2015年6月12日金曜日

車谷長吉氏を悼みつつ/筑紫磐井



<以下は、『車谷長吉句集改訂増補版』(平成17年沖積舎)に解説として載せたものである。その中の一文、「車谷長吉氏の「小説」が「業」であるとすれば、「俳句」は業ではない、「遊」だろう。・・・遊俳ではあっても余技ではなく、どこか暗く、息詰まった車谷氏独自の世界を示している。」はこの句集の帯文ともなっている。車谷氏との縁は必ずしも深くはなかったが、車谷氏をめぐる特殊な環境の中で依頼を受けたものであるから、思い出深いものがある。あれから10年たったのだ。5月17日になくなった車谷氏を悼みつつ、俳句という特殊な文学を考えてみることにしたい。>

俳句・小説・文学  えとせとら

  車谷長吉氏の俳句は遊俳である、と書いたことがある。それを書いた雑誌の編集長は、あの記事が載って以来車谷さんからぷっつり連絡が無くなったからきっと怒っているんですよ、と親切にも注進してくれた。しばらくして車谷氏と会ったとき、矢張り怒っていますか、と聞くと車谷氏は、嫁はんにもあなたの俳句は遊俳だといわれてます、と答えた。

  遊俳とは、明治の俳人岡野知十の命名である。宗匠俳句が職業的に添削料などを取って生活しているところから「業俳」と呼び、そうした世界と異なる趣味的な俳句を「遊俳」と名付けたことに由来する。だから遊俳とは決して蔑称ではない。ただ、業俳が意味を拡大して専門俳人の俳句と理解されるようになり、遊俳はやや余技めいた、浮世離れした意味で理解されるようになってきている。

  車谷氏の小説を読んだ人なら、この『車谷長吉句集』がいろいろな小説の素材からなっていることを理解するだろう。その俳句となった素材は、小説に取り入れられ完成したものもあれば、それを断念したもの、小説化まで時間を待っているものもある。いずれにしろ、「小説」が「業」であるとすれば、「俳句」は業ではない、「遊」だろう。しかし、その俳句にも、車谷氏の私小説の文体や素材選択がはっきり現れているから、遊俳ではあっても余技ではなく、どこか暗く、息詰まった車谷氏独自の世界を示している。

    葉桜や影深くして蔭重く 
    夏来たる馬穴の底の鰻かな

  車谷長吉氏の句集は平成十年、エッセイ集『業柱抱き』に「因業集」(後「因業輯」に改める)として九十句を収め刊行された。これにそれ以降の「駄木輯」を加えたものが平成十二年に湯川書房から『車谷長吉句集』として刊行。その後十五年沖積舎から版を改めて刊行され、それを更に改訂して今回の句集となっている。

  今回付け加わった、異例の作者の後書き「ぼんくら」(「新潮」に掲載されたもの)を読むには、こうした経緯を知っておく必要がある。この後書きは、「因業集」に載る

    ふところに乳房ある憂さ秋暑し 
    青芒女の一生透き通る

の二句に先行する類句があると知り、今回沖積舎改訂版で改作し収録する経緯を述べているのである。

  類句というものは、短い言葉の芸を競う俳句にあっては免れがたいものがある。我々専門俳人は、日頃は類句を生ぜぬよう注意を払うが、なおこれを免れている俳人は少ない。また、指摘を受けた類句は車谷氏のように差し控えるのが道理のようにも思うが、中村草田男のように「降る雪や明治は遠くなりにけり」の句を先行句があると言われながら押し通し、近代の名句として確立してしまった例もある。類句とはいうものの大半は意識して模倣したものではないから、暗合句といった方が正しいが、これは一部の言葉が似ている点を指摘されているにすぎないから、言葉が共有財産となるプロセスでの問題なのだ。

  遊俳だからといってそれが免罪符になるとは思わないが、業俳では掬いきれない豊穣な俳句の世界を遊俳が作り出す可能性があるのなら、おおらかにその遊びを楽しみたい気もする。少なくとも息の詰まるような基準で縛り付けることは、遊俳の精神にはふさわしくないかもしれない。

  高浜虚子はホトトギスの雑詠に類句が溢れ、しょっちゅう取り消していた事を指摘されたとき、「昔からよくあることであって今に始まった珍しいことではない・・・雑詠というものを他所行な展覧会場と心得てはならぬ。これは俳句の修行道場である」と言った。

車谷氏にとって、小説は他所行かもしれないが、俳句は修行道場であっても悪くはない。  面白いのは車谷氏に「業柱抱き」という詩があり、これをもとに受賞作『塩壺の匙』という小説が書かれていることだ。詩や短歌、俳句は車谷氏の小説に契機を与えているのであり、俳句しか作らない我々業俳の徒には羨ましいものがある。因みに「因業集」には、

    女知り青蘆原に身を沈む

などの句があるから、「青芒女の一生透き通る」のような句を生むイメージが作者の脳裏にどのように湧いたかを推測できる。

  車谷氏の「ぼんくら」はたちまち俳壇で議論の的となった。今回それをわざわざ掲げるこの句集も論争を呼ばずにはおくまい。芭蕉以来、俳句は他の文芸と異なり暗合句(類句)が不可避であるという事実を俳人、俳句愛好者たちが深刻に考えることは決して悪いことではない。石田波郷は有名な「俳句は文学ではない」の言葉を残し、虚子は「俳句は一個特異の文芸である」と述べている、必ずしも「文学」と合致するものではない「俳句」の本質が浮き彫りになればこの論争も有意義だと思うのである。





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