2020年4月10日金曜日

【俳句評論講座】テクストと鑑賞⑤ 渡部テクスト(2)

【テクスト本文】
鑑賞 幻想の俳人 有馬朗人
                   渡部有紀子

 既刊の句集を全て読み通して、有馬朗人という作家は幻想を詠むことに長けているとつくづく感じた。こう書いてもおそらくすぐに肯定的な反応を得られることはないだろう。なるほど、これまで有馬朗人が評価される際には、単なる旅行者の眼を超えた海外詠しかり、豊富な知識に裏打ちされた知的操作に富む句しかり、全てに(良い意味での)「教養主義」(筑紫磐井「三つの視点―『不稀』を読む―」「天為」平成十七年四月号)という賛辞が送られてきた。

 だがここで一度足を止めて考えたい。有馬朗人は単なる「教養」の一言だけで片付け得る俳句作家なのだろうか?もちろん、原子核物理学の世界的研究者であり、八十代後半となった現代に至るまで常に海外の教育機関より招かれ、一時は文部科学大臣として国の教育行政にも携わり、世界の神話や宗教、詩学、歴史といった各方面への造詣が深いことは有馬朗人のゆるぎない知的好奇心とたゆまぬ努力の賜物である。しかし、それだけでは単なる「物知り」の俳句作家にすぎず、豊富な知識を披歴しただけの俳句では難解と評されるだけに終わっていただろう。

 ふらここのきしみ輪廻を繰り返す
 大寒やアダムと神の指の距離
 蝶はがれ舞ふや最後の審判図


 第八句集『鵬翼』のあとがきにおいて有馬朗人は俳句を「自然中心のアニミズム的思想に基づいた文化活動」と定義付けている。ここから筆者は、日本とは文化の異なる海外であっても、各地の地理的条件が織りなす自然の景物の中に生命の秩序を見出すアニミズム的発想が当てはめられることに有馬朗人は気づいたのだと、かつて指摘した。(渡部有紀子「有馬朗人 海外詠の方法」『有馬朗人を読み解く⑧ 鵬翼』二〇一九年)
 眼前の実景に潜む「何者かの気配」を察知する感覚で一句に仕立てているのが朗人俳句の世界である。知識はそれらを引き出すための手段に過ぎない。ふらここの軋む音の繰り返しは輪廻転生を思い起させ、神が最初の人間アダムに命を吹き込む瞬間の、まだ指の触れあわぬ僅かな距離こそが大寒と有馬朗人は我々に提起する。そして、最後の審判が描かれたフレスコ画より剥がれおちた絵具の切片が蝶となって舞う幻想世界へ我々を誘い込む。
  このような句の作り方は急に会得されたものではなく、第一句集『母国』の頃から既にあったことが認められる。

 梨の花夜が降る黒い旗のやうに (『母国』)
 蜥蜴走り去り時計の針となる (『母国』)
 影を売るごと走馬灯を売る男 (『母国』)


 『母国』より三句引いた。この頃はまだ知的操作による作品は少なかったものの、現実とは異なる世界の存在を確かに感じさせる。

 水中花誰か死ぬかもしれぬ夜も (『母国』)
 冴ゆる夜を鈴振り行きぬ凶神 (『知命』)


 「死」「凶神」と他所からやってくるものを捉える感覚の鋭さを即物的に一句に仕立てている。夜や影は朗人に句を作らせる格好の舞台装置である。
 第一句集『母国』の前書きで、山口青邨は朗人の作品に「メルヘンとか、童話とか、牧歌とか、さういふ叙情に豊かだ……童話的とか童心といふことは詩の古里」という言葉を贈った。実景をただなぞるのではなく、そこから想起される詩世界を作り上げていくことを、有馬朗人は最初から志向していたと言えよう。そのような朗人が三十歳代で最初に渡米して以降、諸外国の自然の景物に触れる中でその土地の人々の生活の基底にある宗教や神話・伝承に関心が向いていったのは不思議ではない。

 創造ブラフマーの微笑みに蝶生まれ継ぐ
 サーカスや白夜の空へ身を投げる
 語部の黙深かりし遠雪崩


 右の三句はそれぞれミャンマー、ウクライナ、秋田県横手市での句だが、蝶の羽化や空中ブランコ、語部を囲む子どもたちといった場面設定によって、読者は我々の生きる世界のすぐ隣にあるもう一つの世界へと入り込む。有馬朗人が専門とする物理学では、直接手に触れることはできなくても確かにそこにあるらしきものの存在は、原子核の融合や粉砕といった働きかけによって発生する粒子やガンマ線の計測によって確認されるという。朗人俳句においてもまた、作者から働きかけられた句の言葉によって我々読者の胸中に景が立ち上がる時、幻想世界の存在が確かなものとなる。
 同時にもう一つ重要な点は、朗人俳句はそこに永住しない者、やがて去る者としてのドライな視線を強く感じさせることである。第一句集『母国』に〈異邦人どうしが分つ木椅子の冷え〉〈落葉掃く黒人肌を輝かし〉とあるように、アメリカ滞在中の一時期、黒人の多く住む地区に居を構えたことがあったが、これは自らを異邦人と認識するからこそ、黒人差別の実態を【知りたい】と願い、西洋文化の根底にあるキリスト教的思想を聖書から【学ぶ】。徹底的な他者としての自覚から「乾いた抒情」は生まれている。

 十戒を得し地の井戸の雪解水 (『知命』)
 街あれば高き塔あり鳥渡る (『知命』)
 水温むガリア戦記の大河かな (『黙示』)

 幼少時より大阪、野田、橋本、浜松、そして東京と住まいを変えることが多かったからだろうか。転居の理由も後半は、実父の病や逝去といった自分の力では及ばないことに依ったからだろうか。常にどこに行っても朗人俳句にはその土地の者になろうという気負いや土にまみれたような匂いが感じられない。歴史的、神話的なモチーフに絶妙な季語を付けることで、その土地の人々の生活を垣間見しているかのような感覚を読者に抱かせる。両親については、第十句集『黙示』においてこれまで以上に多く作品が掲載されている。

 父母の流寓の地や獅子ばやし
 あの窓に父の魂魄夕桜
 梨の花流寓の地に残る家
 もらひ風呂せし遠き日や梨の花
 父焼きし野辺のはづれの菫草


 具体的に親と交わした言葉や遺品などを詠むことはせず、ただ事実だけを淡々と述べ、ここでも乾いた抒情に徹している。

 蠍座のマヤの森より這ひ上る (メキシコ)
 夏の蝶白し韓方医薬街 (韓国)
 斧沈め白夜の森の小さき湖 (オランダ)


 句集『黙示』は第五十二回飯田蛇笏賞だけでなく、第十七回俳句四季大賞も受賞した。選考委員の一人である星野高士は、海外詠の作品については、読者が未体験の地名であると深く鑑賞するのが難しいのではないかという危惧を抱いたが、『黙示』の作品に関しては、自分もそこの地を訪ねたくなるほどの力を感じたと述べている。これは、句の詩情に惹かれたからに他ならないのだが、もし実際にその土地に足を運んだとしても、俳句に描かれた景色そのものに出会うことはおそらく難しいだろう。有馬朗人の乾いた抒情によって差し出された景は、読者と作者の間にのみ存在する詩の世界なのだ。
 有馬朗人は第一句集『母国』にある「黒い旗のやう」な夜や「死」「凶神」といった別の世界からやってくるものに魅せられた経験から、諸外国の神話や聖書、、古代史を読み漁った。そこで得た知識は、やがて詩情豊かな幻想に満ちた句の世界へと結実したのだ。有馬朗人の俳句は読者を魅了してやまない。

【角谷昌子・鑑賞と批評】
 簡単ですが、気づいたことを書かせていただきます。

 渡部さんには、俳人協会新鋭評論賞への応募はじめ、評論講座にも熱心にご参加いただいています。このたびは、さっそく師事されている有馬朗人論をご提出されたことを嬉しく思います。
 「幻想の俳人」とのタイトルは、心惹かれるものの、「幻想」とは、現実からかけ離れた想念、との認識があるので、そのテーマをどのように論じてゆかれるのか、とても興味がありました。
 まず、冒頭段落ですが、「知識に裏打ちされた知的操作に富む句」とのご指摘は、もう少し説明を要するかとも思います。かつて中村草田男が山口誓子、金子兜太や、ほかの俳人の作品に対して「知的操作」を恣意的な態度だと強く批判していたので、孫弟子の自分としては、この言葉につい、マイナスの反応をしてしまいます。
 また、筑紫磐井氏の「教養主義」との評価も、「賛辞」とお書きですが、もしかすると筑紫氏の論が揶揄かとも受け取られてしまうので、積極的かつ肯定的な解説が必要かとも思います。(もちろん、このあとを続けて読んでいけば、肯定的な評価と分かるのですが)

P2 「ふらここ」「アダム」「最後の審判図」の例句のすぐあとに、鑑賞を入れて、それから持論を展開されると、読者を引き込むことができると思います。
 タイトルに「鑑賞」とあるので、ほかの引用句すべてに対しても、ご自身の鑑賞を入れたいです。おそらく、紙幅が限られているか、今回提出された「鑑賞 幻想の俳人」に、さらに肉付けして有馬朗人論を執筆されるおつもりなので、鑑賞は省略されているのでしょう。

 第一句集『母国』は、有馬氏にデラシネの思いがあり、かえって祖国へのいとしさがかきたてられ、作者の存在が強く顕ち現れた句集です。有馬氏の句集の中では、ことに現代詩的手法の反映した一集だと思います。この句集に「知的操作」は薄いようなご印象とお書きですが、どうでしょうか。

P6 「幻想世界の存在が確かなものに」との記述があります。もうすこし納得できる解説が欲しいところです。また前述した通り、引用句には、鑑賞が必要でしょう。鑑賞から読者は、その俳人の世界にますます魅力を感じることができます。せっかく引用されているのに、鑑賞がなくて俳句を挙げるだけだと、その句集の存在も薄くなります。(ですので、『黙示』に関する論考との読者の意識も低くなります)
 ここでは、キーワードの一つ「乾いた抒情」としての対象との距離感や客観性を鑑賞で示してから、持論を展開していただいたら、いかがでしょう。

 最終段落、蛇笏賞・俳句四季賞両賞受賞に至った第十句集『黙示』についての結論で、「知識」から「詩情豊かな幻想に満ちた世界に結実」との評価ですが、少々急ぎ過ぎている印象です。やはり紙幅のためと思いますので、全体の構成を考え、『黙示』にウエイトを置いた評価を丁寧に結語したいところです。

 以上、感想を思いつくまま、書かせていただきました。「幻想」と「虚」の世界は違うのでしょうか?イマジネーションの飛躍、土着よりも、さらに洗練に向かい、知的世界を昇華させる朗人俳句をぜひさらに論考していってください。
 最後に、筑紫さんの「教養主義」との賛辞について、また次のような山本健吉の言葉など、先人の評論を盛り込むとさらに立体的になるかと思います。

(たとえば、一例として、次の言葉がご参考になれば幸いです。)
山本健吉:〇「伝統あるいは歴史的形成作用に結びつくことによつて、個性が無私の普遍的表現を獲得」する。
     〇「土地の精霊との唱和」によって「叙景詩がたんに個性的な叙景的感動たるに止まらず、没個性的な条件を充たすことのうちに、詩の社会的機能を果たす」
     〇(芭蕉について)「詩としての普遍性・永遠性を志向した結果、改作することによつて事実を裏切る」「詩は現実が動機となつて創りだされるものであるが、同時に事実を拒絶することによつて始めて作品となる」

【筑紫磐井・鑑賞と批評と論争】
  渡部有紀子「鑑賞 幻想の俳人 有馬朗人」を読むにあたって少し予備情報を入れておきたい。
 津久井紀代氏を中心とした有馬朗人研究会という勉強会があり、有馬朗人氏の10冊の句集『母国』から『黙示』までを解読した研究が行われた。その成果は、句集1冊ごとに解読本1冊が出されると言う成果が出され、本年4月8日の奥付で『有馬朗人を読み解く⑩ 第十句集『黙示』蛇笏賞受賞作』が刊行されている(私の手元にはもう少し早く頂いているが)。この『有馬朗人を読み解く⑩』では参加者20名ほどの名前が挙がっており、共同研究なのであるが、その最初から最後まで参加している一人が渡部有紀子氏なのである。
 『有馬朗人を読み解く』シリーズは句集1冊ごとに鑑賞・研究されているが、これを横軸とすれば、いきおい句集を通覧した縦軸の評論がなされてしかるべきである。他の人たちがどのようにのぞまれているかは分からないが、その中でいち早く縦軸論文として書かれたのが「鑑賞 幻想の俳人 有馬朗人」なのである。
 その意味では『有馬朗人を読み解く①~⑩』が背景にあることを知って読むのが望ましい。この論では数句集から任意に作品が抜粋されているが、それは恣意的ではなく『有馬朗人を読み解く①~⑩』を踏まえて選ばれていることはよくよく承知しておきたい。
      *
 問題は切り口であろう。既に角谷氏が的確な論評を総論風に書かれて頂いているので、少し個別の話題について言及して見たい。私に係わる事なのでやや辛口になるかもしれないがお許しいただこう。
 渡部氏は、私が「天為」に書いた評論を引いて、「全てに(良い意味での)「教養主義」という賛辞が送られてきた」と言われている。これに対し角谷氏は、「筑紫磐井氏の「教養主義」との評価も、「賛辞」とお書きですが、もしかすると筑紫氏の論が揶揄かとも受け取られてしまう」と述べられている。これは論者である私の日頃の発言・行動から要らざる議論を呼んでしまっているのかもしれず、いたく反省しているところである。
 ただそれはそれとして、教養主義と言った理由は、私自身有馬氏は教養主義以外の何物でもないと感じたこと、そして教養主義がかつての大学の理念として至上の価値を持っていただろうことを申し上げたかったからである。数年前に、俳句講座のシリーズの監修・執筆をしその題名を決める段で、私が「教養」講座がいいのではないかと提案したところ、大学教授たちは猛反発をした。既に、教養という言葉は大学で十分胡散臭いものとしての価値観が定着していたのだと実感した。ただ当時の社長が強引に私の案を推し、『俳句教養講座』3巻が角川から発刊されている。しかしその後の教育行政を考えてみると、教養を捨てたことは間違いだったのではないかと思っている。たぶん有馬氏も同感だと思う。平成10年8月号の「俳句界」に載っている私が有馬氏に行ったインタビューでは、意外なことに他の誰よりも三鬼が好きだったこと、青邨のドイツ教養主義の影響を受けていること等を語っている。
 もう一つは、第八句集『鵬翼』のあとがきで有馬氏が述べている、俳句は「自然中心のアニミズム的思想に基づいた文化活動」という発言を渡部氏は高く評価しているが、充分な検討が必要であるように思われる。本人が言った言葉だからと言って、有馬氏を律する金科玉条となるわけではないだろう。物理学者としての有馬氏(特に教養主義の有馬氏)からどのような思考経路でアニミズムが出て来るか、渡部氏自身の言葉で説明してもらわなければならない。アニミズムの主唱者である金子兜太や稲畑汀子や小澤實(不思議なことに皆人文科学系だ)とは少し違うはずである。
 以上、論争を期待します。
    *
 少し冒頭に戻って、有馬朗人研究会についていうと、「俳句界」の4月号でこの研究会のレポートが載っており、澤田和弥氏の助言によって始まったものだと書かれていたのを見て感慨を禁じえなかった。『有馬朗人を読み解く①』を探してみてみると、確かに澤田和弥氏の名前がある。しかし澤田氏は、『有馬朗人を読み解く①』が出る直前に亡くなっている。澤田氏は有馬氏の序文を頂いた第1句集『革命前夜』を平成25年に出し、平成27年に亡くなっているのである。まさに革命前夜に、革命を見ることなく逝ったのである。今彼が種をまいた成果がこのように結実していることを彼は知らない。渡部氏ならずとも好いが、一度こうした研究会の顛末を書いてほしいものだ。せっかくの試みが忘れられてしまうかもしれないからだ。
 (澤田和弥氏は早稲田大学の出身で、同級生の高柳克弘を俳句に誘ったと言うように若い世代のかなめ役を果たしており、結社を超えて期待を担っていた。「週刊俳句」には彼に対する追悼文が多く寄せられている。「天為」の他に、大学の先輩である遠藤若狭男氏の「若狭」にも所属していたが、その遠藤氏も、澤田氏を見送ったのち平成30年に亡くなった。現代史もどんどん過去のものとなってゆくのだ)

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