むかしはものを
靴べらを借りて返して冬紅葉
熱燗やむかしはものを書きゐしと
熱燗や手首に育つガングリオン
ハンガーの肩の丸みが寒さうな
歳晩のミネルヴァ書房より一書
・・・
はつはるや石田波郷の歯並びも としこ
何となく出来てしまったという句だった。
石田波郷氏にお会いしたことは勿論ない。
歯並びどころか笑顔も知らない。
それなのに、何故この句ができたのやら……。ふっと浮かぶということもあるにはあるけれど。
句が出来た後で本棚を漁って波郷氏の写真を探してみたが、どれもお口を閉じていらっしゃる。
あまりにも不遜ではないか…と、句会にも出さず発表もしなかった、はずだった。
ところが発表していたらしい(完全に忘れていた)。
しかも、それを故大牧広先生が取り上げて批評して下さっていたのである。
先生曰く「私は波郷を知らない。が、この断定には頷ざかざるを得ない」云々と。
ああ、恥ずかしい!であった。自己弁護をするならば「歯並びも」と逃げておいてよかったな、である。
私は歯科衛生士だった。一応国家資格ではあったが、結婚してからというものは、自虐的に言えば体のいい歯科雑役婦であった。今は雑役婦などと言ってはいけないのだろう。いうならば雑役人? それも駄目なのだろうか。
言葉がどんどん使いにくくなって、不適切な表現だと切り捨てられる、訂正させられる。場合によっては謝罪せねばならぬ。俳句では言葉の問題に加えて文法云々で叱られる。難しいことである。
逸れてしまったが、長く歯を見てきたという個人的事情で「歯」が気になるのである。
10年以上も前になるが、歯の俳句を集めてみようと思いたったことがあった。きっかけは
衰や歯に喰あてし海苔の砂 芭蕉
を知ったことだったが、ざっと集めて300句以上になったときに、集めるだけではつまらないから、短文を添えてみようかと、これも単なる思い付きでそんなことを思った。それをある人に話した。
誤解された。ホームページへの売り込みだと思われたらしい。「歯は話題としてマイナー過ぎるし、著作権の問題がある故……何とかかんとか」
それ以後人に話すときには気を付けなくてはと思う様になった。
歯の俳句が気になることは今も変わらないが。
そういえば、「ごまめの歯ぎしり」ということばがあった。力の無い者が騒ぐんじゃないよ、ぐらいの意味だろうが、ゴマメって臼歯があったっけ? どの歯で歯ぎしりをするのだろう?