この度、多くの人々の支援を受けて『澤田和弥句文集』が無事出版された。心から感謝を申しあげると共に、出版に至った経緯を書き留めておこうと思う。
実は私自身、澤田和弥さんとのお付き合いの年月はそこまで長くない。私が平成24年に俳句結社「天為」に入会した頃、和弥さんはその年の天為新人賞を受賞し、結社誌での書評連載が始まる等、既に大きな存在の先輩であった。お会いした数少ない機会の中でも、平成24年3月に天為湘南句会でゲスト選者としていらしていただいた時のことは特によく覚えている。和弥さんは限られた時間の中で60名超の参加者による約300句の作品全てにコメントし、懇親会では緊張が解けたのか、完全な躁状態だった。疲れてしまわないかと心配していたところ、その夜のメールで、実は職場でのパワーハラスメントが原因で退職していたこと、今も精神科を受診中であることを知った。不安定な雇用状況で職場の人間関係に悩むことも多かった私にとって、和弥さんの苦しみは他人事とは思えなかった。だが一方で、心に闇を抱える人にどう言葉をかけて良いのか分からず、「大切なお話を聴かせてくださってありがとうございます」とのみ返信するのが精一杯だった。
平成27年5月に和弥さんが亡くなってしまった時の驚きは今でも忘れられない。その数ヶ月前に和弥さんが幹事をしていたメール句会が突然終わり、以後連絡が取りづらくなっていた。和弥さんに近しい「天為」の同人たちがご実家の寿司屋を訪ねても、和弥さんはカウンターの奥から出てこなかったとも聞き、今はそっとしておいた方がいいとを考え、特にこちらから連絡することはしなかった。そのような中での訃報は、もう少し何か出来たことがあったのかもしれないという後悔と、所詮付き合いの浅かった人間に何が出来たのだ、思い上がるなという複雑な思いを私に残した。
和弥さんが亡くなって7年経った頃、私は第1句集を上梓した。そこには迷いながらも和弥さんへの追悼句を入れた。それに目を留めた「夏潮」「山茶花」の杉原祐之さんから、学生俳句会で和弥さんと共に過ごした時間が懐かしいと連絡をいただいた。何度かやりとりを重ねる中で、こんなに周囲に愛されていた和弥さんの作品が、このまま埋もれてしまうのは惜しいという気持ちが強くなった。いつか和弥さんの作品集を自費出版で出したい、費用は自分が第2句集を出すために積み立てている貯金を当てても良いという考えを杉原さんにお話ししたところ、「こういうことは皆でお金を出しあってやりましょうよ」という言葉をいただいた。そして、和弥さんと学生俳句会で交流のあった「南風」の村上鞆彦さん、「夏潮」の前北かおるさんを紹介していただき、私たち4人は発起人となった。
一人だけで数年かけて行うつもりだった和弥さんの句文集出版は、3人もの協力者を得たことで一気に現実的なものとして話が進んだ。大きな課題の一つであった資金集めについては、インターネットを使ったクラウド・ファンディングと銀行振込による寄附受付を併用したが、発起人たちはそれぞれ学生俳句会や結社の知人たちに声をかけ、210を超える人たちから支援をいただくことができた。また、原稿の著者校正や索引作り、出版社との交渉についても発起人たちそれぞれの経験をいかすことができた。
出版する書籍の題名は『澤田和弥句文集』とした。かねてより「天為」の作品コンクールを通じて和弥さんのエッセイや評論を読んでいた私は、もし彼の作品集を出すならば、絶対に文章も載せたいと思っていたからである。文の構成や主張が明確で、何よりも読者を最初から最後まで惹きつける和弥さんの筆運びには、他の同世代の俳人にはない才能を感じていた。
ただ、句文集の原稿のために和弥さんの文章を探す作業は予想以上に時間がかかった。彼が寄稿していたのは結社誌だけでなく、同人誌「のいず」や「blog俳句新空間」「週刊俳句」といったWEBサイト等、多岐に渡っていた。出版をお願いした株式会社東京四季出版の西井洋子社長は大変親身になってくださり、費用面でも相談させてはいただいたのだが、それでも全てを網羅して採録することは頁数の都合からも困難であった。結局、和弥さんが生前に傾倒していた寺山修司に関する論考を中心に載せることとした。
こうして句文集に採録された作品を見ると、和弥さんはつくづく真面目で、何事にも真剣に取り組む人だったのだと思う。徹底的に資料を調べ、読み込むことによって得た知識の深さと、それを咀嚼して新たな発見や問題点を明解に示す文章技術は、主題と読者への誠実さがあって為せることである。
元日のママン僕から洗つてよ
男勃ちて吾に怒れる冬の湯よ
羅や乙女の腋の二三の毛
朝顔を愛でたる人の股かをる
セーターや相思相愛以下同文
佐保姫の唇に人さし指入れる
和弥さんの俳句を語るのにやはりエロスという要素は欠かせないが、これも自身の若き肉体の中に沸き起こる性的衝動でさえも真正面から捉え、十七音の中で詩として昇華しようと、ぎりぎりを攻めているように見える。時には露悪的と受け取られそうな言葉を敢えて選んでいることさえ、「どうしてそれがダメなの?」と、タブーを超えるための問いかけを投げかけているような素直さがそこにあると思う。
やい鬱め春あけぼのを知りをるか
毛布一枚わたしは自由である
和弥さんは第一句集『革命前夜』のあとがきで、「僕はもっと強くなりたい。十七音の詩型の中で、僕は僕であることを、そして今、ここに生きていることを表現していきたい」と、語っている。そう、和弥さんの俳句作品はどれもこれも「生きたい、生きたい」と叫んでいるように感じるのだ。自ら死を選んでしまった和弥さんだが、人生最後の0.01秒は、あぁやっぱり生きたいと強烈に願っていたと、どうしても思いたい。
最後に。今回の句文集出版にあたり、ご支援をいただいた寄附者の中には、和弥さんを直接知っている人だけでなく、初めて和弥さんの作品に触れて感銘を受け、寄附や書籍購入をしてくださった人もいた。思いがけないほどの多くの人々から和弥さんは愛されていた。この本をきっかけに、より多くの人に和弥さんの俳句や評論が読まれ、読者それぞれの「澤田和弥研究」が深まっていくことを願っている。