【福田】
まず、「現代文学(?)に関する教養とは思いますが、教科書的に、現代の文学の理解としてこれを習わなければ文学論が成り立たないというものではない(大体どこの文学論?と聞いて見たくなりますが)と感じましたが如何でしょうか」というご質問から。
「作者の死」は教養である――このことだけでも、「作者の死」が学問としての文学にとって相当に有意義なものであることには、疑いの余地がないように感じられます。学問としての文学は、その全体が、ある意味では教養に他ならないとさえ言えるからです。逆に、およそ教養でありうるようなものはどんなものでも、文学に含まれうるのではないでしょうか。とはいえ、その中で「作者の死」が飛びぬけて重要なのか、といわれると、確かに難しいところではあります。理論としては、たとえばジェラール・ジュネットの物語論などを理解することのほうが、文学研究にはよほど役立つ気もしないではありません。ただ、いずれにせよ、60年代から70年代にかけての文学研究における思想的展開が今日の研究をかなり直接に基礎づけていることは確かです。そして、「作者の死」ほど、その変動を端的に示してくれている文章も珍しいと思います(「作者の死」を除けてしまうと、この変動のさわりを理解するために、分厚くて難しい本を何冊も読まなければいけなくなると思います)。こうした理由から、たとえば大学で文学に取り組むとしたら、「作者の死」を早い段階で学ぶことにはやはり意味があるのではないかと思います。
少なくとも、僕の実体験として、高校までの国語科の教育と大学での文学研究の違いを乗り越える上で「作者の死」を知ることが助けになったことは確かです。書いた人間の意図を尊重する国語的な読解は、コミュニケーション能力を養うという意味では重要なものに違いありませんが、それだけでは文学は窮屈なものになってしまいます。「作者の死」はその突破口を与えてくれるのではないでしょうか。
次に、「バルトがそうしたテクストで想定しているのは、文学作品なのか(そもそもその文学も何なのか)、ゴッホやチャイコフスキーが出てくるとすると(それでもまだ芸術、美術という理念的なものがまとわってくるような気がしますが)もっと幅が広いものか、さらに(日本の多くの文芸評論家が忌避する)浪曲や雑俳、などが入るのか(当然入っているように思いますが)などについて、何かヒントになる発言はあるでしょうか」というご質問にお答えしたいと思います。
ゴッホやチャイコフスキーの名前がどのように出されているか提示しておく必要がありそうですね。バルトは以下のように書いています――「批評は依然として、ほとんど常に、ボードレールの作品、それはすなわち人間ボードレールの挫折である、とか、ヴァン・ゴッホの作品、それはすなわち彼の狂気である、とか、チャイコフスキーの作品、それはすなわち彼の悪趣味である、とか言うことにある」。これらの語りはそのどれもが作者に作品の起源を求める批評の紋切り型であって、バルトはそれを問題にしているわけです。
これらがいわゆる「芸術」に限られたもののように見えるというのは、正しいと思います。ただし、それには理由があります。バルトが、確固たる「芸術」しかそもそも相手にしない態度の批評、はっきり言えばスノビズムに陥った批評をこそ、ここで問題にしているからなのです。
バルトは、浪曲についてはもしかすると日本映画の芸道物などを通して知っていたかもしれませんが、雑俳についてはまず知らなかっただろうと思います。したがって、その意味では、おそらくそれは「想定」されていません。ですが、「作者の死」で問題になっている二つの重要な概念は、それらをも包括するものに違いありません。二つの概念というのは、先日お送りした文章にもすでに登場している「エクリチュール」と「テクスト」です。これらの概念は実際にはどこまでも掘り下げても切りがないような代物ですが、いまはごく簡単にいきましょう。
まず、エクリチュールécritureについて。これはフランス語で一般に「書くこと」および「書かれたもの」を指す言葉です。少なくとも「作者の死」のなかでは、この言葉がそれ以上のことを意味しているようには思われません。ただし、それに含まれる範囲は最大限広くとっておく必要があります。たとえば、演劇における登場人物のもろもろの言動は、台本を読むにせよ上演されるのを観るにせよ、すなわち、文字として読むにせよ演技として観るにせよ、エクリチュールです(「作者の死」の文中で、演劇は、さまざまな登場人物の言動が観客の側で捉えられるということをモデルに、エクリチュールと読者のかかわりを説明するために出てきます)。チャイコフスキーの音楽にしても、楽譜があるのですから、そこにはエクリチュールが見出されるに違いありません。こうなってくるともう、ゴッホの絵画も、捉えようによってはエクリチュールではないでしょうか。
お二人の文脈に沿わせるために、ここで、バルトが「文学la littérature(これからはエクリチュールl'écritureと言うほうがよいだろう)」と書いていることに触れておくのがよさそうです。ここで提案されているのは、文学という捉え方からエクリチュールという捉え方への移行です。エクリチュールという表現がバルトにとってより好ましく思われたのは、それが動的な生成(ただし創造というほど神秘的ではない)のイメージを孕んでいるからだと考えられます。しかし、それだけではなく、かつて「文学」と呼ばれながら芸術の中に囲い込まれていた領域が、この言葉の置き換えによって、既存のイデオロギーを取り払われつつ拡張されます(ただちに別のイデオロギーが生じることには注意しなければなりませんが)。おそらく、かつてはlittérature(綴ること、綴られたもの)とécriture(書くこと、書かれたもの)のあいだには大きな違いなどなかったと思うのですが、前者の言葉があまりにもいろいろなものを背負いすぎてしまったため、この呼び換えには意味があります。
エクリチュールがこうした概念であることを踏まえて、テクストtexteについての説明に移りたいと思います。この場合、テクストという言葉が表わすのは、多様なエクリチュールによって構成される広がりのことです。バルトはその意味を込めて、テクストとは「引用の織物」であるとします(僕が「作者の死」を「引用の織物」であるとしたのも、バルトのこの言葉を借りてのことです)。ご想像の通り、極めて包括的な概念です。狭義の文学にこだわることがばかばかしくなってきそうなほどです。
したがって、文学をどう定義するかということからして問題です。俳句は文学か、と問うとき、その文学というのはそもそも何のことなのでしょうか。バルトが後に『文学の記号学』でそうしたように「文学」という語によって言葉を媒体としたエクリチュールやテクストの全域を射程に収めることにするならば、そして、俳句もまた広い意味での書き物の一種であると捉えるならば、それは文学だというほうが妥当でしょう。したがって、浪曲や雑俳についても同様です。しかしながら、文学というものをもっと狭く、仮にファイン・アートの言語部門とでも規定するなら、おそらくその限りではありません。
拝読したかぎり、お二人の議論が問題にしているのは、さしあたりこの狭義の文学だとお見受けしました。ただし、俳句は文学かという問いは実際には表面上のものにすぎず、むしろ、俳句をファイン・アートの言語部門としての文学にあてがわれてきた物差しで測ることの是非こそが改めて問われているように思われます。おそらく、堀下君は、俳句にあえてそうした物差しをあてがうことで、新しい俳句の見方や価値が生成されることに期待しているのではないかと思います。それに対して、磐井さんは、あえてそうした物差しをあてがわないことで、今日ではかえって新しくなってさえいる俳句の見方や価値が再発見されることのほうにより強く期待しているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。ちなみに僕はといえば、俳句に文学の物差しをあてがうことは、逆にその物差し自体を俳句によって更新することにつながるのではないかと考えています。目盛りがついているほうばかりが物差しであるとは限りません。こうした考えについて、ご意見をいただけたら幸いです。
ロラン・バルトと僕の関わりについて、ひとつ思うことがあります。ロラン・バルトについて書くということは、結局のところ、ロラン・バルトではない自らを引き受けるということにほかならないだろうということです。驚くべきことですが、ロラン・バルトにとってさえ、いくらかそうだった節があります。ロラン・バルトの書いた『彼自身によるロラン・バルト』の原題は、直訳すれば『ロラン・バルトによるロラン・バルト』です。語り手としてのロラン・バルトは、語られる対象としてのロラン・バルトと同一性を保ちながらも、同時にいくらか遊離しているのです。さらにバルトは「バルトの三乗」という文章で、全くの他人であるかのように『彼自身によるロラン・バルト』について語っています。こうしたバルトの文章は自句自解の問題にも通じるものだといえそうです。
【筑紫】
1.文学
●興味深い整理をありがとうございます。堀下さんと私の考え方の調停をしていただいたようでありがたいです、また読者のためにも分かりやすい解説となっていると思います。
●しかし、指摘されているように、私も堀下さんも「狭義の文学」を「文学」としていることに違いはないようです。その意味では二人に用語の齟齬はないのは幸いでした。それがいいのか悪いのかはまた改めて考えることにしてその前提で話を進めましょう。
違うのは堀下さんが狭義の文学から逸脱しないという行動原理を述べているらしいことに対して、私が狭義の文学から逸脱するという行動原理を持っていることでしょう。
この点をさておけば、狭義の文学こそが明治以降の俳句を引っ張って来たことは間違いないと思います。独断と偏見に満ちていたからこそ力を持って来たのです。子規による俳句の新生はこの独断がなければ生まれなかったと言えるでしょう。そのことは、守旧派の虚子も言っています。
ただ、それが余りに正論になって俳句の実態に合わなくなった時に部分停止をかけるのが「文学ではない」という主張だろうと思っています。だから、ボーダーから1センチはみ出せばよい、それが俳句だといいたいわけです。俳句が広義の文学だと主張しているわけではありません。
だからしばらく堀下さんとの議論は、文学は「狭義の文学」であることを前提として、俳句はこの狭義の文学うちに収まるべきか、はみだすかを議論してみたいと思います。
2.効用論
●この場合の文学論は真正の科学としてより効用論で見た方がいいと思っています。私の第一の目的は、「文学」(狭義の文学)を持って俳句の価値が裁断されるのを拒否することです。吾々の周辺には具体的な、文学による俳句の裁断が満ちていますから、それから俳句を防衛することといえましょう。例えば、「第二芸術の」桑原武夫もそうであったろうし、現在「俳句表現史」の名称で戦後多様に展開された俳句をたった一つの基準で評価しようとしている動き(「俳句表現史派の人々」ということにしようと思います)もそうでしょう。俳句は様々な可能性があるにもかかわらず、「文学」という観点からそれを否定する動きには反発したいと思います。
第二の目的は、現在自分のおかれた環境にあって、新しい、あるいは自分に必要な俳句の道筋を示すことです。かつて、昭和30年代に金子兜太が「造型俳句論」で行おうとしたこと(新しい俳句史観を示し、新興俳句や中村草田男の流れの先にある「主体的傾向」を推し進めようとしたこと)もこの新しい場を示すためだったと思います。誤解を受けやすいのですが、兜太は「造型俳句論」で特に在来の俳句を否定はしていません。不足しているものがあると言っているのです。ただそれを乱暴に言ったにすぎません。
もっとも、第一と第二は同じことの裏表を言っているにすぎないかもしれません。
●前衛俳句の時代のあとにやってきた、伝統の時代、結社の時代は反文学(狭義の)の時代でした。現象的に見れば(狭義の)文学敗残の時代であったということができます。それがいい環境でないと考えることは至極まっとうな考え方だと思います。私も共感します。しかしそれを是正するにあたり、桑原武夫や俳句表現史派の人々のように、これは文学(狭義の)ではないという主張を下してもしょうがないのではないかと思います。
●当時、金子兜太は「熱い情熱」でその道筋を示しました。しかし、私は現代においてはむしろ「冷たい情熱」こそが必要なのではないかと思っています。「冷たい情熱」とはいろいろな思いをこめていっているのですが、新しい俳句の一つの属性とはなり得そうな気がしています。
3.堀下作品と評論
しがみつく 堀下翔
熊ん蜂二匹や花を同じうす
亀の鳴く八方に水ありにけり
一面に蝌蚪をりすべて見失ふ
ある葉桜の立つてゐる日蔭かな
黒揚羽とほくに見えて奥に消ゆ
よく蛇行するひまはりの小道かな
となり合ふカンナ互ひの影かくす
濡れてをる石榴やあれはさつきの雨
これは、第6回石田波郷俳句大会新人賞(平成26年10月)を受賞した堀下さんの作品です。後に選考結果を見て岸本尚毅が一位に推したのは頷けました。岸本氏が選をした句の半分は私も選んでいるから、彼がどういう意識であったかは解る気がします。私の選んだ句で言えば、1行の中にどこか軽いギャップが存在し、それが心地よい違和感を与えてくれます。言ってみれば、路面電車に乗ってごと、ごと、ごとと揺られる快感といえましょうか。それが微妙な助詞や助動詞の駆使により生まれており、それ自身固有のリズムとなって読者に作品全体の共鳴を与えるのでしょう。今回の新人賞候補の中の他の作品と比べても圧巻であることは間違いありません。
不都合があって、表彰式に行けなかった私に代わって参加してくれた北川美美さんが「ちょっとかないませんよ」といって作品集を送ってくれたのですが、読んでみて確かにその気持ちはよく分かるところでした。
私はどこで書いたのか忘れてしまいましたが、若い世代もすでに第1世代の神野紗希・佐藤文香世代から第2世代の西村麒麟・堀下翔世代に移行しており、大きく変わっているのではないかという気がしていると述べました(本当は第0世代で関悦史がいる筈ですが)。その意味では、西村麒麟・堀下翔などは既に『新撰21』を超えている作家たちではないかと思います。『新撰21』を編んだ時に、高山れおなは「若手の先頭集団を総浚えにしてインパクトのある本を作ることに主眼を置いていた」といっていましたが、私ははたしてそうかな?早晩『新撰21』は乗り越えられる対象になるのではないかと思っていました。だからこそ続編の『超新撰21』が必要であったと考えたのです、決して『新撰21』は単独では完結しないのですから。残念ながら同じ趣旨の『新撰21 パート3』は出ませんでしたが(世代を限定し、自選する、ギラギラとした選集というコンセプトのシリーズは後続しなかったということです)、みなの意識は常にそういうものがあるという考えに向いたのではないかと思います。当時『新撰21』『超新撰21』にも選ばれず、多くの若手は鬱屈した思いであったと西村麒麟は私に語っていましたが、そうした思いがあったからこそ『新撰21』を乗り越える作家も生まれたのではないかと思ったのです。
堀下作品に対する感想はこれくらいにしておきましょう。問題は作品と堀下さんの俳句に対する考え方の関係です。これらの作品はどう見ても堀下さんの言う「(狭義の)文学」というより、その1センチ外側にある作品ではないかと思えます。短いコメントですが、岸本尚毅もその点に共感して選んでいるように思われます。決して「(狭義の)文学」にへばりついていてはこんな作品が生まれるわけはないはずです。
これは決して、堀下さんの言っている言葉と作品の矛盾をあげつらって批判しているわけではありません。作家は理論で作品を作ることはできません。すぐれた作品のあとから、後追いで理論が生まれて来るものでしょう。では堀下さんの俳句文学論が間違っているのかと言えば、むしろ創作に当たっての理論は一種の「気合い」であると思っています。「俳句は文学である」という気合いがなくては作品に魂は籠らないでしょう。子規や虚子もそうでした。兜太が俳句造型論をわめいたのもそうした理由でありました。堀下さんが「俳句は文学である」といって、(私からすれば実は文学の1センチ外側で)作品を生み出してもらうことは非常に結構だと思います。それは矛盾ではないのですから。
ただ止めてほしいのは、桑原武夫や「俳句表現史」を主張する人々のように、これは文学(狭義の)ではないという教条主義的な主張から、さまざまな作り方のある俳句に偏狭な差別を導入してはほしくないと言うことなのです。堀下さんの場合はそういう心配はないと思いますが、少なくともそうした人々に便乗されることは十分注意すべきでしょう。差別に荷担することになるからです。かつて、小野裕三氏が「前衛は死んだ」と言うことを言っていました、気持ちはよく解るもののその発言は政治的に利用されやすいことは心配でした(じじつ、俳人協会の一部有志は、無季俳句は「俳句のようなもの」であり、厳密には「俳句」とは言えないから教科書には採用しないようにと教科書会社に申し入れを行っています。もちろん無季と前衛は違うものですが、無季俳句を排斥する過程で「もはや前衛は過去のものだ」という利用のされ方はありそうです)。「冷たい情熱」というのはそういう意味合いも含まれていると思ってください。情熱は必要です。
4.教養
●余計なことを一言。教養という言葉で思い出すのは、角川書店で数年前新しい俳句講座を企画した時のことです。俳文学に関する広範な講座、それも研究者から実作者までを対象としたものを作りたいという相談を受けて、宮脇真彦、谷地快一、片山由美子の3人と1年間にわたり企画の議論を繰り返し、テーマ、執筆担当を決めました。戦前の改造社の10巻シリーズ以来戦後しばらくまでこうした講座はよく出たものでした。懐かしい活字文化の時代の産物であったといえるでしょう。今の出版状況から見ると、角川のそれは、現在にまで至る最後のそうした企画となったのではなかったかと思います。こうしてすべてがゆっくりと、しかし順調に進んだ後、問題はこの講座の名称をどうするかになりました。幾つか案が出、私はふと中学時代に読んだ筑摩書房の『教養全集』を思い出して『俳句教養講座』と提案したのですが、他の三人から猛烈な反対を受けました。特に大学人からすると、戦後の大学改革の中で出来た教養部・教養学部のイメージからして教養は全くネガティブなものでしかなかったかと思いました。私自身固執するものではありませんでしたが、最後に、議論した候補をあげて角川学芸出版の社長の判断を仰いだところ『俳句教養講座』に決まってしまったのには驚きました。これは角川書店としても――私と同様――「教養」という郷愁ある言葉にまだ一抹、ジャーナリスティックな価値を認めていたためであろうと思います、しかしその後はそれも消えてしまっていることでしょう。だから私なりに考えるともっと中性的な言葉で、例えば<俳句「中級」講座>が内容からしてよかったのかもしれないと思っています。今回、「教養」という言葉を使ってから、こんなことを思い出して苦笑いしています。参考までに教養講座の内容を。
『俳句教養講座第1巻――俳句を作る方法・読む方法――』平成21年11月刊
『俳句教養講座第2巻――俳句の詩学・美学――』同上
『俳句教養講座第3巻――俳句の広がり――』同上
ちなみに、『俳句教養講座』を使って俳句が上達したという人の例をまだ一人も知りません。
第二芸術論の時代ならともかく、狭義の文学というのは現代日本で成立しているのだろうか?芥川賞ですら人気商売になっているご時世で。また効用をいうなら誰にとっての効用なのかはっきりさせないと無意味。
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