。…頭をかかえる姿勢のまま、メザキさんは眠っていた。
                        (川上弘美「さやさや」『溺レる』文春文庫、2002年、p.20)

                      この川上弘美の短編における〈接吻〉も「真剣」にもかかわらず、二回も頓挫=中断がはいります。しかも「すき」かどうか、〈恋愛〉かどうか、という「ほんと」を問うたがために。〈恋愛〉が〈恋愛のようなもの〉に接ぎ木される。

                      ところで、「抱きあふ」や「接吻」は〈恋愛〉というコードを誘うものですが、たとえば、「目の中」を「舐め」るという行為なら、〈恋愛のようなもの〉ではなく、〈恋愛〉になっているのではないかと思わせる句もあります。

                       舐めてとる目の中の塵近松忌  川上弘美

                      近松門左衛門といえば、〈心中〉です。

                       (近松門左衛門『曾根崎心中』は)「世話事の最初」とあるのに読者の注意をお願いした。「世話」とは「世間話」のことである。新聞で言えば三面記事、あるいはゴシップ。殺人とか盗みとか放火、不倫や心中などである。そういうものを題材にした芝居は、世話事とか世話物、それが浄瑠璃なら世話浄瑠璃と言う。
                       ところが浄瑠璃は、元来そういうなまなましいニュース種などは題材にしてこなかった。浄瑠璃が扱うのは、浄瑠璃姫と牛若丸の恋だとか、平家の残党景清の奮闘とか、歴史や伝説の世界であった。……
                      近松は、浄瑠璃の世界に、心中というなまな現実を持ちこんだ
                        (松平進『近松に親しむ』和泉書院、2001年、p.83)

                      この句が〈恋愛〉かどうかはわかりません。近松門左衛門には、死に場所まで歩むお初と徳兵衛の〈道程(プロセス)〉を描いた浄瑠璃作品『曾根崎心中』がありますが、〈心中〉を彷彿とさせる「近松忌」、 鈴木清順の映画『ツィゴイネルワイゼン』でも観られたような〈舌〉と〈目〉という粘膜同士のつきあわせによる〈合一〉、しかし塵をとるために舌で目を舐めるという倒錯的な行為によって可傷性がうまれ、リスキーな〈死〉の香りもします。

                      ただこの句には〈ためらい〉は、ない。〈如く〉や〈満月への視線変更〉などの〈転位〉はない。『曾根崎心中』のラストのふたりの心中の場面、「二三度ひらめく剣の刃、あっとばかりに喉笛に、ぐっと通るか「なむあみだ、なむあみだ、なむあみだぶつ」」のように心臓にナイフをつきたてるように、舌を目にさしこんでいる。〈恋愛のようなもの〉というぼんやり感はありません。〈のようなもの〉になりきれないものであれば、かえって〈恋愛〉のようになってしまうという逆説。

                      もちろん、この近松忌の句が〈恋愛〉句であるといいきることはできないし、いいきることに意味もないのだと思うのですが、大事なことは〈合一〉は、恋愛の枠組みがなければためらいがなくなるのではないか、ということなのだと思うのです。

                      川上弘美の句において、〈恋愛〉をしようとすれば、それは〈のような恋愛〉ではなく、〈恋愛のような〉になってゆくということ。

                      ひとは、子は、くまは、〈のような恋愛〉をへて、いったい《どこ》へゆくのか。

                      じっさい、『神様』のラストでわたしはくまに手紙を書いたものの、投函できませんでした。これもひとつの〈手紙のような〉=〈恋愛のような〉です。

                       何回書き直しても、くまのようなきちんとした手紙にならなかった。最後まで名前のないくまだったと思いながら、宛先が空白になっている封筒に返事をたたんで入れ、切手をきちんと貼り、裏に自分の名前と住所を書いてから、机の奥にしまった。
                       寝床で、眠りに入る前に熊の神様にお祈りをした。人の神様にも少しお祈りをした。ずっと机の奥にしまわれているだろうくま宛の手紙のことを思いながら、深い眠りに入っていった。
                        (川上弘美「草上の朝食」『神様』中公文庫、2001年、p.192-3)

                      「手紙」ではなく、「手紙のようなもの」にしかなれなかった〈手紙〉。「あるようなないような」はっきりしない〈恋愛のようなもの〉をわたしたちがしているのだとしたら、どうしたら、いいのか。

                      川上弘美の小説においては〈恋愛〉はあいまいもことしたふかしぎなものです。

                      しかし、思い起こしてみれば、つねに〈食べ物〉だけは《固有名》として〈はっきり〉力強く・おいしそうに提示されてきました。

                       草原の真ん中あたりまで行くと、くまはバスケットの中から敷物を取り出して広げた。……
                       鮭のソテーオランデーズソースかけ。なすとズッキーニのフライ。いんげんのアンチョビあえ。赤ピーマンのロースト。ニョッキ。ペンネのカリフラワーソース。いちごのバルサミコ酢かけ。ラム酒のケーキ。オープンアップルパイ。バスケットから取り出して並べながら、くまはひとつひとつの料理の名前を言っていった。
                      しゃれてるね、と言うと、くまはちょっと横を向き、おほんと咳払いした。
                       
                        (川上弘美「草上の朝食」『神様』中公文庫、2001年、p.178)

                       うまい蝦蛄(しゃこ)食いにいきましょうとメザキさんに言われて、ついていった。
                       えびみたいな虫みたいな色も冴えない、そういう食べ物だと思っていたが、連れていかれた店の蝦蛄がめっぽう美味だった。殻のついたままの蝦蛄をさっとゆがいて、殻つきのまま供す。熱い熱いと言いながら殻を剥いて、ほの甘い身を醤油もつけずに食べる。それで、というのでもないが、時間をすごした。帰れなくなった。……
                       しょうことなく、メザキさんと並んで、いくら行っても太くもならないし細くもならなら道を、長く歩いた。
                        (川上弘美「さやさや」『溺レる』文春文庫、2002年、p.9-10)

                      川上弘美の小説では、〈食べ物〉がにんげんやにんげんのようなものたちを〈恋愛のようなもの〉を超えて〈媒介〉するのです。

                      だから、「はつきりしない人」に出逢ったときは、どうすればいいのかとこの句集でちゃんと示されています。それは、

                       はつきりしない人ね茄子投げるわよ  川上弘美

                       愛は、関係の中で最も単純な関係についての、つまり差異についての体験である。そして、その最も単純な関係とは、それ自身、関係の不可能性──相互に架橋しうる場をもたない絶対の差異──なのである。要するに、恋愛は、自らの不可能性というかたちでしか存在しえないのだ。 
                        (大澤真幸「「これは愛じゃない」」『恋愛の不可能性について』ちくま学芸文庫、2005年、p.26)

                       「熊の神様はね、熊に似たものですよ」くまは少しずつ目を閉じながら答えた。
                       なるほど。
                       「人の神様は人に似たものでしょう」
                       そうね。
                       「人と熊は違うものなんですね」目を閉じきると、くまはそっと言った。
                       違うのね、きっと。くまの吠える声を思い出しながら、わたしもそっと言った。
                       「故郷に帰ったら、手紙書きます」くまはやわらかく目を閉じたまま、わたしの背をぽんぽんと叩いた。
                       書いてね。待ってる。
                       それ以上何も言わずに、くまとわたしは草原に立っていた。……
                       くまはこのたびは抱擁しなかった。わずかに離れて並んだまま、くまとわたしはずっと夕日を眺めていた。
                       
                       (川上弘美「草上の朝食」『神様』中公文庫、2001年、p.187-9)

                      【時評】極私的な「読み」の意志 ―堀切実の「高柳重信」論から考える― /外山一機



                       『連歌俳諧研究』(俳文学会、二〇一五・三)に堀切実が「『多行形式俳句』という挑戦―高柳重信論―」を寄稿している。俳文学者が真っ向から高柳重信を論じるのは珍しいことだ。金子兜太はこの論考にふれ「小生も俳句とは別の多行詩と受取っている」と自らの共感するところを述べたが(「高柳重信のこと」『俳句』二〇一五・六)、高柳の多行形式が「俳句とは別の多行詩」であるという点について、堀切自身は次のように書いている。

                       高柳重信が、近代の「写生」主義俳句を超克して、「暗喩」による心象の造型表現をねらって考案した「多行形式」俳句は、近代俳句史上に燦然として異彩を放ち続ける一つの偉業であり、今日からみても、その詩的世界の魅力は十分に感じられる。けれども、伝統俳句の発展的な継承という視点からみると、それは、高柳が意識の中で一つの範とした連句的世界の豊饒さとは無縁のままで終わってしまっただけでなく、その基本となる発句(俳句)の表現構造とも明らかに別種なものとなったのであった。

                       多行形式を「発句(俳句)」とは異なるものであると述べる堀切と、それに同意する金子と、この両者の意図するところを安易に同一視することはできまい。だがここではその問題はひとまずおいて、僕自身の抱いた違和感―それも妙に感傷的な思いを伴った違和感―を記しておきたい。

                       僕は堀切の高柳論が大きく間違っているとは思わない。むしろ、高柳には発句に対する誤解があったのではないかという指摘、さらにはその誤解や「切れ」の機能といった観点から、高柳の「多行形式」俳句の可能性のみならずその限界にまで踏み込んで論じた本論考は興味深いものであった。にもかかわらず、堀切の論考から想起される「高柳重信」像に対する違和感をどうしても拭いさることができなかったのはなぜだろう。この論考はたしかに理に適っている。けれどもどうやら、僕がみずからのうちに「高柳重信」の像を結ぼうとするとき、それはもう少し理に適わない、そしてもう少しナイーブな方法で行われていたようである。もっと言えば、堀切の「高柳重信」論を読んだ後の僕は、いまや、そのようなやり方でしか像を結びたくないような極私的な「読み」の意志が僕のうちに働いていたのを認めないわけにはいかなくなってしまった。だから僕は何かひどく正しいものに気圧されたような、悲しい気持ちでこの論考を読み終えたのであった。もとよりそうした僕の個人的な感情に基づくどのような発言もこの論考に対する真っ当な批評たりうるはずがない。だが、真っ当な論理で展開された堀切の「高柳重信」論に対して悲しくなってしまうという事態を招いたものは、そのような僕の極私的な「読み」とそこから立ち上がる僕なりの―「論」というにはあまりにナイーブな―「高柳重信」論なのであった。

                       たとえば堀切は、高柳が「『暗喩』という方法によって表現すべきもの」として「子規以降の近代俳句が失った連句的な豊饒な詩の思想」を見据えていたとする。そしてこれを「執拗に言及している」例として高柳の「俳句形式における前衛と正統」を引きながら、次のように述べている。

                      要するに、子規の提唱によって新しく誕生すべき俳句は、脇以下の豊饒な付合の世界から独立するがゆえに、その豊饒な世界の内実をも吸収した詩でなければならないという一種の仮説である。それは「未知なる前途」への挑戦と聞こえてくる。(略)
                      つまり、子規のめざしたものだと高柳が推測する新しい俳句は、ほとんど未だ「幻の俳句」に終ってしまっているのであり、もし、これがほんとうに実現されるなら、そこに〝前衛〟にして〝正統〟な俳句の道筋がつけられるということになるというのである。

                      堀切はさらに、高柳がこれと同趣旨のことを述べている例として「自作ノート」(『現代俳句全集』第三巻、立風書房、一九七七)を挙げている。堀切が想定していたのはおそらく「自作ノート」の次の箇所であろう。

                       その頃の僕が俳句形式について必死に考えていたのは、連句の冒頭を占める発句を、そのまま俳句に引き写しにすることからの脱却であった。これは、明治以降の俳人が、連句形式の脇句以下を切り捨て、発句を完全に独立せしめる道を選んだときから、俳句形式はまったく新しい性格の詩型となったという認識を、いっそう深めてゆこうとするものであった。連句の脇句以下を断念することで新しく成立した俳句形式は、当然ながら、その断念の意義を絶えず反芻しなければ、たちまち堕落の淵に沈んでしまう危険を伴っていた。また、その断念の意義を反芻するということは、その認識を不断に更新しようとする強靭な意志の現われでなければならなかった。これを別の言葉で言えば、俳句形式を一貫して方法的に追求しようとすることであった。

                       ここで高柳は「明治以降の俳人が、連句形式の脇句以下を切り捨て、発句を完全に独立せしめる道を選んだときから、俳句形式はまったく新しい性格の詩型となったという認識を、いっそう深めてゆこうとするものであった」と述べているが、この種の認識について堀切は「子規の時代には(略)連句からすっかり切り離された発句の独立性は、もはや自明のことなのであった」と指摘する。そのうえで、「子規の俳句革新を特別視する高柳の思い込みが働きすぎている」として、次のようにいう。

                      子規によって提唱された近代俳句の出発点に、連句の世界の有していた豊饒さをそのまま享受してゆこうとする姿勢を見届けようとする高柳重信の発言―そこから導かれる〝未知の俳句〟とか〝幻の俳句〟への期待には、そうした意味で本質的に無理があったとみられる。またその延長線上に出現した高柳自身の「多行形式俳句」にしても、連句的世界の豊饒さを背負うには、あまりにも荷が重すぎるものであったろう。少数の賛同者は得たものの、高柳の同時代の一般俳人たちが抵抗なく入ってゆける表現形式ではなかったのであり、高柳以後、大きく発展的に継承されることにならなかったのも止むを得なかったことであろう。

                      なるほど、その通りかもしれない。だが、それならばなぜ、高柳はその「無理」を押し通したのだろうか。そして、その理由を高柳の無知にのみ見てよいものだろうか。
                      先の引用部分のなかで高柳は「その頃の僕が俳句形式について必死に考えていたのは、連句の冒頭を占める発句を、そのまま俳句に引き写しにすることからの脱却であった」とも述べている。思えば、僕にとってより切実な「高柳重信」とは、むしろこの直前の部分に記された「その頃」の記述にこそ宿るものなのであった。

                       『前略十年』の後半から『蕗子』にかけては、あの悲劇的な大戦の激化と、それに続く敗戦、そして戦後の混乱期が、そのまま該当する。その間の僕は、しばしば病床で死に顔していたが、いささかの生き心地を覚えるのは、たまたま俳句形式について考えている時間だけであることに、いつしか気がつくのであった。戦争が終り、とりあえず多くの青年たちが、その生死を切実に思うことから解放され、たとえ困難は多くとも将来に向かってそれぞれの設計を立てはじめる頃になっても、なお僕の明日という日は、いまだに暗澹たる闇の彼方にあって、それが果たして来るかどうかさえ覚束なかったのである。
                       おそらく、僕は、そういう状況の中で、みずからの切実な表現としての俳句形式を、はっきりと意識的に選んだのではないかと思う。

                      断念の意義を反芻するということは、その認識を不断に更新しようとする強靭な意志の現われでなければならなかった」という高柳の言葉は、俳句形式に対してのみ発せられたものではない。それは、他の青年のように戦場に行くこともできず、戦後も明日を夢見ることなく「死に顔」をしていた生のなかで、何よりも己に対して厳しく発せられた言葉であったろう。したがって、「これは、明治以降の俳人が、連句形式の脇句以下を切り捨て、発句を完全に独立せしめる道を選んだときから、俳句形式はまったく新しい性格の詩型となったという認識を、いっそう深めてゆこうとするものであった」という言葉もまた、俳句形式についてのみ述べたものではあるまい。高柳にとって、俳句形式について思考するということは己の生について思考する行為と不即不離のものなのではなかったか。高柳の俳句形式論は高柳の生のありように裏打ちされたものであり、だから、高柳にとって俳句形式について語るということは、その都度自らを支える生への意志の強度を確かめていくような切実な行為であったのではあるまいか。とすれば、高柳が「無理」を押し通したのはごく自然な行きかたであったろうし、また、その「無理」は「無理」であるゆえに、いっそう美しいものとなるのである。そしてここにおいて、「子規の俳句革新を特別視する高柳の思い込み」はその美を支えるうえで欠くべからざる要件へと反転する。

                      堀切は「多行形式」を「高柳以後、大きく発展的に継承されることにならなかったのも止むを得なかった」と述べているが、それは堀切のいうように「〝未知の俳句〟とか〝幻の俳句〟への期待」に「本質的に無理があった」からではあるまい。むしろ、「本質的に無理があった」はずの「〝未知の俳句〟とか〝幻の俳句〟への期待」をそれでも押し通すほどの必然性を、高柳以後の書き手の多くが遂に持ち得なかったためではなかったか。

                       それにしても、「高柳重信」を読むとはいったいいかなる営みの謂であろうか。僕は、僕自身を含め、むやみに感情的で個人的な「高柳重信」論を他に押し付けようとする者を嫌悪するが、その一方で、そのような読みかたでしか読めないというような、きわめて私的で切実な読む行為の意味について顧みずにはいられない。たとえば『重信表―私版高柳重信年表』(俳句評論社、一九八〇)、『高柳重信散文集成』(全一七冊、夢幻航海社、一九九七~二〇〇二)をはじめ高柳に関する数々の資料編纂を行いつつ、高柳亡き後、現在もなお高柳重信研究誌ともいうべき『夢幻航海』の発行を続ける岩片仁次の尽忠などは、「高柳重信」を読むということがいかなることなのかを示唆するものであろう。

                       しかし、もし仮りに、俳句、乃至は、高柳重信が降霊し、集中に、これこそ、老いつつもいまだ少年なる岩片仁次の可憐なる一句であるということ、ひそかに呟くあらんか。高柳重信亡きいま、その降霊を呼ばんと、敢えて一文を草した次第である。

                       高柳の一七回忌の日付をもって上梓された岩片の第四句集『砂塵亭残闕』(夢幻航海社、一九九九)の序文である。この自序には「偽・大宮伯爵」なる署名が付されている。「大宮伯爵」とはむろん高柳重信の謂であろう。高柳の序文を得られなかったという不遇は、岩片においては「高柳重信」を「降霊」せしめ遂に「偽・大宮伯爵」の序文を得るという僥倖へと転じたのであった。同書にはまた高柳の句を踏まえた作品が散見されるが、「日本海軍・偽拾遺」なる作品を制作するほどの岩片にとって「高柳重信」を読む行為とは、自らの詠む行為と不可分のものなのだ。

                      そして僕たちは、岩片のこうした仕事がごく少数の者に対してのみ差し出されたものであることを忘れてはならないだろう。岩片の編著作はいずれもごく少部数の発行だが、ここには岩片の羞恥と諦念と哀しみがある。だが、自らの志を理解する者がごく少数であることを認めつつも、岩片がそれを自らの矜持となしてきたのもまた事実であろう。

                       あるいは高橋龍の場合はどうであろうか。たとえば高橋は高柳が編集長を務めた『俳句研究』の編集後記をまとめた『俳句の海で 『俳句研究』編集後記集』(ワイズ出版、一九九五)の上梓に尽力したが、同書巻末に次のように記している。

                       集成にはコピー機という便利な道具があるので、それを用いれば簡単なのだが、なぜか私は前時代的な筆写という方法にこだわったのだ。それは、筆写という体感によって、高柳さんの文体を学び、かつ、その時間に高柳さんとの対話ができると思ったからである。(「遂にの人生―「あとがき」に代えて」)

                       そういえば岩片も高柳の文章を公立図書館で発見した際、それを二日間にわたって筆写した、と記している(「少年探偵団 ―高柳重信散文集成散らしがき」『日本古書通信』二〇〇九・一一)。この辺りの個人的な思い入れは、僕や他の人間が口をはさめる類のものではあるまい。彼らはこのように極私的な営みとして「高柳重信」を読み、自らの「高柳重信」を育んでいったのである。それはやや異様な光景であって、だからこそ僕はこうした営みをひどく嫌悪もし、同時に敬せずにはいられないのである。むろん彼らの思い入れは独善といえば独善である。しかしその独善が、「高柳重信」への尽忠にとどまらず、ときに俳句形式への尽忠にまで突き抜けていくことがあるのを、いまの僕は心に留めておきたい気がしている。

                      【追悼】澤田和弥を悼む~多面性と屈折感 /竹内宗一郎



                      句会場に少し遅れて到着した主宰が「澤田和弥君が亡くなったよ」と口に出したとき、耳を疑った。筆者以外も皆そうであったようで、一瞬はっと無言のまま互いに目を合わせた後、全員の視線が宙を泳ぎ、次の瞬間、会場は真っ白になった。

                      ちょうどその日その直前に、「最近、和弥の投句がないね」「和弥の句がないと物足りないね」「どうしているかね」などと話をしていたところだったのだ。

                       澤田和弥は、平成18年に天為に入会、平成22年に同人となり25年には、新人賞を受賞した。筆者が彼と初めて会ったのは、彼が入会した翌年の平成19年5月に開催された天為200号記念式典だったと思う。そう昔のことではない。脚の具合が悪く車椅子を利用している有馬ひろこ副主宰のその車椅子を押している、人の良さそうな青年が彼だった。髪を短くして、童顔でぽっちゃりとした感じ、それでいててきぱきと動く好青年の印象が残っている。ぺこっと頭を下げ「どうも浜松の澤田和弥です」と挨拶された。

                       昨年1月には、彼から吟行の誘いがあって出かけた。場所は茅ヶ崎。彼と交友関係のあるメンバーで構成された句会で、超結社の豪華なメンバーが集まった。

                      事前にどんな人が集まるのかメールで問い合わせたところ「宗一郎さんの好きな女子大生、独身女性、若妻も各々数名ずつ来ます」と返信があって苦笑した。もちろんその句座の中心は彼だ。彼は、結社にとどまらず極めて顔が広く、その幅広い交友関係の中で、いつも中心的な存在だった。
                       また、同じく昨年の8月に、武州御岳山で開催された天為の鍛錬句会にも彼は元気に参加していて、よく話をした。筆者は運営側のスタッフとして参加したが、彼はスタッフでもないのに書類のコピーなど一緒に手伝ってくれた。明るいキャラクターの彼だが、会場の御師の宿の二階から覗くと雨の中、玄関の前で寂しそうな表情で空を見ている彼に気が付いて、おやっと思ったことがあった。

                      澤田和弥作品 第一句集「革命前夜」(平成二十五年邑書林)より

                      このなかにちりめんじやこの孤児がをり 
                      プール嫌ひ先生嫌ひみんな嫌ひ

                       これらの句には、彼の感受性、それもどちらかと言えば鬱屈感が垣間見える。後でみる屈折に繋がる思いだ。

                      時の日や寿司屋一代限りとす
                      この句は師の有馬朗人が「家業を継がないことへのコンプレックス」と書いている。彼の実家はお寿司屋さんである。

                      味噌汁の味噌沈みゆく余寒かな 
                      号泣の親の肩抱く卒業子 
                      冷麦のあとの単なる氷水
                      おおらかな詠みっぷりだが、実によく見ている、鋭い目を持った写生句だ。皆の目にも入っているのに見ていないところをズバッと切り取る。

                      咲かぬといふ手もあつただらうに遅桜 
                      蟷螂の鎌振り上げて何も切らず
                      これらの句からは、擬人化の中にユーモアが感じられる。でも真面目な視座だ。

                      松茸をマッシュルームと呼ぶカナダ 
                      長き夜の店主べろべろにて閉店
                      このあたりは、あっけらかんとしたユーモアあふれる句。

                      風船を割る次を割る次を割る 
                      羽蟻潰すかたち失ひても潰す
                      これは、どうだろう。相当な屈折感である。筆者が特に着目したのはこの屈折感である。

                       師である有馬朗人は、「革命前夜」という句集名を「青年らしい大きな意欲がこめられている」と書いた。一方で、出版当初、評者からは、内容がタイトルに負けているのではないかというような指摘があったことを思い出す。筆者自身、その指摘は当たっている部分もあると思っていた。それは、自分自身の思いをねじ込む野心的な作品はある一方で、配慮を欠かすことのできない彼の心優しく繊細な面が全体を覆っているからであり、また、失敗を恐れぬ実験句が結局成功しなかったような句も混在しているからなのだ。しかし、一貫性よりも多面性こそが彼の句の特徴であり、また最大の魅力なのである。

                       人間と言うのは多かれ少なかれ様々な面を持ち合わせている、多面的な存在である。その中で彼の多面性は異彩を放っていた。それは、鋭いまなざしを一つの面に持ち、ユーモアが別の面を構成し、また感受性豊かな心が別の面を見せ、優しさと他人への配慮がまた別の面を見せる。加えて、内部の屈折感がダイヤモンドのようにそれら多面を輝かせているのだ。

                      内部の屈折率が高いほど、その輝きは増すことになる。彼は、その兆しが顕著な原石だった。そういえばダイヤモンドの石言葉は、「永遠の絆・純潔・不屈」。澤田和弥は「革命前夜」のあとがきの中で「僕はもっと強くなりたい。十七音の詩型の中で、僕は僕であることを、そして今、ここに生きていることを表現していきたい。僕の句は僕自身にとって、常に奇跡でありたい」と書いた。

                      この「革命前夜」が上梓された時、筆者は、「親一匹蝌蚪万匹の反抗期」「風船を割る次を割る次を割る」「プール嫌ひ先生嫌ひみんな嫌ひ」「冷麦のあとの単なる氷水」などなど、とっても変で好きな句が沢山あります。誰にも似てない魅力的な和弥句をもっと読みたい…というようなことを葉書にしたためた。彼から直ぐに返事があり、「これからも宗一郎様を驚かせ続けるよう精進いたしたく」とあった。

                      そうなんだ、誰にも似ていない和弥俳句でこれからも驚かせ続けて欲しかったんだよ。こんなに急に亡くなってしまうなんてことで驚かせて欲しくはなかった。

                      もうあの無邪気な笑顔も時折見せた寂しそうな表情も、屈折多面奔放な作品も見ることはできない。どうにも無念。寂しすぎるぞ。


                      【執筆者紹介】


                      • 竹内宗一郎(たけうち・そういちろう)
                      「天為」同人 「街」同人・編集長

                       【時壇】 登頂回望その七十・七十一/ 網野 月を

                      その七十(朝日俳壇平成27年6月8日から)
                                               
                      ◆あだ名呼ぶいるかと泳ぐ離島の子 (埼玉県宮代町)酒井忠正

                      金子兜太の選である。上五の「あだ名呼ぶ」の主語は中七座五の「子」ということであろうか?子が呼び合っているのだ。子がいるかを「あだ名で呼ぶ」ならば、共に泳いでいるいるかに愛称を付けていると思えるのだが、やはり子同士があだ名で呼び合っているのだ。ということは、「子」とあるが複数を表している。

                      ◆夏霧や猫の体のをとがする (神戸市)豊原清明

                      金子兜太の選である。評には「十句目豊原氏。虚しく鋭い。」と記されている。不思議な句である。筆者は不勉強で猫の体からどのような音がするか知らないが、作者の体の何処からか猫と同じ音がするのだろう。作者の内に猫に変化した感覚があるのかも知れない。そうした雰囲気を上五の「夏霧や」で括っている。

                      ◆藻の花に振り込みし浮子動きけり (朝倉市)浅川走帆

                      長谷川櫂と大串章の共選である。大串章の評には「第一句。ひと揺らぎした浮子が水中に沈みだしたら釣竿を上げる。そのタイミングが難しい。」と記されている。繁茂する「藻の花」の内にも釣りの獲物が潜んでいたのだ。その驚きに気をとられた作者がいる。「浮子動きけり」はこの作者が見入ってしまって動けずにいる様子だ。獲物はその隙に逃げてしまって釣果は無かったろう。浮子は「動きけり」と言いながら、作者の固まって身じろぎできないでいる景を暗示している。

                      ◆人なくて夜の噴水音高し (長崎市)田中正和

                      長谷川櫂の選である。「人なくて」ということは、作者は何処にいるのだろう?上五の「人なくて」は作者以外の他人が何処にもいない、という句意であろうか。それとも「夜の噴水」を想望しての作句だろうか。

                      ◆草色を出てあぢさゐの始まりし (福知山市)宮本幸子

                      稲畑汀子の選である。紫陽花の花と思われるところは額であるという。額に囲まれて僅かに中心に咲いているのが花であるそうだ。その花と思われている額の部分が色づいてから、花が咲いたという意識が出てくるのが一般的だ。が作者はその額の部分が未だ色づく前の色合いへ思いを馳せている。「草色を出て」が新味である。



                      その七十一(朝日俳壇平成27年6月14日から)
                                                
                      ◆七十になつても末つ子金魚玉 (飯塚市)古野道子

                      長谷川櫂の選である。評には「一席。こればかりは仕方ない。弟さんをよんだ句らしいが、甘えん坊の感じ躍如。」と記されている。金魚玉を見ると弟さんを想い出すということなのか?弟さんは幼い頃に金魚を愛玩して金魚玉を欲しがったのかも知れない。評にある「甘えん坊」はそうした姉から弟さんへの視線を評した言葉である。筆者は大学時代の先輩へ「何時まで経っても後輩は後輩なんですよね!」と言ったことがある。先輩から見ればさぞ「甘えん坊」に見えたであろう。

                      中七には「なっても」「末っ子」と音的には二つの促音が連なっているが、掲句のような文字の表記を使用して文字的にはそれほど気にならなくなっている。

                      ◆サラリーマン劇画のやうにビール飲む (東京都)竹内宗一郎

                      大串章の選である。座五「ビール飲む」の述語に対して、上五の「サラリーマン」が主語なのであろうか。それとも作者自身が主語であり、「サラリーマン劇画」の主人公の島耕作のような飲み方を真似る、と言うことなのであろうか。つまり上五の後に切れが生じているかどうかが問題なのである。ハンフリー・ボガードを真似てシガレットを咥え喫煙することが流行した時代があった。憧れのスターを真似た仕草は流行ったのだ。一方でサラリーマンを主人公とした所謂「サラリーマン劇画」が存在する。

                      誰かがビールを飲んでいるのであって、然程、景が異なるわけではないのだが、主語が確定された方が俳句の場合には重要な気がする。

                      ◆夏が来ておつぱいの大きい子ニヤニヤ (新潟市) 駒形豊

                      金子兜太の選である。評には「十句目駒形氏。「ニヤニヤ」がよい。笑うでは野暮。」と記されている。将に「ニヤニヤ」なのだ。「おつぱいの大きい子」の心境は一言では言い尽くせないからである。「おつぱいの大きい」ことを自分のチャーミングポイントと思っていたり、逆に恥ずかしく思っていたりする場合がある。服の選択に迷っていたり、買って準備万端用意している服を着るチャンスが来たと喜んだりする。「ニヤニヤ」は、そうした曖昧な表情を表現する擬態語である。また幾つかの感情が混然としている表情を表現してもいる。「おつぱいの大き」さの基準こそ曖昧な気がするのだが。



                      2015年6月19日金曜日

                      第19号

                    • 6月の更新第20号6月26日




                    • 平成二十七年 俳句帖毎金00:00更新予定) 》読む

                      (6/12更新)花鳥篇特別版澤田和弥さん追善・その2

                      筑紫磐井・岡田由季・関悦史
                      北川美美・中山奈々・大井恒行

                      (6/12更新)特別版・澤田和弥さん追善・その1
                      …神谷波・曽根毅・真矢ひろみ・福永法弘・杉山久子
                      (6/5更新)花鳥篇、第六
                      …下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子・五島高資・真矢ひろみ
                      (5/28更新)花鳥篇、第五
                      …水岩瞳・小林かんな・神谷波・田中葉月・福田葉子・羽村 美和子
                      (5/22更新)花鳥篇、第四
                      …小野裕三・早瀬恵子・浅沼・璞・林雅樹・網野月を・佐藤りえ
                      (5/15更新)花鳥篇、第三
                      …東影喜子・ふけとしこ・望月士郎・堀本 吟・山本敏倖・仲寒蟬
                      (5/8更新)花鳥篇、第二
                      …関根かな・中村猛虎・山田露結・夏木 久・坂間恒子・堀田季何・大井恒行
                      (5/1更新)花鳥篇,第一
                      …杉山久子・曾根 毅・福永法弘・内村恭子・木村オサム・前北かおる・仙田洋子・陽 美保子


                      【好評連載】

                      「評論・批評・時評とは何か?――番外編

                      筑紫磐井・福田若之 》読む


                      ・今までの掲載


                        ブログではない紙媒体誌俳句新空間を読む(当面、月~日00:00更新)… 》読む
                          およそ日刊「俳句空間」 (おおよそ月~日00:00更新) 》読む
                            …(主な執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美 … 
                            (6月の執筆者: 竹岡一郎、依光陽子、黒岩徳将…and more  )

                             大井恒行の日々彼是(俳句にまつわる日々のこと頻繁更新中)  》読む 




                            【時評】

                            ■ 若井新一『雪形』のすごみ 
                            … 堀下翔  》読む 
                             車谷長吉氏を悼みつつ
                            … 筑紫磐井  》読む


                            【鑑賞】 

                            ~登頂回望~ 六十九   
                            網野月を  》読む
                             上田五千石を読む テーマ 【緑雨】 
                            ー 蓼科や緑雨の中を霧ながれー
                            … しなだしん 》読む  
                            「俳句空間」№ 15 (1990.12 発行) 〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ
                            ー続・18、田中裕明 「夏鶯道のおはりは梯子かな」ー
                            大井恒行 》読む

                            【催眠術ノート】
                            催眠術師・石川啄木 
                            -ひかることとしゃべることは同じことだからお会いしましょう、ねむって、眼をみひらいて―
                            … 柳本々々  》読む 


                            リンク de 詩客 短歌時評   》読む
                            ・リンク de 詩客 俳句時評   》読む
                            ・リンク de 詩客 自由詩時評   》読む 





                                【アーカイブコーナー】

                                週刊俳句『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会を再読する

                                参加:筑紫磐井、高山れおな、対馬康子、上田信治、西原天気(乱入・西村我泥吾)
                                日時:平成24年1月18日
                                場所:帝国ホテル鷽替の間


                                • 総括座談会(1)2012-02-19  
                                3冊誕生の経緯「誰が言いだして、資金はどう支払われたのか」 …》読む

                                • 総括座談会(2)2012-02-26 
                                特徴的人選「ぎらぎらとしていたのは誰か」 …》読む

                                • 総括座談会(3)2012-02-26 
                                企画の特徴「年齢制限・自撰他撰・公募など」 …》読む


                                俳句樹 回想の『新撰21』―いかにしてアンソロジーは生まれるか を再読する
                                ・・・筑紫磐井 2011年1月18日  》読む


                                    あとがき  》読む

                                    祝 仲寒蟬 芸術選奨新人賞受賞!
                                     祝辞 筑紫磐井 第14号あとがき ≫読む

                                    攝津幸彦祈念賞募集 詳細
                                    締切2015年10月末日!

                                    豈57号刊行!
                                    豈57号のご購入は邑書林まで

                                    薄紫にて俳句新空間No.3…!
                                    購入ご希望の方はこちら ≫読む

                                        筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
                                        <辞の詩学と詞の詩学>
                                        川名大が子供騙しの詐術と激怒した真実・真正の戦後俳句史! 

                                        特集:「突撃する<ナニコレ俳句>の旗手」
                                        執筆:岸本尚毅、奥坂まや、筑紫磐井、大井恒行、坊城俊樹、宮崎斗士


                                        特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
                                        執筆:関悦史、田中亜美、井上康明、仁平勝、高柳克弘

                                        筑紫磐井連載「俳壇観測」執筆






                                        2015年6月12日金曜日

                                        第19号

                                      • 6月の更新第20号6月26日




                                      • 平成二十七年 俳句帖毎金00:00更新予定) 》読む

                                        (6/12更新)花鳥篇特別版澤田和弥さん追善・その1

                                        神谷波・曽根毅・真矢ひろみ・福永法弘・杉山久子

                                        (6/5更新)花鳥篇、第六
                                        …下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子・五島高資・真矢ひろみ
                                        (5/28更新)花鳥篇、第五
                                        …水岩瞳・小林かんな・神谷波・田中葉月・福田葉子・羽村 美和子
                                        (5/22更新)花鳥篇、第四
                                        …小野裕三・早瀬恵子・浅沼・璞・林雅樹・網野月を・佐藤りえ
                                        (5/15更新)花鳥篇、第三
                                        …東影喜子・ふけとしこ・望月士郎・堀本 吟・山本敏倖・仲寒蟬
                                        (5/8更新)花鳥篇、第二
                                        …関根かな・中村猛虎・山田露結・夏木 久・坂間恒子・堀田季何・大井恒行
                                        (5/1更新)花鳥篇,第一
                                        …杉山久子・曾根 毅・福永法弘・内村恭子・木村オサム・前北かおる・仙田洋子・陽 美保子


                                        【好評連載】


                                        「評論・批評・時評とは何か?――番外編

                                        筑紫磐井・福田若之 》読む


                                        ・今までの掲載


                                          ブログではない紙媒体誌俳句新空間を読む(当面、月~日00:00更新)… 》読む
                                            およそ日刊「俳句空間」 (おおよそ月~日00:00更新) 》読む
                                              …(主な執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美 … 
                                              (6月の執筆者: 竹岡一郎、依光陽子、黒岩徳将…and more  )

                                               大井恒行の日々彼是(俳句にまつわる日々のこと頻繁更新中)  》読む 




                                              【時評】


                                              ■ 若井新一『雪形』のすごみ 
                                              … 堀下翔  》読む 
                                               車谷長吉氏を悼みつつ
                                              … 筑紫磐井  》読む


                                              【鑑賞】 


                                              ~登頂回望~ 六十九   
                                              網野月を  》読む
                                               上田五千石を読む テーマ 【緑雨】 
                                              ー 蓼科や緑雨の中を霧ながれー
                                              … しなだしん 》読む  
                                              「俳句空間」№ 15 (1990.12 発行) 〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ
                                              ー続・18、田中裕明 「夏鶯道のおはりは梯子かな」ー
                                              大井恒行 》読む

                                              【催眠術ノート】
                                              催眠術師・石川啄木 
                                              -ひかることとしゃべることは同じことだからお会いしましょう、ねむって、眼をみひらいて―
                                              … 柳本々々  》読む 


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                                                  【アーカイブコーナー】

                                                  週刊俳句『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会を再読する

                                                  参加:筑紫磐井、高山れおな、対馬康子、上田信治、西原天気(乱入・西村我泥吾)
                                                  日時:平成24年1月18日
                                                  場所:帝国ホテル鷽替の間


                                                  • 総括座談会(1)2012-02-19  
                                                  3冊誕生の経緯「誰が言いだして、資金はどう支払われたのか」 …》読む

                                                  • 総括座談会(2)2012-02-26 
                                                  特徴的人選「ぎらぎらとしていたのは誰か」 …》読む

                                                  • 総括座談会(3)2012-02-26 
                                                  企画の特徴「年齢制限・自撰他撰・公募など」 …》読む


                                                  俳句樹 回想の『新撰21』―いかにしてアンソロジーは生まれるか を再読する
                                                  ・・・筑紫磐井 2011年1月18日  》読む


                                                      あとがき  》読む

                                                      祝 仲寒蟬 芸術選奨新人賞受賞!
                                                       祝辞 筑紫磐井 第14号あとがき ≫読む

                                                      攝津幸彦祈念賞募集 詳細
                                                      締切2015年10月末日!

                                                      豈57号刊行!
                                                      豈57号のご購入は邑書林まで

                                                      薄紫にて俳句新空間No.3…!
                                                      購入ご希望の方はこちら ≫読む

                                                          筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
                                                          <辞の詩学と詞の詩学>
                                                          川名大が子供騙しの詐術と激怒した真実・真正の戦後俳句史! 

                                                          特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
                                                          執筆:関悦史、田中亜美、井上康明、仁平勝、高柳克弘


                                                          筑紫磐井連載「俳壇観測」執筆