句集『地球のリレー』では、地球上すべての生命が織りなす過去・現在・未来の事象(物語)を、沖縄からの視点と壮大な空想力で描いた句集だと思い込んだ。しかし今作『赤ん坊オーケストラ』を読んで、私の見方は逆だったと気づかされた。物語のすべては沖縄の生命を起点として、時間を超え、空間を超えて、地球上すべての生命に繋がっている、繋げていくべきリレーであった。
天体が弾む赤ん坊オーケストラ
あとがきにもあるように、掲句の「赤ん坊」を、沖縄の戦火を逃れた母親世代、すなわち当時赤ん坊として戦場にいた人々だと捉えるなら、それは最も弱く無力でありながら、戦火を生き延びた存在だと言える。ここでの赤ん坊は、人間が極限状況に置かれたときに剥き出しになった生命そのものを象徴し、「オーケストラ」は赤ん坊たちの泣き声を連想させる。しかし、オーケストラが多様な楽器によって成り立つことを思えば、そこに響いているのは単なる泣き声だけではない。笑い声、叫び声、息遣いなど、さまざまな生の気配が含まれているはずだ。一人の体験ではなく、無数の生が重なり合う。その声は整った旋律というより、むしろ不協和音をも含んだものに違いない。その不揃いな響きこそ、当時の人々の現実を表しているのではないか。
「天体が弾む」という表現は、生命の躍動であると同時に、宇宙そのものの揺れ。しかし天体は、単に遠い星々を指すのではなく、私たちの世界、運命、歴史の揺れとして響いてくる。地上では砲火が降り、人間の時間は寸断される。にもかかわらず、なお天体は動き続ける。地球は回り続ける。ひとつひとつの命が奇跡のように生き残った、そのような感覚がこの句の奥にはある。
戦火を逃れた母親世代の人々は、当時のことを詳細には語れない。しかし、その身体は、家族は、その土地は、当時の何かを抱え続けている。「赤ん坊オーケストラ」とは、言葉を発する以前でも、確かにそこに存在しているという証し。証言になりきらない呻き、家族のなかでも語られなかったこと、それらの総体がオーケストラとなっている。その声は、生き延びた命だけでなく、消えてしまった命の記憶をも含んで天体を弾ませているのかもしれない。赤ん坊は沖縄の歴史から浮かび上がる原像なのだ。個々の声は小さくとも、重なり合えば天体を弾ませるほどの力となって。