2014年5月2日金曜日

「正木ゆう子と私――戦後俳句の私的風景」12 / 筑紫磐井


⑫生活の安定

昭和56年5月は青年作家競詠。35歳未満の24人が参加した。正木ゆう子も、私もそれぞれに結婚していた(正木ゆう子は笠原姓となっていたが俳句は引き続き旧姓を使っていた)から、この世代も落ち着いた環境となっていた。1月には、二人揃って沖同人となり、入会の時期がほぼ一緒だったから、いつも同人作品欄に隣り合って発表していた。それらの作品欄の俳句は改めて載せることとするが、特別作品を見ても、あまり従来のようなぎらぎらした作品は少なく、日常がうかがえるような気がする。

樫の舟
東京都 正木ゆう子
樫の舟五月の空のはるかより
初蝶を追へばちぎれし何か飛ぶ
春の雷ポットにお茶の葉が開き
灯を消して完璧なもの檸檬のみ
兄妹に得体の知れぬ海鼠かな
寝返りうつと海月より遠き夫
引き寄せる空の一角チューリップ
リラの夜は青きタオルを芝生として
唇荒るる日よサルビアの唄うたふ
放蕩す坂の半ばのからすうり
昭和二十七年六月二二日生
彫刻の森
千葉県 筑紫磐井
春天の深みに駆けるペガサス像
ふらことの空白の間を揺れつぎぬ
まんさくに日のしづり落つ静寂(しじま)かな
春昼の把手つめたき彫刻館
跳躍の四肢ゆつくりと若芝に
眼うらの花曼荼羅を暗くせり
朴落葉子供の国へ舞ひ降りる
大寒の背に水音を捨ててくる
鍵穴に忽と笑へる雪をんな
炎天の油うりかふ丸の内
昭和二十五年一月一四日生

「豊潤な可能性――「沖」青年作家競詠評」と題を付けた鑑賞は角川春樹(当時、「河」副主宰・角川書店社長)が行った。17人を取り上げて長短様々な評を行っている。春樹は、20年近く前に自作の経験があったらしいが長く廃し、3年ほど前から指導を開始したらしい。この当時の俳句に対する態度は誠に真面目である。

春の雷ポットにお茶の葉が開き 正木ゆう子
灯を消して完璧なもの檸檬のみ
兄妹に得体の知れぬ海鼠かな
平凡な日常生活の中から素材を得て、女性らしさを発揮している作品といえるだろう。
「完璧なもの」「得体の知れぬ」という表現に、この作者の非凡さを発見することができる。あまりにも技巧を駆使した俳句的な俳句には、却ってもの足りなさを感じたり、朦朧とした曖昧さを感じてしまうのだが、この作者のように、さりげない素材を気負わず、作者自身のことばによって素直に表白されると、俳句の楽しさに出会ったような気がする。このナイーブな感性を備えている限り、それほど大きな壁やスランプもなく、楽しく俳句を作り続けられるに違いない。これらの作品を見るとき、一種の安らぎと安堵感を覚える。
春昼の把手つめたき彫刻館 筑紫磐井
眼うらの花曼荼羅を暗くせり
作者自身意識をしていないと思うが、明暗、陰陽が、効果的に一句の中に生かされている。うまい俳句を作るには、一定の法則、方法論があるとして、仮にかく作るべきだという考えのもと、それに執着したとすると、逆にその努力が報われない結果が多いのではないだろうか。この作品は、意図的に作為があって出来たのではない。両句とも意味明瞭、表現は平易でリズム感もある。俳句の省略や断定の仕方を、基礎から学んだ良さがある。
意外に穏当な評で読んでいても気持ち良い。思い出すのは、その後のいろいろな事件を経て、「俳句界」という雑誌で、往復書簡で批判し合えという依頼を受け、春樹―中岡毅雄、春樹―筑紫磐井という記事が載ったことがある。その時はいろいろな事件を経たせいか、非常に攻撃であった。お互いいろいろと変わるものである。人生はいろいろ、俳句も様々というところか。






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