「地球のリレー」とは、地球上の生きものすべてや死者でさえ繋がり合ってリレーとなっている、という意味らしい。確かにこの句集では、地球上すべての生命が織りなす過去・現在・未来の事象(物語)を、沖縄からの視点と壮大な空想力で描いている。
陽炎の十八歳の手榴弾
戦争の中で青春の儚さを真正面から表現した作品。陽炎が揺らめく不確かな存在を示し、若者の一瞬の輝きと、それが幻であるかのような状況を強く感じさせる。十八歳という年齢は大人への過渡期で、多くの可能性と夢を抱いて生きる時期である。その若く美しい青春が「手榴弾」という生々しい戦争の象徴によって破壊され得る現実を思わせる。
戦中の茶碗に笑顔の兵隊さん
遺品から戦時中の人々の日常を垣間見た一句か。本来、恐怖や疲労が先立つ戦場において兵士の笑顔は極めて貴重である。どんなに厳しい状況でも、国民の期待と希望が「笑顔の兵隊」として茶碗に描かれていることに着目した作者は、明暗の対比で深く複雑な当時の背景を捉えている。
あああああああああああ蟻は天辺
冒頭の「あ」の連続が持つインパクトとリズムと響きは読者に強い印象を残す。「あ」は、驚き、感嘆、叫びなど、人間の様々な感情を表しながら、蟻の列の形状を「あ」で表現している。小さな存在が懸命に登り続けて天辺に達した姿を前向きに捉えれば、人間の努力、挑戦、克服の象徴として感じることが出来る。同時に人間の努力、挑戦、克服がいかに小さなものであるかという儚さで捉える読者もいるだろう。言葉の持つ音韻的魅力と意味の深さを巧みに融合させた一句。
琉球弧を描く春の猫の尻尾
琉球弧は日本の南西諸島の連なりを意味するだけでなく、その豊かな自然環境を読者に想像させる。「春の猫の尻尾」の動きが、まるで琉球弧を描いているかのように感じたのは、作者にとって琉球弧を形成する地域が、読者にとって猫ほどの身近な距離感であることを暗に示している。春の猫の尻尾の柔らかい動きのように、この地域が穏やかであってほしいという作者の願いが感じ取れる。
宇宙史のX光年の蛙とぶ
宇宙史という広大な時空を縦軸、X光年という途方もない距離(時間)を横軸が背景。蛙という小さく身近で現実的な生き物が「とぶ」という瞬間的な動作を切り取ることで、人間のひとつひとつの行為の小ささや存在の儚さを象徴的に表している。
(現代俳句協会 会員)