2026年5月1日金曜日

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり49 『飯蛸の眼球』後藤貴子句集(2010年刊、風の花冠文庫)を再読する。

 飯蛸の眼球饐える地球かな

 饐(す)えるとは、飲食物が腐ってすっぱくなること。その飯蛸(いいだこ)の眼球が饐えるのと地球を結び付けたことに地球を消耗し尽そうとする人類への警鐘を鳴らす。全人類に告ぐ。日常の俎板から地球を救え。


音一つ逃げダリ展に巨眼あり

 何の音かは、此処では描かれていません。なんらかの大音響なのでしょうか。その音がひとつ逃げてダリ展に巨眼があるという。それは、シュルレアリスム絵画を代表する画家の一人・サルバドール・ダリの展覧会。そのダリ展に大きな眼球が浮いているようなシュルレアリスム絵画が俳句によって描かれているようだ。俳句1句が、絵画の世界を鑑賞者側に提示しているようだ。貴方ならどのようなこの句からどのような絵を創造できるでしょうか。


つる薔薇の櫂を四海の墓碑とせん

 つる薔薇の連なりは、舟を漕ぐ櫂のようにも見えてくる。

 四海とは、( 四方の海のうちの意から ) 国内。くにじゅう。また、世界。世の中。天下を指す。

 ここでは、国じゅうの墓碑としてつる薔薇の櫂を漕ぎ出す。

 新たな水平線の向こうへの航海の出帆へと俳句鑑賞者を誘(いざな)う。


蒼穹の水ももらさぬ子宮かな

白い魔女花野で何を産み落とす

少し欠け胎内を出るアキアカネ

春はあけぼの身に幾百の生理の日


 全体的に詩的飛翔と官能的な女性の「性」を自覚的に萌芽させている。

 水惑星である地球の蒼穹の水が体内を廻りめぐりながらそれらの水ももらさない子宮が銀河系に創出される。

 白い魔女が花野で何かを産み落とすという。その何かを想像を思い廻らしながらも地球の自転のような女性のわが身を解くように俳句の詩的空間を創出する。

 胎内を出るという生命の創出を少し欠けると捉えている。これは、母体として母と胎内の胎児が一体であることから生命の誕生を欠けると捉えた慧眼。

アキアカネとは、トンボ科アカネ属に分類されるトンボの一種で俗称でいうと赤とんぼのこと。

 そのアキアカネが一対を成す交わいのアキアカネの波をひとつ創出する。それは、欠けると捉えた生命のめぐりめぐる感じを私の中では、まるで蜻蛉の波が綾なす大海のように連想させる。

 女性の生理の日をこのように詠まれた俳句を私は、他の俳句で知らない。春はあけぼの。その季節の中に幾度もめぐりくる女性の性をしっかりと詠える時代が到来していることを再読で気づかされる。

 この句集は、観察眼による裏打ちされている。

 飯蛸の眼球は、地球の痛みに共振しながら女性の胎内の細胞の廻るめく地球の自転の眼のような新たな詩性の萌芽を宿す。


 共鳴句もいただきます。ありがとう。ありがとう。ありがとう。


晴れ着脱ぐ天に花粉をまきながら

汝と湖(うみ)の鎖骨はねじれの位置にある

表に月裏に毛の浮く水鏡

愛されて純物質がほとばしる

汝が抜ける積乱雲の浮き具合

真鍮の男根につくひかりごけ 

湯気の立つ血は血でくるむ空母かな

蛇の森かの日の愛ののがれゆく

ヒトという火種の憤怒試験管

切り株やイヴとアダムと欠け茶碗

航海術忘れつがいの水鳥よ

荒淫のごとく鳳仙花の爆ぜる

山に脈はあるか瀕死の鷹の群れ

さびしさよ鉄階舐めてのぼる鮭

わが子孫選ばん星の瓦礫より

AIDS死や玩具の電池熱すぎる

白芙蓉すでに晩年かもしれず

プラタナスそれぞれ涙器ひとつずつ

決して怒らぬダリアよ内出血せしか

仮想戦死して蝮草になりすます

抗わぬ姿勢の支那の甘藍よ

老い鮫のおもちゃはすべて陽に落とせ

花茣蓙(ござ)の鯖の寝ている心音よ

全部摘み全部捨てたるあやめぐさ

遊ぶため崩れ酒場の盛塩よ

花婿はナズナに憑かれすきとおる

こんにゃく村山ふところで割れた人