2020年4月10日金曜日

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜  のどか 

シベリア抑留俳句および満州引揚げの俳句を読んで‐その2

(2)「戦争」を語り継ぐ、「平和への祈り」としての俳句
 21から26話の百瀬石涛子さんには、面談・手紙・電話でのインタビューにご協力いただいた。電話で武装解除の時期について尋ねると当時を思い出し涙ぐまれる場面もあり、戦争当時の記憶が現実のことのように呼び起こされ、辛い記憶の蓋を開けてしまったようで、申し訳なかった。
 26話のまとめにも書いたように、電話で何度か話す中では、不眠や悪夢のような症状はなかったというが、とにかく戦争を想い起こすことについて誰からも触れられたくない、回避したい気持ちばかりかであったという。
 シベリアという厳しい環境下で辛くも自分が生き残ったことへの贖罪の念や、このような回避傾向もストレスから自分を守る心の反応の表れと推察する。
 百瀬さんは抑留時代の自分の俳句について、厳しい評価をされ、抑留時代に俳句が支えになったかについては、語られない。70歳代ごろから生まれてきたシベリア抑留俳句を句集として編まれる過程は、先の戦争によって亡くなられた戦友への鎮魂と戦争を知らない若い世代へ「反戦」のメッセージを伝えたいという強い意志であり、自ら負った心の傷を抱えて「いまを大切に生き抜く」力となったと思われる。
 百瀬さんの句では、戦後約70年の時を経て結晶となった、“毛布欲し丸太の棚に俘虜遺体(寒極光)” “死者の衣を分配の列寒極光(寒極光)”のような人間のやるかたなく生きる様を洞察した句が生まれ、一方、晩年の句では、“俘虜に果つ我が身たりしを恵方巻”と生涯消えない俘虜としての記憶に苛まれながらも、行く末の幸せを願って食べる恵方巻に、自分のこれまでの生き方の受容を見て取ることができる。
 さて、井筒さんは、「満州追憶」として纏めたメモから俳句を詠み、加藤楸邨主宰の寒雷に投句をされ、主宰の選を受けた百句を、句集にして満州開拓犠牲者の三十三回忌の法要記念にされたことは、先に紹介したところである。
 主宰から認められた百句を集める三年の年月は、満州での暮らしや過酷な引揚げの足跡を一歩づつ残す、大変な過程であったと思う。
 井筒さんは、『生かされて生き万緑の中に老ゆ』の「はじめに」の中に、~自暴自棄になって行った大陸の花嫁。について、死線を超えて培った心の友を得ることができたことは、幸せである。と記されている。
 また、生涯学習として取り組まれた「写経」の中から体得したことについて、~不幸な生い立ちの人生に「いつどんな場合でも私は誰かに助けられている。その誰彼はみな御仏の化身だったのではないだろうか~と『生かされて生き万緑の中に老ゆ』16「川」において書かれている。
 これは、井筒さんか72歳頃の記述であり、その後も井筒さんは、老人福祉センター及び中国残留邦人支援活動語部や語部としての活動を続けておられる。
 しかし、80歳を迎えた井筒さんは、戦争の記憶を今のうちに書き残したいと、2001(平成13)年に『大陸の花嫁』を自費出版されている。
 2015(平成27)年に井筒さんは、永眠されていらっしゃるので、俳句が生きる支えになったかを確かめる術はないが、井筒さんの『大陸の花嫁』の巻末「戦争を語り継ぐために」の中で、新谷陽子(亜紀)さんはP.223に以下のように書かれている。
 さらに、母の「俳句人生」も幸いしたのでしょう。母は若い頃から、自分の思い出をうまく凝縮させて、俳句として昇華させることを心得ていました。どんな逆境においても、膨れ上がってくる自分の悲しさや苦しさ・怒りといったマイナス感情も、そのエキスだけを句の中に押し込めることで、抜け道を作り、気持ちを前にしゃんと向かせることができたのだと思います。 そして、日常的には娘の私や孫にまた語部として人々に戦争の愚かさを語り伝えることで、逆に生きる力を得てきたのかも知れません。
井筒さんの「平和への祈り」というブログの中で、娘(陽子)さんは、井筒さんの最晩年の“死も良しと死をうべなえる夜長かな(紀久枝)”を紹介し、波乱に満ちた前半生に比べ、後半生はとても穏やかで幸せに過ごされ、静かで安らかな旅立ちを迎えられたと述べている。
 また、百瀬さんと井筒さんの共通点として、同じ体験をした人々への鎮魂と、戦争を知らない世代に語り継ぎ平和への願いを広めることへの使命感がご自身の生きる力となったものと推察する。
 
 ほぼ1年に渡り、筆者のシベリア抑留俳句及び満州引揚げをたどる拙い文章の「俳句新空間」への掲載をお許しいただきました筑紫磐井先生、執筆にあたり取材にご協力いただいた、山田治男様、中島裕様、百瀬石涛子様、新谷亜紀(陽子)様、執筆にご理解頂きました小田保様ご遺族の小田照子様、白須朋子様、高木一郎様のご遺族高木哲郎様、取材による時代考証にご協力いただきました、戦場体験放映保存の会の田所智子様、この旅を一緒にしてくださり、励ましてくださった読者の皆様に深く感謝いたします。
 最後に、この文章を4年半のシベリア抑留生活を語らず60歳で他界した父への献辞といたします。

参考文献
句集『俘虜語り』百瀬石涛子著 花神社 平成29年4月20日
『生かされて生き万緑の中に老ゆ』1993(初)生涯学習研究社(NHK学園指定教材代理部)発行
「平和への祈り」井筒紀久枝 編集人 新谷陽子(亜紀)2019.8.23更新


0 件のコメント:

コメントを投稿