2026年3月13日金曜日

【新連載】新現代評論研究(第21回)各論:後藤よしみ、村山恭子 、佐藤りえ

 ★ー3「高柳重信における皇国史観と象徴主義の精神史」―戦前の影響と戦後の変容をめぐって―後藤よしみ


第八章 戦後期後半の変遷 ―霊性と自然への回帰―

 戦後期後半、高柳重信の思想と表現は新たな局面を迎える。1965年の喀血による入院生活は、彼にとって再び死と向き合う時間となったが、その中で「自然から語りつづけられる体験」が彼の内面に深く刻まれていく¹。自然との交感は、少年期のアニミズム的感受性の再来であり、彼の詩的意識を霊的な方向へと導いた。

 重信は「その山には、それにふさわしい霊魂がひそんでいると信じられていた時代であれば、それはすなわち、人間の精神と直接につながる思いであった」と述べている²。このような霊魂や呪術的なものへの憧れは、翌1966年以降、彼の言葉の端々に現れるようになる。肺結核という死の危機からの脱出は、彼の意識を深層・古層へと向かわせ、創作意欲の回復とともに作風の転換を促した。

 その転機となったのが、1971年の飛騨行である。書斎派であった重信が、実際に自然と邂逅し、飛騨の霊的風土に触れたことで、彼の詩的世界は大きく変容する。飛騨の自然の奥に神々の存在を感じ、隅々にまします霊の生動と言霊を見出した重信は、ここで「飛騨十句」と呼ばれる作品群を生み出す。これらは「絶唱」とも評され、彼の詩的成熟の頂点を示すものである。

 たとえば次の句に、その霊的感受性が凝縮されている。(原句にはルビ付き)


飛騨の

美し朝霧

朴葉焦がしの

みことかな

(『山海集』「飛驒」所収、『全集Ⅰ』)


 この句には、自然の美しさと霊性が融合し、朴葉の焦げる匂いに神の気配を感じ取る重信の感性が表れている。ここにおいて、彼の関心は古代へと向かい、「自然的秩序への憧憬と崇拝感情」(大岡信)を通じて、皇国精神の古層が浮上してくる。

 加藤郁乎は「高柳重信は独自の皇道観を持っていた。超然たるその日本主義は内に秘していたと言い改めるべきかもしれない」と述べている³。飛騨行は、単なる過去へのノスタルジーではなく、古層から現代を照射する詩的視座の獲得であり、重信にとって第二のスプリングボードとなった。

 この霊的転回は、彼の言動にも表れ、「詩人は間違えたら腹を切るくらいの覚悟が必要」と語るようになる。これは、皇国精神に基づく自己規律であり、詩への尽忠の姿勢でもある。その精神が作品にも反映され、次の句に結晶する。


天に代りて

死にに行く

わが名

橘周太かな

(「日本軍歌集」所収)


 橘中佐は日露戦争時の軍神であり、重信はその歌詞を本歌取りし、俳句への献身の心情を次の句に託している。


目醒め

がちなる

わが盡忠は

俳句かな

(同上)


 ここに見られるのは、霊性と忠義が融合した詩的精神であり、重信の思想が自然・歴史・霊魂を通じて再構築されていく過程である。

脚注

¹ 高柳重信「俳句の廃墟」『高柳重信全集Ⅲ』立風書房、1985年。

² 同上。

³ 加藤郁乎「皇道と俳道」『高柳重信読本』角川学芸出版、2009年。



―7:藤木清子を読む11 / 村山 恭子

11 昭和11年 ⑥


  しひたげられたる妻の手記

妻不楽(さぶ)し春荒寂の部屋がある         天の川6月

 さびしい妻と荒れ果てて静まり返った部屋。季節は「春」ですが、二者の取り合わせと「春」により一層のさびしさ、わびしさを感じます。

     季語=春(春)


しろき月黄金となりゆく若葉かな       旗艦19号・7月

 やわらかく瑞々しい落葉樹の若葉。白い月の光を浴びて、若葉は黄金になり輝きます。    

 「黄金となりゆく」の表現に、時間の流れがあり神秘性を増しています。

     季語=若葉(夏)


五月来ぬ潮の青きにのりて来ぬ        同

 新緑が萌え、一年の中でも清々しさを感じられる五月が、潮の青色に乗って来たと擬人化しています。潮の青々とした溌剌な情景へ、五月が光りながらやって来る嬉しさ、楽しさを詠います。また「来ぬ」のリフレインが勢いを出しています。

     季語=五月(夏)


  妻ありとひもじさゆゑにおもふとき      京大俳句7月

 空腹や飢えのひもじさのために様々思いを巡らせますが、「妻あり」と家族がいることで自身を支えています。ひもじくはありますが、妻の温度感が生きて行く大きな理由になっています。

     季語=無季


  梅雨さぶし南京豆のしろき肌         同

  梅雨さむし南京豆の白き肌          旗艦20号・8月

  梅雨侘びし南京豆の殻とゐる         同

 六月頃、ひと月にわたって降り続く長雨。

 一句目と二句目は、梅雨の寒さと、南京豆(落花生)の白さを取り合わせています。「南京豆のしろき(白き)肌」は南京豆そのものの白さでもありますが、人間の肌の白さも表し、寒さに震えながら人肌を求めている情感を感じます。

 二句目の「さむし」「白き肌」には、やや合理的で淡々とした様子が読めます。

 三句目は「侘びし」「南京豆の殻」を取り合わせ、殻の茶褐色で侘しさを増幅します。

     季語=梅雨(夏) 



★ー5 清水径子を読む  佐藤りえ

 感動のなくてたうもろこしを焼く 「鏡」(昭和四十年以前)

 引き続き『鶸』より。初出は「氷海」昭和38年6月号の「感動のなくてさくらが遠く咲く」。感動がない、とあらかじめことわりを入れるのは奇襲攻撃である。で、何をしているのかというと、とうもろこしを焼いているのだという。

 初出からの変遷に驚くものがある。「さくらが遠く咲く」から「たうもろこしを焼く」に変わったのは、首をすげ替えたぐらいの違いがある。蛇足ながら言ってみれば、「感動」と「さくら」には取り合わせるだけの理由があるように見える。桜の開花宣言は毎年のニュースネタである。桜はひとびとに待ち焦がれられる花である。さくらが咲いているんですか、そうですか、と感動もなく捉える、ということなら、図式としてわかりやすい。遠い、とまで言っている。

 季題でもある桜の部分をすっとばして、網を取り出し、とうもろこしを焼きはじめた。焼きもろこしの旨さも捨てがたいものであるが、感動はない、ととりすまして―あるいは汗ばみながら、かかる野菜をひっくりかえしている。遠景から近景(手元)への変化であり、どことなくあわあわとした慕情みたいなものから、眼前のモノへ視点が移り、感動のありかは綺麗に片付けられている。

 因果関係が明らかな句が必ずしも悪手、ヘタな句であるとは言わないが、面白さという見方でいうと、かようにヘンテコな結びつきのほうが、だんぜんいいと思われる。


『鶸』の最初の章、「鏡」には昭和四十年以前の58句が収められている。昭和四十年以降の句はそれぞれ一年ずつ章立てされている。なぜ四十年以前がひとまとめになっているのかは明らかでない。径子が俳句を始めたのは昭和二十四年、「氷海」創刊の頃からというから、15年間の作品が一章にまとめられていることになる。なかなか思い切った省略である。章中の構成は編年体ではなく、冒頭と末尾の句が昭和32年のもの、章中でいちばん古い句は昭和25年の「冬灯消す二個の時計に急がされ」である。

 私生活ではこの昭和39年という年が、径子にとってひとつのターニングポイントであった。1月より俳人協会の事務職に就く。慣れ親しんだ俳壇の関係とはいえ、やっと新たな安定した職を得たこのとき、径子は五三歳だった。公務員の定年が五五歳の時代の話だ。五十代の径子が職を求める難しさは、同年代の男性の比ではなかっただろう。

 東京オリンピックが開催されたこの頃、世はいざなぎ景気に湧き立ち、労働市場への女性参加は大きく進んだものの、女性の職業、職種は依然多くの制限に阻まれ、壮年の女性が独立して生きることは、その属性だけで多くの困難を伴うものだった。女性差別撤廃条約が採択されたのは昭和54年、男女雇用機会均等法が施行されたのは、ここから20年ほど後の昭和61年のことである。径子は定年の昭和47年まで、協会の職を全うした。


 昭和39年、「氷海」は15周年を迎え、記念号の11月号に楠本憲吉の作家評「五作家独断」が掲載された。その冒頭は径子について述べられた。

 肩昏れて地下足袋で割る焚火の焰

(前略)問題は「割る」にある。ここに作者の主観が重心の低い声で呟やかれているのである。実際は濡れた地下足袋を火にあぶつているのであろうが、「焰を割る」としたところに、平板な関係にあつた二つの素材、労働者と焚火の持つ事実性(アクチュアリティ)が、にわかに真実性(リアリティ)にまで高められて、読む者の心に迫つて来るのである。

 これが表現というものであろう。

(「五作家独断」楠本憲吉/「氷海」昭和39年11月号)

 昭和31年発表の掲句について、楠本憲吉は丹念に読み込んだ。最後の一節は、径子にとって嬉しい評言だったのではないだろうか。なお、この句は句集には収録されていない。取捨選択の厳しさを見るとともに、径子は句集を編むにあたって、自己/他己の句のうち、自己の句を残したのではないか。そのようなヒントを感じる。

 師・不死男の「氷海」月例新作「方舟集」が翌40年から「四季集」に変わり、毎号庄中健吉が担当していた鑑賞のバトンが径子へ渡された。昭和40年4月号より径子の「四季集鑑賞」がはじまる。「氷海」のヴェテランとしての道を径子は歩み出した。