2018年4月6日金曜日

三橋敏雄『眞神』を誤読する 113. 積む雪の乗り捨ての花電車かな  / 北川美美



113)積む雪の乗り捨ての花電車かな

 「花電車」とは、主に電飾や生花を飾った電車のことで、通常一般客は乗せず、宣伝あるいはイベント興行のための特別な車輛だ。明治時代に日露戦争での勝利を祝し運行したのが始まりらしい。第二次世界大戦前は、政府のプロパガンダとして利用された時期もあり、広告掲載としての効果があった。現在も路面電車が残る路線で祝祭と合わせ花電車の運行が行われ、大正、昭和のレトロ感が漂う。詩歌では、北川冬彦の詩集『花電車』の中に表題の「花電車」「花電車と子」が収録されている。以下の「花電車と子」は三行の詩である。

花電車と子 
「あの電車ウソ電車ね 乗れないんだもの」 
三歳のわが子が口走った 
華麗な電飾の花電車に見とれもしないで
『花電車』北川冬彦(昭和二十四年刊)

 実際の「花電車」に馴染みが無いが、北川冬彦の詩と合わせて句の背景を考察すると、敏雄の中にも冬彦の詩と同じような乗れない電車を待っていた幼少の記憶があるのではないだろうか。横光利一は、冬彦の詩集『花電車』の序に以下の解説を残している。

なるほどまだ誰も花電車にだけは乗ったものはないだらう。渡船場で、人を轢き殺して来た大群集のまん中を通るのは、かういう妙音でなければ渡れない。誰の前にも橋のない河は流れてゐる。三途の河が。望む平和郷は乗れないウソ電車の中にあるだけか。乗れ乗れ、介意ふこたアない、とこの運転手北川冬彦は言ってゐる。
詩集『花電車』序/横光利一

掲句の「花電車」を乗ることのできない架空の乗物と考えると、乗り捨てなければ現実に戻れない前線から帰還した視線がある。それを敏雄は「積む雪」に託したのかもしれない。掲句の解釈は、花電車に積もった雪が落ちる風景を詠んでいると推測する。

しかしながら恐らく、花電車の運行は厳冬の積雪の時期は外されると予想するが、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のように盆と列車と天の川を結びつけなかったのは、冬彦の詩の影響を受けているのではないだろうか。花電車は現実に戻るのための架空の乗物なのかもしれない。

掲句、ストリップ芸に「花電車」という演目があるようだが、破礼句として読めなくもない。そもそも<「花電車」=乗れない列車>に悲しい意味合いがある。どちらも日本独特のパフォーマンスだ。

敏雄が創刊同人である「面」俳句会では、回顧談で二次会の話題の常だったがが、高橋龍は、山本紫黄とストリップ劇場へ行った話をよく話していた。敏雄の名前は出ていないのは敏雄が海上勤務だったからだろう。

2010年頃、敏雄の話を聞いてみたく、コーべブックス装丁家の渡邊一考氏の店を訪ねた。赤坂のバー・デスペラというスコッチウィスキー専門の店だった(現在渡邊氏はデスペラを引退していると伺っている。)。渡邊氏の話に因ると、敏雄はよく船が停泊するごとに神戸の繁華街に寄り「トシ坊」と呼ばれ可愛がられたらしい。敏雄はバーや置屋での三鬼の遊びのツケを払うために下船の度に神戸に寄っていたというのだ。当時の三鬼の破天荒さとともに敏雄の生真面目さが伺える話だ。そのような三鬼との師弟関係であったからこそ、敏雄が八王子の実家を抵当に入れられる惨事に遭遇したことが納得できた(詳細は遠山陽子著『評伝・三橋敏雄』に詳しい)。

掲句の花電車が例えストリップ芸だとしても、悲しい句であることには変わりがない。破礼句だとしても哀愁がある。




函館市電 函館港まつり花電車 2001年8月

【参考】にしてつWEBミュージアム 歴代花電車アーカイブス 》見る



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