(115)霞まねば水に穴あく鯉の口
掲句上五の「霞まねば」の「霞」は、隠れてはっきり見えない状態の意で捉えたい。水面に何かはっきりと見えないのであれば、水面に穴が空く、それは鯉の口だった。
上から読んでくると、「霞まないので、水に穴があく」という順序が、自然の摂理、神の意志のような構造になり、下五で種明かしをするという構造になっていると読める。この下五の意外性が名句となる所以だろう。
上から読んでくると、「霞まないので、水に穴があく」という順序が、自然の摂理、神の意志のような構造になり、下五で種明かしをするという構造になっていると読める。この下五の意外性が名句となる所以だろう。
水面に空く穴が異界の入口のごとくに怖い。霞の使い方、そして鯉の口を穴と捉えた視点に感嘆する。
〈眉間みな霞のごとし夏の空〉(17)同様に「霞」は天候の他に音、声、形がはっきりしない状態を意味し、人の心情にまで発展し多義である。天文の霞を別の次元で駆使している。
子規に人が霞に同化する句、白泉に恋の返事がはっきりしない句、糸大八に霞む練習をする句があるが、いずれも気象現象の霞から意味を拡大し逸品である。
行く人の霞になつてしまひけり 正岡子規
われは恋ひきみは晩霞を告げわたる 渡辺白泉
それとなく霞む練習してゐるたり 糸大八
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