2026年3月13日金曜日

第264号

     次回更新 3/27



【告知】 現代俳句協会・日本伝統俳句協会共催シンポジウム「昭和俳句、何が争点?」

【報告】令和7年度 第77回読売文学賞 》読む


■新現代評論研究

【短期連載】未来俳句宣言についてーー「短律」という武器、あるいは二重露光について 山根もなか 》読む

【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)3 》読む

新現代評論研究:『天狼』つれづれ 第8回:「実作者の言葉」…「病雁」の読みについて/米田恵子 》読む

新現代評論研究(第21回)各論:後藤よしみ、村山恭子、佐藤りえ 》読む

現代評論研究:第24回各論―テーマ:「魚」を読む・その他― 藤田踏青、北村虻曳、飯田冬眞、岡村知昭、しなだしん、筑紫磐井、北川美美、深谷義紀 》読む

現代評論研究:第22回総論・「遷子を通して戦後俳句史を読む」座談会 》読む

【特別稿】口語俳句の可能性・余滴  筑紫磐井 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 図像編 川崎果連 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 解説編(第1回)川崎果連 》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和七年夏興帖
第一(10/10)杉山久子・辻村麻乃
第二(10/24)仙田洋子・豊里友行・山本敏倖・水岩瞳
第三(10/31)仲寒蟬・ふけとしこ・浅沼 璞
第四(11/21)岸本尚毅・小野裕三・瀬戸優理子
第五(12/12)冨岡和秀・堀本吟・木村オサム
第六(12/26)神谷波・川崎果連・加藤知子・曾根毅・松下カロ
第七(1/9)渡邉美保・小林かんな・田中葉月
第八(1/16)眞矢ひろみ・小沢麻結・花尻万博・林雅樹
第九(1/30)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

令和七年秋興帖
第一(10/31)杉山久子・辻村麻乃・仙田洋子
第二(11/21)豊里友行・山本敏倖・仲寒蟬
第三(12/12)ふけとしこ・岸本尚毅・瀬戸優理子
第四(12/26)冨岡和秀・堀本吟・木村オサム
第五(1/9)神谷波・川崎果連・曾根毅
第六(1/16)渡邉美保・小林かんな・田中葉月・小野裕三
第七(1/30)眞矢ひろみ・小沢麻結・花尻万博・林雅樹
第八(2/13)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

 俳句新空間第21号 発行※NEW!

■連載

英国Haiku便り[in Japan](60) 小野裕三 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり46 末吉發『どこにも仏桑華』 》読む

【新連載】俳壇観測279 ユネスコ登録の進め方4 有馬氏とマーティン氏の論点[1](誰も言っていないこと)  筑紫磐井 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(67) ふけとしこ 》読む

【新連載】名俳句鑑賞へのラブレター『岡田史乃の百句』(辻村麻乃) 豊里友行 》読む

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】9 「希望」のバトン  宮崎斗士 》読む

【新連載】口語俳句の可能性について・6 金光 舞  》読む

【加藤知子句集『情死一擲』を読みたい】④ 破局有情――加藤知子句集『情死一擲』について 関悦史 》読む

句集歌集逍遙 董振華『語りたい龍太 伝えたい龍太—20人の証言』/佐藤りえ 》読む

現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 7 筑紫磐井 》読む

【連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 7.梅若忌 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む

インデックス

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

3月の執筆者(渡邉美保)…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …




■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子


筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【報告】令和7年度 第77回読売文学賞

 ●令和7年度 第77回読売文学賞

詩歌俳句賞 高山れおな 句集「百題稽古」(短歌新聞社)

表彰式





祝賀会


2次会:有楽町SiAM(乾杯の辞)


贈賞式・祝賀会

2026年3月6日(金)午後6時から

帝国ホテル「富士の間」


2次会:シャム有楽町SiAM

参加者:

高山れおな、ご両親、高橋睦郎、佐藤文香、福島崇、大井恒行、藤原龍一郎、筑紫磐井、池田澄子、阪西敦子、山本敦子、鈴木忍(朔出版)、真野少(現代短歌社)他

【連載】新現代評論研究:『天狼』つれづれ 第8回:「実作者の言葉」…「病雁」の読みについて  米田恵子

  誓子の探索好き、考証好きは終わらない。『天狼』昭和23年7月号の誓子の「実作者の言葉」に「病雁」が出て来る。芭蕉の俳句「病雁の夜寒に落て旅寝かな」の「病雁」の読み方である。「ビョウガン」と読むか「ヤムカリ」と読むかである。「病雁」は、昭和23年7月号、8・9月号、10月号2回、11月号2回、昭和24年2・3月号2回、4月号2回の合計10回も出て来る。

 まず、初出の7月号では、斎藤茂吉が漢詩から繙き「ビョウガン」と読むという茂吉の結論を得た。また、「ビョウガン」と読むべしという数人の研究者もあげる。一方、もちろん「ヤムカリ」と読ませる学者もいることにふれる。しかし、誓子はどれも鑑賞的立場からの考察と述べ、決着をつけるには、文献的立場からの調べが必要だと説く。

 そこで、誓子は『猿蓑』『泊舟集』『去来抄』『芭蕉翁略傳』を見ていくが、読み方には触れていないと言う。読み方の手がかりはなかったようである。さらに『日本俳書体系』所載の『風俗文選』には、「ビョウガン」と読ませるように仕向けているかのようだとも書く。ただ、其角の『枯尾華』(芭蕉翁終焉記)に「病ム雁」とあり、これを踏まえて頴原退蔵は『枯尾花』に「病ム雁」と載っているから「ヤムカリ」と読むのが妥当としていると紹介する。

 そのほか、『天狼』の読者である若い理学士のI氏からの手紙には、学者のうちに「ヤムカリ」と読ませる学者もいるが、「ヤムガン」とも読めるという学者もいるという指摘があった。そこで、11月号からは、「雁」を「カリ」と読むか「ガン」と読むかの問題に及ぶ。俳人で薬学者の内藤吐天が江戸時代の俗語では「ガン」と読んでいたから「ヤムガン」が正しいというのを聞き、誓子は内藤吐天に手紙を書いて実際に確かめたことも書かれている。誓子の探求心に感服である。

 「病雁」の読み方は、さらに読者からも手紙をもらい、広がっていく。「病気の雁」が「ヤミカリ」、「病める雁」が「ヤムカリ」と誓子なりに考えたことを確かめるため、国文学者の鈴木太吉に聞き、「ヤミカリ」という読みも可能だという結論を得た。これではますます闇は深くなる。

 最後の昭和24年4月号では、「ヤム」か「ヤミ」か両方とも可能である例を、「刈」の読み方の「カリ」か「カル」をあげ紹介する。「カリ」は「刈上(カリアゲ)」「刈株(カリカブ)」「刈込(カリコミ)」である。「カル」は「刈萱(カルカヤ)」「苅人(カルヒト)」「刈藻(カルモ)」である。誓子は、言語学者のように実例を『古今集』(これは古写活字本で小林一三氏より贈答されたもの・現在も所蔵)を調べ用例を集めている。

 さらに、結論に行く前に、「病雁の夜寒に落て旅寝かな」の「夜寒」と「旅寝」の読みを問題とする。「夜寒」は「よさむ」、「旅寝」は「たびね」が正しいであろうが、その訓読みから「病雁」も「ヤムカリ」と読むわけではないことを言うために、誓子は『日本俳書体系』の「芭蕉全集索引」から、芭蕉は漢語の読み方を一句の中で訓読みか音読みかを揃えることはないということを突きとめ、最後に次のように言う。

 芭蕉は必ずしも訓を揃へたりはしなかつた。訓を揃へむとして「病雁」を訓読するのは個人的嗜欲に過ぎない。(誤解があつては困る。私は当初から「やむかり」説であつて、「びょうがん」説を援護するのではない。たゞ、嗜欲的方法によつて「やむかり」説を固めることを欲しないのである)

 結局、読み方の決め手になるようなことは出なかったのである。ただ、誓子は「ヤムカリ」派であるが、決して好みや思い付きではなく、言語学者顔負けの探求心で文献を調べた上での言であると言いたかったようだ。ちなみに、私は何も考えることなく「ビョウガン」と読んでいた。

【新連載】新現代評論研究(第21回)各論:後藤よしみ、村山恭子 、佐藤りえ

 ★ー3「高柳重信における皇国史観と象徴主義の精神史」―戦前の影響と戦後の変容をめぐって―後藤よしみ


第八章 戦後期後半の変遷 ―霊性と自然への回帰―

 戦後期後半、高柳重信の思想と表現は新たな局面を迎える。1965年の喀血による入院生活は、彼にとって再び死と向き合う時間となったが、その中で「自然から語りつづけられる体験」が彼の内面に深く刻まれていく¹。自然との交感は、少年期のアニミズム的感受性の再来であり、彼の詩的意識を霊的な方向へと導いた。

 重信は「その山には、それにふさわしい霊魂がひそんでいると信じられていた時代であれば、それはすなわち、人間の精神と直接につながる思いであった」と述べている²。このような霊魂や呪術的なものへの憧れは、翌1966年以降、彼の言葉の端々に現れるようになる。肺結核という死の危機からの脱出は、彼の意識を深層・古層へと向かわせ、創作意欲の回復とともに作風の転換を促した。

 その転機となったのが、1971年の飛騨行である。書斎派であった重信が、実際に自然と邂逅し、飛騨の霊的風土に触れたことで、彼の詩的世界は大きく変容する。飛騨の自然の奥に神々の存在を感じ、隅々にまします霊の生動と言霊を見出した重信は、ここで「飛騨十句」と呼ばれる作品群を生み出す。これらは「絶唱」とも評され、彼の詩的成熟の頂点を示すものである。

 たとえば次の句に、その霊的感受性が凝縮されている。(原句にはルビ付き)


飛騨の

美し朝霧

朴葉焦がしの

みことかな

(『山海集』「飛驒」所収、『全集Ⅰ』)


 この句には、自然の美しさと霊性が融合し、朴葉の焦げる匂いに神の気配を感じ取る重信の感性が表れている。ここにおいて、彼の関心は古代へと向かい、「自然的秩序への憧憬と崇拝感情」(大岡信)を通じて、皇国精神の古層が浮上してくる。

 加藤郁乎は「高柳重信は独自の皇道観を持っていた。超然たるその日本主義は内に秘していたと言い改めるべきかもしれない」と述べている³。飛騨行は、単なる過去へのノスタルジーではなく、古層から現代を照射する詩的視座の獲得であり、重信にとって第二のスプリングボードとなった。

 この霊的転回は、彼の言動にも表れ、「詩人は間違えたら腹を切るくらいの覚悟が必要」と語るようになる。これは、皇国精神に基づく自己規律であり、詩への尽忠の姿勢でもある。その精神が作品にも反映され、次の句に結晶する。


天に代りて

死にに行く

わが名

橘周太かな

(「日本軍歌集」所収)


 橘中佐は日露戦争時の軍神であり、重信はその歌詞を本歌取りし、俳句への献身の心情を次の句に託している。


目醒め

がちなる

わが盡忠は

俳句かな

(同上)


 ここに見られるのは、霊性と忠義が融合した詩的精神であり、重信の思想が自然・歴史・霊魂を通じて再構築されていく過程である。

脚注

¹ 高柳重信「俳句の廃墟」『高柳重信全集Ⅲ』立風書房、1985年。

² 同上。

³ 加藤郁乎「皇道と俳道」『高柳重信読本』角川学芸出版、2009年。



―7:藤木清子を読む11 / 村山 恭子

11 昭和11年 ⑥


  しひたげられたる妻の手記

妻不楽(さぶ)し春荒寂の部屋がある         天の川6月

 さびしい妻と荒れ果てて静まり返った部屋。季節は「春」ですが、二者の取り合わせと「春」により一層のさびしさ、わびしさを感じます。

     季語=春(春)


しろき月黄金となりゆく若葉かな       旗艦19号・7月

 やわらかく瑞々しい落葉樹の若葉。白い月の光を浴びて、若葉は黄金になり輝きます。    

 「黄金となりゆく」の表現に、時間の流れがあり神秘性を増しています。

     季語=若葉(夏)


五月来ぬ潮の青きにのりて来ぬ        同

 新緑が萌え、一年の中でも清々しさを感じられる五月が、潮の青色に乗って来たと擬人化しています。潮の青々とした溌剌な情景へ、五月が光りながらやって来る嬉しさ、楽しさを詠います。また「来ぬ」のリフレインが勢いを出しています。

     季語=五月(夏)


  妻ありとひもじさゆゑにおもふとき      京大俳句7月

 空腹や飢えのひもじさのために様々思いを巡らせますが、「妻あり」と家族がいることで自身を支えています。ひもじくはありますが、妻の温度感が生きて行く大きな理由になっています。

     季語=無季


  梅雨さぶし南京豆のしろき肌         同

  梅雨さむし南京豆の白き肌          旗艦20号・8月

  梅雨侘びし南京豆の殻とゐる         同

 六月頃、ひと月にわたって降り続く長雨。

 一句目と二句目は、梅雨の寒さと、南京豆(落花生)の白さを取り合わせています。「南京豆のしろき(白き)肌」は南京豆そのものの白さでもありますが、人間の肌の白さも表し、寒さに震えながら人肌を求めている情感を感じます。

 二句目の「さむし」「白き肌」には、やや合理的で淡々とした様子が読めます。

 三句目は「侘びし」「南京豆の殻」を取り合わせ、殻の茶褐色で侘しさを増幅します。

     季語=梅雨(夏) 



★ー5 清水径子を読む  佐藤りえ

 感動のなくてたうもろこしを焼く 「鏡」(昭和四十年以前)

 引き続き『鶸』より。初出は「氷海」昭和38年6月号の「感動のなくてさくらが遠く咲く」。感動がない、とあらかじめことわりを入れるのは奇襲攻撃である。で、何をしているのかというと、とうもろこしを焼いているのだという。

 初出からの変遷に驚くものがある。「さくらが遠く咲く」から「たうもろこしを焼く」に変わったのは、首をすげ替えたぐらいの違いがある。蛇足ながら言ってみれば、「感動」と「さくら」には取り合わせるだけの理由があるように見える。桜の開花宣言は毎年のニュースネタである。桜はひとびとに待ち焦がれられる花である。さくらが咲いているんですか、そうですか、と感動もなく捉える、ということなら、図式としてわかりやすい。遠い、とまで言っている。

 季題でもある桜の部分をすっとばして、網を取り出し、とうもろこしを焼きはじめた。焼きもろこしの旨さも捨てがたいものであるが、感動はない、ととりすまして―あるいは汗ばみながら、かかる野菜をひっくりかえしている。遠景から近景(手元)への変化であり、どことなくあわあわとした慕情みたいなものから、眼前のモノへ視点が移り、感動のありかは綺麗に片付けられている。

 因果関係が明らかな句が必ずしも悪手、ヘタな句であるとは言わないが、面白さという見方でいうと、かようにヘンテコな結びつきのほうが、だんぜんいいと思われる。


『鶸』の最初の章、「鏡」には昭和四十年以前の58句が収められている。昭和四十年以降の句はそれぞれ一年ずつ章立てされている。なぜ四十年以前がひとまとめになっているのかは明らかでない。径子が俳句を始めたのは昭和二十四年、「氷海」創刊の頃からというから、15年間の作品が一章にまとめられていることになる。なかなか思い切った省略である。章中の構成は編年体ではなく、冒頭と末尾の句が昭和32年のもの、章中でいちばん古い句は昭和25年の「冬灯消す二個の時計に急がされ」である。

 私生活ではこの昭和39年という年が、径子にとってひとつのターニングポイントであった。1月より俳人協会の事務職に就く。慣れ親しんだ俳壇の関係とはいえ、やっと新たな安定した職を得たこのとき、径子は五三歳だった。公務員の定年が五五歳の時代の話だ。五十代の径子が職を求める難しさは、同年代の男性の比ではなかっただろう。

 東京オリンピックが開催されたこの頃、世はいざなぎ景気に湧き立ち、労働市場への女性参加は大きく進んだものの、女性の職業、職種は依然多くの制限に阻まれ、壮年の女性が独立して生きることは、その属性だけで多くの困難を伴うものだった。女性差別撤廃条約が採択されたのは昭和54年、男女雇用機会均等法が施行されたのは、ここから20年ほど後の昭和61年のことである。径子は定年の昭和47年まで、協会の職を全うした。


 昭和39年、「氷海」は15周年を迎え、記念号の11月号に楠本憲吉の作家評「五作家独断」が掲載された。その冒頭は径子について述べられた。

 肩昏れて地下足袋で割る焚火の焰

(前略)問題は「割る」にある。ここに作者の主観が重心の低い声で呟やかれているのである。実際は濡れた地下足袋を火にあぶつているのであろうが、「焰を割る」としたところに、平板な関係にあつた二つの素材、労働者と焚火の持つ事実性(アクチュアリティ)が、にわかに真実性(リアリティ)にまで高められて、読む者の心に迫つて来るのである。

 これが表現というものであろう。

(「五作家独断」楠本憲吉/「氷海」昭和39年11月号)

 昭和31年発表の掲句について、楠本憲吉は丹念に読み込んだ。最後の一節は、径子にとって嬉しい評言だったのではないだろうか。なお、この句は句集には収録されていない。取捨選択の厳しさを見るとともに、径子は句集を編むにあたって、自己/他己の句のうち、自己の句を残したのではないか。そのようなヒントを感じる。

 師・不死男の「氷海」月例新作「方舟集」が翌40年から「四季集」に変わり、毎号庄中健吉が担当していた鑑賞のバトンが径子へ渡された。昭和40年4月号より径子の「四季集鑑賞」がはじまる。「氷海」のヴェテランとしての道を径子は歩み出した。

【短期連載】未来俳句宣言に寄せて――「短律」という武器、あるいは二重露光について 山根もなか

(2回にわたって連載した私の「未来俳句宣言」について賛同・共感していただける方々から寄稿をしていただく機会を得た。「未来俳句宣言に寄せて」と題して以下紹介させて頂く――筑紫磐井) 

一.ガラパゴスの外へ(国際的視座)

 「Haiku」が世界で最も短い詩形として認知されて久しい。しかし、なぜ本家である日本の俳句作家からノーベル文学賞が出ないのか。一方で、スウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメルは、俳句的な凝縮を用いた詩でその栄誉に浴した。

 この事実は、現代の日本の俳句が「日本語特有の文法・助詞・挨拶」といったドメスティックな(内輪の)共通理解に寄りかかり、詩としての「自立した強度」を失っていることを証明しているのではないか。

 「翻訳すればニュアンスが消える」と居直ることは、もはや許されない。

 言葉の壁を超えて突き刺さる詩とは、説明的な文脈(散文)ではなく、圧倒的なイメージの衝突(モンタージュ)であるはずだ。

 その意味で、筑紫磐井氏が提唱する「文法を捨てる」「一行を極限まで短くする」という手法は、日本語の湿った情緒を強制的に乾燥させ、言葉を**「世界に通じる硬質な物質」**へ と精製する試みである。


二.「余白」から「密度」へ

 かつて篠原資明氏は、定型を極限まで削ぎ落とす「超絶短詩」を提唱し、〈あら 詩〉に代表されるような、言葉の「余白」と「気配(まぶさび)」による詩的実験を行った。これは、俳句形式が持つ「説明過多」への強烈なアンチテーゼであり、重要な先行指標である。

 しかし、震災を経た今の「乱世」において、我々が必要としているのは、優雅な「余白」や「遊び」だけだろうか。

 否、違う。

 今求められているのは、言葉を極限まで圧縮することで生まれる**「圧倒的な質量(密度)」であり、現実に対抗するための「武器としての短律」**である。

 意味を削ぐのではない。意味を限界まで詰め込み、爆発寸前の状態で固定すること。それが現代の短律である。


三.二重露光(ダブル・エクスポージャー)と連結点(ジャンクション)

 筑紫氏は「文法は要らぬ」「誤字・誤用の駆使も一行を更に短くする」と、言語の破壊による可能性を示唆した。私は実作者として、その「破壊」をさらに具体的な技法へと推し進めたい。

 すなわち、「当て字(ルビ)」による意味の多層化である。

 一見すると、それは「キラキラネーム」のような、誰にも読めない独りよがりの遊戯に見えるかもしれない。だが、そこにルビ(読み)が振られた瞬間、言葉は**「二重露光(ダブル・エクスポージャー)」の状態となる。

 「文字(視覚情報)」と「ルビ(聴覚情報)」が、ズレを保ったまま同時に脳内に入力される。その時、言葉は平坦な意味伝達の道具であることをやめ、「立体的な構造(ステレオ・ストラクチャー)」**として立ち上がる。

 なぜ、この技法が必要なのか。

 それは俳句の中に、内界(詩人の意識)と外界(現実)が激しく交流する**「循環点」**を作るためである。

 伝統的な俳句ではこれを「切れ」と呼ぶこともできるだろう。だが、我々はここで、あえて「切れ(切断)」という言葉を使わず、「連結点(ジャンクション)」と呼びたい。

 二重露光によって重ね合わされた言葉は、単に切れているのではない。内なるイメージと外なる音が、極めて高い密度で連結し、ショートしているのだ。

 ヤコブソンの言うような古い「詩的装置」の議論は、もはや必要ない。

 我々が手にするのは、音数律ではない。

 漢字とルビの衝突によって生まれる**「視覚的韻律(ヴィジュアル・リズム)」であり、それこそが、一瞬で世界を記述するための「文学的強度」**の正体である。


四.情報(コード)と身体(肉体)の融合

 現代はAIやITによって情報化が加速し、仮想的な「イマージュ(映像)」が、生身の「身体性」を凌駕しつつある時代だ。俳句もまた、花鳥風月という「自然の身体」だけを詠む時代は終わった。

 しかし、我々は伝統を軽視して、俳句を単なる「電子データ」に還元しようとしているのではない。

 目指すべきは、「イマージュ(情報)」と「身体性(生身)」の高度な融合である。

 文字(漢字)という「伝統的な身体」に、ルビ(読み)や、短律化された鋭利な「現代的なイマージュ」を憑依させる。

その時、俳句は「古い肉体」を持ちながら、AIのような「超・身体的な速度」で世界を駆け巡る拡張された身体となる。

 伝統的な身体(漢字・定型の記憶)を、現代のイマージュ(情報の速度・切断)で再起動させること。それが、未来の俳句が進むべき方向性の一つである。


五.自由律の「自由」について(結びにかえて)

 誤解を恐れずに言えば、私は「短律こそが全てである」とは考えない。

 本来、自由律俳句とは、定型のリズム(五七五)から解放された「自由な律」であり、そこには長律が持つ「うねり」や「感情の奔流」もまた、重要な表現領域として存在する。私はその可能性を捨てるつもりはないし、いずれそこへ還る時も来るだろう。

 だが、**「今」は違う。

 既存の形式が形骸化し、散文化した言葉が溢れるこの閉塞した時代において、我々が手に取るべきは「ダラダラとした自由」ではない。定型以上に自らを縛り、研ぎ澄ませる「極北の短さ」**である。

 それは定型への回帰ではなく、自由律の最前線として、言葉を「鋭利なナイフ」に変えるための選択だ。

 言葉は、意味を伝えるための「やわらかい液体」であってはならない。

 現実に楔(くさび)を打ち込むための、**「硬質なコード(物質)」**であるべきだ。

 以下は、その実践である。


華緋(はなび)綴じた

言 硬度(コード)


英国Haiku便り [in Japan] (60)  小野裕三

 アートと俳句の対話から学ぶ

 今年の夏に、国際俳句協会のウェブサイトで「アートと俳句との対話」という企画を始めた(「haikuつれづれ36回、37回」)。かなり手応えを感じていて、シリーズとして続くといいなと思っている。コンセプトは、俳句に関心を持つ海外の現代アート作家と僕とで、アートと俳句との関係について語り合うこと。

 第一回のマリサ・クラットさんは「Haiku」という題の写真シリーズを制作。第二回のラファエル・ローゼンダールさんはインターネットアートの先駆者の一人として有名な人なのだが、過去に来日した際に俳句に出会って興味を持ち、自分でも俳句を作り始め、それだけでなく展覧会でも俳句を壁画のようにして展示するようになる。放哉や山頭火を思わせるぶっきらぼうなシャープさがあって面白い。例えばこんな句だ。

 oh no

 forgot to buy

 avocados    Rafaël Rozendaal

なんてこった / 買うのを忘れたよ / アボカドを ラファエル・ローゼンダール

 五七五も季語も気にしない作風だが、これは彼なりに理由がある。そもそも彼が芭蕉の句を英語で読んだ時、それは翻訳であるが故に英語で五七五のリズムにはなっていなかった。それゆえ、彼にとって五七五は重要な要素ではない。季語についても、芭蕉の時代には意味が大きかっただろうが、今の時代を描くのに果たして季語は重要なのか、と問いかける。今の時代は、季節よりもe メールなどデジタル環境などのほうがよっぽど生活への影響が大きい、と指摘し、その上で、瞬間のエネルギーへの着目や、物語性の排除が、俳句の本質だと分析する。

 一方のマリサさんは俳句自体は作らないが、五七五の構造を彼女の写真の中に彼女なりに解釈して取り込む。また、haikuで重要視される季節感についても、四季がそもそも存在しないカナリア諸島で育った彼女は、英国に来て四季という存在の素晴らしさを知ったと語る。

 それぞれに俳句に対してきわめて独特の見方をするが、実に本質を突いていると感じる。日本での俳句の議論は、五七五や季語の是非、あるいは切れの効果、といった議論に終始しがちで、それはそれで意味はあるものの、ある意味でそこで思考停止してしまい、議論が俳句の本質になかなか辿りつかない気もしている。一方、海外の現代アート作家が俳句を語る時、そういった日本でお馴染みの議論をまったく経ない分、ストレートに俳句の本質に迫っていける印象がある。

 またもうひとつ実感したのは、彼らがとても積極的に本企画に参加してくれた背景には、haiku文化への深い関心や尊敬があるのだろう、ということ。あらためてhaikuは文化として偉大だと思った。

※写真はラファエルさんの展覧会「Permanent Distraction」から

(『海原』2024年12月号より転載)


【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)3 「面の問題について」  蒋草馬

 一般にわれわれは、線は一次的なものであり、この一次的なものを組み合わせることで二次的なものとして面が現れると考える。あるいは、『メノン』(プラトン)でソクラテスが、

 立体の限界が図形である

として面は立体を限界づけるものと考えたように、「限界づける」という仕方で次元間を理解することもあるだろう。いずれにせよ共通するのは、非連続的段階的に線と面の問題を理解しているところである。こうした線と面の間のヒエラルキーは、対象が客体として存在することを前提しており、いわば線を「もの」として見ているために成り立っている。線というものがすでにそこにあり、面というものがすでにそこにあり、そして両者の関係に向かうというわけである。線や面の現れ、という観念はここから欠如している。しかし線をより現象として、「こと」として扱うとどうなるだろうか。ひとまず線の発見ということを考えてみる。線を発見するとき、あるいはまさに描くことによって線を発見するとき、線は順序に秩序だてられた構造物として立ちあがる。どこに立ちあがるのか。そこには線以前のふたしかな面が存在する。もちろん立体にも線は引けよう。ここでは線と面の問題に限りたいので、そうした面だか立体だかわからないものをまとめてふたしかな面と呼びたい。とはいえ我々が線を引くときというのは、多くの場合には引かれてある面というものが同定されうるようだ。するとわれわれが先ほどヒエラルキー的に理解したそれである、線によって構成されるあるいは限界づけられる面というものは、すでに線以前の面上におかれていて、面上の「線という構成観念に貫かれた構成物」にすぎないことになる。このような「こと」的世界観においてはむしろ面は線に比して基底的でさえある。「もの」的世界観との大きな差は、線をもたない面が発見されるということ、そしてその発見は線の発見とそのことの反省から起こるということ、この二点にある。ここに線と面は相互に基底に潜り合う関係へ変化し、階層秩序のパースペクティヴは崩壊する。

 線の問題は言葉の問題としても重要だ。構成的な文章は線に支配されている。視覚的な見た目に加え、今読んでもらっているように文章というのは前と後が定まっており、前から後ろへ読み下していかなければ“正確に”読むことはできない、とされている。このような決定的な意味世界からの解放は、まさに散文と自らを対置する形で、韻文によってなされてきたのではないか。散文的文法(それは一般に日本語の文法だとか正しい文法だとか言われてきた)を突き崩し独自の文法を成立させることで形成される不確かだが豊かな意味世界や、順序を絶対視しない同時多発的な言葉の現れとしての魅力が韻文にはあろう。韻文の世界は面へひらかれてきた。

 一枚のタブローのようにその詩全体を記憶の表面に浮かびあがらせて、それを眺めることもある。(アンソロジー『わが愛する詩』飯島耕一「昭和二十二・三年の詩集」)

 次のようにいう人がいるかもしれない。韻文にも言葉である以上順序がある。それを証拠に詩には始まりと終わりがある。吉野弘の「I was born」(資料一)を真ん中から遡るように読んでもまったく意味がわからないだろう、と。たしかにかの日野草城の「ミヤコホテル」連作(資料二)は明確なストーリーラインに貫かれているだろう。このような一見強烈に線的に見える韻文に対してわれわれはどのように応答できるだろうか。いくつかの指摘ができる。

 まず韻文という形式において、線はたちまちに瓦解しやすい。視覚的に連作や自由詩に特有のこととして、第一の直感として面がもたらされることは大きい。しかし面的世界はそこにとどまらない。一度線が発見されたのちも、面への移行は絶えず行われる。線と面の間におかれる経路は非対称に造形されたものではない。そして面的に、一枚のタブローとして目前の詩を眺めるとなると、前段落における表現はいくつか覆る。〝意味〟はすでに散文的意味、線的意味を前提とした表現となっている。めちゃくちゃな順番で詩を読んだとて、そこには面的な意味が立ち上がるだろう。面的な意味とはなにか。線は決定的な中心性、軸を要する。いやむしろ、線は幅を持たないから、周縁を意識した表現である「中心」「軸」という表現では不十分で、強いていうなれば軸そのものといった方が良い。対して面は、動いている。写真を何度か眺めるうちに先ほど全く気にならなかった奥の木陰が唐突に気になりだすことがある。ある一定の構成力に貫かれ、軸を置かれたように見える面は、しかし偶発的にその軸を突如失い、別の軸が浮かびあがったりする。周縁が絶えず中心へ転倒し続けていくこと。さまざまな情報の同時多発性。この諸要素が線的にはあり得なかった言葉の世界を開く。そして詩のおかれる面が限界を持たぬ面だとすれば、「始まりと終わり」という表現も不正確になる。詩は無限の余白の草原に突如現れた、ひとつの中心性にすぎない。ゆえに詩へは余白が倒れこみ続ける。

 こうした面的価値を認めたとき、連作における構成的な諸要素は批判の対象になるだろう。特に俳句において大きな問題となるのは時間だ。一般に俳句連作を並べる際、その順番は季節順というのが定石だ。それも基本的には歳時記の題の分配に従う。ここでは時間は激しい統制を受ける。それが近代的な直線的時間であろうと、前近代的円環的時間であろうと、線的であることには変わりはない。しかし、われわれの生きる時間はそのように統制された時間ばかりであったろうか。春のそよ風に唐突に冬の図書館の入り口を思い出すことも、夏の森林から紅葉する未来が焼きつくように見えることもある。われわれには過去も未来も見える。私の中では今言ったこととさほど変わらぬことだが、季節そのものが交錯することもある。冬の特別あたたかい日に降る長い雨が、どうして春雨と言えないだろうか。時間もまた動いているタブローのごときもので、線を見出そうとして統制しようとしてもしきれない部分が出てくる。小春日という題はその現れだ。飯田龍太が生涯魅せられた芭蕉の次の句にもよくわかる。

 此秋は何で年よる雲に鳥   松尾芭蕉

 ここで無季俳句が重要な問題として登場する。連作の中の無季俳句は、連作の時間における軸の外側、統制しきれない部分を描き出すのに役立つ。新興俳句における連作と、その中から生まれ出た無季派は俳句に対してこのような面的世界を切開した、と私は考える。

 季語は第一句は成るべく之を在らしめたいが、第二句以下には必ずしも之を要しない。同一の季語の繰り返しは、多くの場合反効果的である。

 尚一歩を進めて、全然季語を缺くことも一概には却けまいとする自由な立場も考へ得られる。然しこの場合には表題を連作各個の公約数たらしめ之に季節の特徴を持たしめる必要があらう。(『俳句文学全集(日野草城篇)』「連作是非」)

 しかし無季派のほとんどがそう考えたように日野草城はあくまで、季節の統制の内に無季俳句を置くことを求めた。たしかに完全な無秩序(この方向性はこの方向性として超季、ロマンチシズムの問題とともに試みられたようだし草城は結局そうした超季派を受容していくが)でない限り、なんらかの中心性を面は帯びる。そのような面上で周縁はひとまず中心に従うが、しかし同時に中心を欺いてもいる。あくる日にその連作を見直した時には、人が唐突にフェルメール「真珠の耳飾りの少女」(資料3)の暗闇が気になって仕方がなくなることがあるように、周縁に思われた句群が突如気になりはじめ、むしろそうした句のほうがその連作の本質めいた部分に触れる心地がしてくるのである。

 一句単位の形式を考えても韻文であるからには面の問題を免れることはできない。「俳句一行のこの棒は、私には目玉の直径となり得るギリギリの長さのように思われてならない(「言葉が現れるとき」)」と言った飯島晴子や「線的要素が削りとられて点的な非連続になる(『省略の文学』)」という外山滋比古の指摘にも似るが、この世界という無限の余白──それは同時に非常に騒がしい余白ならざる余白でもある──のなかにぽつねんと浮かびあがるこの短詩のことを思えば、面の問題を考えることのほうが適切に思える。さらに言えば、外山滋比古はあくまで点を線の構成要素として次元間のヒエラルキーの世界から抜け出ていないので話は余計に異なる。ここで多くは触れないが、一句単位にしても連作の時と同じようにホトトギス的題詠、無季、季重なりなど面を示唆する議題は尽きないだろう。

 以前にかなり句数の多い連作を募集する賞の選考委員と話したことがある。その彼は、連作全体の統一感や詩的味わいはほとんど考慮に入れておらず、一句一句のクオリティばかりを見ていると言った。新人の登竜門でもある連作を募集する各賞の様子を見てもそのような状況がある。俳句連作は死んだのか。面が損なわれれば俳句自体における詩性の重要な部分も死んでいく。まさに連作を通して俳句形式自体に迫っていく必要がある。


引用文献

・岡田正三訳『プラトン全集 第2巻』、全国書房、1946

・山本太郎、大岡信ほか『わが愛する詩:わたしのアンソロジイ』、思潮社、1968

・松尾芭蕉『芭蕉俳句紀行全集』、緑蔭社、1927

・日野草城『俳句文学全集 第8(日野草城篇)』、第一書房、1937

・飯島晴子『俳句発見』、永田書房、1980

・外山滋比古『省略の文学』、中央公論社、1979


参考資料

資料一 吉野弘「I was born」全編


I was born

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。

──やっぱり I was born なんだね──

父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。

── I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね──

 そのとき どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。

──蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね──

 僕は父を見た。父は続けた。

──友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。つめたい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは──。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。

──ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体──。


資料二 日野草城「ミヤコホテル」全編

ミヤコホテル


けふよりの妻(め)と来て泊(は)つる宵の春

夜半の春なほ処女(おとめ)なる妻と居りぬ

枕辺の春の灯は妻が消し

をみなとはかゝるものかも春の闇

薔薇にほふはじめての夜のしらみつつ

妻の額(ぬか)に春の曙はやかりき

麗らかな朝の焼麺麭(トースト)はづかしく

湯あがりの素顔したしく春の昼

永き日や相触れし手はふれしまゝ

失ひしものを憶へリ花曇


資料三 ヨハネス・フェルメール「真珠の耳飾りの少女」(図版省略)


【大学俳句会アンケート回答】➀俳句とは何なのか➁俳句で何をしたいか➂俳句に関して何を書きたいか

蒋草馬:➀俳句とは=幽霊。他と比較して=圧倒的抑制。俳句とどこで=高校。なぜ関心が=時間論的可能性を見込んでいるから。➁露悪的に言うのであれば思想しかしたくない。➂時間論とそこから延長される存在論、特に未来と平面について。



【筑紫磐井感想】

 冒頭は、「面」と「線」の難解な哲学論で始まるが、私は連作論の序論として読んだ。様々な連作方法論があるが、蒋は連作俳句にストーリーがあることを前提としているが、緻密な前段から連作に論理を展開するのは難しい。連作は、現象であり風俗まで含まれるからだ。膨大な連作からの実証が不可欠だ。特に連作論は自らの実作との照合が必要だ。

   *

 この論を読んだとき、ちょうど大塚凱の連作論を読んで興味深かった(「Noi」第5号特集「連作と一回性――句集『或』を巡って」・大塚論考「少し暇そうにしている君を連れ出したい」)。大塚凱の句集『或』が連作として読まれるべきだという(ちなみにこの句集は本年度の芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞している)。

 生れ落ちてゼリーを作る真顔かな 大塚凱

 僕ら残像白シャツを脱ぐ脱がす

 大塚の論考では、通説としての秋櫻子の「現代俳句論」を引き、誓子の大正15年6月号の雑詠巻頭作品(熊祭をテーマとしたもの)・秋櫻子の昭和3年1月号の次席作品(『葛飾』の「筑波山縁起」として構成)から連作を解き始めている。

 しかし大塚は通説から一気に新興俳句の連作へ議論を展開しているのではなく、誓子・秋櫻子の作品がホトトギスの雑詠に登場しているところから、雑詠の「連作的」作品をたどっている。これは極めて賢明な考察だ。

 大塚は例として島村元大正6年8月巻頭作品をあげ、島村の「連作的」作品の無造作な同時性や偶然性は秋櫻子・誓子の連作とは異なると述べ、秋櫻子・誓子の連作の性格を指摘する。これを踏まえ、秋櫻子・誓子から窓秋・草城への新興俳句の展開、天の川における独自な方向性をたどり、連作形式こそが新興俳句の熱源になったものと位置付ける。連作に至る例句が豊富に取り上げられ、的確な解説が施されている

 その上で、高屋窓秋、日野草城、西東三鬼、吉岡前禅師洞とたどり、新興俳句における連作の位置づけを確認している。この点、蒋の論よりは一見緻密な分析を進めているように見える。

 しかし、木村の論から本当に連作の本質が浮かび上がっているのだろうか。結果的には連作と新興俳句を結びつける性急さも感じた。

    *

 新興俳句の草城の連作を批判した中村草田男であるが、草田男自身も連作(群作)俳句を多くつくっていた。

「青露変」(「俳句研究」16年10月号)

花に露十字架に数珠煌と掛かり

汝等老いたり虹に頭上げぬ山羊なるか

 ちなみに、青露は茅舎の戒名だ。以後、「騎士」、「無絃の楽」、「影踏遊」、「保名」、「木賊刈」、「直侍」、「メランコリア」と多くの連作俳句を発表しているという。さて新興俳句の連作と草田男の連作はどのような違いがあったのだろうか。

     *

 連作俳句は戦前のものばかりではない。戦後生まれ世代も多くの連作俳句を作った。代表的作家は攝津幸彦である。「皇国前衛歌」(俳句研究49年2月)は戦後世代のこの連作俳句の金字塔となっている。

送る万歳死ぬる万歳夜も円舞曲(ワルツ)

幾千代も散るは美し明日は三越

南国に死して御恩のみなみかぜ

 「皇国前衛歌」には皇国と前衛の同居するアナクロニズムを感じるが、実は皇国は攝津の本職である広告に叶っている。戦争にプロパガンダは不可欠だ。この諧謔性は戦前の連作とは少し違うものがある。それにしても美しい。

 攝津の直接的影響と言えるかどうかは一概に言えないが、高柳重信は地霊を詠んだ『山海集』(51年)を経て、海軍の艦名を詠んだ『日本海軍』(54年)を刊行している。これも明らかに連作だ。

松島を/逃げる/重たい/鸚鵡かな

一夜/二夜と/三笠やさしき/魂しづめ

海彦も/畳を泳ぐ/嗚呼/高千穂

     *

かくいう私も作品はすべて連作句集だ。


➀『野干』平成元年(王朝俳句)

みちのくに恋ゆゑ細る瀧もがな

風薫る伊勢へまゐれとみことのり

➁『筑紫磐井集(花鳥諷詠)』15年(虚子一族)

もりソバのおつゆが足りぬ高濱家

俳諧はほとんどことばすこし虚子

➂『我が時代』26年(震災俳句)

酷く雪降る

明日のほかこそ未来

吾(あ)と無


こうした連作につながる系譜としてこの度読売文学賞を受賞した高山れおながいる。


➀『荒東雜詩』17年

麿、変?

お湯入れて5分の麿と死なないか?

➁『俳諧曾我』〈附録原発前衛歌〉24年

げんぱつ は おとな の あそび ぜんゑい も

しろく て ぷよぷよ えだのゆきを も たかやまれおな も

ざの ざこ の ぶんがく なのだ それ で いい のだ

➂『百題稽古』令和7年(堀河百首・永久百首題・六百番歌合)7年

懐旧:ふらここのあのこ消えにし桜かな

初恋:命とは白シャツに透く君なりき

別恋:君の眼が向かうに消えて冬の金魚


 連作を論ずるに当たってはこれらを視野に入れることも必要だ。戦後連作俳句の特色は、連作であっても戦前の悲壮な文学としての新興俳句と違って諧謔が強いことであろう。時として俳句を馬鹿にしているところがある。

     *

 ちなみに戦後の連作俳句と言えば、実は社会性俳句が真っ先に思い浮かぶのである。岸田稚魚「演習水域」、沢木欣一「能登塩田」、能村登四郎「合掌部落」、榎本冬一郎「尻無河畔」、鈴木六林男「吹田操車場」、藤田湘子「砂川にて」等が代表的作品である。いずれも膨大な作品の連作であるとはいえる。しかしここで気になるのは、すべて個別の「地名」がモチーフとなっていることではある。戦後の俳句雑誌を振り返ってみると、昭和20年代後半となり、俳句雑誌が続々と創刊・復刊し、大家が作品を精力的に発表し始めるとき、大作の旅吟作品を発表し始めることが流行する。少しく経済的に恵まれ、移動の制約が解き放たれ日本全国に旅行することが可能となり、大家たちの制作意欲を満たすためには旅吟がうってつけだったのである。そして大家たちの次には、中堅・若手作家にも大作を発表する機会が与えられることになった。そしてちょうどその時、昭和28年頃から社会性俳句、地方の基地闘争や貧困闘争をテーマとした社会性俳句が噴出するのである。

 だから社会性俳句は旅吟俳句の一種だったのである。これに対して、前に挙げた新興俳句や中村草田男の連作、そして戦後の攝津幸彦らの連作は具体的な地名を持たない観念的な俳句であった。つまり社会性俳句のリアリズムに対し、これら連作俳句は構成的・思想的であったのである。

 最後に連作俳句との違いを、震災俳句を例に取って考えてみたい(これも属地的である)。日本最初の震災俳句はホトトギス大正13年2月号に発表した永田青嵐(当時民選の東京市長であった)の「震災雑詠(34句)」であった。あれほど時事を詠むことを嫌った虚子であったが、青嵐にはこの大作を詠むことを許したのだ。つまり関東大震災のような壊滅的な社会的事件については、どんなに抑制しようと俳句は生まれざるを得ない。これは、戦後の阪神・淡路大震災、東日本大震災についても言うことができた。特に、東日本大震災については、長谷川櫂『震災句集』、角川春樹『白い戦場』、小原啄葉『黒い浪』、永瀬十悟『橋朧』、照井翠『龍宮』、高野ムツオ『萬の翅』、渡辺誠一郎『地祇』等が知られるが、しかしこれらは連作と呼ぶべきなのだろうか。社会性俳句と発想は極めて近いものがあると思われる。

     *

 連作は新興俳句の表現形式であるという思い込みから、連作の豊饒性を見逃すことは残念なことである。木村の論がせっかくの雑詠問題に触れながら結論が新興俳句に一瀉千里に進み始めるのに比べると、蒋が哲学的な総論に多くの頁を使い、膨大な連作俳句の世界への言及が進まなかったことは怪我の功名を成しているように思える。もちろん膨大な連作俳句との関係の整理がこれから必要であるが、蒋の「面の認識」は壮大な連作俳句論の第一章としてならば期待ができるのである。

 なお本論については、BLOGで連載を始めている「未来俳句宣言」と比較して読んで頂くとよいかもしれない。

 以上、本当は客観的な鑑賞を書くべきであったが、レポート冊子の総評で書いたように「実は、私が手を加えたい論文も多くあった。」の思いに駆られた評論も多くあった。本論などはその筆頭に上がるものだ(『WEP俳句年鑑2026』(2026年1月ウエップ刊)で「現代連作論の繚乱」として一部紹介した)。乱文ご容赦いただきたい。


【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり46 末吉發・著『どこにも仏桑華』を再読する。   豊里友行

 (2015年12月刊、俳句と写真集の私家版)


 沖縄で最大規模の展覧会「沖展」の写真部門会員。

 ニッコールクラブ沖縄支部があった頃の同志でもあった。

 訃報を聞かされたのは亡くなってだいぶ経ってからだった。

 沖縄戦体験者の芯の強い方だった。

 末吉さんとは、俳句の話を電話越しに何度か語り合う。

 同じテーマで共通の物語が多くある沖縄戦の俳句においては、とても影響を受けていた。

 人生の大先輩に最後の挨拶もできないのは心苦しい。

 共鳴句を俳句鑑賞しながらお別れの言葉にしたい。


  「はじめに」にある文章を引いておく。

 

南部の悲惨な戦闘に思いを致すとき、ヤンバルの山の中で一発も撃たず沖縄戦を終えた者が戦を語るのは憚られるものがありますが、友人知人はじめ多くの人々の死を悼む意を込めて上梓することにしました。


どこからも骨が出てどこにも仏桑華


 第8回沖縄忌俳句大会(主催・県現代俳句協会)の大賞に選ばれた作品。

 遺骨収集の骨が今も島中の様々な場所から掘り出される。

 それと同じように仏桑華が青空を泳ぎ出すようにどこにも咲いていると感じる戦争体験者の視座がある。1928年伊是名村生まれで90代まで御存命だった。

 俳句も写真も1点1点の明確な視点で切り取られ作品化されていた。

 この俳句に添えられた言葉「帰らぬ遺骨を思う人たちには生きている限り戦後は終らない。」と結ばれている。


大方は戦を知らぬ夏帽子

碑のナベ、カメ、ウシや蝶の昼

石ひろい骨ひろいして藷の花

一発も撃たぬ戦歴梅雨明けぬ

ああ大き母の乳房沖縄忌


 ニッコールクラブ沖縄支部でも故・山田實先生らと同じく90代まで写真活動も続けていた。「挨拶をしなさい」と会釈でダメかなっと私は、思いながらも挨拶をし直す。

 大方は戦を知らない夏帽子なのである。俳句や写真への自身の真摯な姿勢は、他者にも厳しい語り口でもあったが、そこが末吉さんの見所だった。

 沖縄県糸満市摩文仁にある平和の礎は、戦没者の追悼と平和祈念を込めた「去る沖縄戦などで亡くなられた国内外の20万人余のすべての人々に追悼の意を表し、御霊を慰めるとともに、今日、平和を享受できる幸せと平和の尊さを再確認し、世界の恒久平和を祈念する。」(沖縄県HPより)ものである。

 その碑の名前に「ナベ、カメ、ウシ」の戦没者名がある。俳句に添えられた言葉は、撮影日誌でもあり、「春の一日、あの世の使いと言われるハーベールー(蝶)が碑の上を飛んで行った。」と結ぶ。同じように平和の礎を歩くが、沖縄戦体験者の末吉發俳句には、いつも軽く持ち上げられない石のような重みがあった。

 戦争体験者の話によると畑仕事に二つの笊を持っていき、骨と弾を入れていたと訊いたことがある。末吉さんとの藷(いも)の花談義が懐かしい。

 一発も撃たぬ戦歴に戦友たちへの語り切れない“うむいの花”がある。

 母の乳房(にゅうぼう)の句に添えられた言葉「母は四十二才、戦災で死んだ。粗末な着物の懐に乳房を揺らしながら子供の世話や家事に走り回っていた。戦時中の食糧難で大家族の明日の米をいつも心配していた。母を思い出すとき思い詰めたような暗い顔が目に浮かぶ。」がある。

 これから戦争を知らない大方の私たちは、戦争体験者の俳句や言葉からどれだけの戦争に抗える思いを萌芽させていけばいいのだろう。

 丁寧に読み解く言葉に込められた思いは、必ず未来の希望の光りを紡ぎだせると信じて私は、私なりのやり方で俳句と写真を紡いでいる。


 共鳴句をいただきます。末吉發さんありがとうございました。


祈るより叫びたき日のでいご散る

呆気なく将軍死んでちちろ虫

夏草や勝って来るぞと魚雷錆ぶ

「デテコイ」の声や灼光浴びしこと

こばていし広がり広がり遺族老ゆ

総理来て椅子きしませて帰る夏

海焼けて戦争ごっこをはじめるか

不発弾遺骨遺品月桃垂る

歌わねば石になるべし鳳仙花

地に還るものを隠して野朝顔

あかしょうびんきておりなにからはなそうか

敗戦の記憶足裏に灼くる島