2024年3月8日金曜日

英国Haiku便り [in Japan] (43)  小野裕三

 英国俳句協会


 最近、英国俳句協会(British Haiku Society)の会員になった。三十年以上の歴史を持つ協会で、充実した会誌を季刊(四季を反映させるために季刊らしい)で刊行する。英国から届いた昨年夏の号から佳句を拾う。

 after swimming

 the taste of salt

 in your kiss

     Claire Thom

 泳いだあと / 塩の味がする / あなたとのキス

 俳句だけでなく、俳文(haibun)も重視するのも特徴で、この傾向は西洋の俳句界に広く見られる。

 会員ハンドブック(写真)も届いた。英語で俳句を作ることについて日本の状況を踏まえつつイギリス人に向けて解説する内容で、日本人が読むと「なるほど、俳句や日本はイギリス人からそう見られていたのか!」と逆に発見がある。

 それによると、英語圏での俳句への関心には三つのパターンがあるという。「文学としての詩の一種」「禅に通じる生き方や哲学的啓示の源」「日本的芸術のひとつの真髄」の三つで、その立脚点の違いにより、俳句で重視することも異なってくる。季語は必須か、現代風俗を取り入れてもいいか、写生でなく想像もありか、などの点で見解が分かれるようで、そのことは日本の状況にも似る。

 だが加えて、英語圏に存在するある種の曲解のことも言及される。ある人々(禅や哲学を俳句に追求する人たちか)は五七五をどこか宗教性・神秘性を帯びた「神聖不可侵」のものと見做す、と述べた上で、しかし実際には日本では五七五は「警察の標語やTVコマーシャル」のような詩的でない言葉にも使われ、「いささかも神秘的ではない」と断じる。また、対象を前にしてその場で書かれるものが俳句だから事後に推敲してはいけない、と考える人も少数だがいるとのことで、それも過度な神秘化の一例だろう。

 そしてこのハンドブックに一貫するのは、そのような曲解を脱却して俳句の正しい本質を丁寧に腑分けしようとする姿勢だ。「二物衝撃」の手法を的確に解説し、また、「軽み」を重視して「説明」を忌避する姿勢は英語圏の俳人に広く共有されるとも語る。

 さらには、英語で「五七五にこだわることは結果として<言い過ぎ>になりがち」で、英語俳人の多くは、五七五よりさらに短い形のほうが俳句としてしっくり来ると感じ始める、と指摘し、「英語で俳句を書く人は、英語の自然な律動に相応しい(五七五には縛られない)形式を見つけるべきだ」とも提言する。充分な経験や理解を踏まえつつ、このように英語haikuは今や独自の進化を模索し始めた時期にあるのでは、と感じた。

(『海原』2023年4月号より転載)