2025年2月28日金曜日

【句集歌集逍遙】董振華編『語りたい龍太 伝えたい龍太—20人の証言』/佐藤りえ

 董振華が聞き手となった『語りたい龍太 伝えたい龍太—20人の証言』は、20人の証言・講演によって飯田龍太の姿をあらゆる面から浮かびあがらせる。姉妹編『語りたい兜太 伝えたい兜太 ― 13人の証言』の監修者黒田杏子が著した『証言・昭和の俳句』から続くフォーマット、すなわち、各章冒頭に聞き手の導入言があり、語りの後に聞き手の振り返り、各人が選ぶ龍太20句選、略歴という構成になっている。ガチガチな論文調でなく、あくまで「語り」のスタイルをとっているのが本書の特徴だ。具体的な交流の記述もあるが、作品、作句の考え方に対しての言及が各人の発言においてより多くのウェイトを占めている。

 龍太の活動に対して、作品に対して、何をどのように語るか、は、結果的に己の俳句観を詳らかにすることである。各人の思考、理想を伺わせる発言が興味深いのはもちろんのこと、結社とは何か、伝統俳句とは何か、俳人の来し方とは何か、読みつつ考えさせられるものがあった。


 無粋ながら各人の龍太20句選を統計的に眺めてみた。一番多く引かれたのは「一月の川一月の谷の中」で、20人中15人が挙げている。次に多い「白梅のあと紅梅の深空あり」「どの子にも涼しく風の吹く日かな」「かたつむり甲斐も信濃も雨のなか」が14人。「大寒の一戸もかくれなき故郷」「水澄みて四方に関ある甲斐の国」「紺絣春月重く出でしかな」を11人が挙げている。
 こういった場合の選句はこれぞと思う代表作を挙げる、自分のお気に入りをあげる、人に読ませたい句を挙げる、などさまざまな観点があると思われる。絶対のもの、というのではなかろうが、ある程度各人の「龍太像」を集約したものといっていいのではないか。「どの子にも涼しく風の吹く日かな」以外の選が重なった句は、おおむね風土性の色濃い句が選ばれているように見える。それも、外部から見る「甲斐の国」らしさ、とでもいおうか。ほかに「子の皿に塩ふる音もみどりの夜」を10人、「雪の日暮れはいくたびも読む文のごとし」を6人が挙げている。こうして並べてみると、いよいよ伝統俳句とだけ紹介するには、ヴァリエティがありすぎるのではないか、とも思う。「一月の川」以外の句も、助詞と語順を繊細に使いこなし、変質的な語法に依らない文体を模索し続けたのではないか。
 本文中でも各人が分析、鑑賞を試みている「一月の川一月の谷の中」が一番多い結果になったが、そこに写生のその先を見るもの、構造を探すもの、哲学を感じるもの、さまざま論じるところがあり、百出する論より、作品が一番単純なのは、やはり面白いことだった。


 また、本書のおもしろさとして、各人のもつ時間をかけあわせた重層性がある。第3章の宇多喜代子が山廬を訪ねたさいの逸話が、第15章の保坂敏子の証言により、その舞台裏が伺える。福田甲子雄を見舞う龍太のエピソードも、幾人もの口により、色濃く甦る。インタビュアーの董氏は黒田杏子の残したこの仕事を引き継ぎ、途絶えかけた企画を昇華させた。金子兜太の弟子筋である氏が、フラットな立場で全員と相対したことが、本書を風通しのよいものとして成立させていよう。大変な労を重ねられたことはあとがきからも伺えた。
「語りたい兜太~」と本書の相違点として、飯田龍太が泉下の人となってからすでに17年、俳句の発表を辞めてから30年以上が経過しており、さらに「語りたい兜太~」における安西篤の位置づけにあたる福田甲子雄、広瀬直人らも既に泉下の住人となっていることがある。証言者20人中、半分以上が生前の龍太と面識がない。龍太と直接関わったエピソードを連ねた本というより、必然的に、龍太の影響がどのように今日に及んでいるのか、それがあぶりだされるものとなっていることも、じわりと感じられた。


 龍太の選が厳しかったこと、「四千名の選句」の物理的、時間的な大変さ、引退を表明した後の龍太の句作についてなど、愛弟子、また飯田秀實氏の語りから「俳句原理主義」とでも呼びたいような龍太の姿が浮かびあがる。大結社というと、あらゆる意味において人が犇めきあい、跳梁跋扈する、ぎゅうぎゅうの世界を思い浮かべがちだ。が、この一書から浮かぶのは、膨大な句稿が山廬に届き、その紙片は静寂の中で、厳しい目をした主宰ひとりが閲する――そういう静かな絵だった。龍太にとってはこの絵こそが結社の、主宰としての核心だったのではないか。
 長谷川櫂が帯文にしるす「失われた「龍太的なもの」」とは何だったのか。あくまで簡略化して記すとすれば、俳句原理主義――そう呼ぶのはいささか憚られる気もするが、そうしたミニマムなものを「維持すること」そのものだったのかな、と、最後の頁を捲りながら考えた。