2020年8月28日金曜日

英国Haiku便り(13)  小野裕三


待合室の詩、地下鉄の詩


 先日、ロンドン市内のイギリス人経営の病院を訪れた。小さな待合室でイギリス人たちが看護婦に呼ばれるのを待つ光景は日本と変わらない。部屋の隅に小さな棚があって、医療情報のパンフレットなどが並んでいる。その中に「詩」のリーフレットがあることに気づいた。「待合室の詩」(Poems in the waiting room)とのタイトル。簡素な作りながら、定期的に刊行されてきたものらしく既にかなり号数を重ねていた。ワーズワースなどの詩人の詩が収録されており、説明書きを読むと、それはその病院だけではなく、全国的に病院の待合室に詩のリーフレットを置こうと活動している団体があるようだった。
 別の機会にロンドン市内の日系の病院を訪れたこともあるが、そこの待合室には日本語の雑誌がふつうに置いてあり、男性向けにはビジネス雑誌とゴルフ雑誌が用意されていた。もちろん、この小さな対比を過度に誇張するのは危険だと承知の上で、それでもどこか今の日英を比較するのに象徴的な出来事だと感じた。病院の「待合室」という半ば「公共(public)」の場所に何を置くのが相応しいか、についての両国民の考え方が典型的に現れていると思えたからだ。
 実は似たような活動は英国に他にもある。地下鉄の車内で見かけたのは「地下鉄の詩」(Poems on the Underground)。こちらもイェーツなどの詩を地下鉄の車内に掲示しようという活動で、ロンドン交通局の支援も受け、もう数十年も地下鉄車内で地道に行われているらしい。
 ちなみに、英語で「出版」を意味する「publication」は「public」から派生した言葉だ。執筆などの知的活動を「公共」と結びつけて考える意識が現れているように感じる。さらに言えば、英国ではたいていの美術館や多くの博物館は入場無料。企画展などは有料だが、常設展は原則無料。ピカソやゴッホなどの名画もぜんぶタダで見られる。そこでは、「美」や「知」は「公共」のものだ、という考え方が強く貫かれているように思える。ある美術館の前に「Free and open to all」と書いてあって、それは「(この美術館は)無料で誰でも入場できます」という意味なのだが、「(美や知は)自由でありすべての人を拒まない」と読めるようにも思えて、なんだか面白かった。
 「公共」ということで言えば、イギリスの公園ではよく、ベンチにプレートが嵌め込んである。亡くなった人の思い出に遺族がベンチを寄付するものらしく、「この公園の緑を愛した誰々を偲んで」みたいなことがプレートに書いてある。ある時それに気づき、美しい風習だなあ、と思って心が温かくなった。それらのプレートの文言もなにやら詩的でもあり、英国の文化をどこか象徴する風景と思えた。

(『海原』2020年3月号より転載)

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