2025年2月14日金曜日

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり23 関悦史句集『六十億本の回転する曲がつた棒』(2011年12月刊、邑書林の新撰俳句叢書①)を再読する。

  関悦史さんは、2009年に大変な話題となった新人発掘のアンソロジー『新撰21』のひとり。

 彼は、俳句と俳句評論の両軸どちらも秀でた作家で評価も高い。

 本著『六十億本の回転する曲がつた棒』は、第3回 田中裕明賞(2012年)受賞作。

 受賞者の関さんの言葉を抜粋する。


 句集にも入っている祖母の死去が2004年12月のことで、これは田中裕明のそれと同年同月である。祖母の葬儀をひととおり済ませた年の暮れに、新聞(当時はまだ取っていた)で田中裕明の訃報を目にしたのだった。当時は名のある俳人に直接会う機会もなく、その後そうなる予定もなかったから、田中裕明も単にこちらが一方的に読んでいた若手作家というだけの存在だった。

 ところがその後、友人の勧めでSNSを利用し始めたのを機に予想のつかない出会いが重なり、時には叱咤督励を受けたりもして、書いたものを発表するようになり、さらには経済力のなさから自分とは無関係と割り切っていた句集出版が、あろうことか東日本大震災で家が壊れ、困窮極まっているさなかに、多くの支援を受けるという形で実現してしまった(早く出させないと、私がいつ死ぬかわからないという判断もあったそうだが)。この間私本人はほとんど流れに乗せられていただけであり、今回の受賞も自分のことという気がじつはいまだにあまりしなくて、単に一連の動きの代表者として受け取るだけという気がする。 (関悦史)


 選考委員の言葉をどうぞ。


 私は『残像』『おまへの倫理崩すためなら何度でも車椅子奪うぜ』『BABYLON』の三冊を推した。

(省略)

 このたびの選考結果に異存はない。受賞作に関しては、ひとえに私の眼力が及ばなかったのだと思う。(石田郷子)

 俳句は現代に生きる詩でありたい。いつもそう思いながら、私自身にどれだけのことができているのか心もとない。そんな忸怩たる思いを吹き払ってくれたのが、受賞した関悦史の『六十億本の回転する曲がつた棒』、そして私が続く二位、三位に推した山口優夢の『残像』、御中虫の『おまへの倫理崩すためなら何度なんぼでも車椅子奪ふぜ』だった。

 『六十億本』は、荒廃の兆し始めた現代の日本を、そして否応なしにそこに生きるしかない作者自身を描き切って迫力があった。特に著者の暮らす土浦の風景を描いた「日本景」、祖母の介護を描いた「介護」の章は、俳句の新しい領域とそれにふさわしい新しい詩情を見出して感動的である。季語を積極的に生かした俳句と無季俳句が違和感なく並ぶ眺めもこれからの世代の俳句のあり方なのかと思わされた。一句一句の完成度を云々する以前に、その総体としてのエネルギーに圧倒される。そしてその中から、〈人類に空爆のある雑煮かな〉のように古典的風格さえある句が生まれている。

(省略)

 現代に肉迫しようとすることと俳句という詩型を選ぶこととの間には、飛び越えがたい溝があろう。それをやすやすと飛び越えて彼らが俳句を選んでくれたことを、同じ詩型にたずさわるものとしてうれしく思う。(小川軽舟)

 『六十億本の回転する曲がつた棒』には有季句と無季句が混在する。有季の句では季題を生かし、無季となるべき句は無季にするという当り前のことを当り前のように実践していた。同じことは『おまへの倫理崩すためなら何度でも車椅子奪ふぜ』についても言える。昨年の『千年紀』もそうだった。無季句が混じることにより有季句のよさがわかるし、有季句と見比べることにより無季の句の面白さがわかるのである。圧倒的な膂力の関氏の句集と稀有の叙情性を示した御中氏の句集の二冊が特に図抜けていると感じた。(省略)(岸本尚毅)

 私が一位に推したのは、関悦史句集『六十億本の回転する曲がつた棒』であった。この句集からは「一冊をいかに速く読ませるか」ということについての独創的な意図を感じた。連作、しつこい描写、固有名詞の独特な用法、ページ八句組みの奔流のようなレイアウトなどが、句を読むスピードを上げさせる目的に向けて方針一貫して機能しているところがみごとであった。796句という大量の句を猛スピードで読ませてしまおうとする壮大なプランにつくづく感心した。従来の俳句観を根底から問い直す、革命的な一書だと思う。

   蔵書ミナカプカプ翼畳ムナリ

  鷹は鳩我は扉となりゆくや

  ブロック塀のあまたの割れを蔦隠さず

 (省略)

 今回応募の七冊は非常にレベルが高く、選考に頭を悩ませることになった。若い世代の充実が実感され、嬉しい悲鳴を上げた審査であった。(四ツ谷龍)

                      【ふらんす堂HP「中裕明賞」より転載】


 私の場合は音楽鑑賞に例えると、「これ!」というアーティストの音楽アルバムを聴くときは、作家の作品をベスト・アルバムよりも随時、リアルタイムで制作されているアルバムで聴くが好きだ。その作家の生の声が聴けるから。同時代性にあることの意義。それは、視聴者の人生のBGMにもなるしね。そういう意味では、本著『六十億本の回転する曲がつた棒』は、ベスト・アルバムの感さえする。それくらい作家の作品の発表と発信力・浸透力がある。関悦史俳句は、話題作満載だった。

人類に空爆のある雑煮かな

 『セレクション俳人プラス 新撰21』(2009年刊、邑書林)に私を含む21人の新人俳人の中に関悦史さんのこの句があった。もう既に話題作であったし、社会詠に季語を結びつけることで俳句の新境地を切り拓いた関さんもまた新人発掘のアンソロジーの覇者のようで身震いしたものだ。

 人類に空爆があることなんて誰でも分かってらいっ。でも季語の雑煮がテレビや新聞では採り上げにくいグチャグチャの肉塊の雑煮を連想して驚愕した。テレビや写真には写らない人間の肉塊を私の脳裏に喚起させたのだ。俳句の1句もまた小説や映画の1作品足り得ることを思い知らされる。

蠟製のパスタ立ち昇りフォーク宙に凍つ

 国際通りを曲がりジュンク堂那覇店に向かいながら食堂のショーウインドウに沖縄そばの関悦史俳句があった。そんなーあっちょんぷりけ~である。リアルな蝋製の沖縄そばから湯気は出ていませんが。箸(はし)が宙に凍っている。関悦史の感染力の旺盛さに苦笑いしてしまう。

CD十枚吊られ寒鴉へ乱す曙光

ぶちまけられし海苔弁の海苔それも季語

皿皿皿皿皿血皿皿皿皿

Ω(をわり)からまたI(われ)を出す尺蠖よ

 音楽アルバムのCDなどを渡嘉敷島の畑に取材で行くとまたもや関悦史俳句のCDが宙に吊るされている。おまけに鴉の柄の鴉対策まであるしっ!関悦史俳句だとCD十枚が吊るされ鴉対策が曙光を乱反射して鴉らを蹴散らしている。

 ぶちまけられた海苔弁の暴力性の衝撃もさることながら、それを見て「それも季語」という俳人ぶりにも頭が下がる。あたなは、24時間、俳人できますか。

 皿の表記の中に1文字だけ血が交じる。表記の活かし方も偉業だが、関悦史俳句って、ビジュアルに脳内で喚起しやすいのよねー。写実の的確さに徹底的に世界を取り込もうとする関悦史の創作意欲の旺盛さがある。

 Ω(オメガ)を「をわり」と読ませるその心は、Iは我を見出す俳人と解く。尺蠖は、尺取り虫の別名。尺取り虫の体ごとしならせて前進する様の生きている絶頂と歓喜を彼もまた自然から見出している。

ヘルパーと風呂より祖母を引き抜くなり

ズボン上げてやつて乳房が見えてしまふ

白髪散りし造花の下に祖母眠るか

氷よりも冷たき額撫でにけり

抱へて遺骨の祖母燥(はしや)ぎつつバス待つ春


 「Ⅲ 介護」の章で関悦史に与えられた試練は、俳句をぐんぐん深化させている。

 「祖母を引き抜く」「乳房が見えてしまふ」「白髪散りし造花の下に」「氷よりも冷たき額」「抱えて遺骨の祖母」のどの句にも祖母への愛しみがある。祖母の死は、関悦史俳句の試練として乗り越えることでまたさらなる飛翔のための試練であったのだろうか。

妹の消えて鮪の匂ひせり

鮪より電話来たりて家を棄つ

鮪らの首断面の照らしあひ

 妹が実在するのかは、さておき。「妹の大人の階段上る~のを兄さんは観ていたよー」的なドラマ性、性もね。気になる俳句ですね。


 「Ⅸ うるはしき日々」は、「あとがき」によると「東日本大震災以後の作だが、発生直後からの長い停電とアンテナ脱落とにより、地上デジタル波完全移行の日を迎えるまでもなくテレビは映らなくなっていた。津波の句がほとんど入ってないのは、映像ですらも目にしていないことがさしあたりの理由といえる。」(P132)とある。

福島の子供の習字「げんし力」

 この俳人の創作意欲は旺盛であり、怒涛の震災俳句の秀句も選びあぐねるくらいだ。

 震災を経験したリアルな生の声をしっかりと俳句にする力量もある。

 これらの多感な俳句たちは、必ずしも実感を持って俳句鑑賞者たちの心に届かないかもしれない。

 福島県出身で世界的な詩人の和合亮一さんは、東日本大震災直後からX(旧Twitter)に震災の状況を発信し、その投稿をまとめた『詩の礫(つぶて)』の仏語版が、フランスの文学賞「ニュンク・レビュー・ポエトリー賞」(外国部門)に選ばれた。その熱いパッションが喉元を通るときにしか詠めないモノがある。俳句の速報性も問われるけれど俳句の多様性は、何万通りもある。関悦史俳句にも沢山の震災の秀句がある中で今の私が実感を持って選びきれるのは、上に挙げた句1句だった。福島原発崩壊のあった福島の子どもたちが書いた習字の「げんし力」にどう感じるか。それぞれの核の世の視座が問われる。

 多弁なほど秀句が並ぶ。関悦史さんのこの句集には、沢山の秀句を量産されている。だが、その多弁なまでの俳句たちが必ずしも俳句鑑賞者の心に実感を持って届くとは限らない。その俳句鑑賞者ひとりひとりの経験や感受性、能力差、その鑑賞者の居る環境や態度、そしてそれを咀嚼していくだけの時間を俳句鑑賞者に費やさせる。それを誰もが引き受けると限らない。俳句鑑賞は、百通りにも千通りにも成りえるし、拒絶されることだってあるからだ。

 私の震災の俳句の共鳴句は、「供犠となるこの地に万の寒鴉のこゑ」「烈震の梅の木掴みともに躍る」「よその布団によその闇ごと揺れ轟く」「春星幽か大渋滞はどこへ向かふ」「信号灯らぬ大暗黒へ放尿す」「現金封筒その他つかみ出す春の堀炬燵」「隣県に原子炉が爆ぜ黒ずむ東風」「救援物資の箱らに自死を禁じらる」「ブルーシートも土嚢も足りぬ春夕立」「ファミリーマートへぬくき地割れを幾つか越す」「春の日や泥からフィギュア出て無傷」「テレビ見る彼ら・地揺らぐわれら原発燃ゆ」「罹災証明受け取り白々しき花時」「崩るる国の砕けし町の桜かな」「セシウムもその辺にゐる花見かな」「どうしていいかわからぬ街を葉桜占む」「原子炉を客観写生したき瓜」「夏の草ストロンチウムは骨に入る」「プルトニウムと夏空飛ばん塵の吾」「生きて疲れて遺伝子狂ひゆく万緑」など。

 あるベテラン写真家は、私につぶやくように「1日撮影したら2~3日は、疲れが抜けるまでゆっくり過ごしている」と語った。まるで未来の私に向かって語っているようにである。「疲れたら休む。」「首にカメラをぶら下げて歩くカメラマンの職業病もあるからカメラは肩にかけたり、たすき掛けにしなさい。」「量から質を生む。じゃなくて質を高めながら沢山の写真を撮る」など振り返ってみると多くの人生の先輩たちの出会いの言葉の財産が私にもあった。それは、丁寧に私なりの理解力で咀嚼している。

 ある俳句会では、「先生の選に選んでもらえたお祝いの御赤飯を炊く」ような俳句をより良く生きるささえにしている人たちもいる。特に震災に被災された関悦史俳句だからこそ丁寧に生きることでしか見えてこない俳句の世界がある。

 覇者の刃のように俳句を振りかざさなくても相手の心に実感を持って伝わる俳句を関悦史さんは、作っている。

 そんな関悦史さんだからこそ俳句の世界の裾野を広げることができるんじゃないかな。

自戒を込めて“よ~んなー(ゆっくり)よ~んなー(ゆっくり)”お互い俳句道を歩みましょう。

 その他の共鳴句もいただきます。

デパート跡のフェンスの中の虫の声

コンビニエンスストア冬銀河の入荷

畳積まれて総腐れなり草萌やしつ

毀サルルタメノ美童ニ降ル光

帝国なすこゑなきこゑや福笑

死にしAV女優の乳房波打つや

老人に夜握られし向日葵よ

未生の祖母に蟹星雲のうづきしか

人工衛星光りつつ落つ沢庵や