第2章‐シベリア抑留俳句を読む
Ⅴ 高木一郎(たかぎ いちろう)さんの場合(4)
【】の表題は、『ボルガ虜愁』で高木さん自身のつけた表題である。
以下*は、『続・シベリヤ俘虜記』『ボルガ虜愁』の随筆をもとにした筆者文。
【子は膝へ炭火美し妻も来よ】 ダモイ
忍従の街を去りつつ踏む落葉 (ボルガ虜愁)
添え書き:22.10.8 エラブカからキズネルまで2泊3日。一夜は吹雪の中の野宿。一夜は教会堂。今度こそは本当のダモイと信じて。
*強制労働や飢えに耐えに耐えた街に別れを告げて、キズネルの駅に向って落葉の道を歩みだす。一夜は吹雪の中の野宿。一夜は教会堂に泊まりながら。来る時は、炎暑の中を水も飲めずに歩いた80キロの道のりを、今度は本当のダモイと信じ、枯葉を踏んで行くのである。
バイカルの凍魚ひさぎて寡婦といふ (ボルガ虜愁)
添え書き:琵琶湖の50倍と言われるバイカル湖・海と同じ波が打ち寄せていた。
*バイカル湖のあたりに停車した時、凍った魚を売り歩く女性がいた。聞けば寡婦だという、ソ連はドイツとの闘いで多くの若い男性を失っている。生きるためにソ連の民も必死なのである。
貨車揺れて揺れてシベリヤの大枯野(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ虜愁)
*虱磁石にいざなわれ西へ西へ運ばれたシベリア鉄道を今度は逆に走っている。シベリヤの大枯野をダモイと信じて、貨車に揺られるのである。
貨車揺るる隙間風にも耐へるべし (ボルガ虜愁)
添え書き:10.31ナホトカ(貨車輸送20日間)11.1ナホトカ第2分所 11.2第3分所 11.3 栄豊丸乗船 11.4出航
*貨車の隙間からシベリヤの大枯野を見ながら、揺られること20日間。今度こそダモイだという確信に、冷たい隙間風にも耐える力が湧いてくる。昭和22年10月31日やっと帰還の港ナホトカに着いた。帰還の仲間を満載した栄豊丸が11月4日日本に向かい出航した。11月6日船は函館に入港するが、引揚受入態勢の不備のために1週間船内生活をして、11月12日下船。11月15日函館出発。11月17日夜名古屋に着く。
子は膝へ炭火美し妻も来よ(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ虜愁)
添え書き:両親再会。20.8.12牡丹江駅で生別した妻子3人とも無事再会
二児連れて冬生き抜きて還りし妻 (ボルガ虜愁)
添え書き:妻子3人は21年5月 難民として奉天からコロ島を経由佐世保へ引揚げ
*名古屋で家族に再会した高木さん。二人のお嬢さんはすかさず座っている膝へ飛び込んだのであろう。それを少し離れてみている妻を近くに呼んで、四人で抱き合う。美しく温かい炭火の炎が静に揺れているのである。
家族の生還を喜びながら、互いのこれまでの話を聞き、妻が二人の子どもを連れて無事に帰ってきたことをありがたいと思う高木さんである。
【高木一郎さんの作品を読んで】
ナホトカの検査でメモを発見されたら、帰国取り消しでシベリアへ逆戻りと聞いて、かねてから収容所生活で詠んだ俳句と友の住所をすべて暗記しておいた。句帳はナホトカの浜辺で焚火に放り込んだ。と『続・シベリヤ俘虜記』P.113
に書かれている。『ボルガ虜愁』に収められた作品が、高木さんの暗記によって持ち帰ったもので有ることに驚きを覚える。
高木さんの俳句は、抑留生活の辛さを詠う句の他に子どもを思う句、地元の子どもや娘さんの句、ペチカの火を守りながらの手作業の句、ラーゲリに咲く花の句と色合いが多彩なのである。辛い強制労働のさなかにも、空腹に野草を摘む道の辺にあっても、自分の葛藤から気持ちを遠く飛ばして俳句を考えている。そこには高木さんの広く物事を受け止めるこころの広さや優しさがあるのだ。
高木さんは、「ボルガの仲間」の桜井徹郎(江夢)、高島直一(秋蝶)との対談の中で、「僕は例えば〝俳句は何のためにあるのか”ということに苦しんじゃってね。最後にこういうことをいわれたんです。〝お前つまらんことを考えるな。何のためでもいいじゃないか。俳句なんてものは滅亡するものだとか何とか彼らが言ったって、芸術至上主義というもので物を考えたらどうだ”というようなことをね。と書き、『ボルガ虜愁』のあとがきP.138には、「ラーゲリ生活の異常環境の中で、自分を失わずにすんだのは、俳句と句友のおかげであったと感謝している。」と書いている。
シベリア抑留の境涯において、捕虜仲間が次々に逝くなかで死の恐怖と生きることへの欲望に苛まれ、俳句は何のためにあるのかという根本的なことに悩みつつ、心の中に湧いてくる思いや葛藤、人間関係の中の理不尽や悲しみなどを俳句としてゆくことでの洞察や心の成長の過程で、自己を励まし逆境に適応して生き延びる力(レジリエンス)を得たのだ。
そして、月に1回開かれる句会で、打ち解けあう仲間を得たことは、苦難に心折れそうなとき、大きな力となったのである。
高木一郎(一郎)さんと高島直一(秋蝶)さんが編集し、ラーダ、エラブカ、カザンで開かれた句会の俳句の仲間である、青井東平(東平洞)、古屋道雄(征雁)、堀川辰之助(辰之助)、加藤正銘(鹿笛子)、越智一嘉(鬼灯子)、桜井徹良(江夢)等、9名の作品を纏めた、「シベリア句集‐大枯野」が1998年8月15日、戦後47年目に発行されている。
この句集は、第1部:終戦・入ソの旅、第2部:ラーダ収容所、第3部エラブカ収容所、第4部:カザンの巻、補遺:「新樹句会記」など、時系列にまた地域別に句会の内容がまとめられていることを書き添える。
参考文献
『続・シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~』小田保編 双弓舎 平成元年8月15日
『ボルガ虜愁』 高木一郎著(株)システム・プランニング 昭和53年9月1日
『関東軍壊滅す~ソ連極東軍の戦略秘録~』ソ連邦元帥マリノフスキー著 石黒寛訳 徳間書店 昭和43年4月20日
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