中村草田男(なかむら くさたお、1901年〈明治34年〉‐1983年〈昭和58年〉)の家族への眼差しが私は好きだ。
万緑の中や吾子の歯生え初(そ)むる
あかんぼの舌の強さや飛び飛ぶ雪
子を抱く林檎と乳房相抗ふ
万緑(ばんりょく)とは、眼に見える風景がどちらを向いても植物の満面の緑に満ち溢れていること。
中村草田男の伝えたいことへの言葉の探求力が凄まじい。それは言葉として形になっていない裏側の試行錯誤自体は眼に見えないのだが形になった言葉から積み上げられ言葉の創意工夫と鍛錬がアキレス腱のように言葉の弾力性を持って感じ取れる。
生命の源である命の水に育まれて緑の生命力が眼の中いっぱいに緑で埋め尽くされる。そこに吾が子の歯が生え始めるという命の息吹と躍動感が比喩で視覚化しながら吾が子の生命の息吹の感動を詠う。
もともとは、王安石の「石榴詩」「万緑叢中紅一点、動人春色 不須多」が出典、中村草田男のこの句によって新季語になったとされている。
吾子(あこ)への愛しみは、他の句、あかんぼの舌の強さや母の乳房と子の弾力を生命力のある力強い比喩「飛ぶ飛ぶ雪」「林檎と乳房抗ふ」で言葉の力を宿している。
降る雪や明治は遠くなりにけり
静かに降りしきる雪の中に明治は遠のいていく。生きるとは現在進行形で今という時が立ち止まることもなく過去という化石化していくことを思い知らされる。
玫瑰や今も沖には未来あり
中国植物名(漢名)は、玫瑰(まいかい)。ここでは、バラ科の「ハマナス」という野ばらの蕾のことを指す。今という時の化石化は、この玫瑰(はまなす)の蕾が呼ぶ未来の開花を待ちわびる。その胸の内の切り拓かれた沖には、未来があるという。
葡萄食ふ一語一語の如くにて
葡萄を食うその唇からは、吸い込まれていく葡萄が口内で果肉や種に体内の細胞分裂するように分離し、甘未の宇宙を漂う。その比喩としてこの俳人は一語一語のようにと喩える。この比喩の的確さは、徹底的な観察眼の鍛錬と口中で何百回、何千回、何万回と言葉を咀嚼しながら一語一語を磨き上げてきたであろう中村草田男俳句のいただきなのだ。
秋の航一大紺円盤の中
曼珠沙華落暉も蘂をひろげけり
瑠璃蜥蜴故郷焼けて海残りぬ
白鳥といふ一巨花を水に置く
ラグビーの暮色はなほも凝りつ散りつ
秋の大海へ航海の帆を燈す。その一大紺の海と空の鬩ぎ合う時を円盤の中というダイナミックな比喩で中村草田男は、把握し直す。
曼珠沙華に落暉(夕日)がごうごうと蘂を広げる。その曼珠沙華と落暉のダイナミックな融合に唸る。
瑠璃蜥蜴は中村草田男の心境なのかもしれない。故郷は戦火に焼かれ海だけ残る。そこには、瑠璃蜥蜴の色と海の色が対比され生命力が浮き立つ。戦火によって焦土と化したその地には、人も自然もあらゆる万物を含めた命がそれでもきらきらと時の流れの中で立ち止ることなく歩み続ける。そんなこれまで確固としてあった価値が敗戦を境に戦死者と生き残った者たちと共に壊れ覆され、そして新たな価値が造られて来たのだ。
白鳥の着水を一つの巨大な花に喩えた名句だ。これらの比喩の醍醐味は、様々な俳人たちへとどのようにこの世界を表現するかをひとつの指針として指し示す。中村草田男俳句は、これまでもこれからも多大な影響力を持ち続ける。
夕焼けの暮色につつまれるラグビーの練習風景だろうか。その夕焼けの中をラガー等は、
激しくぶつかり合いながらスクラムを組み合いながら凝縮し、夕焼ける汗粒をきらきらと散らす。
共鳴句をいただきます。
大学生おほかた貧し雁帰る
冬蒲団妻のかほりは子のかほり
息の白さ豊かさ子等に及ばざる
父となりしか蜥蜴とともに立ち止る
蟾蜍長子家去る由もなし
海鳴りや落ちてゐるなる蟹の爪
軍隊の近づく音や秋風裡
オリオンと店の林檎が帰路の栄
白樺はもとより明し月の羊歯
妻二タ夜あらず二タ夜の天の川
蒲公英のかたさや海の日も一輪
玉虫の飛んで眉濃き島の娘(こ)なり
すでに古し田植の頃の蹄のあと
耕せばうごき憩へばしづかな土
ラグビーや青雲一抹あれば足る
銀河依然芽のまま萎えし病の芽
雪中梅この旅白くなりにけり
たべ物の切口ならび夜の深雪
つばめの歌結尾一音はじけたり
稲妻の何撃つとなく楽器店