2014年5月9日金曜日

【俳句新空間No.1を読む】 平成二十六年新春帖を読む / 小澤麻結

寒月光とどくや沼の底の剣 仲寒蝉
寒夜の月光が、濁っている沼でさえ、難なく差し込んで底に沈む剣に当たる。永い眠りについていた剣を目覚めさせるかのように。何かが起こりそうな予感に心が躍る。冴え冴えとした月の光の力を感じる。

駆け落ちの友一月の豪州へ 小林千史
1月の豪州は夏。年末の慌ただしさに紛れて二人は出国したのか。寒く、行事の多い1月の日本からの駆け落ちは、開放感があって、豪快で、日本と逆の季節の豪州がいい。

尾あれば獣か魔物流れ星 網野月を
流れ星はほうき星とも言う。暗い夜空を光の尾を引くように流れる星。あれは、そうか、獣か魔物なんだ。生き物なんだ。そう思うと、星が息づくようで、がぜん夜空を見上げるのが楽しい。

十五歳昼顔の罪まだ知らず もてきまり
季題の、色合いもうすうすとした花びらを広げてひっそりと昼に咲く夏の昼顔は、映画を暗喩し置かれている。15歳の、微妙な、あやうさを表現し得ている。

 
さき烏賊を誰か食ひをる暖房車 中西夕紀
冬の旅の車内の寛いだ感じが伝わる。暖房の効いたあたかな車内に漂う裂き烏賊の匂い。視覚でも聴覚でもなく、嗅覚にしっかりと訴えてくる裂き烏賊。この匂いと一緒に暫く旅は続く。

 
花ぐもりチラと尾ひれは池の主 堀本吟
水面から少しだけ現れた尾ひれ。この特徴のある尾ひれは池の主のあの鯉に違いない。池は花曇りの空同様、澄んではいない。だが、その尾ひれだけで十分判断できる馴染みの池である。

次に寄す波あらはるる磯菜摘 岬 光世
波をやり過ごしながら磯菜を摘む。摘みながら、目の端に波の立ち上がりを捉えている。波が砕けて走り出す前が、一旦避けるタイミングだ。磯の香りとともに波打ち際の様子がよく見えてくる。

ストーブひとつ参詣者休憩所 前北かおる
神社が用意した参詣者休憩所にストーブが1台ある、と言っているだけでありながら、あまり暖かさを感じない、がらんとした広さが見えてくる。エアコンではこの感じはでない。

梅が香の曲線にして吾を通る 堀田季何
梅の馥郁とした甘い香りは、確かにつんと差し込む直線的なものではない。香を嗅いだことを下五のように表現したのは面白い。鼻腔から入って優しく身内を満たす香りを堪能したい。

スケートの顔の迫つてきて止まる 太田うさぎ
スピードに乗って滑って来た知人が至近距離で止まった。中七は作者を認め目指してきたことの描写だ。ぶつからない様に図りつつ、視線をそらさず近づいてきた様を伝えている。

 
体育館四隅にたまる寒さかな  北川美美
確かに体育館は四角いが、四隅はあまり活用されない。走る時も四角くは走らない。対流もなく取り残された寒さが、体育の授業の見学者のように溜まっている感じがする。

秋山之黄葉乎茂迷流 妹乎将求山道不知母
行春尓愛死輝手言手夜礼    夏木 久
柿本人麻呂の亡き妻を思う悲しみが伝わる有名な歌がまずある。掲句は漢字表記のまま視覚で味わうのが良いのかもしれない。「愛してる」が「愛死輝」とは。春秋がこの悲しみを癒すのだろうか。

何時からか走ることなく冬に入る 福田葉子
何時から走らなくなったのだろう。夏の日は夢中で走っていた。無茶な動きはせず、いつかゆっくり歩む休息モードに入っている身体。時は冬。まるで人生みたいだ。

寒椿じゃらんと落ちる鍵の束 羽村美和子
どちらが先だったのだろうか。椿と鍵の束と。鍵束が硬質な音を立てて落ちた時、寒中に咲く紅い椿を認めたのか。椿に気が付いた時に、鍵束を落としてしまったのか。寒椿の静けさが際立つ。


【筆者略歴】

  • 小澤麻結 (おざわ・まゆ)

「知音」同人。句集『雪螢』、共著『超新撰21』。






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