★ー3 高柳重信の新俳句詩法――「垂直の力学」として読み解く 2 後藤よしみ
3 沈降の力学 ――空白と改行はなぜ必要なのか
①多行形式という構造
重信の俳句は、一行で書かれることが少ない。複数の行に分けて書かれる「多行形式」を取ることが多い。
これは見た目の問題ではない。意味の流れを断ち切るための、構造的な装置である。
ふつうの文章は、左から右へ、上から下へと連続して意味を伝える。しかし重信の句では、改行によってその連続が分断される。
②空白が意味を生む
改行によって生じる空白は、ただの余白ではない。
それは、倒語を成り立たせるための「沈黙の空間」である。言葉が直接には語らない部分において、読者の意識が動き始める。
行間は断層の裂け目である。読者の予想を許さず、次に何が来るかわからない緊張が生まれる。改行は言葉を次の行、すなわち「より深い地層」へと叩きつける重力として作用する。
③垂直の運動
通常、文章を読む行為は水平の運動である。左から右へ、前から後ろへと進む。
しかし、重信の多行形式では、読む行為が垂直の運動になる。行から行へと落ちていくことで、読者は言葉とともに深層へと沈降していく。
意味は一方向に流れるのではなく、断続的に現れ、消え、また現れる。読者はそのたびに立ち止まり、空白のなかで関係を再構成することを求められる。
この「落下しながら読む」という体験こそが、重信の多行形式が生み出す固有の効果である。フランスの象徴主義の詩人マラルメが詩の中で空白を活用したように、重信も空白を「意味が生まれる場」として積極的に使っている。
4 深層の噴出 ――言葉の底から何が浮かび上がるか
①言霊とは何か
以上の三つの原理——語彙の衝突、倒語による宙吊り、空白による沈降——を経て、言葉は最終的にその深層に到達する。そこで現れるのが、御杖のいう「言霊(ことだま)」に相当するものである。
言霊とは、辞書に載っている意味ではない。言葉が持つ響きや連想、歴史的な記憶を含んだ、総体的な意味である。
たとえば「桜」という言葉には、辞書的な意味(バラ科の落葉樹)以上のものが含まれている。日本人が桜という言葉を聞いたとき、入学式の記憶、散り際の美しさへの感傷、あるいは特攻隊の象徴としての歴史といった、様々な層が一斉に響く。これが言霊の働きである。
②深層の解放
重信の句では、語の衝突と倒語的操作によって、表層の意味が剥ぎ取られる。
近代国家のイデオロギーや、日常的に意味が流れる表層によって覆われていた「日本語の根源的な響き」が、衝突と反転によって解放される。理性の覆いが剥がされたとき、言葉は裸の物質となり、沈黙の底から古層の声を響かせる。
このとき意味は、明確に説明されるものではなく、読者の内側に生起する感覚として現れる。「これはこういう意味だ」と言葉にできるものではなく、読んだときに体の内側で何かが動く、あの感覚である。
③言霊の現代的な実践
重信のこの試みは、単なる文学的な遊びではない。言葉が本来持っている「言外の意味」を極限まで研ぎ澄ませた、高度な実践である。
私たちが日常的に使う言葉は、便利に意味を伝えるために、その背後にある豊かな層が削ぎ落とされている。重信は、その削ぎ落とされた部分を取り戻そうとした。俳句という最小の形式を使って、言葉の深層に眠る響きを呼び起こそうとしたのである。
(つづく)
★―7:藤木清子を読む14/村山 恭子
14 昭和12年 ①
学童の色彩(いろ)なだれ落つ朝の坂 旗艦27号・3月
坂を元気よく駆け下りてくる学童児。その勢いに圧倒されながらも、色ではなく「色彩」を使用して、好ましく感じている様子が伺えます。色とりどりの子供達は生命の輝きであり、朝の坂をなだれ落ちて来る姿は躍動感にあふれ、煌めきに満ちています。
季語=無季
坂のぼる外国人(がいこくびと)に山秀づ 同上
外国人が坂を登って来ます。その山は姿も情景も素晴らしく、自然に恵まれています。
また地元の人々にとっても自慢の山。訪問客にも誇りたくなる魅力にあふれています。
季語=無季
船白く春潮蒼く愁ひなき 旗艦29号・5月
春の海を進み行く船。蒼い海と白い船の様子は美しく、航海への心配もなく、悠々と進んでいるようです。
季語=春潮(春)
春潮はかゞやきボーイ端麗に 同上
船のレストランの情景。春の潮は輝き、もてなしをしているボーイは姿勢よく顔立ちも整っています。ボーイの白いシャツと蝶ネクタイも見えてきます。
季語=春潮(春)
■「四月旗艦神戸句会」に出席
昭和十二年四月九日(金)午後六時半
三菱倶楽部 市電山手八丁目電停約一丁下る
作品(兼題)「花のある風景」七句
会費 二十銭
〈花の風つよければ海藍青に 清子〉を出句
主な出席者・神生彩史・棟上碧想子・指宿沙丘ら
■「京大俳句」5月より「三角点」選者にそれまでの平畑静塔のほかに井上白文地、西東三鬼が加わる。
★―5:清水径子を読む14/佐藤りえ
ふと水のやうな炎天もの書けば 「昼月」昭和四十一年
引き続き『鶸』より。「水のやうな炎天」、汗まみれの、容赦ない暑苦しさ。じりじりと熱い陽射しの空が水で満ちみちている、すなわちただ暑いというのも通り越し、もう辛抱たまらない暑さだ、という感じが逆説的な「水のような」から喚起される。集中してものを書いていた、その集中が途切れたほんのときのま、「ふと」我に返っている。
ものを書くことそのものを句材としながら、よりメタ的な視座からこの句は書かれているように思う。導入部の「ふと」がひといき入れる呼吸のごとく、暑苦しさを回避させている。
メタ的言及のある句といえば「待遠しき俳句は我や四季の国/三橋敏雄」「短夜を書きつづけ今どこにいる/鈴木六林男」などを想起するが、これらの句はどちらかといえば造型論的に「書く私」をフレーミングしている。径子の句では他に「雪の原ペンと原稿用紙の間」(『鶸』)などもある。こうして並べてみると、径子の方は「書く私」というより、書くことが私ともども叙景化している、といったほうがよさそうだ。
*
径子の作はどのように読まれてきたか。最初に清水径子論を書いたのは小宮山遠であった。昭和29年の「氷海」4月号に「清水径子小論」がある。「氷海」創刊から5年目のこの頃、小宮山の評するところは「抒情でありながら知性、知性でありながら抒情」というものだった。〈感情の奴隷として従属する事を潔しとしな〉い径子の作に「抵抗」を認め、気まじめであると指摘しつつ「手枕寒し百の句集に見おろさる」を引き、
ぼくが径子の今後に期待するのは、勿論激しい抵抗の精神ではあるが、亦、このやうな、抵抗の間にある、さゝやかな愛の世界である。
と締めくくった。
「氷海」昭和36年4月号では三浦ふみ、長岐靖朗、中原晁、桜井柳城の四名が「清水径子作品合評」を行っているが、ここでは主に鑑賞、また句意の難易が語られるのみとなっている。
「氷海」昭和40年3月号には尾形不二子が「氷海女流作家の横顔(一)」を書いている。尾形は後の「虹の会」メンバーのひとり。紹介を兼ねた作家論だが、その評言は「女性特有の哀愁に蔽われた詩性」「深みのある知性と烈烈とした意欲」など、印象論の域にあり、男性側の言辞を内面化した色合いが濃い。
径子さんはよく「私なんか女のうちに入らない」なんて冗談をとばしますが、どうしてどうして女の中の女であることがどの句にも痛いまでに詠みこまれています。結婚して子を生み、育て、終始良人に仕えるだけが女の道の総てではないはずです。彼女はそれとはまた違つた道を歩む女性の哀歓と闘志、倦怠と執念、そういつたカオスが一本の槍のように鋭く径子俳句を貫いているのを私はまざまざと見るのです。
(尾形不二子「氷海女流作家の横顔(一)」)
「女の中の女」が慣用句「男の中の男」の裏返しにすぎないこと自体にも意識的ではない、と思われるが、「女であること」を詠み込むことがよい、という価値観で話が進められているのには困ってしまう。この文章では次章に中尾寿美子を評して「夫や愛児のことはいっさい詠まないが、それでも家庭が円満であることは作品の向こうに透ける」と誉めたたえる。女性=家庭なる軛は、かくまで強固なものであった。
もちろん、執筆者本人は大真面目に、一所懸命に誉めているのだと思うが、作品評というより人物評になってしまっている点は否めない。ただ一点、径子の特徴を捉えた箇所がある。
よそから影響を受けて変わつたというところが彼女には見られません。(同前)
径子本人が『鶸』のあとがきで不死男からの教えについて、「いわば放任の形で私を俳句の場に置きました」としている通り、不死男が径子の作品に積極的に添削や指導を加えた形跡はほとんど見られない。径子の文体は、誓子や三鬼ら現代性の強い文体を採り入れつつ、そのはじめから、芯の硬い鉛筆でデッサンをほどこしたようなものだった。径子の初期文体の硬質さは「氷海」においても際立っている。五千石、狩行らが情緒ある作品を携え、どんどん新風を吹きこんだ後も、径子の文体にその影響は伺えない。機序的にいえば最小限の助詞がよく整理して使用され、初句、結句の字余りを辞さない作り、ただし韻律は心得られていて、余剰の文字も文節に数えられるようになっている。散文的な作りをしているわけではない。花鳥諷詠らしき詠みぶりはなく、風雨、月光といった題材も、つねに人間との関わり合いのなかに置かれている。
*
昭和45年の「俳句研究」3月号は女流俳人特集と題し、五十の結社から推薦された五十名の作品が並んだ。「氷海」からは径子が推され「一肢」15句が掲載された。5月号に特集の寸評が載っている。
一肢 清水径子
秋天のいよいよ高し鍋に穴
口中に鶫の一肢ひびくなり
初時雨かとわが素足問ふ応ふ
甘きもの喉元すぎてまだ夜長
抱くや秋薔薇の切先いざよへる
散弾や露むらさきにひびきけり
ふりかへるときこそが終(つひ)谿紅葉
心にもある北側の薄紅葉
落涙や寒卵産むための鶏
水際に杭打たれ秋すぐに夜へ
天の原ありまつくらに霜降らし
売るべきか冬火の気なき一書抜き
晩学や夜のやさしき霧知らず
いぶかれる吾に向く朝鶸の声
土くれを見てをり霜の家出来て
〈秋天のいよいよ高し鍋に穴〉は、この痛烈にひびく俳諧に快哉を叫んだ。しかし、こういう一種の名人芸も、やがてすたれるかも知れないとも思った。〈口中に鶫の一肢ひびくなり〉の方が、芸はないが、感動が直接的である。
田川飛旅子「女流俳人特集寸評」(「俳句研究」昭和45年5月号)
いずれの句もうまさを感じさせられる。俳句は芸の要素が濃いが、清水さんは、そのことをよく弁えて居られると思う。句にりんりんとしたひびきがある。
散弾や露むらさきにひびきけり
水際に杭打たれ秋すぐに夜へ
桂信子「「女流俳人特集」読後」(「俳句研究」昭和45年5月号)
寸評の執筆者にはもうひとり金子兜太がいるが、その文章「女流の序」はさきの二人とは違い、女流を取り巻く苦境ともいうべき状況を述べることに多くを費やしている。この前年、昭和44年の俳句研究年鑑の座談会で高柳重信が「女性結局不毛論」を唱え、藤田湘子の言では「家庭電化の恩恵で」俳句に入ってくる女性たちは言葉というものを自己の表現のために使った経験がほとんどなく、期待が持てない、といったやりとりがあった。これらの無自覚さを孕んだ、あくまで男性中心ともいうべき論調に異を唱えたい金子兜太の論旨としては、女流の評論家が欲しいこと、彼女たち自身で彼女たち自身の作品の魅力を発見、顕彰してほしいこと、女性は発憤しなければなるまい、と、つまり女流の活況というものがあるとして、それは未だ「序」の段階だ、としている。その中でもかろうじて「意思的な強い作風を示した女流」として後半に幾人かの名前が挙げられ、径子の一句「天の原ありまつくらに霜降らし」も連なっている。
作品の巧緻だけでなく、評価、受容する基準自体があいまいなまま、女流が大挙して育つ中に径子の姿もあった。