2023年12月21日、「豈」同人の大橋愛由等(あゆひと)さんが神戸の自宅で急逝された。享年68。
大橋さんは、先考・彦左衛門氏が創業された神戸・三宮の老舗スペイン料理店「カルメン」の二代目オーナー。店内ではいつも白シャツに黒のボウタイ。一見、律儀でダンディーな紳士なのだが、何故か口髭の下から発せられる声は上擦り、往々引きつった笑いを含んでいた。そのためであろうか、話題が生真面目な文学論だったりするのにもかかわらず、大橋さんにはどこか無国籍キャバレーの支配人然たる胡散臭さが漂っていたのである。
新聞記者を経て出版社に勤務し、後には自ら図書出版まろうど社を立ち上げて、あまたの詩集や句集、評論集などを世に送った。スペインつながりでフラメンコに関わり、ロルカ詩祭を主催するかと思えば、コミュニティーFMのDJを務め、やがて奄美の歴史と風土に魅せられてその研究にものめりこんだ。詩誌「Mélange」に所属し、亡くなる直前まで、毎月、「カルメン」で詩の読書会や発表会を開いていた。齢、古稀になんなんとしてその活動の過剰と熱量とは刮目に値した。
一言で評すれば、大橋さんは「定住越境の人」であった。神戸という土地に根を下ろし定住しながら、絶えずジャンルの垣根を飛び越えていった。但し、その所作は1980年代のニュー・アカデミズムが称揚した「スキゾ・キッズ」のように身軽ではない。増える一方の荷物を持ったまま力任せに垣根を飛び越え続けるのである。その意味では、まことに奇妙なことだが、スキゾ型とパラノ型のキメラといってもよい稀有な越境者であった。
俳句との出会いは同志社大学在学中。友人を介して、「京大俳句」の人たちと知り合ったが、実作には至らなかった。その後、編集者として担当した俳人諸氏の作品に刺激を受け、30歳頃から俳句を作り始める。大阪・梅田で句会を開き、俳誌「ト・ヘン」を主宰・発行。2000年3月には句集『群赤(ぐんしゃく)の街』を上梓している。
大地震よタナトス向こうは神なるか
黒夜なり神戸は失せり冬の震
イカヅチよ群赤のまち小雪舞う
難民の妻の手握る毛布なか
廃ビルは鳥礁となり燕来る
掲句は1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災を詠んだもの。『群赤の街』の中で震災関連の作品は一部にしか過ぎないが、句集発行の強い内的動機を与えたのは震災の経験であったと大橋さん自身が「あとがき―俳句という仮構」で述懐している。
ところで、大橋さんの住んでいた神戸市東灘区本山中町という街区は被害が甚大であった。特に自宅周辺の破壊は凄まじく、家屋倒壊率90%以上、死者も出たという。それだけに、震災に対する思いの深さはひとしおであった。そういえば、東日本大震災が発生した直後、大橋さんがこんなことを言っていた。
「地震発生は14時46分。この数字に神戸の人はびくっと反応するんですよ。ああ、阪神・淡路のときも(5時)46分だったなと」
2025年1月、神戸は震災から30年を迎える。もし大橋さんが今もお元気であったならば、必ずや災害を語り、復興を語り、それらと文学・詩歌との関係を語り、更には東北や能登など被災地の人たちとも手を携えて、出版や対談、シンポジウム等の企画に奔走していたのではないだろうか。それらはすべていかにも「定住越境の人」にふさわしい仕事である。だが、その仕事を担うべき大橋さんはもはやいない。
大橋さんの訃が伝わってしばらくして、偲ぶ会のようなことをやりたいという声が各方面から聞こえて来た。しかし、度重なるジャンル越境と深いコミットメントを事として来た大橋さんの人脈はあまりに広くかつ錯綜しており、大同団結的な会を催すことは到底困難であった。
そこで、一周忌を前にした2024年11月、ひとまず「豈」の関西在住同人を中心にしてささやかな句会を開催し、もって大橋さんの人柄と在りし日の交流を偲ぶこととしたのである。兼題は大橋さんの名前にちなみ「愛」「由」「等」。各自、兼題一句とその他三句を出した。
寒空を透きて流れる白きイカ 北村虻曳
眠られぬ夜の島唄に連れだされ 堀本吟
紙飛行機の後部座席で立ち上がる 小池正博
離脱する此処から彼方へ不可視の路 冨岡和秀
雑踏を逆のぼりたがる鮎がいた 野口裕
表現の自由りんごをむく自由 岡村知昭
奄美へとつゞく二等兵の笑顔 堺谷真人
「カルメン」は大橋さんの姪御さんが跡を継いで三代目オーナーとなり、改装工事を経て夏に再オープンした。店内にはバーカウンターやワインセラーが設置され、お洒落なレストランに衣替えを果している。筆者と荊妻はここのパエリアやガスパッチョがことのほか好きで、何度か足を運んでいるが、大橋さん時代の料理人が引き続き厨房をあずかってくれているとのことで、往時と変わらぬ味を愉しめるのは嬉しいことである。
しかし、大橋さんが盤踞した巣穴、文学の魔窟のような妖しい雰囲気を醸し出していた往時の「カルメン」の面影をそこに見ることは難しい。それにつけても大橋さんの口癖が懐かしく想い出される。
「堺谷さん、どうですか。そろそろ、句集出しませんか。お安くしときますよ」
大橋さん。神戸は今日も元気です。