●―1近木圭之介の句【テーマ:星または空】/藤田踏青
投稿日:2012年07月06日 カテゴリー:
行為としての詩。空の蒼は遠い
平成18年の作品で、この年圭之介は94歳であった。「戦後詩における行為」(注①)の中で寺山修司は「いかにして風景になるか」ではなくて、「いかにして風景から脱却するか」と述べ、主体的な詩の創造、直接の詩を書くべきと主張している。それは俳句等に関しての論の中でも、「<自己形成の記録>のような俳句やそれに続く短歌などは、<何もかも、捨ててしまいたい>、<書く>行為・<読む>行為によってそれらを全て葬り去ってしまいたい。」と述べている事にも関連して来るものである。
因みに掲句は詩を対象にしているように一見思われるが、俳句というものを詩として捉える立場からみれば、その行為は<書く>という表現行為と共に<読む>という俳句特有の付随する行為をも包含していると考えても良いのではないか。そして「空」はその対象としての詩の領域の無限さを、「蒼」はその奥深さを示しているものであろう。94歳にしてのその詩心への絶えざる希求の姿勢がここに見られる。圭之介もこの様に旧来の俳句の背景をぬぐい去ろうとしていたのである。
貝殻のなか空曇る 昭和29年 注②
空が曇るのは無花果の木から乳が流れ出るから 昭和52年 々
戦敗れた空 黄ばんだ魔ものふっと消えた 昭和60年 々
ここにある「空」は空間や時間やその意味から飛躍して、遠い処に置かれている。つまりイメージは一旦拡散してから別次元で焦点化している。私性の普遍化とはこのような経路をたどって為されてゆくのではないであろうか。
肉が骨が無防備 冬銀河 平成7年
阪神淡路大震災時の作品である。「肉が骨が無防備」の丸裸の措辞によって人間存在の脆弱さ、稀薄さが強く意識されてくる。またそこから精神が消し去られていることによって冬銀河への人間の相対化が無効にされているかの如くにも思われてくる。昨年の東日本大震災に於いても被災者は同様な意識下に置かれているのであろう。
戦前の句であるが、山頭火との交流の中にテーマに添った下記のような句もある。
明けの星を笠を背にして行かれる 昭和9年 注②
(昭和九年二月二十七日、山頭火ひょう然と来り一泊して去る)
遠い海のような青い空を 癒えている 昭和10年 注②
(昭和十年八月二十五日、南信飯田にて病み帰庵の山頭火を其中庵に見舞う)
秋のなか笠ふかく行くをみれば白い雲を 昭和10年 注②
(昭和十年十月半ば、つくし路に山頭火をおくる)
哀しいことがある 星がある 月が出る 昭和15年 注②
(昭和十五年十月十一日未明、松山の一草庵にて山頭火急逝す)
青い空、白い雲、星や月、全てが山頭火の思い出にと連なっていたのであろう。
注① 「戦後詩」 寺山修司 ちくま文庫 平成5年刊
注② 「ケイノスケ句抄」 近木圭之介 層雲社 昭和61年刊
●―2稲垣きくのの句【テーマ:流転】渋谷区千駄ヶ谷・三和荘時代/土肥あき子
投稿日:2012年07月06日
止めどなき流転舌焼く蜆汁
昭和41年10月に上梓した第二句集『冬濤』は、春燈叢書第32輯350部限定で出版され、「春燈」1月号の広告欄では既に好評売切と出ている。そして、翌年第6回俳人協会賞を受賞する。万太郎を失った「春燈」にとってもきくのの受賞は朗報に違いなく、「春燈」誌上では新年会の様子として、きくの・真砂女が額を寄せ合う写真が大きく掲載されている。
くさめして受賞のことば夢にあらず 「春燈」昭和42年(1967)2月号
とクールなきくのが喜びを素直に作品として残しているのはめずらしいことだ。3月25日、俳人協会賞の受賞式では、同時受賞した磯貝碧蹄館の作品とともに会長の水原秋桜子から「よくもああ大胆に振舞えるものだと思う。それで少しも定型を踏みはずすことなく、本当に若々しい」(「俳人協会会報」1967.5)と賞賛している。
そして春、きくのは四谷左門町から千駄ヶ谷に転居する。冒頭掲げた作品は「春燈」昭和42年(1967)5月号に掲載される。ここで初めて今回のテーマとした「流転」を、きくのが自身で自覚し、言葉として使用した。赤坂福吉町を出て、三カ所目の転居である。
「流転」とは、流れ移ることという意味とともに、言外にそうならざるを得ない業のようなやるせなさを感じさせる。さらに「舌焼く」が蜆汁の熱さであることは承知しつつも、「舌」という部位が持つ独特のニュアンスが掲句の孤独に艶を加え、贖罪を求めるごとき行為に発展させる。
花冷やとゆき戻りつして二間
目刺やく隠るるごとく移り棲み
新住所は千駄ヶ谷2丁目、千駄ヶ谷駅から徒歩10分ほど。きくのが暮らした「三和荘」は静かな住宅街にあった。現在同じ場所に建つ「神宮外苑ハウス」の家賃は1LDKで178,000円。住みたいエリアの上位にランキングされている町だが、きくのにとってこの転居はどうも気に染まないものであったようだ。
引越前の「春燈」4月号には
足袋にアイロンあな憎き顔足袋になれ
掴まれし尻つぼ男狐しどろもどろ
が並ぶ。きくの作品のひとつの特色でもある辛辣で直裁なアプローチである。ともすれば毒舌と捉えられかねない表現に、巧みなユーモアによって愛らしさを際立たせる。
同年8月号では「渦潮・牡丹」と題し、鳴門の渦潮で24句、長谷寺の牡丹で29句と協会賞受賞後の作品を精力的に発表する。A氏の死によって解放されたきくのは引越とともに、その前後には
それつきりかゝらぬ電話菜種梅雨
別るゝやひれ振るごとく春ショール
火蛾の如まとひつく愚はあへてせじ
など、あらたな悶着とともに別れを予感させる作品が並ぶ。そして「春燈」10月号。
星飛んで未来永劫ひとに恋
やはりこれでこそ、恋のきくのの本領であろう。
●―4齋藤玄の句【テーマ:星または空】/飯田冬眞
投稿日:2012年07月06日
癒ゆる日のために見ておく夏大空
昭和53年作。第5句集『雁道』(*1)所収。
〈癒ゆる日のため〉といっているのだから、この作者は病に臥せっていることがわかる。そして、この病人は来るべき〈癒ゆる日のため〉に〈夏大空〉を見ておくと宣言している。来年の夏にはこの空を見ることができるだろうか、いやできないかもしれない。そんな、病人の逡巡が垣間見えてくる。だからこの宣言がかえって、実現不可能かもしれないという病人の心情を読む者に想像させて、哀切な感興を生み出している。
年譜を確認すると齋藤玄は昭和53年の早春に直腸癌を発症。「4月12日手術。7月5日再手術。」とある。まさに掲出句は、来年の夏はないかもしれない状況下で詠まれたことになる。よって〈癒ゆる日のために見ておく〉の言辞が切実であったことが知られる。すでに記したように齋藤玄個人の歴史を知らなくても句意は明らかなのだが、年譜と照合することによってこの句を補完することができるような気にさせてくれるので、あえて引いた。
胎の子のために見ておく寒昴 遠山陽子 『黒鍵』
遠山陽子氏は三橋敏雄の高弟の一人。はじめ藤田湘子、のちに三橋敏雄に師事。敏雄の研究誌「弦」主宰。「面」「雷魚」同人。三橋敏雄と齋藤玄は同時期に「京大俳句」に席をおいた西東三鬼の弟子。よって、遠山氏と齋藤玄は三鬼一門の叔父と姪にあたる関係ということになろうか。
それはともかく、齋藤玄の掲出句と遠山句を比べると、その趣きの違いはあきらかだ。
齋藤玄の〈夏大空〉の句は、過去の記憶と向き合う作者像が屹立しており、死のにおいが揺曳している。その主情に共感しうるか否かは、感覚的な問題であり、作者の実人生に対する有知無知を問わない。だが、作者が癌に侵された身であることを理解したうえで読みかえすと〈夏大空〉には、健康への憧れや開放的な北海道の夏の大空が象徴的に用いられていることがわかり、一句に対する共感は深まってくる。だが、ある意味〈夏大空〉の語にもたれかかった俳句構成であることも確かだ。
一方、遠山作の〈寒昴〉の句からは、〈胎の子〉と自分自身の未来に思いをはせている妊婦の姿が浮かび上がる。母になろうとしている若い女性の緊張感と向日性とでも言うべきひた向きな心情が、澄み切った冬空に輝く〈寒昴〉によって象徴的に表現されている。この句には作者の実人生という補助線はむしろ不要であり、実人生に還元して鑑賞してはかえって情感がそがれるたぐいの句ではないだろうか。妊娠期における女性の普遍的な心情を詩に昇華した作品として評価できる。
いつの日の山とも知れず夏大空 昭和52年作 『雁道』
掲出句に先行する齋藤玄の〈夏大空〉のオリジナルとでもいうべき作である。掲出句〈癒ゆる日のために見ておく夏大空〉と同じく、下五を〈夏大空〉でおさえている構造を持つ。この作品はすでに「風土」の項でとりあげたので、詳述は避けるが、句から立ち上がる印象は掲出句よりも格調が高く、雲泥の差と言わざるを得ない。
〈いつの日の〉の句は、〈夏大空〉の下で感じた、作者の記憶のゆらぎを的確に描写した秀句である。句意としては、眼前の山がいつかどこかで見た山の記憶と重なり、既視感と現実感のはざまで齟齬をきたして混濁してゆくが、夏の大空は変わることなく広がっていたというもの。表現はおおらかだが、内実は、重い情念が渦巻いている。凝視が生み出した幻視が自然界を浸食する一瞬をとらえている点で、この句は作者の実人生を知らずとも、鑑賞に堪えうる強度を持っているのである。
三句を比較してわかったのは、前回と同様に、「あはれ」と「かなし」の違いのようである。つまり、〈夏大空〉や〈寒昴〉という対象と共振しながら自己同一化あるいは客観化するとき詩は現出するが、〈癒ゆる日のため〉の句のように内省化すると俳句は強度を失うということだ。だが、自己の無力感を詠う詩形もこの世に存在してはいる。
*1 第5句集『雁道』 昭和54年永田書房刊 『齋藤玄全句集』 昭和61年 永田書房刊 所載
●―9上田五千石の句【テーマ:星または空】/しなだしん
投稿日:2012年07月13日 カテゴリー:
外寝して星の運行司る 五千石
第一句集『田園』所収。昭和三十二年作。
自註には〈カメラを北極星に向けて固定し、絞りを解放、距離を無限大に数時間露出すると星の運行が渦をなして映される。これを「星野写真」と呼ぶそうだ〉と記す。
◆
掲出句は『田園』の、前回の「日の句」で紹介した〈炎帝に召し使はれて肥担ぐ〉の次の収録句。
五千石には多くの星の句があることは、連載の第1回から第3回等で書き、作品を紹介した。
ゆびさして寒星一つづつ生かす(第1回)
木枯に星の布石はぴしぴしと(第3回)
冬銀河青春容赦なく流れ(第21回)
など、その句の多くは冬の星を詠んだもので、これらは感傷的、感情的であり、季節からしても厳しい冬の印象が強く出ている。
一方、掲出句の季語は「外寝」で夏。「暑さで寝苦しい夏の夜、戸外に寝ること」である。掲出句では、満天の星の下で眠る場面。たとえば高原などでのキャンプなどが想像され、ある種の避暑も感じられる。自註にあるカメラの視点で、星空の下にじっとしていると、目にはその時の点でしかない星々だが、頭の中でカメラのシャッターを解放していると、過去から現在へ星の動きが線として記録されてゆく。星の運行という時間の流れを凝縮するように。
◆
自註にある「星野写真」という言葉は知らなかった。「ほしの」ではなく「せいや」と読むようだ。一般的な言葉ではなく、夜空の写真撮影の分野で使われる言葉のようである。「カメラを北極星に向けて固定し、絞りを解放、距離を無限大に数時間露出する」というのは撮影手法のひとつで、この他にもさまざまなテクニックがあるらしい。星の撮影は一般的には難しく、私もカメラは使うが、綺麗な星の写真を写せたことがない。ちなみに「星野写真」でネット検索すると、美しい星の写真を見ることができる。
◆
前述の冬の句とは季節が変わることで、随分開放的な印象になる。だが、掲出句は下五の「司る」に、この頃の五千石の若さと強さが出ていると、私は思う。
●―10楠本憲吉の句【テーマ:妻と女の間】/筑紫磐井
投稿日:2012年07月20日
酒場やがて蝋涙となり誰か歔欷
昭和40年の作品、『楠本憲吉集』所収。
直接女性の字は出てこないが、やはりこの句は「妻と女の間」で取り上げるにあたいする句であろう。とりわけこの句は次のように読むとき、俄然、憲吉の色彩を帯びる。
酒場 やがて蝋涙 となり誰 か歔欷
酒場にバーのルビは憲吉自らが付けた。当然目の前に広がる光景は、ホステスのこみあげるすすりなきにみながぎくりとする、歓楽の行き尽くす夜である。時に灯は煤を上げて燃えしぶり、醜い蝋燭の滓は積もり積もって燭台を汚して行く。
憲吉が得意然としているのは、自句自解に平畑静塔の次の解説を掲げたことからも分かるであろう。
「灯火の時のただれたる華麗の時終れば、卓上に燭を立て蝋火の時と変じ、興を薄命の悲哀に切り替えんとするのか。この時、夜の蝶属は、蝋涙の身と化身して、誰かひとり声をひそめてすすり泣く声を薄命の卓上に漏らそうとするのであるか。それとも多感の遊子、ひそかにこの暗転に乗じてこみ上げくる悲哀に、わが胸のうちの悲しみにすすり泣かんとするのか。ともあれ、酒場深夜の一興の景である。」
新興俳人にして精神科医の静塔がどういうつもりでこんな鑑賞を書いたか分からない。蒲原有明調の、しかし軽薄な文章は、いたく楠本憲吉の御気に入ったようである。
酔うて漂う深夜の海市誰彼失せ
同じく昭和40年の作品、『楠本憲吉集』所収。
これも自句自解に平畑静塔の次の解説を掲げている。
「この句も銀座夜景である。深夜の銀座は酔漢のものだ。(中略)わが傍らにいる者、通り行く者、すべて酒精の魔手に操られたる人間のみとはなった。酔歩蹣跚、漂流の舵を操る深夜の車を縫うて、異様幻影の竜宮、桃色なせるハレムの殿堂かと近づけば、風なくして蜃気楼はゆらりと動く。酔友いつしか身辺にあらずして失踪し、われひとり海彼の魔境に流れつかんとするのかと、作者は酔いを忘れて、深沈の憂いにとらわれたのである。」
実はこの文章を写しながら評者は腹を立てているのである。こんな鑑賞やこんな批評が二度と再現されて欲しくはないと切に思う。まるで、昭和の黄表紙の世界ではないか。おまけに、憲吉はこの誰彼が西東三鬼と石川桂郎だと落ちまで付けている。これがかっての俳壇の有様だったわけである。若い人々に侮蔑されて当然である。
ただ不思議なのは、こんなどうしようもない鑑賞から離れて、俳句だけは自立していることだ。私がこの句を取り上げているのも、俳句だけは侮蔑していないからである。いやそもそも俳句が不思議なのは、人格下劣、没道義、思想も品性も、理想さえなくても、名作佳句を作ることができることだ。詩人や歌人や小説家が信じられない世界が俳句にはあるのである。批評を拒絶して、作品だけが佇立することを信じて疑わないで欲しいと思う。
●―12三橋敏雄の句【テーマ:『眞神』を誤読する】52.53.54/ 北川美美
投稿日:2012年12月14日 カテゴリー:
52.やまかがし窶(やつ)れて赤き峠越ゆ
案山子(かかし)ではなく、カガシ、蛇である。
毒蛇が疲れ果て《赤き峠》を越える。あるいは、ヤマカガシが《窶れて赤き》となり、峠を越えるという読みもできる。「赤き」がヤマカガシなのか、峠に掛かるのか、どちらだろうか。敏雄句の特徴である「赤」。この『眞神』にも「赤」の句が何と多いことだろう。
鬼赤く戦争はまだつづくなり
霧しづく体内暗く赤くして
水赤き捨井を父を継ぎ絶やす
やまかがし窶れて赤き峠越ゆ
産みどめの母より赤く流れ出む
身の丈や増す水赤く降りしきる
傾向から言うと、「赤」はヤマカガシに掛かっているようだが、蛇が赤くなる、という現象は調べてみたが、立証できそうもない。元々赤い蛇というのは、蛇の中の「ジムグリ」の幼ヘビがある。そうなると、「やまかがし」という蛇の種類が登場しているのならば、やはり「峠」に掛かる、という結果になる。
「赤き峠」。曼珠沙華が沢山咲いているような峠だろうか、紅葉の峠だろうか。無季句でありながら季節を感じさせることができるのも俳句の力である。
53.沸沸と雹浮く沼のおもたさよ
雹(ひょう)が浮く沼の面を境に、沼に表と裏があるように読める句である。
雹は沸々と湧き上がるように浮くが、雹の落ちた沼はどろどろと重たい。なんということでもないのであるが、それが俳句になる不思議さがある。ふと読者を考えさせることができるのが俳句の短さ故の魅力である。
蓮の花が浮く水面が天国と地獄を意味するように思えるのだ。蓮の咲く季節だけが天国ではない、寒い季節にも天国と地獄がある。
54.木を膝を山蟻下りて日かたむく
敏雄俳句には映像の世界がある。ふと、登場する山蟻が、誰もいなくなった村に生き、足早やに木を、そして我の膝を下ってゆく。
「日かたむく」は31句目の
日にいちど入る日は沈み信天翁
と呼応しているように思える。また同時期に作られた句ではないかと思っている。同じ日常が繰り返されていく自然界の営みである。
俳句はひとつ、あるいはふたつくらいの動作しか書けないだろう。しかし山蟻が木を、そして膝を下るという上五中七のたった12音の言葉で矢継ぎ早やな山蟻の様子を表し、「日かたむく」で午後の地球の自転をも感じさせる。小さな景から大きな景へと俳句にも絵画に似た遠近法があるのである。その軸がすこしずれるというセザンヌ的感覚を『眞神』には感じることができる。
●―13成田千空の句【テーマ:星または空】/深谷義紀
投稿日:2012年07月20日
寒星明暗我が身のなかに眠る妻
第1句集『地霊』所収。
千空に妻恋の句は多く、新婚当初はもとより晩年に到るまで数多くの作品を詠み続けた。掲出句もその一つであるが、今回のテーマは「星または空」であり、千空の妻恋句全般については稿を改めて論じたいので、ここでは触れないでおくこととする。
さて掲出句である。冒頭「寒星明暗」と、漢字ばかりの、しかも字余りの措辞がいきなり置かれている。千空作品の特色のひとつである剛直な詠みぶりがここにも現われていると言えよう。そして中七以降は対照的に、愛しい妻が自分の腕の中で眠るという、読む者の胸に染み入るような構図が提示されている。
季節は極寒、しかも本州最北の津軽である。冷たい北の夜空に瞬く星の輝き、そして明滅。こうした深遠なるものと、妻という身近な愛すべき存在。寒の極みと生身の温み。見事なコントラストだと思う。この対照の鮮やかさとスケールの大きさにより、人が生きていくことの崇高さと、同時に味わわなければならない切なさが読者の胸に響いてくるのだろう。
第5回(テーマ:風土)で述べたように、千空は所謂「風土俳句」には否定的であり、今を生きる人間をこそ詠うべきだ、と主張した。その折も引いた千空自身の言葉を再度掲げよう。
「われわれは風土に生きていることは間違いない。と同時に、現代に生きているんだ。現代に生々しく生きているということと風土に生きているということ、この二つの問題を俳句の世界で生かす必要があるだろう」と。
(角川選書「証言・昭和の俳句」より)
掲出句もこの主張に沿ったものと言える。千空の眼差しは絶えず人間そのものに注がれ、千空にとって人の営みこそが俳句なのである。
●―13成田千空の句【テーマ:日】/深谷義紀(前回26回に書き漏らした鑑賞である)
投稿日:2012年07月20日
秋日濃しめし屋に味噌の握り飯
今回のテーマは、「日」である。このテーマで真っ先に頭に浮かんだのは、
腰太き南部日盛農婦かな 『天門』
であるが、この句は既に第20回(テーマ:女)に軽くではあるが一度採り上げたため、今回は別の句を俎上に乗せることとする。
掲出句は、第4句集『白光』所収。
仕立ては単純、句意も明快だ。一読してすぐ、秋の昼の食堂の光景が目に浮かぶ。降り注ぐ秋の外光と、油や煙の染みた仄暗い店内。造作といえば、長年使い込んだテーブルや手書きのメニュー。洒落た装飾など何もない、でも妙に懐かしく気分が落ち着く、そんな店だろう。
そして作者が頬張るのはシンプルな食事の極みの握り飯。少し歪な形かもしれない。味付けも味噌だけ。至って簡素な景色である。だが、作者はこの味噌握りをこよなく愛していることが伝わってくる。
時間が止まったような、或いは時代を超越した風景というべきか。セピア色の古い写真を想わせるが、秋の日差しは濃く眩しいほどの輝きを見せる。混じりけなしのリアリティによる句だと思う一方、どこか異次元の要素も感じる。虚と実が交差する不思議な世界が広がっている気がする。ふと「根元的」という言葉を思い出した。