2025年2月14日金曜日

妹尾健氏の「コスモス通信」についてーー石門心学とは  筑紫磐井

  妹尾健氏の「コスモス通信」は76号にわたり刊行が続いている。「豈」第66号では「私の雑誌」の特集を行い、同人たちが刊行している雑誌(13冊)を紹介しているが、妹尾健氏の「コスモス通信」もぜひ紹介したいと思ったのだが叶わなかったのは残念だった。それくらい読みでのある、読んで損のない雑誌であるのだ。

 特にそんな中で、最近号(75・76号)で『鳩翁道話』を取り上げているのが非常に気になった。『鳩翁道話』は江戸時代に大いに流行した教学の「心学」(「石門心学」ともいう)の中でもっともよく知られた著作である。心学と言ったらまず、『鳩翁道話』という名前がすぐに頭に浮かぶぐらいの名著であり、戦前から岩波文庫では古典としてラインアップされている。

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 ここで少し「心学」について触れておく。心学とは、石田梅岩(『都鄙問答』1739年の著者)を開祖として平易で実践的な道徳を説いた学派である。梅岩の弟子の手島堵庵が優れており、多くの弟子を育成して隆盛期をもたらした。この隆盛期には、布施松翁(『松翁道話』1812年の著者)、中沢道二(『道二翁道話』1794年の著者)、脇坂義堂(『やしなひ草』1784年の著者)、手島和庵、上河淇水らがいた。その後、門内で対立が生まれ低迷期に入る。心学者として最も有名な柴田鳩翁(『鳩翁道話』1835年の著者)や奥田頼杖(『心学道の話』1843年の著者)も実は最盛期ではなく、低迷期の人であった。

 ただ心学では、特に講舎(明倫舎、参前舎)を設け、町民、農民から武士たちまでを集め、普及を図った。従って話術による洗練は低迷期に入ってもその名声を損なうことなく、心学の頂点をなす著述として『鳩翁道話』は名声を保っているのである。

 一般に心学は幕藩体制に都合の良い道徳を教えていると思われているが、初期の心学の書物を読むと、さながら明治以降の新聞に載せられている人生相談の質問と回答に近いものがある。「子供に学問をさせて大丈夫か」「子供を医者にしたいが、どう心掛けさせるべきか」「金持ちなのに金を使わず生きる楽しみをもたない親方がいる」「墓参りに行く前に神に参ってよいのか」など、道徳宗教と少し違う生活の知恵を求めている点だ。或いは現代の我々の日常で出て来る夫婦親子の会話に近いものがある。

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 今時心学を研究しようとする人がいるのか、まして俳人で心学に関心を持つ人がいるのか、大いに疑問であった。じじつ今まで妹尾氏は「コスモス通信」では古い俳諧の古典や新興俳句時期の著書、あるいは最新の句集の紹介など、俳句雑誌として納得できる有益な特集が組まれてきたのだが、ここしばらく上に述べたように、一見俳句とは何の関係もないと思われる「心学」の話題が登場したのは驚きであった。妹尾氏の「コスモス通信」75・76号では「『心学童話集』を読む」と題して、『鳩翁道話』を引いて教訓談を語るのだが、妹尾氏はこの中で、


あひみてののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり(敦忠)

恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか(忠見)


を説くのだ。不思議なのは、通常の道話にあっては『松翁道話』も『道二翁道話』も、あるいは『鳩翁道話』ほかの節にあっても「道歌」(例えば、脇坂義堂の「踏まれても根強く忍べ道芝のやがて花咲く春に逢ふベし」等)が頻繁に使われるのに対し、妹尾氏は、まっとうな百人一首の歌を取り上げ、正統的な和歌の解釈と心学の解釈を対比させている点である。実は74号の「『一休諸国物語』と道歌(一)」、75号の「『長者教』の教訓歌」でも道歌の系譜をたどっており、この道筋の中で心学が出て来るのである。つまり正統な和歌が道歌として解釈される過程を緻密に追っている。もし普通の和歌を芸術的和歌とすれば、道歌は実用的和歌となることになる。これらは作者や読者のコンテクストの中で解釈されるものであり、そのどちらかが正しくどちらかが誤っているわけではない。これは和歌や俳句の解釈にもかかわってくる話になるわけだ。

 この連載を読んで知ったのだが、妹尾氏は学生時代の卒論に仮名草子の『薄雪物語』を研究したという正統的な文学への関心であるようだ。しかしそれでも、浮世草子と比べてさえ劣ったと思われていた仮名草子を選択した氏の信念に〈文学を支えるものは実理性や教訓性といったものだ〉〈これがないと文学は単なる空想性や美的な遊戯性に陥ってしまう〉という確信があったようで、ここで氏が再び心学に語り始める理由となるのだ。

 一方私が妹尾氏の連載に関心を持つのは、実は私も学生時代に、『松翁道話』や『鳩翁道話』を読んで関心を持ったからである。その理由は、前述した妹尾氏の理由と少し違って、口語による講話の誕生に興味を持ったからである。真宗の講話にその先蹤があったと言われているが、心学の語り口はむしろ『盤珪禅師語録』(1690年口演)が源流ではないかと思えたからである。これらをならベてみると、そこには宗教や道徳と違って別の文学の本質があると思われたからである。通俗の本質は決して低劣・卑俗ではないのである。

 こんなことを言うと妹尾氏から非難されることになるかもしれないが、妹尾氏も私も純粋文学、芸術至上主義にうさん臭さを感じているかもしれないと思うのだ。それは妹尾氏の連載の続きを読んで確認してみたいと思う。