先頃完成した「豈」67号の秦夕美追悼特集を担当した。発行人・顧問への相談のなかでまず挙げたのは、全著作の書誌を掲載したいことと、年譜を作成したいこと、この二つが柱だった。
秦さんは日本女子大学在学中の20歳時(1958年)に俳句を始め、以来60年以上に亘り、ほとんど休むことなく作品を発表し続けた。著作は句集十九冊、句文集を含めると三十冊以上の著書がある。最初の関門は資料全冊を確認することだった。
国会図書館、俳句文学館に通いかたっぱしから資料を見て回り、さらに豈の先達たちからも多数の資料をお借りして、なんとか全冊を閲覧することができた。国会図書館では現在資料のデジタル化作業が進められていて、作業中の資料は閲覧できないことになっている。そこにしか所蔵のない資料が何冊かあり、三ヶ月ほど作業が終わるのを待たなければならない、という事態に直面したこともあった。
秦さんの所属誌は「馬酔木」にはじまり、「鷹」「渦」「犀」「豈」と続いた。これら所属誌を通覧するのは大変な作業だったが、その時々の空気を垣間見ることができる、貴重な体験でもあった。秦さんは後年、孤高の作家として北の一つ星みたいな扱いにあったように思うが、結社誌・同人誌からは数多の作家との交流が見てとれた。「鷹」では倉橋羊村、のちの遠山陽子、「渦」では藤原月彦、桑原三郎、柿本多映、和田悟朗らと同時代を生きてきた。85年の「犀」には長編の宇多喜代子論を執筆している。多数の著書を出版した冬青社主でもある宮入聖氏とは上京の折々に語り合ったというエピソードなども、今回「豈」の藤原龍一郎氏の文章で語られている。
「鷹」では血気盛んな若手として、「渦」では兜子の影響下で自身の作風を模索し、「犀」では創刊同人として、精神的支柱とも呼べる活躍ぶりを示していた。九州俳句作家協会に入会した平成5年以降は当地での句会に参加、賞の選考委員を担当したり、俳句講座を受け持ち、後進の育成にも力を注いでいた。秦さんの「孤高」とは、決してひとり閉じこもり、人との交流を拒む、といったことではなかった。あくまで表現の高みを目指す、つねに新しい目標をたて、それに向かって自分のペースで進むということだったのだろう、と、膨大な足跡を辿りながら、思い至った。
与謝野晶子の歌集は24冊ある。それを目指す、と公言し、まさに実行に移した句業だった。特に秦さんの作風は書きためた句を年次に沿って纏めるものではない。一冊一冊に新しいアイデアを注ぎ、趣向をこらし作られてきた。その原動力が何だったのか、著作のなかに秦さんの哲学の一端と見える文章を発見した。
ともあれ、人には選べぬことが多すぎる。生まれる時代・国・親・性別。だからこそ、自分の置かれた場所で勢一杯、自分を生きなければならないのだ。自分より優れた人間は数多い。だが、全宇宙にたった一つの存在である自分、その自分を先ず自分自身が愛さなくて誰が愛してくれるというのだろう。友人・家族・私をとりまく人達、私が好きになれるのは世俗の価値に関係なく自分自身を大切に生きようとする人である。(『夢騒』)
何かを書き発表することは、ともすれば己の肉体そのものを見せることより、よりあらわに自身をさらけだすことになろう。コミュニケーションを続けるには、評価を得るには、作り続け、発表し続けるよりほかにすべはない。大きな賞賛があろうがなかろうが、自身がここに「いる」ことを主張するには、作品という舟を大海に送りだし続けるしかないのだ。誰に依らず、50年以上に亘って書き続けてきた秦さんにそなわった、この強靱な自己肯定が筆者にはとても眩しく見えた。この根幹をこそ、本来我々は自分自身に育てなければならなかったのではないか。
耽美的な作品を多く残し、審美を貫いた秦さんに、しかし退廃的な気配、どうにでもなってしまえ、といった自棄的なものを感じ取ることはなかった。いかに死を濃厚に感じさせる作品があろうとも、それは自棄を起こして、また、自分を憐れんで書かれたものではなかった。自己の感性を信じて突き進み続けることができたのは、こうした健全な、強固な自己愛をお持ちだったからなんだと、数多の文章が教えてくれた。
句集、書籍を作るにはもちろん費用がかかる。大枚が必要だ。しかしお金さえあれば、誰かがちゃっちゃと本を作ってくれるのかというと、そんなことはない。秦さんのように強い拘りがある場合は特に――とはいえ、皆本を作る段になれば、己の思いがけない拘りに気づくというものではないだろうか。誰しも出来上がった自分の本に失望したくはないだろう。
かつて筑紫磐井氏は秦さんは「句集を作るのを生きがいにしている」と言った。まとめあげ、形にするのが楽しいのだと。これはあたりまえのようでいて、そうでもない、秦さんは非常に稀な人種だったのではないか。秦さんとは生前ついにお目にかかる機会を持たなかった。句集という書物を作る楽しみを、直に伺い、話し合ってみたかった。