2024年3月8日金曜日

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句 4.『和紙』作品をめぐって 筑紫磐井 

 次に第一句集である『和紙』ないし『和紙』時代の翔俳句をめぐる論評を紹介することとしたい。独断的ではあるが代表的な論評をあげ簡単にその内容にふれてみる。

 まず、和紙上梓以前の代表的論評から。


①「林翔論」能村登四郎(「新樹」24年1月)

 最も初期の翔論といえるものであり、特に著者と深い関りのある筆者の評論だけにひときわ興味深い。論ぜられた時期が一句投幻時代からようやく巻頭を得るに至る昭和二十三年までに限られるのは残念であるが、著者の抒情俳句が中村汀女や相馬黄枝を消化して生まれて来たものであること、一時「サロンで聞く室内楽」と称された句風が次第に独自の句境を拓いてゆくに至る過程が詳細に語られている。


②「このつつましき求心」能村登四郎(「俳句」44年8月)

 「俳句」の中堅作家特集で著者が取りあげられたとき、自選百句、略年譜と併せて<人と作品>と題して載せられた翔論である。国学院大学在学中から始まり、『和紙』上梓直前までの時期の作品とエピソードをまじえた紹介を行っているが、ここで筆者は翔俳句について常に内へ内へと向ける求道のこころが感じられるとともに、次第に明るい艶と張りのある円熟期に達して来ているとも指摘している。

引続き、『和紙』上梓後の、能村登四郎以外の論評を見てゆくこととしよう。


③「『和紙』礼讃」相馬遷子(「馬酔木」45年1月)

 筆者は波郷没後の「馬酔木」の同人会長、その誠実な人柄で著者が深く畏敬していた人である。同門の先輩として著者の句作を悉く見守って来たひとの評だけに緻密、斬新な鑑賞に溢れている。「これら(作品)をすべて地味というのは一寸当らないのではないかと反省させられる。著者の性格はたしかに地味だが、俳句には気魂が籠っている。」「(著者のもつ諧謔性にふれ)その裏にひそむ作者の複雑な感情は、単なる滑稽俳句に終らせていないのである。」「(ごとし俳句について)割合数が多くそしてその殆どが成功していることも著者の腕の並々ならぬことを証しているのである。」


④「和紙書評―普通列車の持つ人間味」松崎鉄之介(「俳句」45年12月)

 筆者は、能村登四郎における教師と林翔における教師の意味を考察し、「教師としての生き方を父君より受けた著者が、教師として生きて行くことはごく自然のなりゆきであり、著者の持つ謙虚さと誠実さが教師の内容をさらけ出しいじめ抜くようなことは到底出来なかったのであろう。」と述べられているのは、よく両作家の違いをとらえたものと言える。「憂愁という甘ずっぱい物でなく、人間から美を見出だそうとする作者の謙虚な姿が顕現されている。」は、とりわけ『和紙』後半の作風を美しく表現しているものと言えよう。


⑤「『和紙』断章」加畑吉男(「沖」45年12月)

 筆者は著者と同じ塔の会のメンバー。ここでは『和紙』初期の作品を抒情的であると言いながらも、「泳ぎ子よ岸辺翳なす夕餉どき」という句がある。初めは抒情的な美しさに魅かれていたが、現在はその抒情を超えて、ものの核心に迫るものを感ずるようになった。それはこの句が持つ造型性のゆえであると述べ、翔俳句についても「作品のバックボーンは写生であり、ものの本質を見抜く眼力である」という独創的な翔論を展開している。


⑥「林翔論」岡山貞峰(「馬酔木」48年11月)

 馬酔木作家研究のーとして執筆されたもので、ほぼ『和紙』の時代を概観して手際よくこの時代の著者の相貌を浮び上らせる。特に、求心的傾向、自然美の発見、沈静美、そして外光的明るさへの脱皮とその作風の展開をたどってゆく文章は快い。


この他の『和紙』論として次のものをあげておく。


⑦「林翔鑑賞」飯田龍太(『現代俳句全集』第6巻 みすず書房 34年刊)

⑧「求心のつつましさ」能村登四郎(「馬酔木」40年6月)

⑨「『和紙』の読後に」久保田博(「沖」45年12月)

⑩「和紙の裏側」能村登四郎(「俳句」46年2月)

⑪「句集『和紙』私見」富岡掬池路(「狆」46年9月)

⑫「林翔十句撰」今瀬剛一 (「俳句研究」57年10月)

⑬「『和紙』いさぎよい抒情」湯下量園(「俳句」58年5月)

⑭「清冽なる抒情」岡田貞峰(「俳句」59年11月)


この他若い作家によって論じられた評論がある。


⑮[流れの中の短い葦」渡辺 昭(「櫂」57年11月))

 根源俳句、社会性俳句、前衛俳句、イメージ俳句という四つの戦後俳句の中で著者がそれといかに格闘し、克服し、受容して来たかを追求し、逆に戦後俳句を個人の内面でとらえようと試みている。特にこの中で筆者は第三のものを重く見ているようである。


⑯「『和紙』の緩曲線」能村研三(同上)

 時間的にほぼ重り合う登四郎句集『咀嚼音』『合掌部落』『枯野の沖』と対比して『和紙』の推移を考察し、戦後俳句の流れに対して「登四郎は一つ一つを区切る鋭角な曲り方で戦後俳句の流れを泳ぎ、林翔は緩やかな曲線を描きつつ泳いできた」と結論づける。


⑰「林翔俳句の求めるもの」鎌倉佐弓(同上)

 翔句集『和紙』『寸前』『石笛』を対比しながら、著者の虐げられた者に向けられる目、傷みに注視し、翔俳句の諧謔性、笑いがこうしたものから切望される必然的なものであることを論じた。