2014年5月2日金曜日

【俳句時評】「攝津幸彦」を共有しない / 外山一機


今年三月、「第五回BAZOOKA!!!高校生ラップ選手権」全国大会が開催された。地方予選を勝ち抜いた一六名がフリースタイルで対戦するこの大会の様子は、翌四月にBSスカパー!でも放映された。対戦は八小節を交代で二ターン(決勝戦は三ターン)する方式で行われる。たとえば決勝戦(YZERR対RACK)の最初のターンのリリック(歌詞)は次のようなものだった(参考:http://hiscrap.publog.jp/archives/38284990.html)。

  RACK
決して譲れないぜこの美学/俺もこの場MIC踊りだす /まず今日はこいつ殺しだす /こいつと決勝ここがコロシアム /みたいな感じさ俺もっと昇りだす /わかるかなお前ライムノートに書く/俺もこの場で頂上に立つ/わかるかお前優勝相当遠いな
  YZERR
ai yo俺がお前の代わりに頂上行く /やばい剛速球まるで超特急 /つまり俺はそこらの高校球児と違ぇ相当juicy /ラップ始めた超童子から/中心から塗り替える今日の空気/つまり俺が王様になる/まぁ野球で言うとこの王貞治/お前ごときに作戦練る?/コイツ倒してやるぜ楽天セール


 フリースタイルはいわば目の前の相手と即興でラップをしていくようなものだから、いうまでもなくこれらはリズムにのせて即興で生み出されていくのである。だからリリックだけとりだしてその内容についてのみあれこれというのはフェアではないし、また即興であるということも考慮しなければいけないけれども、それでもなおこうした言語表現に違和感を持つ者は少なからずいると思う。率直に言えば、(ライムやフロウといった技術の優劣についての問題を除いて考えるならば)リリックの内容は底の浅い自己顕示欲の表明と相手に対する罵倒の繰り返しであって、それ以上のものではない。これは決勝戦に限ったことではなく他の対戦においてもこの種のリリックが繰り返し生まれていくのである。これをくだらないゲームであるとして一蹴してしまうのは簡単なことだ。しかしそれならば、このくだらないようにみえるゲームを切実な問題として生きている者が少なからずいるということをどのように考えたらよいのか。彼らはこの程度の言語表現で満足してしまうようなくだらない言語感覚や道徳観の持ち主であるということなのか。さらにいえば、新木場のSTUDIO COASTで行われた全国大会の観覧は有料だった(当日券四〇〇〇円)。KREVAをはじめ数名のラッパーたちのスペシャルライブを含むとはいえ、高校生のラップを聴くために四〇〇〇円を支払う者がいるという事実をどう考えたらよいのか。

 たとえば、長谷川町蔵はヒップホップについて次のように述べている。

良識ある洋楽ファンがヒップホップの壁を超えられないのはよく分かるんですよ。まず歌詞が暴力、金、犯罪を礼讃して女性蔑視的だし、音楽的にもロックのように洗練していかない。(略)でもこうした壁は、発想を転換すれば乗り越えられるんです。ヒップホップをロックと同じように音楽だと思うから面白さがわからないのであって、「ヒップホップは音楽ではない」、そう考えれば、逆にヒップホップの面白さが見えてくるんです。(長谷川町蔵・大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』アルテス・パブリッシング、二〇一一)
このように述べたうえで、長谷川はヒップホップを「一定のルールのもとで参加者たちが優劣を競い合うゲームであり、コンペティション」であるとする。換言すれば、「いま」・「ここ」の場でいかに気の利いた言い回しができるかということが重要なのである。とすれば、そのリリックをあたかも「作品」であるかのように読むという行為自体の有効性について僕たちは問い直さなければならない。ふたたび長谷川の言葉を借りれば、「暴力、金、犯罪を礼讃して女性蔑視的」という批判を受けやすいギャングスタ・ラップについて長谷川は次のように述べている。

ヒップホップは「新しい/古い」ではなく、自分たちが「今」いる「この」場所のドキュメントなんですよ。リリックもそうで、ギャングスタ・ラップって常に内容が批判されるじゃないですか。でもキワどい話って仲間うちでは共有されているもので、一種のフォークロアですからね。(同前)

 共著者の大和田俊之はこれを受けて「同じような話が何度でも語り直される。その語り直しがコンペティションと結びつくわけですね」と述べているが、ようするに、ラップの面白さとは一人の「天才」の「オリジナルな」「作品」を享受するという聞きかたを相対化した地点から見えてくるものなのである。

ギャングスタ・ラップが彼らの共有する「フォークロア」の語り直しであるとすれば「高校生ラップ選手権」で披露されるラップもまた「高校生ラップ選手権」という場で共有される「フォークロア」の語り直しではなかったか。実際、彼らのリリックが一様に対戦の勝敗とその根拠の提示に終始しているのは、彼らが日本一の高校生ラッパーが誕生するまでの過程を―いわば現在進行形の「フォークロア」として―共有しているという前提があればこそのことだろう。一回戦の敗者も優勝したYZERRも結局のところいかに自分が勝者にふさわしく、また相手が敗者にふさわしいかを述べているにすぎないのだが、にもかかわらず彼らの言葉が観客に届くのは、彼らの言葉が言語表現として優れているということだけでなく、むしろ演者と観客とが「いま」「ここ」で共有しているはずだと信じている「フォークロア」のベクトルを一歩たりとも踏み外さないからにちがいない。そして、僕が多分の寂しさと羞恥心をもって、それでも彼らの言葉を理解できないと思うのは、僕が彼らの「フォークロア」を共有できる自信がないからである。

 
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 仁平勝『路地裏の散歩者―俳人攝津幸彦』(邑書林)が刊行された。本書はいわば仁平の攝津幸彦論集成である。そのなかに、仁平が次のようなことわりを入れてから始めている攝津論がある。

攝津幸彦という俳人を知るためには、まずその前提として、彼が俳句を作りはじめた時代について語らなければならない。この順序を守らないと、攝津幸彦の俳句が表現しようとしていた世界は、なかなか理解しにくいと思うからだ。(「ザ・ビギニング・アンド・ジ・エンド」)
そのうえで、当時大学生だった攝津が俳句を始めた一九六八年についての攝津自身の認識を次のようにまとめている。すなわち「第一に、一九六〇年代の後半から七〇年代に向かうその時代を、『今までもこれからもない』貴重な時代体験として意識していること。第二にその時代に俳句を始めたことに特別な意味づけをしていること。そして第三に、土方巽に代表される暗黒舞踏、寺山や唐のアングラ演劇、映画の松竹ヌーベルバーグと呼ばれた大島渚などの影響を語りながら、それを『素人っぽい』ものとして捉えていること」。だが何より重要なことは、この「時代」について仁平が次のような語りかたをしているということであろう。

昭和二十二年生まれの幸彦は、いわゆる全共闘世代であり、すこし遅れて生まれた私も同じ世代に属する。この世代の特徴は、自分たちが青春を過ごした六〇年代後半という時代に、過剰な意味づけをしているということだ。(略)そしてちなみに、そういう世代意識の強さによって、どうやら前後の世代から浮き上がっているようだ。私自身がよく体験したことだが、自分たちの時代への思いを強く語れば語るほど、相手はどうも白けてしまって、理解不能といった反応を示す。幸彦の俳句が難解だとすれば、その理由の大半はそうした部分に関わっている気がする。

たとえば仁平は攝津の句に一九六四年創刊の漫画雑誌『ガロ』の影響が見られると指摘する。そのひとつが「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな」であって、この句の「露地裏」と「夜汽車」との関係にはつげ義春の「ねじ式」における「メメクラゲにかまれて医者を探し、ちょうど来た汽車に乗ったらもとの村に戻ってしまった」というシーンからの影響が見られるという。そしてこの指摘の後、仁平は「現実にはありえないにも関わらず、読者の無意識の奥のほうで、懐かしい原風景の記憶に直結してしまう。幸彦もそう感じたはずだ」と続ける(「映画とジャズと『ガロ』の時代」)。この「原風景」について仁平は次のように述べている。

先の「露地裏」や「夜汽車」や「金魚」が攝津の原風景であるのは、たんにそれが彼の少年時代の風景だということではない。それらの風景はどれも、今日はもう失われてしまったが(つまり子供たちにその言葉を風景として理解させることはできないが)、かつてそれは不変なるものであり、父母の時代にも祖父母の時代にも同じ形で共有されていたのである。攝津が少年のころに見た「露地裏」や「夜汽車」や「金魚」の風景は、そのまま戦前の時代へ、さらに大正の時代へと直接通じている。いうならば攝津は、そういう前時代の残り香を原風景として愛したのだ。(「『陸々集』を読むための現代俳句入門」)

 仁平の攝津論において重要なことは、他でもない仁平勝という攝津と「同じ世代に属する」と自負する人間がその特権をじゅうぶんに自覚しつつ書いているということである(「幸彦もそう感じたはずだ」という言いかたはこのことを示唆していよう)。仁平の攝津論の手柄は、たんにカルチュラル・スタディーズ的な読みを導入したという点にあるのではない。むしろ、そのような読みかたでなければ読めなかったという仁平の読む行為のありようが、摂津の書く行為の本質を照らし出している点にある。

 いわば、攝津の書く行為は仁平がいうところの「原風景」なるものを「一九六〇年代の後半から七〇年代に向かう」「今までもこれからもない」時代のなかで語り直していくものだったのであり、とすれば、攝津の作品は、少なくとも攝津自身にとっては「攝津幸彦」という一人の「天才」の「作品」というよりも、「一九六〇年代の後半から七〇年代に向かう」「今までもこれからもない」特権的な時代を生きた者の共有する「フォークロア」の一つ表出であったのではなかったか。

僕は、だから、この仁平の攝津論をいわば腹の底から理解できるとは思わない。なぜならそのような理解の仕方は仁平にとってなぜ攝津を読むことが切実であったのかという問題を見逃してしまう傲慢さをはらんでいるからである。また僕はこの「原風景」なるものを仁平と共有できるとも思わない。この諦念はある種の寂しさや羞恥心と裏表の関係にある。思えば、仁平の『『陸々集』を読むための現代俳句入門』という書物を手にしたときの何と寂しかったことか。仁平のいう「若い者」の一人であった僕は、その冒頭の数行によって、仁平とは違うところから「攝津幸彦」を読み始めなければならないことを知ったのであった。

攝津幸彦とは、将棋でいうなら坂田三吉である。といっても若い者には通じないかもしれないが、昭和の初期にそういう将棋指しがいて、その男の物語を映画では阪妻が演じ、後には村田英雄が「吹けば飛ぶような将棋の駒に賭けた命を笑わば笑え」と歌った。





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