まず【舂(うすづ)く】という言葉から絵画的に陰影を伴う陽の光を想う。
【舂く】(うすづく)とは、二つの意味がある。1.穀物などを臼に入れて杵でつく。(臼搗く)2.太陽が山の端などにかかる。太陽が没することをいう。(日本語大辞典)
没する太陽と同時に靴職人(多分靴を作る仕事を屋号としている意味の靴屋)が山へ帰ってゆく。杵で就く(革をなめす)様子と没する日の二つ意味があることが意識的な言葉の選択である。
何故、靴屋が山に帰るのだろうか。靴屋が隠遁生活をする物語を想像してみるが靴が意味することを考えてみる。
日本では軍靴の必要から明治初年に靴が作られるようになった。靴と保存食というのは世界的にみても戦争が契機となり発展してきたが、日本で靴が庶民に普及するのは関東大震災以降のようだ。そして先の大戦では、編上靴という重い革靴で底に鋲を打ったものと、地下足袋(軽い布製でゴム底)が主流だった。(出典 『菊地武男の靴物語』2005晩声社)
月星シューズ、ABC Mart、ジョンロブ、そしてクリスチャンルブタンも靴屋であるには違いない。しかし、この句の靴屋、何故山へ帰るのか。靴屋が隠語でもあるかのように。
英語にSnob(スノッブ)という言葉がある。「知識・教養をひけらかす見栄張りの気取り屋」「上位の者に取り入り、下の者を見下す嫌味な人物」という意味だが、このsnob(スノッブ)の語源が「靴屋」である。これは、18世紀初期のケンブリッジ大学において、「大学内に出入りする大学とは関係のない人々」を指す学生たちの隠語として「靴屋(snob)」が使われており、これが語源であるとする説がある。ちなみに、スコットランドでは現在もsnob は「靴屋」のことである。階級社会が寝付いている英国ならではの隠語である。
またアイルランドの伝承に登場する妖精に「レプラコーン」という小人の靴職人がいる。地中の宝物のことを知っており、うまく捕まえることができると黄金のありかを教えてくれるが、大抵の場合、黄金を手に入れることはできない。この妖精は金の入った壺を持ち一瞬でも目をそらすとすぐに悪戯を仕掛け笑いながら姿を消すといわれている。 アイルランド南西部には「レプラコーンに注意」 (Leprechaun crossing) の交通標識がある。
敏雄の靴の句はどうだろうか。
破(やれ)靴を穿(は)き正月の松と立つ 『太古』
日にいちど靴箆使ふ万愚節 『まぼろしの鱶』
穿き捨てし軍靴のひびき聞く寒夜 『畳の上』
轉生無し漸く行く靴の左右の音 『しだらでん』
敏雄の「靴」には、軍靴の音の響きが伝わる。お粗末な軍靴を強いられた世代ならではの靴に対する憧れが伝わる。敏雄の世代は、靴があれば南方、北方にかかわらず過酷な戦地へ行かされる。<靴箆>の句は高価な革靴を穿くための靴べらであり、また<万愚節>から靴を履いたまま寝なくても済むという平和な時代に対する懐疑心が伺える。
靴屋としての人生を諦めて山に戻る、それは、軍靴を作らなくてもよい平和な時代を言っているかもしれない。「帰りゆく」という複合動詞から、靴屋が役目を終え、惜別の雰囲気も考えられる。
レプラコーンの妖精よりも『真神』に登場する限りはどうも皮を剥ぐハンニバルのような狂気的な雰囲気も期待するのだが、この句からその狂気性は感じられない。【舂く】(うすづく)陽が、淡くやさしくその男(男だろう)の背中を包むのである。
読者は新しい靴を探さなければならない。一度靴を履いた自分はもう下駄に戻るわけにはいかないのだ。
※配列について
96句目の<とこしへにあたまやさしく流るる子たち>から一連、未生の僕が山に帰る靴屋を見送るように読める並びである。また、生業を現す<油屋に昔の油買ひにゆく>の句の油屋もこの『真神』に収録されている。両句の直後は、手を表現する句が配置されていることも職に対する敏雄の概念が伺うことができる。
46 油屋にむかしの油買ひにゆく
47 みぎききのひだりてやすし人さらひ
103 舂く日靴屋は山へ帰りゆく
104 少年老い諸手ざはりに夜の父
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