2026年7月31日金曜日

【連載】現代評論研究:第29回各論―テーマ:雲又は霧その他― 藤田踏青、土肥あき子、飯田冬眞、しなだしん、北川美美、深谷義紀

●―1近木圭之介の句【テーマ:雲又は霧】/藤田踏青

(2012年08月03日)

酸性霧一人を殺し 一人ずつ殺し   平成2年作  注①

 酸性霧とは酸性の霧のことで、広義の酸性雨に含まれる。化石燃料の燃焼によって発生した気体が大気中で硝酸、硫酸イオンに変化して雨や霧、雪に取り込まれ、特に植物の葉、枝、幹などへ与える影響が大きく、森林衰退の原因となる。酸性霧は酸性雨より約10倍酸性度が高いそうである。そういった意味で、掲句が一般的に使用される酸性雨では無く酸性霧とした意図は不気味さを増している。そして雨という直接的な皮膚感覚ではなく、霧という朧げな感覚にいつしか取り巻かれていたという無言の恐怖感がそこに浮かび上がってくる。それも自己や身の回りの人間が一人そしてまた一人、といった具合に静かに徐々に殺されていくのである。それ故、一字空白は一人の死の瞬間の一呼吸のようにも思えて来る。地球温暖化の影は足音も無く忍び寄って来ているようである。

海霧の街角 虚構からみ合う      平成5年作

暗くなった霧 港街に炎を放せ     平成13年作

 この海霧は関門海峡でのものであろうか。霧は海と陸を渾然と一体化してゆく事によって現存在の意識の混濁をもたらし、そこに虚構を孕ませて港街へともたらすのであろうか。その虚構の中で男と女は相対し、抱き合い、憎しみの演技をするのであろうか。そして霧は再び全てを覆い尽くして消し去って行くのであろう。そのような消し去られた思念を圭之介は次の様な詩で表白している。


<霧の来る日>      昭和27年作    注②

青白い蛍光灯

皿にのこっている角砂糖

木の椅子は 余りにかたく

思念(パンセ)は窓硝子の指でなぞった絵の如く

冷(さ)めてゆく

海峡から追われるように霧が来て

わたしの前より 角砂糖を

木の椅子を

そして思念を消し去ってしまった


 消し去られた思念と共に自己の存在意識そのものも霧の中に消えてゆくのであろう。


注① 「層雲自由律2000年句集」合同句集  層雲自由律の会 平成12年刊

注② 「近木圭之介詩抄」 私家版  昭和60年刊


●―2稲垣きくのの句【テーマ:流転】渋谷区千駄ヶ谷・宮廷マンション時代(1)/土肥あき子

(2012年07月27日)

この森に籐椅子向けて老ゆるらし

 前書「転居、代々木の森に対す」として第三句集『冬濤以後』(1965)に所収される。昭和43年(1968)夏、きくのは前住居をわずか1年で早々に引き払い、新築8階建マンションに転居した。前住所と同じ千駄ヶ谷だが、引越先の「第三宮廷マンション」は明治神宮のしたたる緑を眼前に据えた当時最新のダイニングキッチン、エアコン、エレベーター完備の最新式の住まいであった。いかにもきくのにふさわしく思えるが、同号に並ぶ

茄子漬けて三DKにまだ馴れず

を見ると、あるいはたかだか3部屋の住まいに「宮廷」の文字が踊ることに羞恥を感じたかもしれない。4階とはいえ、きくのにとって初めての高層階での生活であろう。現在では線路沿いにビルが並んでしまったため見通せないが、建築当時はサンルームから明治神宮の大きな森が正面に見えていた。そして、驚くことに、今もきくのが暮らしていたマンションは健在であった。現在築44年。物件のコピーは「幾多の時代を経て、高い管理体制を維持し続ける人気のマンション」とある。原宿駅から8分と場所もよく、ヴィンテージマンションとして評価されていた。ヴィンテージマンションとは、築数十年経っても人気が衰えず、むしろ価値が上がっているマンションをいうらしい。

 掲句の初出「春燈」(昭和43年9月号)では、上五は「夕森に」であった。夕闇に紛れる森をサンルームから望み、62歳となったきくのは晩年という言葉を噛み締めていたのだろう。そして翌10月号には

わが流転やむ日かも死の切子吊る

が見られる。切子とは切子灯籠。新盆で亡者が初めての道のりに迷わないよう、白一色の灯籠を吊られる。鑑賞において「死の切子」のあたりが正直分らないが、ここで注目するのは「わが流転やむ日かも」のひとことである。気に入りのマンションを見つけ、ようやくここで腰を落ち着けることができるかもしれない、という安堵は、また自身に言い聞かせるようでもあった。

 きくのの考える老いについては、「春燈」に寄せられたきくのの友人秋元松代氏の「稲垣きくのさんによせて」の一部を引く。

 彼女は口癖のように、疲れたと云う。それから年寄り振って、もう年だから、と云う。あまり健康体ではないらしいから、疲れたと云うのは仕方がないとしても、年寄りぶるのはきくのさんの唯一のわるい趣味である。(「春燈」昭和38年6月号)

 恋愛句についても相変わらず盛んに発表しているきくのの口癖が、「もう年だから」だったことが興味深い。転居前後の悶着の主K氏は、きくのよりかなり若い学芸部の新聞記者であった。年下の恋人を持ったきくのは、同年代の女性よりずっと若く見えようと、あるいはいわば自虐的に年齢を口にしていたのかもしれない。

柊挿す卯の一白は浮気星   (『冬濤以後』所収)

妻と子を愛す牡丹の花よりも 「春燈」昭和42年(1967)8月号

 死別した財界人A氏とは、外見も年齢もまったく異なる両者は、どちらも九星占いでいうところの一白水星であった。参考までに一白水星をネット検索してみると「静かで穏やかな雰囲気があり、強情っぱりで独立心旺盛、寂しがり屋、 親愛を求める性格を持ち、人に好かれるタイプ。表面呑気に見えるが実は短気。男性は印象がよく、異性についてだらしのないところがあり、複数の女性と関係を持つ」と、付き合えば苦労しそうな星である。ちなみにきくのの九星は、四緑木星。こちらは「この星に生まれた人は外見は強気のように見えても、内面は柔和であり、お人好しで慈悲に富み、人との協調性もあり、社交家です。困難にあっても、明日は明日の風が吹くという楽観的な考えも長所と言えるでしょう」

 折々に起伏はあったものの、おしなべて愛に包まれていたきくのの恋愛遍歴は昭和44年(1969)9月号に昂りを見せる。それは今までの嫉妬とは違った、己をも罰するような激しい怒りである。

夏服に咄嗟にあてし瞋(いか)りの刃

絶たざればこの愛蛇の生ころし

忿怨のちらせし薔薇か夜のくだち

夏の夜のあてし瞋りの刃のひけず

 瞋の文字を使う心理は、仏教でいう「貪瞋痴」の「三毒」を意図したものと思われる。貪は執着する心、瞋は怒りの心、痴は愚かな心で、数ある煩悩の中で人間を最も苦しめる「三毒」を背景にすることで、作品は単なる怒りを越えて、人間の振り払いきれない悲しみに到達する。翌月10月号では、

この道をひとと行くゆめ消えし滝

があり、炎は静かに鎮火した。そして、また恋慕の情を断ち切るように昭和45年(1970)5月、第三句集『冬濤以後』を上梓する。

死場所のなき身と思ふ花野きて  『冬濤以後』所収

死はいまも寄添へり花野撩乱たり 『冬濤以後』所収

花野きて霧の奏づる鎮魂歌    『冬濤以後』所収

 句集は死を色濃く意識したもので締めくくられる。



●―4齋藤玄の句【テーマ:雲】/飯田冬眞

2012年07月27日 

べこ餅を搗けよ雲つく男たち

 昭和55年作。遺句集『無畔』(*1)所収。

 雲つくほど大きな男たちが、杵と臼を持ち出して餅を搗き、手の平よりも小さなべこ餅をちまちまと作っている、という情景が何ともおかしい。

 北海道で少年時代を過ごした私にとって、端午の節句といえば、「べこ餅」だった。もちろん、「かしわ餅」もあったはずなのだけれど、印象が薄い。

 実家の「べこ餅」は、まず、上しん粉に上白糖を混ぜた白色の生地と黒砂糖を混ぜた黒色の生地をつくる。次に、葉っぱの形の木型に白色、黒色の順に生地を詰めて、型押しする。そのあと、木型から生地を取り出したものを重ならないように並べてせいろで蒸せば、できあがり。

 ちなみに木型をコンコンたたいて生地を取り出すのが子供のころの私の役目だった。うまく取り出さないと生地が手に張り付いて気持ち悪かったのを覚えている。だが、せいろの蓋をあけて、ふかしたての「べこ餅」をのぞくと、白と黒のツートンカラーの葉っぱが湯気の中から現れる。ことに黒砂糖の部分がつやつやとしていて、とてもきれいだった。

 名前の由来については、白黒まだらの牛(べこ)のように見えるところからという。語源については、これ以外にも、その色合いが「鼈甲(べっこう)」のようだからとか、和牛が足を折って臥せている姿に似ているからなど諸説がある。

 さらには、白い生地と黒い生地をロールケーキのように巻き込んで、棒状にしたものを金太郎あめのように輪切りにしたものもあるらしい。白と黒が渦巻き状になった「べこ餅」も見覚えのあるものである。

 ともかく、「べこ餅」は「子どもの日」前後のおやつとして懐かしい食べ物のひとつだ。

 齋藤玄の弟子の近藤潤一によると、この句は昭和55年3月30日のお見舞い句会で見せられたという。その時の会話を紹介しておく。

べこ餅を搗くというのであれば、普通の人間ではつまらない。やはりそこはいかつい男、セレモニー的な男がもっと拡大強化されたものが出現してこなければおもしろくない、と思って、それが『雲つく男』になっちゃった。(*2)

 齋藤玄の俳句のつくりかたの一端が垣間見えるエピソードである。と同時に掲載句は作者がいたずら心を起こして朗らかな想像力によって作ったものであることがわかる。玄にはこうしたいたずら心を感じさせる句もいくつか残しており、別の機会に紹介したいが、今見るとどれも成功作とは言い難い。

 だが、掲載句は〈雲つく男たち〉の奇想天外さと〈べこ餅を搗けよ〉の「よ」の言いなし方が、〈べこ餅〉のべろっとした感じに似合っているように思えるのである。これが死のひと月ほど前に作られたものであることを知ると、何か痛ましい思いが交錯する。子供のころの郷愁とあいまって、切なくておかしい句という印象がこの句にはある。


*1  遺句集『無畔』 昭和58年刊 『齋藤玄全句集』 昭和61年 永田書房刊 所載 

*2  近藤潤一 『玄のいる風景』 1991年 響文社刊


      

●―9上田五千石の句【テーマ:雲】/しなだしん

(2012年08月10日)

和紙買うて荷嵩に足すよ鰯雲

 第二句集『森林』所収。昭和五十一年作。

 「鰯雲」の句である。「鰯雲」は五千石の好きな季語のようである。特に初期の『田園』『森林』の収録が多く、掲出句のほかにも

いわし雲亡ぶ片鱗も遺さずに   昭和33年

乱声のピアノとなれり鰯雲   昭和33年

流寓のながきに過ぐる鰯雲   昭和37年

いわし雲十年一日とはいへど   昭和37年

鰯雲くづれは雲の襤褸なる   昭和45年

などがあり、昭和45年作の〈鰯雲くづれは雲の襤褸なる〉は〈12回「記憶」を読む〉で紹介した。また、「鰯雲」だけではなく「秋の雲」の句も多い。

秋の雲立志伝みな家を捨つ   昭和38年

峡中に入る秋雲の一片と   昭和41年

     ◆

 さて、掲出句について著書 『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』(*1)の「自作を語る」の中で〈飛騨の山旅の終わりに「買」わでもの「嵩」ばる「和紙」を仕入れて「荷」に加えた。加えたからといって、格別「嵩」が重くなったわけではないが、それを「荷嵩に足す」と何となく旅の疲れが増したような気がしたのです〉と記している。表現がやや分かりにくいが、飛騨からの帰り際に和紙を買い、旅の終わりの感慨があふれてきた、ということだろう。

 続けて〈天に広ごる「鰯雲」を仰ぐにつけ、いまさらながら帰路の遠さが思われ、「和紙」の「買」い物が、ちょっぴり悔やまれる、というぐらいの句であります〉とある。続けて、〈でも、ほんとうのことを言えば、一句は旅の充足感であります。ここらが俳句の妙味で、ひねった言い方と言っていいと思います〉と本音ものぞかせている。

 さらに〈そこらの機微を説いて『紙の軽さに照応する表現が「買うて」と「足すよ」にある。「買って」「足せり」となるといささか言葉に目方がつく』と言ってくださったのは、飯田龍太氏でありました〉と記す。


龍太の弁は、この句が仮に

和紙買つて荷嵩に足せり鰯雲

であると、言葉としてやや重くなるというほどのことだろうか。

 この軽さに五千石自身も工夫のし甲斐があったと感じているのだろう。

     ◆

 掲出句以外にあげた鰯雲、秋の雲の作品は、どれもやや感情が先に立っているように思う。それは秋の雲という、ものさびしさが先に立っているからかもしれない。これに対して掲出句では、軽い感じが勝っているのは、その感情の隠し方の技が効いているということだろう。


*1 『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』平成21年11月20日 角川グループパブリッシング刊



●―12三橋敏雄の句【テーマ:『眞神』を誤読する】55./ 北川美美

55.草荒す眞神の祭絶えてなし

 55句目でタイトルである『眞神』という言葉が出て来る。敏雄の有名句「絶滅のかの狼を連れ歩く」そして『眞神』自体を理解する上で、この句を読むことはキーとなっていくだろう。

 眞神の意味について『眞神』後記の敏雄自身の下記の解説が引用紹介される。

 本書の題名とした「真神」は、『大言海』に「狼ノ異名。古ヘハ、狼ノミナラズ、虎、大蛇ナドモ、神ト云ヘリ」とある、其である。併、斯る栄称に、曾て永くも堪へて来た狼の生態は、多くの滅び行くものに準じて、既に我国の山野から滅び去つて久しい。今、畏みつつ親しまうとするならば、例ば、武蔵国は御嶽神社、或は、同じく三峯神社等の祭神を相け随ふ地位に祀られて座す 大口真神、即、広く火災盗難除去の効験をのみ担ふ所の英姿を、其護符上に拝する許である。

 併読としてWikipediaの解説がわかりやすい。

 「眞神」とは現在は絶滅してしまった日本狼が神格化したもの。大口真神(おおぐちまがみ)とも呼ばれる。人語を理解し、人間の性質を見分ける力を有し、善人を守護し、悪人を罰するものと信仰された。また、厄除け、特に火難や盗難から守る力が強いとされ、絵馬などにも描かれてきた。


「ニホンオオカミ」東京大学総合研究資料館のwebsite

 三峯神社 (埼玉県秩父郡大滝村三峰)、釜山神社 (埼玉県大里郡寄居町)山住神社 (静岡県磐田郡水窪町山住)、大川神社 (京都府舞鶴市大川)に大口真神が祀られている。

青梅市・御獄神社のお札


 神格化された狼のことを「眞神」と理解してよいようだ。更に理解を深めたのは、 TV番組のETV特集「見狼記」であった。狼信仰は今も残っている。

 人間の手によって森の生態系が崩され、神とされていた狼が絶滅させられたといってもよいだろう。さらに今では亡くしたものを生きていると信じたい、それを心に糧としたいという、願いが大震災に遭遇した人々の心と通じるものがあるようだ。自然信仰に基づけば神は至る所にいる。そしてその自然界の神を絶滅させるのもわれわれ人間である。

 上五の「草荒す」は、中七の「眞神の祭」に掛かっていると読める。狼は肉食であり草食でないことから、草を荒すのは、祭を催している私たち人間のことと読める。

 「眞神」という言葉が単なる郷愁に終わらず、何かを私たちに気づかせている。人類が犯した罪に対する気づきがある。それは、敏雄が戦争に対する、人が犯した罪を詠いつづけたことにも一貫していて、その壮大なテーマは、俳句の枠で言い切れなかったことを実現させようとした試みだったのではないだろうか。

 俳句を知り三橋敏雄『眞神』に出会わなければ狼信仰について理解を深めることはなかっただろう。秩父と連なり養蚕、機織の地域でもある筆者の故郷にも狼信仰の山がある。故郷の山はいつも怖いイメージがあった。どこかで何かが息を潜めている空気がある。未だその山の入口までしか足を踏み入れていない。この『眞神』の読みと同じである。

 トキが子供を産んだことがニュースになった。すでに絶滅危惧されてから手を尽くすのでは自然界の生態系を守るには手遅れという。俳句は花鳥諷詠、自然界のことを詠み込んできた歴史がある。絶滅危惧品種を詠み込み、功罪を詠うことは、敏雄以降の普遍的な俳句の型といってもよいかもしれない。


蓑虫もとうに絶滅危惧種といふ   関悦史 『六十億本の回転する曲がった棒』(2011年)



●―13成田千空の句【テーマ:雲】/深谷義紀

(2012年07月27日)

並ぶ肥(た)桶(ご)峰雲嶺に湧きつつあり

 第1句集『地霊』所収。

 何とも“濃い”作品である。今流行の“草食系”の対極にあるような印象を受ける。色彩も鮮やか、輪郭もくっきり、更には様々な匂いを含め、夏の気配が濃密に漂ってくる。そして一定の年齢以上の、かつ農村での生活体験がある者にとっては、懐かしさとともに、その頃の思い出が鮮明に蘇ってきそうな句である。

 思えば肥桶も、人口肥料に取って代わられ、だいぶ前から見なくなった。あれは近寄りがたいがゆえに、逆にその存在を強烈に意識せざるを得ないという、パラドクシカルな存在感を発揮していた事物だった。

 掲出句に戻ろう。この句を読んで気付くのは、一句に籠められた要素の全てが生命の躍動を感じさせることだろう。肥桶の養分を吸収した作物はぐんぐん成長を遂げているし、遠山に目を転ずれば入道雲が力感を伴って湧き起こっている。当時としては、ありふれた夏の農村風景だ。

 だが現在という視点からこの作品を眺めてみると、その景は当たり前のものとは言えなくなる。ある時代の特徴を色濃く反映した風景だと思うからである。その時代とは、戦後復興過程の一時期だ。そのあとの高度経済成長期になると、どこか慌ただしさが紛れ込み、風景からこうした雄渾さが失われたような気がするのである。その意味で、一見飾り気のない朴訥そのものの作品に見えて、なかなかどうして実のところその時代の息吹を饒舌に物語っている作品なのではないだろうか。