数年前に東京から関西に引越しをした際にとしこさんにお声をかけていただき、それから 定期的にご自宅での句会に参加させていただくようになった。句会は、鋭いつっこみと笑いが溢れており大変賑やかであるが、句に対する評価もとても直接的でわかりやすい。
さっそくとしこさんの句集「眠たい羊」から私の好きな句、気になった句をあげてみたい。
銀杏散るノート買ふにも橋越えて
松竹座裏を濡らして春の月
戎橋新戎橋鳩の恋
なんばの松竹座、戎橋、銀杏並木という繁華街でのささやかな季節の変化を句にされている。銀杏散る頃に、橋を越えて買われたノートはツバメノートか?松竹座裏路地の路面が濡れ、空には春の月という艶やかな情景。戎橋新戎橋の句は橋はまさに恋の象徴と存在しているように感じた。
春の水とはこどもの手待つてゐる
指先で穴開けてゆく春の土
漱石全集一冊抜いて日焼の手
としこさんには小さい頃、土や草花、虫に触れて思いっきり遊んだ経験があると伺ったことがある。これらの句の手や指はとしこさん自身の手や指ではないだろうか。春の水や春の土に触れる前のわくわくとする感覚、そして自然に触れて遊びきったという充実感、豊かさがこれらの句から伺える。野山での原体験と文学作品を繰り返し味わうことで、としこさんの内に自然を詠う喜びと力が育まれてきたように思う。
連結の強き一揺れ冬紅葉
遠き船もつと遠くへ梅白し
向日葵の首打つ雨となりにけり
連結時の一揺れに紅葉の赤が、遠くの船を見た後の目先の白梅、そして雨に打たれている向日葵の黄と日常の中の色が鮮やかに浮き上がってくる。
セーターの脱がれて走り出す形
早春を雲もタオルも飛びたがる
春の雲ちぎる役なら引き受ける
読めばとなるほどと思うが、なかなかこのような発想、表現はできない。これらの豊かな発想力とスピード感あふれる表現力から生まれてくる句には、気負いがない。それはとしこさんの等身大の日常から飛び出してきたものだからに違いない。
以下の句からはとしこさんの生きることへの思いが伺える。
消印の地をまだ知らず青葉騒
人が一生に訪れることができる地は限られる。知らない土地に人は憧れをもち、そのことが旅する力、生きる力につながる。青葉騒は未知への憧れを象徴している。
冬深し生きる限りを皿汚し
「生きる限りを皿汚し」は、実に飾り気がなく、生々しい表現である。冬深しと言い切られたことで、人は、野菜や動物を食べ続けていかないと生きていけないという事実と、生きることは死に向かって歩んでいくという生の儚さを感じさせられた。
白鳥が進む私も歩き出す
厳しい寒さの中、凛とした品格をもつ白鳥。その白鳥の姿をなぞりながらとしこさんは
これからも凛とした姿勢で力強く進んでいかれるに違いない。
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