昨今の世界情勢を受け、多くの俳人、文芸家などが、「戦争」と対峙して作品を発表しています。
過去にも多くの俳人たちが「戦争」を俳句で表現してきました。本稿では、昭和10年代の「戦争俳句」を振り返り、「戦争俳句」における表現のあり方について考えます。
1.水原秋櫻子『聖戰俳句集』石原求龍堂、昭和十八年八月
秋櫻子は昭和十六年六月に『増補改訂 現代俳句論』を出版しており、第四篇の「聖戰俳句抄」を加えたのが改訂の主要目的であったと述べています。
また「これは『馬酔木』に連載しているゐる評釋の一部分であるが、そのうちにもつと廣く讀んで、力のこもつたものを書きたいと考へてゐる。」としています。それを受けて『聖戰俳句集』は出版されました。
水原秋櫻子は序で「戦争を詠んだ俳句は、日清・日露の両戦役に於て絶無ではなかったが、眞に戦争の中から生れたと言い得る俳句は、志那事変勃発するに及んで、はじめて詠まれたといつてよい。」と述べ、「日清・日露両戦役當時よりも俳句が世の中に浸潤してゐた為めで、燃ゆるが如き愛國心はこの親しみやすい短詩型によつて、誰の口からも詠みいでられ、多くの傑作が生れたのである。」としています。
本編は昭和十七年一月より同十八年二月に至るまでの雑誌「馬酔木」に掲載せられた俳句を再選編集し、これを「戦線篇」、「北満篇」、「白衣勇士篇」、「銃後篇」に分ち、この分類に入らざる小部分は、「北満篇」の中にとり入れられています。
なおこれより前の『京大俳句』昭和十三年八月号に、平畑静塔は「戦争俳句の作り方要諦」を寄稿しています。そこでは、「戦争俳句もまた俳句で、従つてその俳句要諦は、俳句一般と異にする訳はない。」とし、戦争俳句を次の4つに大別しています。
敵地俳句の「戦闘俳句」、「後方俳句」、国内俳句の「圏内俳句」、「圏外俳句」で、国内俳句の「圏内俳句」、「圏外俳句」とは、国内にいる俳人の作った「戦争圏内俳句」、「戦争圏外俳句」を意味します。
静塔、秋櫻子の両者とも作品を四つに大別し分類しています。
『聖戰俳句集』から具体的な分類と作品を見て行きます。
(1) 秋櫻子の解説と選
ア.「戦線篇」は本集の主題をなすもので、激烈なる戦闘中の寸暇を以て詠まれた貴重なる文献である。
命(めい)を待つ椰子の雷雨にひた濡れて 持田紫水
弾痕(だんこん)のしるき高嶺や初日さす 竹島白蓉子
戦野(せんや)すでに聲撃おこる明(あけ)易(やす)き 太田たけ穂
爽涼(さうりょう)と南十字星敵機落つ 近藤良一
七夕(たなばた)の星降るなかに警(けい)泊(はく)す 同
イ.「北満篇」は、炎暑・寒冷ともにはげしき広野の國境線を守る勇士によつて詠まれたもので、その烈々たる気魂はすべての句の中に籠つてゐる。
初日いづ銃(つゝ)を捧げてゆるぎなし 小川千賀
医官われ白衣と共に青き踏む 金田原平
星港陥(お)つ祝ひの酒の凍(こほ)りける 佐藤秀郎
ウ.「白衣勇士篇」は、数に於いて本集の主要部分を占むるもので、自然の風景に親しみつつ、再起奉公の念願に燃ゆる心持は、しみじみと読者の胸にしみ入る力がある。
萱(かや)はこぶ人にあがりぬ初雲雀 井村青柿
春惜む心静かに野に出でぬ 川柴紅雲
笹鳴(ささなき)やしづかな海の遠からぬ 富田蒼栖
エ.「銃後篇」は、國民の感謝と熱意との結晶で、数に於ても「白衣勇士篇」につゞいている。
伊勢参宮、内宮
かちいくさ祈るや杉の霧あかるし 市瀬元吉
初雁(はつかり)や南を征し北を占め 百合山羽公
足袋つゞる手をはたと置き聴く捷報(せきほう) 明比ゆき子
召されなばおくれとるまじ寒(かん)禊(みそぎ) 小山周次郎
つはものにさゝぐる鯵(あじ)を干しきそふ 中村さとし
一千機みいくさ翔(か)けり事務始 木津柳芽
「四篇収むるところ一千余句、これを通読して見ると、尽忠報国の精神が全般にみなぎつて眞に襟を正さしむるものがある。我等馬酔木同人は、この句集を世に送り得ることを喜ぶと共に、日夜愛誦して心の鏡となし、ますます銃後の護りを固めねばならぬと思ふ。」としています。
また『聖戰俳句集』ではラジオを詠んだ句も「銃後篇」に記載されています。
初刷の戦果満載すラヂオ鳴り 荒川暁波
寒菊にラヂオ大詔を読みまつる 佐野まもる
戦勝のラヂオ高鳴り年あらた 森田勘弥
雪の戸毎戦捷のラヂオ鳴りいでぬ 和田塊生
ラジオは標準受信機とされ、戦時下の統制経済の下で広く普及しました。1930年代後半からの戦争景気と、戦争関連のニュースへの関心から聴取者とラジオの生産は増加を続け、太平洋戦争が始まる1941年にピークを迎えました。ラジオを媒体とし俳句を国家活動に取り入れた例を次に挙げます。
2.ラジオ選書『聖戦俳句選』株式会社日本放送出版協會、昭和17年4月
「序」を軍事保護院総裁の本庄繁、日本俳句作家協會々長の高濱虚子が書いています。
本庄繁は「當時その放送されたるところを聴くに、皇室の限りなき御恩澤のもとに再起奉公へ精進しつつある全國傷痍軍人の熱烈なる気魄、武人らしい淡々たる銃後風景の観照或は國民の援護に對する感謝の念等のあふるるもの多く、深く感銘を浮くるところがあった。今回これがラジオ新書として公判せらるることになったことは、貴にして簡潔直裁なるわが國民精神を根源とする俳句を通じて今次聖戦の意義を獲得するを得、またこの書が傷痍軍人の教養向上はもとより銃後國民教化上稗益するところ少からざるを想ひ、乞はるるままに一言述べて序とする次第である。」としている。
また、高濱虚子は次のように述べています。
「志那事変が始まつてからは、平生俳句を修行してをつた人々が應召されて陣頭に立つたといふ事のためと、其等の人々によって誘導せられ新しく俳句を作りはじめた戦線の将士も少くないといふところから、特に戦争の俳句と呼ばるべきものが澤山に生れ出たのである。現に向澤山生れつつあるのである。戦争俳句とよばれるものは今度の志那事変をはじめとするといつても過言でないやうに思はれるのである。傷病兵諸君の病棟にあつて、静かに療養を続けてゐられる間の作品には、人の心を打つものが多いのを見受ける。これも亦戦争俳句の一分野といふべきである。」
「本書に就いて」とし、日本放送教會講演部長の多田不二は「去る九月中の毎月曜日午後の『厚生の時間』に俳句の鑑賞と作り方の講座をひらいた。これには特に傷痍軍人の皆さんからひろく作品を募り、日本俳句作家協會の御協力を得て、その選になる優秀作品の講評を併せて放送したのである。
これは或る意味で傷痍軍人諸君が直接放送に参加したもでのあつて、通例の受動的な慰安放送と異り、積極的且創作的な慰安といへるのである。投稿は非常な活況を呈し、端書で四千通を突破し、句数にして約一萬二千句に及んだ。」としています。
このように傷痍軍人の慰安活動として俳句は取り入れられました。放送は5人の選者により行われ、ラヂオを通して聞き手は自身の作品の発表を期待し、また仲間の作品に共鳴や反芻をし、時によっては反発などをして療養の一助にしたと考えます。
同様に短歌においても、ラジオ選書『聖戦短歌選』株式会社日本放送出版協會、昭和17年9月が発刊されています。
それぞれの選者の言葉と選は次のとおりです。
「第一回 水原秋櫻子」
約千五百句。大多数は夏の終わりから秋のはじめの句。明るく朗かなお気持ちで自然に親しんで居られることが想像されます。そのことに喜びと心づよさとを感じました。
題材は、庭の花、野菜、蟲の音などが多く、静かに窓辺の花に眼を向けたり、蟲の音に耳を澄ます・・俳句作者として正しい修業法を踏んで居られます。
俳句上達の第一の秘訣は、自然に深く親しむといふこと。・・自然はかぎりなく大きいものですから、それに包まれて居りますと、心が洗はれ、清められ、俳句もまた従つて高く澄みとほつて、本当に立派な作者となられるのであります。
すべて、物をこまかく観察する、深く観察するといふことは、どの藝術にとつても大切なことでありまして、それがその藝術の土臺となります。・・一歩でも深く自然の懐ろにはひり、自然から学ぼうと心掛けてゐるのであります。
病院の庭の野菜などをお詠みになる場合も、同じ要領で観察をなさればよろしいのでありますし、庭に来る小鳥も面白い題材になると思います。
朝顔の日々あらたにて癒(い)ゆる思い 藤野重雄
庭萩に寮の日本間あけてあり 多田方子
濃き影をつくりてダリヤ重たげに 瀧川光洋
昼涼し瓢箪(へうたん)の花白ければ 小駒幸治
臥して見る夜の静かさよ星涼し 澤山敦
「第二回 富安風生」
俳句を作るといふことが、現在療養中の皆さんがたのために一體どういふ意義を持つかといふことについて、少し申して見たいと思ひます。
日頃教を乞うてをる先生から「俳句は強く生きる道である」といふことを承つております。俳句は實は極く強い文学であり、俳句を修行することは、強く生きる道を養ふ道であると先生は説かれるのであります。
俳句の心は一口に申しますと、順応の心であります。現実をあるがままにうけとり、これを是認し、肯定するの心であります。われわれを包む外界、天地自然に順応してゆく心を養つて参りますと、人間世界の如何なる紛糾、人事の葛藤纏綿に向ひましても。よくこれに適応して、生きてゆく道を教へられることになつてるのであります。
俳句の修業によつて、培はれる強さといふのは、護謨のやうな、藤蔓のやうな、強靭さ耐久力であると思ひます。
人間が大きく活動するためには、間あひだに正しい休養がとられねばならず、また大きな長い苦しみに堪へるためには、笑つて苦しみに立向ふ、何かの慰めと、心のゆとりが、一方に伴はねばなりません。・・俳句は、その憩ひを最も有意義にする楽しみと慰めの道の、少くも一つであることは、間違ないと思ふのであります。
俳句の道は、また誰にもはひり易い道であります。俳句が、本来簡明直戴を猶ぶ、素朴な文学でありますのと、今一つには、俳句が、自然諷詠の詩として、最も日本人向きな文学でありまして、日本人である以上、誰もが親しめるはずのものであるからであります。
露涼し草の中なる試歩の径 三重療養所 榊原重治
武蔵野の秋深みゆき寮静か 東京療養所 萩原増次
松蟬に暮れて静臥の茣蓙を捲く 岡山療養所 中村一美
銃眼に漂ふ秋の雲白し 福岡療養所 岡敬了
再起の日御下賜のカンナ庭に燃ゆ 三重療養所 奥野祐己
「第三回 星野麥人」
軍人が俳句を詠むといふ處に見る余裕であります。 昔も戦さをして陣中で歌を詠み、句を詠むことはありまして、一例を挙げますれば、頼朝が奥州の泰衡を攻めて、
頼朝がけふのいくさに名取川
といふのや、太閤秀吉が小田原攻の時、
小田原や思ひのまゝに刈あふせ
といふやうに、戰ささ中の余裕を語るものがありますが、それは俳句の生れぬ前のことで、俳句が軍人に詠まれるといふのはおそらく今回が始めてではないかと思ひます。
俳句としても、未曽有の時にあひ、未曽有の句が詠まれて東亜共栄圏の基礎をつくるの光栄を荷ふ皆様と共に、俳句史上に大きな跡を残すことになつたわけであります。
皆様はこの余裕をもつた方々であります。どうぞ速かに御快癒あらんことを祈りまして、當今の緊迫せる時局の再起奉公の日、その陣中の風懐に一段と磨きをかけて、よき俳句をお残しあるやうにと願ひまして、選句の披露を致します。
さて一わたり句を拝見しまして、これを分類して見ますと
一、戦場のもの
二、療養所のもの
三、療養所内の風物及び動作
四、再起の日を待つもの
五、自然の風物
を詠みたる五種類に帰することになるやうであります。
砲煙は雑木紅葉をどつと覆ふ 三重療養所 松本清
命を待つ兵昼顔の野に伏せり 秋田療養所 猪股泰夫
架線する夏野に徐州見えそめし 三重療養所 安達弘
六月の蜩鳴いて山の寮 千葉 平田紫峰
炎天の砂塵と去れる戦車かな 京 吉田稔
「第四回 高濱虚子」
正岡子規は軍籍にはゐなかつたのですが、それでも従軍して、それがために病氣になつたのでありますから、皆さんの如く戰病者といふのに近いといつていいのかもしれません。
その子規の忌日は去る九月十九日でありました。今年は確か四十回忌に當るのだと思ひます。我が俳句作家協會でも當日お詣りをしたのであります。
その子規は到底癒えない病氣でありましたから、飽迄病氣と戰つて、病氣をものともせず、奮闘したのであります。丁度これは皆さんの再起奉公を期して鋭意療養におつくしになるのと同じことで、精神は同じことであります。
幾山河愛馬と越えて月の秋 鎌倉市傷痍軍人 清水一三
夏布団かけてひとつの命守る 傷痍軍人宮城療養所 添田健助
賜はりし義手に秋耕の鍬を振る 東京府清瀬村傷痍軍人療養所 大里美裳
いたつきの手鏡に外(と)の秋を観る 東京第一陸軍病院 中村實
蟲の闇へだてゝ療舎向き合へり 傷痍軍人東京療養所 貝塚信
「第五回 荻原井泉水」
戦争の場合に、一番大切なものは「覚悟」でありませう。この「覚悟」さへしつかりと出来てゐれば、すべて指導者任せでよろしい。俳句に於て、一番大切なものは「心構へ」であります。ほんたうに俳句することの「心構へ」さへしつかりと出来てゐれば、すべて指導者を信頼して進めばよろしい。その一歩一歩に俳句が解つて来るに違ひないのであります。そこで、俳句をすることの「心構へ」とは、どういふものか❘これは最初によく腹に据ゑて貰はねばならないのであります。
我が日本が戦争をする時の心構へとしては、日本の傅統として別のものが一つあるのであります。それは、「體當り」で行く―これであります。體当りで行く覚悟をもたぬやうなことでは、戦争は出来ないのであります。俳句をすることの心構へとはどういふものか-一言にしていへば―體當りで行くこと、これに尽きるのであります。俳句とは體當りの文學である、と私はかう信じてゐるのであります。
故国(ここく)の木犀(もくせい)の香(かほ)りである目(め)盲(し)ひてゐる
東京府東村山南秋津 平野武雄
義足(ぎそく)して出(で)て踏(ふ)みにじられた雑草(ざつさう)がある
傷痍軍人茨城療養所 串田慎一郎
臥(ふ)していつも仰(あふ)ぐ五つの訓(をし)へ秋(あき)夕(ゆふ)べの雲(くも)
宮城療養所 櫻井眞澄
行(ゆ)くも来(く)るも白衣(びやくゐ)の、月(つき)になる影(かげ)になる
岡山療養所 住谷照夫
龍(りん)胆(だう)咲けばゑ龍(りん)胆(だう)をさして病(やまひ)よし
宮城療養所 馬場豊
それぞれの選者が俳句のあり方を説話し、投稿した作品を鑑賞しながら投稿者を癒し労い、また戦意高揚に努めました。
3.『麦と兵隊』と現代における「戦争俳句」
火野葦平『麦と兵隊』は、『改造』昭和13年8月号に発表され、翌9月に単行本(写真)として発刊されました。
前書に「この『麦と兵隊』は一兵隊である私が軍報道部員として、歴史的大殲滅戦であったと謂われる徐州會戰に従事した時の日記」と書かれています。
『俳句研究』昭和13年9月号は『麦と兵隊』の大見出しを付け、日野草城、東京三、渡邊白泉の三氏の『麦と兵隊』を題材にした俳句を掲載しています。 草城は56句、京三は50句、白泉は15句で、3人の表題と抜粋した句を記します。京三はのちの秋元不死男です。
戦火想望-「麦と兵隊」(火野葦平)に拠るー
大江流黄なり艦首に白く湧き 日野草城
人血のあふれては乾く千里の麦
大陸の黄塵を歯に噛みて征く
ひとくちの水胃の壁にゆきわたらず
満月皎々たり流弾も見ゆるかと
戦争日記
(一兵士火野葦平氏の「麦と兵隊」―徐州会戦従軍日記-は粉飾なき素朴強靭たる戦争日記なり。一読して肺腑を突かる。即ち一聯の作を記録せんとして、五月十六日迄を俳句に試む。)
兵寝ねて醒めず列車に雨来(きた)る 東 京三
渡河の兵墓碑となり寥寥と河の流れ
農夫集ひ集ひ大地を棄てしに非ず
大学生髪やはらかく戦死せり
突撃を思ふ郷愁白く掠め
麦と兵隊を読みて作る
難民の笑ひ就中母の笑ひ 渡邊白泉
黄塵と機関銃弾と宙にあり
人がをる処砲弾が裂く処
戦場へ手ゆき足ゆき胴ゆけり
戦場へ一本の列が生き動く
臨場感あふれる描写の『麦と兵隊』を俳句で書けばどうなるか、奇抜な試みであり三者三様の作品にそれぞれの特徴がよく出ていて良いという評価も得ていますが、当時はこの企画が作品そのものの評価ではなく、「戦地体験もないのに見たような嘘をつく。これでは戦地の兵士に申し訳ない。」という倫理観による反駁(はんばく)がありました。
現代における「戦争俳句」の例を挙げます。
第27回俳句甲子園 全国高等学校俳句選手権大会(2024年8月24日・25日)では、次の俳句が各賞を受賞しています。
戦死者のハンカチ青しそれを振る 岡智咲恵(最優秀賞)
排水管より弾丸の翡翠なり 高木茉莉(優秀賞 高野ムツオ選)
戦車の中にハンカチが落ちている 寺島未桜(入選)
瓦礫の街は一枚の空ハンカチ干す 守田慎乃助(同)
なお翌年開催された第28回の同大会では戦争と関りのある俳句は、ほぼ見受けられません。
全国大会の兼題を比較しますと、第27回では「ハンカチ」、「翡翠」、「メロン」、「暑し」、「稲妻」、「馬肥ゆ」、「鶏頭」、「栄」、第28回「青田」、「心太」、「天牛」、「葉桜」、「新涼」、「鶺鴒」、「蔦」、「百」になります。
とりわけ「ハンカチ」は別れ、平和への願いなど象徴的な物としての役割が多く、挙句の結果に繋がったようです。また28回では戦争が報道などを通じて常態化して捉えられ、作品として取り組まれなくなったことも否めません。
挙句は戦争経験のない作者による作句になりますが、『麦と兵隊』を俳句にしたように戦地体験がないからといって批判の対象になるものではないと考えます。
4.「戦争俳句」の展望
飯島晴子は『俳句研究』昭和55年5月号の「特集・俳句を読む行為」で、次のように論じています。
「俳句を読むということを、私の言い方で簡単に言えば、次のようなことになる。すなわち一句に使われている言葉の絡み合いによって、私のなかに喚び起こされる時空を享受することである、享受する窮極のものは、さまざまな色や、音や、匂いや、温度や、湿度や、肌ざわりや、光や、翳などをもった気体のようなものである。作品から享受する最後のものは、意味でも、景でも、概念でもないのである。」
また「リアリズムでなければ俳句でないという読み方も困るが、反リアリズムであれば詩が顕つと頭から信じ込んでいる読み方も、絶対に困る。リアリズムであろうとなかろうと、俳句は俳句になったりならなかったりするのである。つまり、言葉を超えて言葉の向こうに或る初めての時空を経験さすことの出来る方法は、リアリズムに限らないし、反リアリズムにも限らないのである。方法を超えてその時空を感得することが“読む”ということである。」としています。
宇多喜代子はその著『ひとたばの手紙から 戦火を見つめた俳人たち』の「戦争と機会詩」で「社会的大事が生じるたびに、俳句でそれがどう作品化できるか、はたして作品化することに価値があるかが問題になる。」とし、「戦争こそは最大な『機会詩』の現場であろう。」、「作品が永遠を獲得するということは、作者の側の原初の限定が一旦消えてしまい、普遍的な主題として読者の側に再生するということ。」と述べ、「読者による展開を加えなければ、作品は半身状態のままで終ってしまうことになる。」と論じています。
今を生きるわたしたちは、身ほとりや世界情勢に対し、単なる報告句や写生句で終わるのではなく、文芸家として如何に時空を享受して「俳句」を読者へ届け得るか、如何に読者の鑑賞に堪え得るか、普遍性を得て「読者の側に再生する」可能性があるかを考慮して、「作品化」に向き合う姿勢が必要です。それは、「戦争俳句」における表現のあり方としても同様と考えます。
引用・参考文献
水原秋櫻子『聖戰俳句集』石原求龍堂、昭和18年8月
水原秋櫻子『増補改訂 現代俳句論』第一書房、昭和16年6月
『京大俳句』昭和13年8月号、京大俳句発行所
ラジオ選書『聖戦俳句選』株式会社日本放送出版協會、昭和17年4月
火野葦平『麦と兵隊』改造社、昭和13年9月
『第27回俳句甲子園公式作品集』株式会社書肆アルス、令和6年11月
『第28回俳句甲子園公式作品集』株式会社書肆アルス、令和7年11月
『俳句研究』昭和13年9月号、改造社
『俳句研究』昭和55年5月号、俳句研究新社
宇多喜代子『ひとたばの手紙から 戦火をみつめた俳人たち』角川ソフィア文庫、平成18年
【筑紫磐井の感想】
従軍俳句、戦争俳句については、阿部誠文氏の多くの著作がある。思いつく代表的なものをあげたものだけでも、『戦場に命投げ出しーー従軍俳句・人と作品』(1995年有楽書房)、『ある俳句戦記ーーー詩華集にみる従軍俳句』(2000年花書院)があり、関連するもので『ソ連抑留俳句』(2001年花書院)『沖縄の涙ーー従軍俳句・人と作品』(令和2年青嶺書房)等がある。今回の村山論文に近いものとしては、詩華集の従軍俳句を取り上げた『ある俳句戦記』と比較してみるのがよいだろう。
主要詩華集の村山論文と『ある俳句戦記』の重複を見てみると次の通りである(●は村山論文所収のもの、▲は『ある俳句戦記』所収のもの)。
山茶花同人編『聖戦俳句集』(14年4月)[▲]
胡桃社同人編『聖戦俳句集』(14年4月)[▲]
水原秋櫻子編『聖戦と俳句』(15年3月)[▲]
水原秋櫻子編『聖戦俳句集』(18年8月)[●▲]
桜田士郎『大東亜戦争ーーー防人の賦』(17年10月)[▲]
吉田冬葉編『大東亜戦争第一俳句集』(18年10月)[▲]
重複しているから価値がないというものではない。そもそも戦争俳句に対する圧倒的無関心の時代にあっては戦争俳句や戦争句集に関心を持つこと自体貴重なのである。あとはそれはどう扱って行くかと言うことである。
そういう観点から見ると、村山論文は『ラジオ選書『聖戦俳句選』』(昭和17年4月)という究めてユニークな句集を発掘したことが最大の功績になるように思う。水原秋櫻子、富安風生、星野麥人、高濱虚子、荻原井泉水の5人の選者が聖戦俳句というベクトルで語り合うということは、あまり例を見ず、非常に興味深い。それぞれの思想の違いが微妙に異なるのを比較できるからだ。そして特に従軍俳句ではなく、傷痍軍人の療養俳句になっているのも特色だ。ネガティブな立場にいる人々の作品がどのような内容であり、どのような批評を下されていたのかはこれこそ今後深堀りに値する内容であり、論者の今後の金脈に当たったと思う。
村山は、
故国の木犀の香である目盲ひてゐる(井泉水選)
義足して出て踏みにじられた雑草がある(井泉水選)
を取り上げているが、それ以外にも次のような句がある。
秋草に病衣干す日のしみじみと(風生選)
病棟の窓みな閉ざす野分かな(虚子選)
染まるやうな空であるじいっと白衣でゐる(井泉水選)
特にホトトギスと自由律の句がいい。
これに加えて、戦火想望俳句、戦後の戦争俳句も述べているが、やや視野が広がっており、限られた枚数の中でこれらをどううまくまとめるかが課題であろう。