2024年4月26日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(45) ふけとしこ

   リスボンより

エイプリルフールリスボンよりメール

万愚節デコイの首に緑濃き

花時や机に並ぶ貸しミシン

薄濁りするは田螺のゐるあたり

影長く人の去りたる春の浜


・・・

 割れた器が置かれていた。

 絶句。

 私の留守中に家人が電子レンジに入れてしまったらしい。

 ちょっと古い物で気に入りの鉢、金継が施されていた。

 何でよりによってこの鉢を使ったのだ!

 かつて所属していた「船団」で、会員各自一人旅をして短文と俳句で参加すること、という企画があった。

 思案の挙句、智頭鉄道に乗ってみようと決めたのであった。新聞記事で「宮本武蔵駅」なるものが出来たと読んだのをかすかに憶えていたからである。新駅が出来たのか、名前を変えただけだったのか、もう記憶もあやふや。

 智頭は鳥取県の東部、岡山県との県境の町。古くには因幡街道が通り、備前街道と交差する所で宿場町として栄えたというが、一度も訪れたことのない土地であった。

 鉄道に詳しいわけでもないから、智頭鉄道の歴史もよくは知らない。名前に惹かれて宮本武蔵駅で下車してみようと考えてみたが、各駅停車しか止まらない。智頭なら特急「スーパー白兎」で、大阪駅から2時間ほどで行ける。これなら十分日帰りができるだろうと考えた。白兎とは「因幡の白兎」伝説からの命名だろう。

 実行。

 初めての町、智頭は杉の町だった。手入れのされた杉山は壮観であった。町並も懐かしい感じである。  

 旧街道沿いの家々は花を植えたり、水舟を備えたり、杉の町らしく杉玉や木工品なども飾ってあったり……気持よく歩けた。

 予備知識無く訪れたのだが、観光案内所でかつて日活映画で活躍された西川克己監督の出身地なのだと知った。

 その縁でこの町が『絶唱』のロケ地に選ばれたとのことで、古い教会の建物を利用した「西川克己記念館」なるものがあった。入ってみたが、全くの無人、少し心細い。

 映画の台本やポスター、当時のスナップ写真、撮影に使用されたカメラなどが展示されていた。

 『絶唱』は何度か映画化されていて、智頭で撮影されたのは舟木一夫・和泉雅子が主演したもの。写真では出演者もスタッフも、エキストラなどで協力した町の人達も、当然のことながらみんな若かった。

 ビデオの視聴も出来るようになっていたが、座り込んでいては時間が無くなる。

 裏通りへ回って製材所の跡地や小さい畑などをゆっくりと見て回った。

 帰りもまた特急「スーパー白兎」に乗った。

短 文と俳句を書くのが宿題というか、目的だったのだが、私はどんな句を作ったのだろうか。はっきりとは覚えていないが、時々製材所の俳句が出来たりするのはこの時の記憶の断片によるものである。

 件の金継の器は旅の記念にと、駅前の小さな店で買ったものだったのだ。


金継ぎに唇ぬくし星月夜  檜山哲彦


 先頃亡くなった檜山哲彦氏の最終句集『光響』にこの句を見つけて、思い出したことである。

 駅で声をかけてくれた老婦人が「遠い所へよく来られたねえ。ここはドウダンツツジがよくてなあ、つつじ祭りがあるんよ。今度はつつじの頃に来られるといいよねえ」と言われた。

 今頃はそのつつじの花の時期だろう。山間の町だから、一斉に咲くのはもう少し先になるのだろうか。

(2024・4)