2024年12月27日金曜日

年末臨時増刊号

           次回更新 1/10



小特集:秦夕美追悼
『巫朱華』総目次・解題 》読む
秦夕美ノート・余滴 佐藤りえ 》読む
豈67号 秦夕美特集目次+秦夕美著作一覧 》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和六年夏興帖
第一(10/11)小野裕三・曾根毅・大井恒行・仙田洋子・辻村麻乃
第二(10/18)神谷波・瀬戸優理子・岸本尚毅・鷲津誠二・坂間恒子
第三(10/25)ふけとしこ・仲寒蟬・豊里友行
第四(11/1)木村オサム・中西夕紀

第五(12/13)山本敏倖・冨岡和秀・花尻万博・望月士郎・青木百舌鳥・加藤知子
第六(12/20)眞矢ひろみ・渡邉美保・村山恭子・川崎果連・前北かおる
第七(12/27)中嶋憲武・早瀬恵子・小林かんな

令和六年秋興帖
第一(10/25)曾根毅・大井恒行・仙田洋子
第二(11/1)辻村麻乃・神谷波・瀬戸優理子
第三(11/15)岸本尚毅・坂間恒子・ふけとしこ・仲寒蟬

第四(12/13)豊里友行・木村オサム・中西夕紀
第五(12/20)山本敏倖・青木百舌鳥・冨岡和秀・花尻万博
第六(12/27)眞矢ひろみ・渡邉美保・村山恭子・松下カロ

■ 特選記事

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(53) ふけとしこ 》読む

秦夕美の死と句集『雲』 筑紫磐井  》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり20 『秦夕美句集』 》読む

句集歌集逍遙 秦夕美句集『雲』/佐藤りえ  》読む

【句集歌集逍遙】秦夕美・藤原月彦『夕月譜』/佐藤りえ  》読む



『巫朱華』総目次/解題

解題  佐藤りえ

『巫朱華』は昭和59年から昭和63年まで発行された秦夕美・藤原月彦の二人誌である。
約19センチ四方の真四角な中綴じ本で、全9冊。巻号は「Vol○No○」の表記で統一され、昭和59年刊がVol1、昭和60年刊がVol2、以降がVol3とされている。
創刊のいきさつはのちに刊行された『夕月譜』あとがきに詳しい。(『夕月譜』は『巫朱華』収録の共同制作を抜粋・編集したもので、令和元年に発行された。『巫朱華』と同判型の糸綴じ本)

俳句上の父を亡くした者同士、いわば孤児の心細さゆえか、個人的に話をする機会がふえた。今まで読んできた本、好みの作家が同じであることは、世代を超えて共鳴することが多く、「巫朱華」という小冊子の発行を思いついた。(中略)丁度、宮入聖さんが出版社を立ち上げた頃、そこにお願いすることで話は決まり、書き下ろしで俳句や文章を書くうちに、共同制作をやってみようという事になった。(『夕月譜』「あとがき」秦夕美)

二人の“俳句上の父”赤尾兜子は昭和56年死去。刊行当時、秦・藤原両名はともに桑原三郎が起こした『犀』に創刊同人として所属し、旺盛な執筆活動を繰り広げていた。『巫朱華』にとってのもう一人の主要な人物は、さきのあとがきにも挙げられている宮入聖である。文中にある「共同制作」とは、特定の文字を象形的に見せるレイアウトをほどこした組句作品のことで、作者二人の意向を汲みつつ、毎号同じフォーマット・ページ数の中に作品を配していく手腕には目を瞠る物がある。

各号の内容は書き下ろし俳句作品のほか、お互いの俳句をモチーフとした掌編、エッセイ、句集評など。毎号ページ数はぴったり16ページ、もっとページの増減がある印象を持っていたが、その定められた「型」をはみだした号はひとつもなかった。籠められた熱量と冊子との釣り合いが魔術的とも思える調和を見せている。

今の時代ならZINEと呼ぶものだろうか、こうしたミニマムな表現形態において、大袈裟な装置も、多くの人員も、多数のページも、無理矢理用いる必要はないのだと、あらためて驚かされる、伝説の雑誌である。

「巫朱華」Vol2No3表紙

「巫朱華」Vol3No1表紙

巫朱華 総目次


Vol1No1~Vol2No3 題字 岡村香風
Vol3No1~Vol3No3 表紙・挿画 長岡裕一郎

Vol1No1 忘れ雪の巻
昭和五九年四月一日発行 16p
巻頭句 花から雪へ砧打ち合ふ境なし 兜子
共同制作 雪卍―にごり江遺文―
作品 優姫涕閨 秦夕美
作品 VASLAV 藤原月彦
掌編 忘れ雪と名づけし猫が見あたらぬ 秦夕美
掌編 蜩いろの情人・雨だれ・鎮魂歌 藤原月彦
作品 定家 秦夕美
巫朱華について


Vol1No2 幻月の巻
昭和五九年八月一日発行 16p
巻頭句 急ぐなかれ月谷蟆に冴えはじむ 兜子
共同制作 月光一泥梨―雨月物語抄―
作品 遠つ世の孤悲―いろは歌頭韻― 秦夕美
作品 RUDOLF 藤原月彦
掌編 死者われをわれは離れて月の暈 秦夕美
短歌 月の出の背びれふるへてゐる兄 藤原月彦
作品 松風 秦夕美
後記


Vol1No3 秘す花の巻
昭和五九年十二月一日発行 16p
巻頭句 秘す花のあらはれにけり冬の水 兜子
共同制作 花扇―能曲斑女―
作品 Rā 秦夕美
作品 憑帝 藤原月彦
掌編 合せ鏡のうしろに花の骨みゆる 秦夕美
掌編 殺されて二夜は菊の花なりき 藤原月彦
作品 井筒 秦夕美
あとがき


Vol2No1 雪眩の巻
昭和六十年四月一日発行 16p
巻頭歌 胎児よ/胎児よ/なぜ躍る/母親の心がわかって/おそろしいのか 夢野久作
共同制作 雪中夢―久作幻想―
作品 江花 秦夕美
作品 腸死 藤原月彦
掌編集 夢界 秦夕美
共同制作 定家曼荼羅
あとがき


Vol2No2 月淋の巻
昭和六十年十月一日発行 16p
巻頭句 美しい人たち泣くな/先ず 目をあけて進ぜよう 鏡花
共同制作 月人―鏡花舞―
作品 夢魂 秦夕美
作品 MODERN TIMES 藤原月彦
盗汗集批評特集
「夢夢夢夢……」和泉香津子
母体を逃げてゆく人格 権藤弘子
コムプレックスの細密画 植村泰佳
共同制作 乱蝶―好色五人女―
あとがき


Vol2No3 花檻の巻
昭和六十年十二月二十日発行 16p
巻頭句 面白と云、花と云、めづらしきと云、/此三は一體異名也 世阿弥
共同制作 菱花鏡―謡曲花筐―
作品 愛の伝説 秦夕美
作品 極悪の華 藤原月彦
孤獨浄土批評特集
夢てふものは 原田禹雄
平家物語の中の小宰相 高山雍子
血と百日紅 宮入 聖
共同制作 妖姫伝
あとがき


Vol3No1 妖雪の巻
昭和六十一年十二月二十五日発行 16p
作品 夢野柩――未明かるた―― 秦夕美
作品 雪月花世紀末譚(えそらごとうきよのゆふぐれ) 藤原月彦
掌編 雪 秦夕美
エッセイ 俳句とエロス 藤原月彦
あとがき


Vol3No2 狼月の巻
昭和六十二年十月二十五日発行
扉のことば 未組織のものへ 無際限のものへ 永遠のものへ 虚無へむかっての嗜好/トーマス・マン「ヴェニスに死す」より
共同作品 月の船
作品 The Red Shoes 秦夕美
作品 夜桜機関・拾遺 藤原月彦
作品 花電車 藤原月彦
掌編 お手玉 秦夕美
あとがき


Vol3No3 穹花の巻
昭和六十三年三月二十五日発行 16p
扉のことば 㧕(そもそも)、花は、咲くによりて面白く、散るによりてめづらしき也。(「拾玉得花」)
共同制作 花車――謡曲葵の上
作品 婀花死哉 秦夕美
作品 美貌の都 藤原月彦
共同制作 明星時代
あとがき


ほたる通信 Ⅲ(53)  ふけとしこ

   むかしはものを

 靴べらを借りて返して冬紅葉

 熱燗やむかしはものを書きゐしと

 熱燗や手首に育つガングリオン

 ハンガーの肩の丸みが寒さうな

 歳晩のミネルヴァ書房より一書


・・・

   はつはるや石田波郷の歯並びも  としこ

 何となく出来てしまったという句だった。
 石田波郷氏にお会いしたことは勿論ない。
 歯並びどころか笑顔も知らない。
 それなのに、何故この句ができたのやら……。ふっと浮かぶということもあるにはあるけれど。
 句が出来た後で本棚を漁って波郷氏の写真を探してみたが、どれもお口を閉じていらっしゃる。
 あまりにも不遜ではないか…と、句会にも出さず発表もしなかった、はずだった。
 ところが発表していたらしい(完全に忘れていた)。
 しかも、それを故大牧広先生が取り上げて批評して下さっていたのである。
 先生曰く「私は波郷を知らない。が、この断定には頷ざかざるを得ない」云々と。
 ああ、恥ずかしい!であった。自己弁護をするならば「歯並びも」と逃げておいてよかったな、である。
 私は歯科衛生士だった。一応国家資格ではあったが、結婚してからというものは、自虐的に言えば体のいい歯科雑役婦であった。今は雑役婦などと言ってはいけないのだろう。いうならば雑役人? それも駄目なのだろうか。
 言葉がどんどん使いにくくなって、不適切な表現だと切り捨てられる、訂正させられる。場合によっては謝罪せねばならぬ。俳句では言葉の問題に加えて文法云々で叱られる。難しいことである。
 逸れてしまったが、長く歯を見てきたという個人的事情で「歯」が気になるのである。
 10年以上も前になるが、歯の俳句を集めてみようと思いたったことがあった。きっかけは

   衰や歯に喰あてし海苔の砂  芭蕉

を知ったことだったが、ざっと集めて300句以上になったときに、集めるだけではつまらないから、短文を添えてみようかと、これも単なる思い付きでそんなことを思った。それをある人に話した。
 誤解された。ホームページへの売り込みだと思われたらしい。「歯は話題としてマイナー過ぎるし、著作権の問題がある故……何とかかんとか」
 それ以後人に話すときには気を付けなくてはと思う様になった。
 歯の俳句が気になることは今も変わらないが。
 そういえば、「ごまめの歯ぎしり」ということばがあった。力の無い者が騒ぐんじゃないよ、ぐらいの意味だろうが、ゴマメって臼歯があったっけ? どの歯で歯ぎしりをするのだろう?

(2024・12)

2024年12月13日金曜日

第238号

              次回更新 12/27



小特集:秦夕美追悼
秦夕美ノート・余滴 佐藤りえ 》読む
豈67号 秦夕美特集目次+秦夕美著作一覧 》読む

まほろば帯解俳談抄――筑紫磐井・大井恒行を囲んで
①》読む ②》読む ③》読む

現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 6 筑紫磐井 》読む

澤田和弥句文集特集
はじめに 澤田和弥句文集について 津久井紀代 》読む
はじめに 凡例 筑紫磐井 》読む
第1編① 現在という二十世紀 》読む
第1編② 肯うこと―西村麒麟第一句集『鶉』読後評―【西村麒麟『鶉』を読む5】 》読む
第1編③ 無題 》読む
第2編 美酒讃歌 ①麦酒讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ②続・麦酒讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ③焼酎讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ④熱燗讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ⑤続・熱燗讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ⑥冷酒讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ⑦新酒讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ⑧続・新酒讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ⑨地酒讃歌 》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和六年夏興帖
第一(10/11)小野裕三・曾根毅・大井恒行・仙田洋子・辻村麻乃
第二(10/18)神谷波・瀬戸優理子・岸本尚毅・鷲津誠二・坂間恒子
第三(10/25)ふけとしこ・仲寒蟬・豊里友行
第四(11/1)木村オサム・中西夕紀

第五(12/13)山本敏倖・冨岡和秀・花尻万博・望月士郎・青木百舌鳥・加藤知子

令和六年秋興帖
第一(10/25)曾根毅・大井恒行・仙田洋子
第二(11/1)辻村麻乃・神谷波・瀬戸優理子
第三(11/15)岸本尚毅・坂間恒子・ふけとしこ・仲寒蟬

第四(12/13)豊里友行・木村オサム・中西夕紀

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第49回皐月句会(5月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第19号 発行※NEW!

■連載

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】 4 生命と野菜と蝸牛について三句 石原昌光 》読む

【加藤知子句集『情死一擲』を読みたい】② 『群青一滴』  田中目八 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり20 秦 夕美『秦夕美句集』 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(52) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan](50) 小野裕三 》読む

【抜粋】〈俳句四季9月号〉俳壇観測260 鷹羽狩行の晩年——『十九路』『二十山』を読む

筑紫磐井 》読む

【連載】大井恒行『水月伝』評(2) 田中信克 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 7.梅若忌 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

11月の執筆者(渡邉美保)…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …

■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【加藤知子句集『情死一擲』を読みたい】3 『群青一滴』 田中目八

  縁あって句集を贈って頂いたこともそうではあったが、重ねて句集評のご依頼まで頂いたときには更に驚いたものである。

 私のような無名かつ若輩の身には得難い挑戦の場を提供して頂いたことに感謝しつつ、しかしさて、句集評をどう書いたらよいものか、それがわからない。

 とはいえ、わからないことはよいことだ、ということにしてわからないまま書き始めてみる。

 旅は散歩から始まり、また旅は単なる移動ではないはずだから。


 まず読者(評者)のわがままで自分に引き寄せて、私自身のテーマでもある「青」に焦点を当てて句を取り上げ鑑賞を試みたい。

 折よく句集の章立ての始めも「群青へ」である。

  暗きより青きへそそるチューリップ

 閉じた蕾の内側は暗闇の世界である。

 その暗き世界よりも外にあるという青き世界への憧憬がある。

 開花してまたチューリップが生まれるわけではないが、暗き胎内より天空の青きへとまた何かが生まれるような、生の多重性とでも言うような感じがある。

  青の世界蝶と小鳥とくちなわと

 青の世界とは何か。

 まず空や海を想像はするだろう。

 沖縄では青とは暗黒の世界でもなく明るい世界でもない淡い世界のことだという。

 古事記における黄泉に通じる世界で、古代沖縄人は死後は青の世界へ行くのだと。

 蝶と、それを捕食する小鳥とそれを捕食する蛇と……その先もすべて青の世界へと通じている。

  波打って光る渇望とは青葉

 古代では青色と緑色の区別がなかったという。

 現代において青葉とは青色の葉ではなく緑色の葉であるのは言うまでもない。

 波打つのは風によってか、葉の隙間から木漏れ日が光る。

 雨上がりの雨滴を湛えて木の葉雨の景もあるかもしれない。

 青葉は光を生をもっともっとと渇望する。

 そしてまた渇望こそが光であり生なのだろう。

  葡萄樹を囲む群青かつ完熟

 群青が青空であれば囲むと言うには高すぎる気がする。

 樹(幹)を囲むように葡萄の房が生っている景にも見えるがどうだろう。

 群青は紫がかった、もっと濃く深い青で、日の出前日の入り後の所謂ブルーモーメントのイメージが近い。

 完熟は生の頂点であり、未熟、成熟、完熟と来て次に訪れるのは過熟である。

 とすればやはり夕方、群青の元を辿ればラピスラズリは夜と星。

 あとは過熟して夜闇が落ちてくるのだろう。

  姉さまは手紙葉書魔青かえで

 青楓は秋の紅葉した楓に勝るとも劣らないと言われてきた。

 楓は蛙の手に似ていることからだが、そこからは手紙を書く手も想像するだろう。

 そしてそこからは更に異界の香りを嗅ぎとってしまうのだ。

 永遠に青いままの姉さまからの手紙葉書が青かえでなのである。

  炎天にからまれる地図あおみどろ

 炎天がどこにもゆかずしつこくまといつく、近年の夏はまさにそんな感じだろう。

 からまれるのは地図だが、実際には地図に記された現実の土地、空間もからまれているのだろう。

 あおみどろ自体、水草やめだかなどに絡まることもあるが、あおみどろの水面に生えている様子は地図のようにも見える。

 それは水界の地図、或いは彼岸、浄土なのかもしれない。

  春群青の夕空の死の際よ

 春の群青の空ではあるが、春で軽く切れてあるようにも感じる。

 春の夕は暮れきらず、ゆったりとしているので昼と夜の境界がそれだけに広いと言えるだろう。

 死の際とはまた生の際である、つまりこの際に青の世界が顕現しているのだ。

 この群青とは所謂ブルーモーメント、上掲の「葡萄樹」句に通じるのではないか。

  妣の国にてアオキのとむらいするだろう

 アオキは人名ではなくミズキ科の青木のことだろう。

 青木を弔うのか、青木を以て弔うのか、それはわからないが、弔いとは普通現世の我々が行うものである。

 妣の国にてであるから現世では弔えないということなのか。

 青木の名は常緑で冬でも青々としているところからであるが、常緑とは常盤木とも言うことを踏まえれば妣の国でなければ弔えないものなのかもしれない。

  青葉闇鴉つがいの麗しき

 木下闇ではなく青葉闇であるところにやはり青の世界を顕そうという意志を感じる。

 あまり歓迎されない鴉、その番を麗しいと感じるのは鴉が青の世界を往来するものであるからではないだろうか。

 そしてつがい(番)に伊弉冉伊弉諾をも想起するのは読みすぎだろうか。

  この空の青なら自来也来たるべし

 何故自来也なのか。

 読み解く必要はないのかもしれないが気にはなる。

 自来也の名前の由来は中国宋代の実在した盗賊「我来也」からだと言う。

 盗みに入った家の壁に「我、来たるなり」と記したとされている。

 空の青を盗みに来るのだろうか、それとも「この空の青」は今青の世界が顕現していて、その向こうから自来也の訪れを願っているのかもしれない。

 自来也は義賊である。

  朧月マリアを青き目印に

 曖昧な朧月と目印というはっきりとしたものが対比的に置かれてある。

 しかしマリアとは、青き目印とは何かは曖昧であると言えるだろう。

 朧月の夜は、その朧の世界は幽明界のようである。

 その中に目印として立つマリアなる存在は人か、かの聖母なのか、マリア観音なのか。

 青は聖母マリアのイメージカラーだという。

 朧の中をゆく者に青きマリアは灯台のようである。

  幾柱立つ地祇神の青写真

 地祇は国津神、地の神であり、天孫降臨以前から国土を治めていた土着の神である。

 地祇神の青写真とは別にブロマイドではなく、恐らくただ山河の風景が写っているだけのものではないか。

 その青写真の山河もかつての姿を留めているものはいかほどか。

 青写真というノスタルジー、山河というノスタルジー。

 だが、ノスタルジーへ葬ってよいわけではないだろう。

  腐る日の扉をぬけて青嵐

 日(太陽)が腐るとも読めるが肉体が腐るその一日のこととも読めるだろう。

 扉を抜ける、からは肉体という檻からという感じがする。

 日が腐るとしてもそれはこの世のことではないだろう。

 その扉を抜けて、青嵐が来る。

 或いは抜けると青嵐の荒ぶ世界なのか。

 どちらにせよ、青嵐は扉の向こうに属するものなのではないだろうか。

  青き踏むソニー・ロリンズの管響き

 ソニー・ロリンズはモダンジャズのサックス奏者、ちなみにまだご存命だ。

 歴史的名盤と言われる『サキソフォン・コロッサス』のジャケットは緑がかった青だ。

 その青のイメージの結びつきがあるのかはわからないが、ロリンズの太い息が管を震わせ響きへと変えるたびに草が生い、青むかのようで、それはまさに息吹というものだろう。

 この青き命を踏むのはやはり巨人ではないか。

  今年竹青き怒涛と和む耳

 今年竹は若竹のことで、その葉を竹の若緑などと言う。

 若竹の林を風が戦がせる、それが青き怒涛だろう。

 しかし竹の葉擦れの音は耳を和ませもするだろう、青き怒涛に和むのではない。

 竹の命の奔流のごとき青き怒涛があり、そしてそれを和みと捉える、捉えてしまう耳とがあるのだ。

  春満月青の故郷は裏面かな

 古代、色には赤、黒、白、青しかなく緑、黄などは青に含まれていたという。

 地球から見る月の色は黄色味を帯びている。

 黄はつまり黄泉であり、かつて沖縄では黄色い死者の世界を青と呼んだことは先に書いた。

 朧な、水を湛えたような春満月はまさに黄泉であろう。

 しかし地球からは見えないその裏面こそが青の故郷なのだという。

 もし仮に月の表が黄泉ならば、それは帰るところではなく逝くところだろう。

 青は地球へ仮初の肉体を得てまたやがて故郷である月の裏面へ帰るのだろうか。

 思えば地球は青い星と呼ばれている。

  冬青空プロパガンダの染み渡る

 キンと冴え渡った冬の青空を心地よく感じる人は少なくないだろう。

 しかし染み渡るのは寒さや冷えではなくプロパガンダだという。

 冬青空に染み渡るのか、それとも別の、冬青空の下生きる我々に染み渡るのか。

 冬は冬将軍の支配する死の季節であると言ってしまえば、寒さも冷えも死のプロパガンダと言えるだろう。

 冬青空にプロパガンダが染み渡れば次は我々の番である。

  梅雨の鬱親しき穴は空の色

 梅雨に鬱々と塞ぎ込むと青空が恋しくなる、梅雨によって空が塞がれているとも取れるだろう。

 鬱とは本来草木が茂っている様であることを思えば緑=青の世界が現れる。

 空の色が青に属するものだとすれば親しき穴とは黄泉へ通ずるものではないか。

  全地球戒厳令を蒼々と

 戒厳令とは簡単に大雑把に言ってしまうと国の統治を軍の支配下に置くということである。

 しかしもはや事態はそれどころではなく、地球の全てに戒厳令が敷かれてしまう。

 蒼々と、草木が生い茂るように地球は戒厳令に覆われてしまう。

 蒼々はまた葬送でもあるのではないだろうか。

  パガニーニ蒼き従者に虎の斑を

 パガニーニは言わずとしれたヴァイオリニストであり作曲家である。

 この従者とは実在したウルバーニのことだろうと思われるが、そうでなくともよいし、ウルバーニを食らって従者に成りすました虎であるかもしれない。

 悪魔のヴァイオリニストとまで呼ばれたパガニーニが虎の斑を与えたのかもしれないが、蒼きという言葉からは蒼白な面の、死者の姿を思いもするのだ。

  雨を洗う桜山神社の青楓

 桜山神社は盛岡、下関、熊本とあるようだが、作者や神風連を考慮に入れると熊本のそれであるかと思われる。

 雨に洗われるのではなく雨を洗う。

 現世の汚れてしまった雨を洗えるのは他でもないこの桜山神社のこの青楓に他ならないのだろう。

 ここには藤原為家「散はてし桜が枝にさしまぜて盛りとみするわかかへでかな」が下敷としてあるように思われる。

  青葉若葉詩に漂うは死ねの声

 青葉も若葉も生命力に満ち溢れているものだ。

 死ねの声は果たして誰に向けてのものか。

 その声が詩に漂うとしても詩が死ねと言っているとは、死ねと書かれているわけではないはずだ。

 そもそも詩とは死者へ向けて書かれるものでもあり、言うまでもなく詩は死に通じる。

 しかし死は=詩ではない。

 死を詩によって悼むことはできたとしてもその死そのものを詩とすることはできないのではないか。

 人間であるならば死ねの声を聴きながら若い時分を生きた経験のある人は多いと思われる。

 しかし青葉若葉は人間ではない。

 死に抗うこともなく枯れては芽吹く。

 果たして死ねの声はただ死を望む声なのか。

 漂うのが死ねの声であるならば、その詩に書かれているのは生きよ、かもしれない。

  泰山木の実青々と忠烈死

 泰山木も常緑であるが、実は11月頃熟して赤い種が飛び出るのだとか。

 白い花を咲かせたあと、その真中の蕊の部分が育って実になる。

 忠烈死からは花が散ったことと、熟すことなく青いまま果てたことを想像する。

 しかし実は熟し種は残り、いつかは泰山のごとき大木となるのである。

  けさのあき浅葱に染めてより出奔

 浅葱はあさつきではなく浅葱色のことで、薄い藍色、明るい青緑色、つまり青の属性である。

 浅葱と出奔とくればやはり新選組をイメージするだろうが、そもそもは武士の死に装束が本義だという。

 ならばこれは死に支度、立秋から立冬までの間を死の準備期間としてのことではないだろうか。

  バイク爆音紺碧に山痺れさせ

 峠を走る単車のエグゾーストノート。

 紺碧からは真夏の炎天を思うが、紺碧が山を痺れさせているのではなく、バイクが紺碧にそうさせている。

 単車の排気熱、炎天に焼ける路面から立ち昇る熱気、それらは炎天の紺碧の一部でもあり、山はその機能を停止する。

 かつて異界であった山は今や鉄の馬に、それに跨る生者によって蹂躙され尽くす。

 異界というベールを剥ぎ取り紺碧のもとに曝されたとも言えるだろうか。


 以上、強引に青に寄せて一句鑑賞をしてきたが、補遺として青に含まれる緑と黄の句を挙げておく。

  軽き脳分け合って喰らう緑陰

  水銀の行方まるまるみどりの夜

  身代わりの樹肌みどりをてにかけ

  昂るけもの地祇のみどりへ華を産む

  さりさりと死者が耳擦る銀杏黄葉

  ミサイルも戦車も溶けずされど緑雨

 加藤知子という人について、実は私は何も知らない。

 縁があって、としか言えないわけだが、前句集である『たかざれき』に併録された石牟礼道子論を思えば、やはりこの一連の青は有明海、不知火海に連なる青であり、他界の青でもあるのではないかと思われる。

 作者が意図的に置いたと思われる青もあればもちろんそうではないものもあるだろう。

 鑑賞で取りあげた25句に補遺の6句を加えても31句、それは収録数392句のうち取り立てて多いとは言えないかもしれない。

 だが敢えて一面を取りあげることによって作者の無意識、無意図が浮かびあがることもあるように思うし、読みの可能性は多面的に開かれて然るべきだろうと考える。

 願わくばこの句集評とは言えない何かに、僅かながらも作者の思惑を越えたものがあればと思う。

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】 4 生命と野菜と蝸牛について三句 石原昌光

 じいじばあばの怪獣がトマト食う

テレビCMなどでは、イケメンのアイドルや俳優に

リンゴやトマトを丸かじりさせるのが流行した。

野菜や果物をワイルドに頬ばる様子が

若さと生命力の漲りを連想させるのだろう


一方で、人生の晩秋を迎えたじいじとばあばに

トマトを丸かじりさせるとどうか?

これまた、若人とは違う意味でワイルドだ

ガタガタする入れ歯ではちきれんばかりに赤い

トマトにかじりつくのは

肉食恐竜が草食恐竜に食らいつくのを連想させる

お行儀とは程遠い、食のドン・キホーテである。

歯の隙間から高確率でトマトの汁が飛び出す様と

トマトを飲み砕かんと目を剥く様は

まさに怪獣である。


決してTV受けしないであろう

じいじばあばのトマトの丸かじりの絵ヅラだが

その面魂に食糧難の時代を生き抜いた

人間の強かさを感じ取る。

生命を吸い取って生きてやろうとする

生の本能が感じ取れる。

高齢者には、お行儀なんぞより元気が大事である。

筆者の感性はそれを捉えたのだろうと

私は考えたりもする。


プチトマトたち感情あらわにせよ

はちきれんばかりと

形容できる野菜と言えば

それはトマトである。

トマトは汁気の多い野菜であるが、

その水分の多さゆえに大きく変形して

あべし状態のトマトも時たま見受ける。


今にも分裂せんとするその奇態は

憂悶の内に生を終えた人かのようで

不気味ですらある。


では、プチトマトとは何か?

それは少年少女である。

生命力に溢れていながら

その小さな胴体に

色々なモノを溜め込んでいる


SNS全盛の21世紀では

実名で何かを発信すれば

モノ言わば唇寒しどころか

モノ言わば総バッシングである。

まして、SNS以外に交流の場を

持たない少年少女には

それは死刑宣告だろう


しかし、それでも

言わなければ自分の考えは

相手には決して伝わらない

それが青臭い主張でも

嘲笑され、バカにされようと

自ら無機物になるよりは

ずーっと良い。


本心に蓋をし

建前だけを周囲に合わせて

話している間に

いつしか本当の心を失って

丸いプチトマトが

押し込まれた怨念で

ぼこぼこぶくぶくと

腫れあがってしまうだろう


良い子である前に

悪い子である前に

あなたは、あなただ

自分を表現しろ!

そのような筆者の叫びに

私には受け取れた。


返信の遅さもいいね蝸牛

親しい人の紙の便りは

待ちわびる事でさえ風情なのに

電子メールの返信待ちの焦燥感は

どうにも気持ちをかき乱す


たった一通100文字程度の

返信さえ寄こせないのか?

俺は、その程度の存在か?

などと、勝手に相手が

自分を値踏みしたのだと

やきもきする始末だ。


最近では電子メールにさえ

マナー講師なる人々が登場し

返信は30分以内で、

絵文字はNGだの

おじさんしか使わないだの

新しい飯のタネにしている


くだらない…

たかが磁石を近づければ

即座に分解する0と1の集まりに

なんで己の価値まで賭ける?


こっちはchatGTPではない

自動的に返信などできないのだ。

それが電気信号であれ、紙であれ

返信を出す時には、

心の一部を千切って出している。


だからこそ、帰ってこないと

寂しいのであるが

相手もまた、心の一部を千切って

出すのだから、少しは待つのが

風流だろう。


その余裕を持てるなら

人生はちょっとだけでも

行きやすくなるのではないか?

私はそう思う。


琉球歴史家 石原昌光  

■現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 6 筑紫磐井

 【評論執筆例(初期能村登四郎作品について):筑紫磐井】


6.初期身辺生活句(2)

 能村登四郎が馬酔木において、風景俳句から身辺俳句に転じたのは23年からであった。身辺俳句と言っても心象的な俳句から、生活境涯俳句的なものまでのブレがあるが、その前期は次の句で一応一区切りを迎える。


露はしり我にあかるき今日きたる(23・9⑥)

かぼちや咲き貧しさがかく睦まする

かぼちやかく豊かになりて我貧し

病める子に蚊ばしらくづす風いでよ


 生活境涯俳句的なもので、貧しくはあるが、市民生活のささやかな幸せをうたっている。しかし文学的な価値はそれほど高くなさそうだ。いわば能天気なのである。最後の句にあって、少し生活の中の波乱が生まれ、新しさを期待させるものが見えて来る。

 しかし、こうした幸せな生活詠は一気に破綻する。この病んでいた子供が急逝するのである。長男急逝の一連を水原秋櫻子は2回目の巻頭作品に選んだ。


     長男急逝

逝く汝に萬葉の露みなはしれ(23・10①)

供華の中に汝がはぐくみしあさがほも

汝と父母と秋雲よりもへだつもの

かつて次男も失ひければ

秋虹のかなたに睦べ吾子ふたり

白露の朝にはじまる言葉佳し(23・11③)

白露や子を抱き幸のすべてなる

秋草やすがり得ざりし人の情

日とよぶにはかなきひかり萩にあり

露幾顆散り惜しむとも吾子はあらず(23・12⑤)


 ほぼ3カ月間は慟哭の作品となる。長男・次男をなくし、妻と長女だけを残す家庭となってしまったのだ(三男の研三はまだ生まれていない)。登四郎の悲しみはわかるが、こうしたダイレクトな悲嘆が優れた俳句となるわけではない。能村登四郎の生活の事件としては納得できるが、登四郎の文学の転換とは未だなっていない。

 こうした何か月かを過ごし、運命の不条理さへの怒り、絶望、それから再起しなければいけないという思いが生まれて来る。


鶏頭やきはまるものに世の爛れ(23・12⑤)

朝寒や一事が俄破と起きさする

わが胸のいつふくらむや寒雀(24・1⓸)

枯芭蕉どんづまりより始めんと

炭は火となるにいつまで迷ひゐる

霜ばしら怒りは内に燻ゆらすな(24・2③)

手袋やこの手でなせし幾不善

冬百舌の裂帛にわが虚を衝かる(24・3⑨)

新雪の今日を画して為す事あり(24・4⑤)


 今回かかげた作品は、能村登四郎の作風の完成にほとんど影響を与えてはいない。しかし、極め個人的な事件と、俳句の作風の関係はあまり考察する機会がないと思われるので、ここで示して置いた。我々においても、極めて重要と思われる事件は、実は俳句の完成とはあまり関係しないのである。


資料 能村登四郎初期作品データ

(制作年月の次の〇数字は馬酔木集の席次。*は下位作品)


刈田のなか池ありあをき空を置く(23・1*)

高槻のそのたかさよりしぐれくる

茶の咲くをうながす晴とちらす雨


咳なかば何か言はれしききもらす(23・2➁)

かがみゐし人のしごとの野火となる

潮くみてあす初漁の船きよむ

ななくさの蓬のみ萌え葛飾野


ぬばたまの黒飴さはに良寛忌(23・3➀)

雪といふほどもなきもの松過ぎに

雪天の西うす青し雪はれむ

佗助やおどろきもなく明けくるゝ


雪の戸にけはひして人のおとなへる(23・4⑧)

匆々ときさらぎゆくや風の中

蓋ものに春寒の香のさくら餅

松の間に初花となり咲きにけり


弥生尽追ひ着せられて羽織るもの(23・5➁)

人いゆく柴山かげや春まつり

さく花に忙しききのふ無為のけふ

さくら鯛秤りさだまるまでのいろ


うすうすとわが春愁に飢もあり(23・6⑥)

春靄に見つめてをりし灯を消さる

摘むものにことば欠かねど蕗生ひし

畑すみに萌えいですでに紫蘇のいろ


部屋ごとにしづけさありて梅雨きざす(23・7➀)

たよりあふ目をみなもちて梅雨の家

梅雨の傘抱きて映画に酔ひがたき

藺の花の水にも空のくもりあり


老残のことつたはらず業平忌(23・8③)

黴の香のほのかなる書を手ばなしぬ

白麻の着くづれてゐて人したし

白靴のしろさをたもち得てもどる


露はしり我にあかるき今日きたる(23・9⑥)

かぼちや咲き貧しさがかく睦まする

かぼちやかく豊かになりて我貧し

病める子に蚊ばしらくづす風いでよ


長男急逝

逝く汝に萬葉の露みなはしれ(23・10①)

供華の中に汝がはぐくみしあさがほも

汝と父母と秋雲よりもへだつもの

かつて次男も失ひければ

秋虹のかなたに睦べ吾子ふたり


白露の朝にはじまる言葉佳し(23・11③)

白露や子を抱き幸のすべてなる

秋草やすがり得ざりし人の情

日とよぶにはかなきひかり萩にあり


露幾顆散り惜しむとも吾子はあらず(23・12⑤)

鶏頭やきはまるものに世の爛れ

朝寒や一事が俄破と起きさする

林翔に

貧しさも倖も秋の灯も似たる。


咳了へてほのかにぞ来る人の息(24・1⓸)

わが胸のいつふくらむや寒雀

枯芭蕉どんづまりより始めんと

炭は火となるにいつまで迷ひゐる


霜ばしら怒りは内に燻ゆらすな(24・2③)

手袋やこの手でなせし幾不善

またけふの暮色に染まる風邪の床

かけ上る眼に冬樫の枝岐る

  殿村兎糸子氏を新人会に迎えて

朱を刷きて寒最中なる返り花


凩と言へどそれぞれものの音(24・3⑨)

遠凧となりてあやふき影すわる

水洟を感じてよりの言弱る

冬百舌の裂帛にわが虚を衝かる


老梅を愛して物を卑しまず(24・4⑤)

新雪の今日を画して為す事あり

卒業生言なくをりて息ゆたか

風邪熱を押して言葉にかざりなき


●戦前作品

芦焚けば焔さかんとなりて寂し(14・2*)

枯山の星するどくてひとつなる(15・12*)

蒲の穂のしづかなれどもふれあひぬ(16・11*)

盆のものなべてはしろくただよへり

寝返ればふたつとなりぬ遠蛙(18・6*)

四五枚のいつも雪解のおくるる田(19・4*)

いつの間にみてゐし雲や春の雲(19・5*)

朝は子とゐし緑陰や人のゐる(19・8*)

ひとりゐる蘆刈に鳰もひとつゐる(20・1*)


●戦後作品(受験子・教師俳句)

受験子の髪刈りて来し目のうるみ(24・4特別作品)

しづかにも受験待つ子の咀嚼音

あぢさゐの褪せて教師に週めぐる(24・8⑦)

氷菓もつ生徒と逢へりともに避け(24・9⑫)

長靴に腰埋め野分の老教師(26・4馬酔木コンクール受賞)

教師やめしそのあと知らず芙蓉の実


澤田和弥句文集特集(2-7) 第2編美酒讃歌  ⑦新酒讃歌

 ⑦冷酒讃歌      澤田和弥 


 地球物理学者にして近代日本を代表する随筆家、東京大学教授、文豪夏目漱石の弟子となると、私のような凡人は腰がひけてしまう。才人寺田寅彦である。「天災は忘れたころにやってくる」のアフォリズムはあまりにも有名。この寺田先生、新酒がどうもお好きだったようだ。新酒は秋の季語。収穫後の米をすぐに醸造していたため。


  ひしこを得て厨に捜る新酒哉  寺田寅彦

  客観のコーヒー主観の新酒哉

  ばうとして新酒の酔のさめやらず

  柿むいて新酒の酔を醒すべく


 ひしこは鯖の糠漬け。かなり塩辛く、酒の肴には全くもって抜群。それを得たからには必然的に酒。新酒ともなればなお格別。大のおとなが台所で新酒を捜索する姿はなんとも微笑ましい。客観主観にコーヒーと新酒を対置。俳句は十七音の文芸。全てを語ることは難しい。提示されているのはヒント。どう捉えるかは読者に委ねられる。「主観の新酒」。あなたならばどう捉えるだろうか。さあ、先生。「ばう」としたり柿を剝いたり、酔い醒ましに奔走中。酒を前にして人は平等である。ここに描かれているのは酒好きのおじさんの日常だ。微笑を禁じ得ず、思わずポンと肩を叩きたくなる。


  膝がしらたゝいて酔へる新酒かな  大橋櫻坡子


 そうそう、どちらもポンと、ポンと。

 寺田寅彦の師夏目漱石も新酒を句にしている。


  憂あり新酒の酔に托すべく  夏目漱石

  ある時は新酒に酔うて悔多き


 漱石先生は神経質で憂鬱質。その憂いを新酒に托すものの、今度は飲み過ぎて「悔多き」。負のスパイラル。でも痛いほどわかるのです。そのお気持ち。「ちきしょう」と酒を呷り、翌朝の二日酔い。そのうえ昨夜は酔態を曝してしまった。沸々とした憂いが日常の憂鬱と結びつき、また酒を。世間とはそういうふうにできている、のかな。きっと、そう。

 漱石の友人正岡子規は新酒をこう詠む。


  小便して新酒の醉の醒め易き  正岡子規


 ありのままとは言え、小便か。確かに放尿するとふと酔いが醒めることがある。新酒で心地良くなった体が、厠にて秋の夜風にふと醒める。「あれ、何やってんだ」と思うのは真面目なお方。「よし。これでさらに飲めるぞ」と思うのが酒飲みの習性。なんともおめでたい。めでたいことは佳いことなので、勿論これでよい。


  君今來ん新酒の燗のわき上る  正岡子規


 沸き上がったら一大事。風味も何もなくなってしまう。はよ来い。はよ来い。いかにも人が好きな子規らしい句。こう言われたら私なんぞは取るものもとりあえず、子規庵に向かうだろう。酒を飲みたく、子規に会いたく。

 子規の弟子であり、近現代俳句の巨星高濱虚子は新酒でこんな句を。


  呉れたるは新酒にあらず酒の粕  高濱虚子


 そう。そりゃ、ね。この酒粕で粕汁や粕漬をつくれば、さぞ旨かろうよ。でもね。しかしね。やっぱり酒粕じゃなくて新酒の方が、ありがたいなあ。


  人が酔ふ新酒に遠くゐたりけり  加藤楸邨


 もう我慢できない。遠くになんていられない。酒粕じゃなくて新酒だ。新酒が飲みたい。どこだ、どこだ。


  風をあるいてきて新酒いつぱい  種田山頭火


 おお、ようやくあった。しかもいっぱい。さてさてどれから飲もうか。


  新酒の栓息吹く如く抜かれけり  長野多禰子


 シュポンと。あの音が旨い。そしてグイと傾けた一升瓶からトクトクと麗しの酒が流れ来る。


  だぶだぶと桝をこぼるゝ新酒かな  下村牛伴


 「だぶだぶ」がよい。もう、喜びに涙がこぼれそうだ。そして酒は桝をこぼれ、受け皿に広がる。「おっ、とっと」とでも言いながら、桝を斜(はす)に持ち、角から。まずはこの香りを。


  新酒愛づ立ち香ふくみ香残り香と  清水教子


 立ち上がる香り、口にふくんだ香り、喉を過ぎてからの余韻。まさに「愛づ」。どんな新酒かは記されていないが、これだけ香りを味わうほどに愛しているのだから、それはそれは旨い酒でしょう。飲んでもいないのに、今、私の鼻に口に幻の香りが。さあ、もう、くうっと、くううっと。


  のむほどに顎したたる新酒かな  飯田蛇笏


 おっと。失敬。でもこの「したたる」が旨い。いかにも新酒を味わっている姿。これは古酒では似合わない。ましてやビールでは単に酔いすぎたゆえの粗相である。


  したたらす顎鬚欲しや新酒酌む  平畑静塔


 顎鬚にしたたらせるとは貫禄の域。若輩者にこのいぶし銀は表せまい。ただし「欲しや」なので、実際には生えていない。もしくはそういう御仁を目にして「俺も欲しいなあ」ということか。酒飲みは憧れるのです。粋で貫禄のある飲み姿を。そういうときは着流しとしゃれ込んでみたい。ビール腹を隠せる服装ならばなお結構。


  肘張りて新酒をかばふかに飲むよ  中村草田男


 両手で桝を持つと、確かに肘を張り、まるで桝を庇うかのような格好になる。別に誰かに盗られるとは思っちゃいない。庇っているように見えるのは、隠しても隠し切れない酒への愛ゆえ。一口、一口、大切に。でも、したたらすほどに。快楽の戯れということで。


  生きてあることのうれしき新酒かな  吉井勇


 今、生きていて、そしてこの新酒と戯れ、味わっている。だぶだぶ注いで、顎からしたたらせ。喜び、嬉しさ。素直な気持ちがそのまま俳句になっている。人は「生きたい」と思い、「死にたい」と思う。いずれも苦境のとき。再びの幸せを求めて「生きたい」、再びの無を求めて「死にたい」。求める気持ちは同じ。しかしその結果には重大な差。そして人は「生きている」と感じるときがある。これは苦境を脱し、喜びに溢れているとき。「生きて」、今ここに「ある」という実感。「生きている」ために我々は生きている。その歓喜を新酒と、仲間と分かち合いたい。それもまた酒という幸福の一つであろう。

 真面目くさったことを書いてしまった。なんだか急に恥ずかしい。お酒、お酒。


  新酒酌む口中の傷大にして  櫂未知子


 いてててて。そんな絶対に浸みるのに。嗚呼、しかもそんなグイッと。ほら。やっぱり。言わんこっちゃない。しかし、それでも口にしたい新酒の魔力。なにせ「酒」というだけでも魅力充分なのに、それに「新」がつくのだから。新し物好きは酒飲みに限ったことではない。「新酒」。まさに魔力である。ただし可能であるならば、その誘惑に負けたい。たらふく飲みたい。魔力は魔力でも、かわいい悪魔ちゃんである。


  一本は彼女の為の新酒かな  稲畑廣太郎


 この「彼女」はloverだろうか。それもsheであろうか。前者ならば「この一本は私の分ではなく、彼女へのプレゼントです」となる。後者の場合、プレゼントはプレゼントでも、酒席にて「これは今日の主役たる彼女のためのものです。さあ、一本、どんと味わってください」とも読める。loverであれば二人だけの関係性を思い浮かべるが、sheの場合は大人数の中のその女性という状況も考えられる。勿論loverでもsheでもなく、かわいい悪魔ちゃんの可能性もある。新酒好きの悪魔ちゃん。今宵もネオンがまぶしい。


  二三人くらがりに飲む新酒かな  村上鬼城


 こちらはネオンも届かぬ暗がり。森の中か、灯りも点けぬコンクリート・ジャングルか。それとも何処かの小屋か。何か土俗的な匂いすらする。新酒の華やぎはない。「二三人」なので、状景を確定できない不安も浮かぶ。まるでムンクの「叫び」を観ているような。あ。もしかしたら、実は隠れて飲んでいるだけか。本当は飲んではならぬ新酒をこそこそと。まるで私を見ているようだ。休肝日にがさごそと。「叫び」と私。まあ、顔だけ見れば似たか酔ったか。いや、寄ったかである。


  そばかすをくれたる父と新酒酌む  仙田洋子


 お父さん感無量。新酒というだけでも喜ばしい一杯を愛娘とともに。二人の顔にはともにそばかす。確かに父子。似ている。そして、酒好きなところも。似ているパーツの中から「そばかす」というあまりありがたくないものを選び、それを「くれたる」としたところに父への慈愛を感じる。「愛」と言っても甘やかな状景ではない。あくまでも新酒。キリッとパリッとした涼しさのなかで、肩の力のふと抜いた風景。父の気恥ずかしくも、嬉しくてたまらない様子が浮かんでくる。新酒が全てを演出する。


  新酒汲み交はし同居の始まりぬ  中村恵美


 同居一日目。理由のない私の退職と理由のある父の急逝で、母との同居はバタバタと話が進められた。荷物をほとんど置きっぱなしにしていた部屋にアパートからの荷物がなだれこんで、まさに混沌。私も母も片付ける気もなく、家の中をふらふらしているうちに夜になった。いつの間にか母が作っていた夕食。テーブルの真ん中に地元の新酒四合瓶がどかりと立っている。両親が使っていた切子グラスが今、私と母の前にある。母は無言で栓を開けると父愛用であった赤の切子にたふたふと注いだ。今までじっとしていたが、手を伸ばし瓶を受け取る。母愛用の藍の切子へてふてふと注ぐ。お互いの目が合う。切子を軽く額ぐらいに上げ、まずは私から。

 「これからよろしく」

 「こちらこそ」

 辛口のすっと流れ込む感覚。秋の夜はまだ長い。同居が、始まった。そんなドラマが頭の中で始まる。新酒の情緒。

 新酒は米と水という神々の力を杜氏たちが光り輝く一滴に凝縮したものである。気安くではなく、心から味わいたい。そして楽しく酔いしれたい。神々の宴も新酒を酌み交わしながら、よほど楽しんでおられよう。神々のようにとまでは言わずとも、どっしりと貫禄のある飲み姿でありたい。


  国取りの国なる新酒汲みにけり  有馬朗人


(2022年10月28日金曜日)

澤田和弥句文集特集(2-8) 第2編美酒讃歌  ⑧続・新酒讃歌

  ⑧続・新酒讃歌      澤田和弥 


 新酒のことを「今年酒」とも言う。今年できた酒だから今年酒。確かに。今年できたばかりの酒には旨い肴を合わせたい。新人さんにはご祝儀をはずむのが筋というものだろう。まあ、結局はどちらも私の胃に入るのだが。

 酒屋から「新酒、入りましたよ」と一声。


  まづ夫と口もとゆるび今年酒  森谷美恵子


 夫婦揃っての酒飲み。共通の趣味があるのはよいこと。「ゆるび」がいかにも酒飲みを表している。ゆるりゆるりと味わいながら、話に花も咲き。仲良きことは美しき哉。読んでいるこちらも嬉しくなる。酒飲みであればなおのこと。

 さて肴は。


  今年酒鯖もほどよくしまりけり  片山鶏頭子


 〆鯖。最高である。青魚は全くダメという方もいらっしゃるが、好きな方はとことん好き。好みが極端にわかれる。私は「とことん」の方。しまりすぎては酸っぱいうえ、身も固くなる。「ほどよく」。それがよい。山葵醤油で口中に投ずれば、ふわりと広がる味と香り。脂が佳い。にくづきに「旨」と書いて、脂。旨さは脂の旨さ。肉も魚も同じこと。ここへ新酒をクイと一口。辛口がよい。脂をスッと流せば、また一口欲しくなる。秋鯖と新酒。絶品の組み合わせ。焼いてもよいし、味噌煮にしても。心地良い秋風を頬に感じつつ、名月の下でゆったりとした時間を堪能したい。そう。したい。したい、のである。


  甘海老のとろりとあまき今年酒  片山鶏頭子


 同じ作者が今度は甘海老。せっかく、秋鯖をなんとか我慢したのに、今度は甘海老だなんて、なんとご無体な。したい、じゃなくて、する。秋になったら絶対に堪能するの。もう決めた。〆鯖と甘海老を肴に、新酒をがぶがぶ呑んじゃうから。おっと。失礼しました。噛んだ途端にとろりと口の中に広がる甘さ。あの濃厚なとろりへ新酒をキッと一口。絶妙の味覚。舌も頭も大喜び。〆鯖の酸いと甘海老の甘み。それらを包み込む酒の懐の深さ。たまらぬ美味。嗚呼、ほんとたまんない。


  よく飲まば価はとらじ今年酒  太祇


 ぐいぐいとたらふく。しかも「旨い」「絶品」と褒めちぎれば、お勘定は要らないってことになるんじゃないか。確かに新酒はめでたいもの。祝儀ということで。とはならないのが現実。学生時代、バイト先の居酒屋にて。この頃たびたびいらっしゃるお客さんから「学生は飲みたくても金がなかろう。私が出すから好きなだけ飲みなさい」とのこと。ありがたく、冷酒を一升半ほどいただいた。大満足。

「ごちそうさまでした」

「三千円」

「え」

「三千円よこせ」

 タダ酒なんて、そんなうまい話はない。三千円で一升半飲めたのだから、勿論充分過ぎるくらいなのだが。今、そんなに飲んだら、帰りはタクシーではなく救急車、自宅ではなく病床へレッツゴーとなるだろう。若いとは恐い。もうお会いすることはないであろう、そのお客さんの方がヒヤヒヤしていたに違いないのだが。


  馥郁と流人の島の今年酒  鳥居おさむ


 飲み過ぎの罪により私が流された訳ではない。「流人の島」というと佐渡か、それとも隠岐か。その島の今年の酒が馥郁と香る。流人というと歌舞伎の「俊寛」を思い出す。九世松本幸四郎の俊寛があまりにも壮絶で我も忘れて見入った。歌舞伎を鑑賞しつつ、その馥郁たる新酒をちびりちびりとやりながら。両隣には和服の美女。嗚呼、なんという絵空事。空しくなってきた。「酒だ、酒だ」とでも言いたくなるのは、こういうときか。しっかりとただいま体験させていただいた。


  新酒汲みとどのつまりは艶話  片山依子


 いや、その。確かに「両隣には和服の美女」と妄りな想像をしましたがね。とはいえ、老若男女問わず、酔えば好いた惚れたの艶っぽい話になる。艶のある話ならばまだよいが、下世話なエロ話、所謂下ネタとなると辟易する方も多かろう。私は酔うとそういう話をする、らしい。意識も記憶もないが、周囲はそのように言う。それも露骨な下ネタだ。と周囲は言う。おそらく意識も記憶も「これを残してはなるまい」と自己防衛策を打ったのだろう。  あ。下ネタを言っている前提で話を進めてしまった。間違えた。いや、間違えているのは私の人生ではなく、話の方だ。濡れ衣の可能性は捨てない。絶対に捨ててなるものか。録音装置を酒席に持ってこられたことがある。たらふく飲んだ。録音されていたのは周囲のおしゃべりと私とおぼしき高いびきだけであった。下ネタは皆無。おそらく、自己防衛策の一環なのであろう。

 なんだか「私は下衆です」と懺悔しているような気がする。雰囲気をかえよう。


  胸中の父をよごさず今年酒  岩永佐保


 胸の内に映す亡き父の姿。お酒の好きな人だった。それで母や私を悲しませたこともあった。しかし、それはもう、よい。今、胸の中の父は凛々しく、逞しく、精悍な姿である。何ぴともよごすことはできない。父の愛した酒を、今年の酒を、献杯。澄みわたるその一杯が美しい。

 それぞれの年に、それぞれの今年の酒がある。十人十色、さまざまな思いが人にはある。それでも口にふくんだ旨み、感動はみな同じ。今年の酒を、今この瞬間の己れの胸の内をしみじみと味わいたい。


  とつくんとあととくとくと今年酒  鷹羽狩行


(2022年11月25日金曜日)

澤田和弥句文集特集(2-9) 第2編美酒讃歌  ⑨地酒讃歌

  ⑨地酒讃歌      澤田和弥 


 「地酒ありますよ」

と言われると、ついついそちらに目が行く。ほお、たくさんありますなあ。しかしながら正直なところ、よくわからない。友人たちはあれが好き、これが佳いと言うのだが、私にしてみれば、旨ければそれでよい。あと、お値段。よくわからないので店員さんに「このくらいの金額で、辛口のおすすめはどれ?」と尋ねる。餅は餅屋。酒は酒屋。そうすれば、その日のおすすめか、早く空にしたい酒のどちらかが運ばれてくる。そこで店の心を見定める。というような舌はあいにく持ち合わせていない。出てくる酒はことごとく旨い。日本全国よい心のお店ばかりということだろう。旅先ではその地の地酒を、故郷では故郷の地酒を。そういう手もある。地酒という文字を目にすると、それだけで喉が鳴る。地のものと合わせ、今宵の一杯としたい。勿論一杯で済む訳はないが。


  初鱈に地酒辛きを佳しとして  辻田克巳


 おっ。辛口がお好きですか。気が合いますな。初物の鱈。鱈はたらふく食べてこそ鱈。鱈鍋がよろしいか。鱈の身はもちろんのこと、だしも旨い。熱々のところに地酒を常温で。コップでもらおう。きゅいいと飲んで、ぷは。旨すぎる。さてさて煮え過ぎる前に鍋、鍋。民宿で炬燵にでもあたりながら。外は激しく風の音。気の合う友と三、四人で。男ばかりでも。いや、そう言いながら、そりゃ女性がいていただけるなら。ねえ。 


  地酒得て夫にさよりの糸づくり  野辺祥子


 さよりは春が旬。地酒が手に入ったからと、さよりの糸づくりを用意して。春らしい光のある句。地酒もさよりの脂も光っているが、なによりも輝いているのが、この夫婦愛。このやさしさが愛らしい。せめて地酒とさよりだけでも分けてもらえないだろうか。


  蕗の薹貰ひ地酒の封を切る  林照江


 こちらは蕗の薹。まさに早春の悦び。蕗味噌にするか、天婦羅か。勿論どちらも。先ほどのさよりの句は地酒を得たからさより、という発想。こちらは蕗の薹を貰ったからにはこの地酒、遂に封を切りましょう!という流れ。よほどとっておきの酒なのだろう。蕗の薹のほろ苦さは白いごはんにも勿論合うのだが、二十歳をとうの昔に過ぎた身としては、地酒でキュッと味わいたい。静謐なほろ苦さに辛口の酒が素直に流れていく。至福のひととき。


  地酒酌む野蒜の玉のこりこりと  竹村和哉


 勿論こちらの野蒜もこりこりおいしくいただきます。こりこり、そう、こりこり。


  地酒よし秋刀魚の煙る店なれば  竹吉章太


 最近は空調設備等によって「秋刀魚の煙る店」もなかなか目にしなくなったように思う。しかし、このようなお店での地酒。確かに「よし」と言いたくなる。秋刀魚の表面に弾ける脂。箸を入れると、さらにジュッ。あのとろけるような味わい。そこに流す酒は熱燗というより常温。ぐい飲みや桝よりもビールグラスで。「煙る店」、至れり尽くせりでは味気ない。粗野な部分がほしい。グラスを持ち上げつつ、口を近付けつつ。グイと。荒ぶる秋刀魚の脂には、少しばかり野趣ある酒、クセのある酒がよい。上品な酒では秋刀魚に負けてしまう。口中にて、がっぷり四つを組むような。のこった、のこった、えい。両者、喉から胃の中へ流れ込み。いい勝負だった。さて、もう一口、二口。秋刀魚の煙る店の大将が、酒のようにクセも旨みもある方ならば、何度も通いたくなる。秋刀魚のジュ、地酒のグイ。


  うなじ迄地酒に染めて風の盆  二村美伽


 風の盆は富山市八尾町にて毎年九月一日から三日まで、盆に続いて行われる行事。徹夜で踊り歩き、暴風の災厄を送り出すというもの。うまじまで真っ赤に染める祭衆。これを他の酒にしてしまうと間が抜けてしまう。地酒だからこそ、一句の雰囲気が楽しい。地酒を分けてもらえるならば、なお楽しい。

 祭の地酒をもう一句。


  踊太鼓地酒ぶつかけ滅多打ち  岸田稚魚


 この祭の観光ポスターを作成するならば、間違いなくこのシーンを採用するだろう。ふんどし一枚の色気立つ壮年の男が、口にふくんだ地酒をぶっかけ、踊太鼓を滅多打ち。日本の祭の一典型とも呼ぶべき、ダイナミックな状景。この地酒を「もったいない」と思うようでは、いや、私もちょっとは思いましたけどね。


  直会の辛き地酒と納豆汁  山崎千枝子


 そうそう、お酒は飲みましょう。酒はゴクリと。直会は「なおらい」と読む。神事の最後に神饌を神職や氏子等でともに分かち合うもの。お供えしたのは辛口の地酒。やはり土地の神様にはそこの地酒が一番よいだろう。そして奥さん方が作ってくださった納豆汁。冬の拝殿はたいていの場合、かなり寒い。冷えた体に辛き地酒と納豆汁とはなんとも嬉しい。仏教やキリスト教の禁欲と対をなすように、神道は大らかだ。御神酒として日本酒があれほどある。全部飲むのだろうか。ぜひともお仲間に入りたい。肝臓の神様はいらっしゃるのだろうか。


  山眠る久慈の地酒のさくら色  平塚奈美子


 「山眠る」は漢文が出典の冬の季語。眠っているかのように静かな冬山の様子。「久慈」は岩手県北東部の地名。風の音が遠くに聞こえる冬に久慈の民宿。注いでもらった地酒はぐい飲みの中でほのかに紅をさす。さくら色。東北の雪という白いイメージにさくら色がなんとも美しい。春を待ち望む気持ちも感じられる。美しい酒は間違いなく旨い。酒自体も言うまでもなく旨いのだが、その雰囲気もまた旨い。地酒をその土地で飲むということは格段に酒を旨くする。地酒はその土地の神々と人々によって生み出される。風土を感じながら、魂を味わう、と言っては大袈裟か。雰囲気と飲む場、そして酒。この三つの味を一心に味わいたい。


  旅人となりきる春の夜の地酒  岡本眸


 地酒はその土地で味わわなければと、言うつもりはない。そうじゃなくても十分においしいんですもの。旨い地酒を口にしつつ、その土地を旅する気分になるというのも一つの味わい方。地酒ならではの悦楽。夏冬では寒暖厳しい。秋では眼前の寂寥感に負けてしまう。駘蕩とした春の夜だからこその、夢見るような楽しみ方。酔いもまた旅の春風。


  一合の地酒を分ち花の宿  近藤一鴻


 こちらは旅の最中。桜咲き誇る宿でのこと。熟年夫婦の二人旅。ゆかたで窓の外を溢れる夜桜を眺めながら、そこの地酒を一合、徳利で。それをちびちびと分かち合いながら。桜に酔い、地酒を舌に転ばせ、お互い「お疲れさま」の旅。窓の下には屋台が一軒。一人でコップ酒の私。夜桜と酒は人を狂わせる。「一合じゃ足んないの。もっと、もっと、ガバッと注いで」。


  ざる一枚風呂吹地酒小一合  黒田杏子


 冬の一景。蕎麦屋にて。注文はざるそば一枚に肴の風呂吹大根、それに地酒の小、一合徳利。以上。量から考えて、一人でのご来店。酔態を曝す訳もなく、さっと味わい、さっと店を後に。粋である。かっこいい。私であればまず最初に「地酒大」と注文する。一人なのに。風呂吹大根をつつきながら「お酒おかわり」。すでに体験済みかのように目に浮かぶ。粋とはほど遠い。結構。粋じゃなくてもよいので、もっともっと飲みたいのだ。


  地酒注ぐ猪口も徳利も今年竹  黒坂紫陽子


 これはなんとも旨そうな。かつなんとも贅沢な。今年生えたばかりの若竹を猪口に、徳利に。今年竹は夏の季語。ゆえに地酒は冷やで。筍から竹に成長したばかりの若竹の香りが涼やか。都会ではそうそうに味わえない。酒の妙。場の妙。雰囲気の妙。記憶がなくなるまで酔いしれたい。いやいや。冗談です。節度、節度。

 地酒の知識があれば、さらにおいしく飲むことができるのかもしれない。たとえば米の種類や水、地域性等。ただどうにもこうにも覚えられない。記憶力の問題はすでに自覚している。今、目の前の酒が旨い。友との語らいが快い。その場が楽しい。それで満足してしまう。翌朝には「銘柄は……」となっている。その時その場の酒がある。同じ酒でも場や雰囲気、体調や懐具合によって全く味が違う。その時その場とは即物的、刹那的かもしれないが、人は次の一秒を生きているとは限らない。ならば今、この一瞬をともにしているこの酒を心から味わい、楽しみたい。

(2022年12月9日金曜日)

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり20 『秦夕美句集』(2017年刊、現代俳句文庫―83・ふらんす堂)を再読する。

 十六夜に夫を身籠りゐたるなり


 帯の俳句が妙に私の脳裏にこだまする。

 この「BLOG俳句新空間」でも秦夕美・追悼がアップされているので鬼籍に入られたのを私も知った。『秦夕美句集』の私の初見からただただ秦夕美さんの生きるベクトルに圧倒されっぱなしだったのを思い出す。


ふぶく夜を屍の十指ぬぐひけり

寒紅をひくこのたびは喪主の座に

雪原の果いつぽんの泪の木


 私は、あるがままに世界を詠み込んでいく秦夕美の俳句に私は、惹きこまれていった。

 吹雪く夜の屍の十本の指を拭ったり、寒紅を引いて喪主の座に就く。

 雪原の果ての一本の泪の木となる秦夕美の悲しみの吐露も。

 その所作に静かに夫の死への深い悲しみを俳句に詠み込む秦夕美の態度が浮かび上がる。


ただ生きよ風の岬のねこじゃらし


 あるがままの秦夕美の態度は、自身の心もまたあるがまま詠み込んでいる。

 ただ生きよ。その生命の讃歌の謳いぶりは、岬に吹き続ける風にそよぐまま揺れている猫じゃらしなのだろう。

 この俳人の俳句をささえている丁寧な描写力は、丁寧に生きるこの詠いっぷりは、自己や周辺の世界をよく視ている。よく聴いている。よく心に感受している。

 それは、とても素晴らしい感性の弦で俳句を詠み込んでいた。


誰も叫ばぬこの夕虹の都かな

ゆつたりとほろぶ紋白蝶のくに


 「誰も叫ばぬ」「ゆつたりとほろぶ」の俳句にこの国を憂う俳人のアンテナが、暗雲の時代を感受している。この句集の中では、出色に見える俳句だが、私をきちんと丁寧に俳句に詠う力量は、社会へも実感を持った素晴らしい俳句を成していた。


秦夕美と名のれば乱れとぶ螢

苺つぶす無音の世界ひろごれり

霜柱十中八九未練なり

花のおく太古の魚を飼ひにけり

白南風に仮面の裏の起伏かな

ままごとのお客は猫と昼の月

今生の光あつめ雛の家


 秦夕美と名乗れるのは、世界でたった一人の秦夕美である。

 気負いなく自己をあるがまま詠う彼女のその乱れ飛ぶ生命の蛍の銀漢よ。

 苺を潰す。苺ジャムでも作るのだろうか。そこには、無音の甘い匂いが漂う世界が広がっている。

 霜柱に心を通わせながら足で踏むと十中八九の未練を身体の芯まで響き渡る。

 花の奥に心の眼を凝らすと太古の魚を飼っているという。

 仮面の裏の起伏を発見する観察眼に脱帽したいが、その仮面が白南風であるという。

 溢れるほどのポエジーの世界がある。

 ままごとのお客様は、只今、通過中の猫と昼の月。

 この秦夕美の生きる世界の光を集めた雛の家にもなにかしら童話のような世界観が立ち現れる。


 ただただ圧倒されたこの俳人の感性の弦を軸に人生を奏でる気概のようなもの。

 私は、俳句観賞するためにも、もっと人生を謳歌したい。

 人生の先輩俳人たちが、のたうち回りながらも人生を謳うことへの嫉妬を拭いきれない。

 しなやかに。

 たくましくも繊細に。

 力強く生きる。

 俳句の奥域を広げて、深めて、真実を捉えていく。

 私は、そんな俳人たちにこの句集鑑賞でこれからも精一杯のエールを贈りたい。

 この同時代に生きて俳句を切磋琢磨していく同志たちの精一杯のエールを私も確かに受け取っている。

 この俳人の情念を突き抜けた先にある世界観を改めて詠み込みながら、心よりご冥福をお祈りいたします。

 『秦夕美句集』から共鳴句をいただききます。


貝がらをあやすのつぺらぼうの母

残照の鰭もつ子宮(こつぼ)泳ぎけり

念々ころり寝棺・猫又・願ひ文

とろり疲れてやさしい闇に吊柿

七草にまじへ啜るは何の魂

回想の雨のぶらんこ揺れはじむ

月浴びてゐる「わたくし」といふ魔物

雁風呂やわが情欲のさざなみも

乱鶯や乳首の尖がりゆく思ひ

花ざくろ老いても陰のほのあかり

何処へと問ひ問はれゐる鳳仙花

そして誰もゐない夕日の芒原

沈黙も寒のきはみの紫紺かな

椿一輪おく胎内のがらんだう

朝の鵙もうここいらで転ばうか

海市あり別れて匂ふ男あり

王子の狐火ゆうらりと昭和果つ

(たの)むものなし月光の針を呑む

画鋲挿す癌病棟の夏の壁

理由なき反抗獅子座流星群

梧鼠(むささび)がとぶ霊域の大月夜

後の世は知らず思はずねこじやらし

やさしさはずるさに似たり雲の峰

暇なのでひまはり奈落へと運ぶ

花嵐お手々つないで鬼がくる

2024年11月29日金曜日

第237号

             次回更新 12/13



小特集:秦夕美追悼
秦夕美ノート・余滴 佐藤りえ 》読む
豈67号 秦夕美特集目次+秦夕美著作一覧 》読む

まほろば帯解俳談抄――筑紫磐井・大井恒行を囲んで
①》読む
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現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 5 筑紫磐井 》読む

澤田和弥句文集特集
はじめに 澤田和弥句文集について 津久井紀代 》読む
はじめに 凡例 筑紫磐井 》読む
第1編① 現在という二十世紀 》読む
第1編② 肯うこと―西村麒麟第一句集『鶉』読後評―【西村麒麟『鶉』を読む5】 》読む
第1編③ 無題 》読む
第2編 美酒讃歌 ①麦酒讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ②続・麦酒讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ③焼酎讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ④熱燗讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ⑤続・熱燗讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ⑥冷酒讃歌 》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和六年夏興帖
第一(10/11)小野裕三・曾根毅・大井恒行・仙田洋子・辻村麻乃
第二(10/18)神谷波・瀬戸優理子・岸本尚毅・鷲津誠二・坂間恒子
第三(10/25)ふけとしこ・仲寒蟬・豊里友行
第四(11/1)木村オサム・中西夕紀

令和六年秋興帖
第一(10/25)曾根毅・大井恒行・仙田洋子
第二(11/1)辻村麻乃・神谷波・瀬戸優理子
第三(11/15)岸本尚毅・坂間恒子・ふけとしこ・仲寒蟬

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■ 第49回皐月句会(5月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第19号 発行※NEW!

■連載

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり19 堀田季何『人類の午後』 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(52) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan](50) 小野裕三 》読む

【抜粋】〈俳句四季9月号〉俳壇観測260 鷹羽狩行の晩年——『十九路』『二十山』を読む

筑紫磐井 》読む

【加藤知子句集『情死一擲』を読みたい】② 『情死一擲』の幻視的リアリズム  櫻井天上火 》読む

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】 3 現代川柳に通じる三句 佐藤文香 》読む

【連載】大井恒行『水月伝』評(2) 田中信克 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 7.梅若忌 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
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前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

まほろば帯解俳談抄――筑紫磐井・大井恒行を囲んで①

➀まほろば帯解俳談抄 ― 筑紫磐井さんを囲んで ―     堺谷真人(豈)

 浮世絵師・歌川国芳に「相馬の古内裏」という作品がある。山東京伝の読本「善知安方忠義伝(うとうやすかたちゅうぎでん)」の一場面を描いたもので、夜陰を背景にした巨大な骸骨が御簾を破って内側を覗き込む構図がおどろおどろしい。平将門が下総国に築いた内裏の廃墟を巣窟に、妖術を授かった将門の娘・瀧夜叉姫とその弟・相馬太郎良門が謀叛を企て、これを阻止しようとする大宅太郎光圀と対決するシーンだ。

◆   ◆   ◆

 さて、奈良市南郊の帯解の里、窪之庄町には水輪書屋(すいりんしょおく)という古民家がある。敷地面積約400坪、築250年と推定される豪農の旧宅だが、屋根が朽ち落ちて床の間から空が丸見えになるくらい荒廃していたのを、歌人・北夙川不可止さんが修復し、アートの殿堂としてみごとに蘇らせた。

 2024年11月17日(日)、その水輪書屋に集まったのは、俳人・筑紫磐井さんを囲む会の面々。磐井さんが発行人を務める「豈」の同人をはじめ、「藍」「麒麟」「群青」「翔臨」「草樹」「楽園」などの俳人、「晴」「ゆに」で活躍する川柳作家に加え、歌誌「玲瓏」「短歌21世紀」所属の北夙川さんが座敷の車座に列なった。

 磐井さんによる話題提供の劈頭は、彼の近著『戦後俳句史nouveau1945-2023三協会統合論』(ウェップ)に因んで、現代俳句協会、俳人協会、日本伝統俳句協会の統合の可能性に関するもの。詳細は省略するが、1961年12月に始まった俳人団体の分裂・分派が、有季・無季、定型・自由律など相異なる俳句観を有する俳人たちの相互批評空間を狭め、結果として「俳壇無風」とも言われる大いなる停滞の時代を招いたのではないかとの考察には共感する所があった。

 一方、国語教科書に無季俳句を載せないよう出版社に要望書を出す、「無季は俳句のようなもの」と幹部が発言するなど、俳人協会は時おり排斥的、攻撃的な面を見せるとのこと。何故だろうか。少し残念な気がする。

 かつては金子兜太と能村登四郎、飯田龍太と鈴木六林男がそれぞれ現代俳句協会賞を同時受賞するなど、現代俳句協会は多様な俳句・俳人を包摂していた。所謂historical ifになるけれど、もし協会分裂なかりせば、飴山實と赤尾兜子が同時受賞した可能性だってあったと磐井さんはいう。いま改めて三協会「統合」と聞くと事々しい感じがするが、要は時計の針を「63年前にもどすだけ」だと。妙に納得してしまった。それにしても、統合後の団体名は「俳句統一協会」になるのであろうか。

 ついで話題は俳句のユネスコ無形文化遺産登録へ。無形文化遺産として認められるためには、「俳句とは何か」という定義が必要になる。現在、「プレバト」の夏井いつきさん等の影響もあってか、「俳句は有季定型でなければならない」との風潮が世の中では一般的である。そんな中、仮にユネスコが「俳句とは五七五定型と季語を有する自然詩である」と定義づければ、無季俳句や自由律俳句が不当に排除されるのではないか、との懸念を有する人々もいるのだ。「豈」編集顧問の大井恒行さんもその一人。昨今、ユネスコ無形文化遺産登録に反対する大井さんへの風当たりが強まっているが、登録を推進する団体の幹部諸氏は多様な意見に耳を傾けつつ、この問題に対して丁寧に説明を重ねる義務があるのではないだろうか。

 そして「囲む会」は中盤へ。

 俳句の国際化に関する磐井さんの見解を伺ったところ、俳句とは第一義的には日本語による詩歌作品であり、言語も韻律も異なる海外のハイク、haikuとは合致しないとの基本認識であった。勿論、日本語で俳句を書く人々が外国語ハイクからインスピレーションを得てそれが作品に影響を与えることはあるかもしれないとのこと。

 これに対して、英語ハイクから俳句の世界に入ったというMHさんからは、俳句とハイクはたしかに全然違うものだが、それでも翻訳には挑戦しつづけたい、との発言があり、更にこれを受けてドイツ文学研究者のMNさんからは、翻訳そのものの可能性、不可能性に関する議論や言語の起源に関する学説を紹介して頂くなど、活発な意見交換がなされた。

 休憩を挟んでの後半戦は、磐井さんが練達の書き手、評論家であることから、話題は評論の書き方へ。最近「豈」に入会したMKさんからテーマの探し方、資料の引用の仕方、タイトルの付け方といった実践的な質問があり、それに対する磐井さんの回答はおおよそ以下の如くであった。

 テーマの選択に当たっては、まず第一に自分自身の関心のないことは書かない、というのが原則。ただ、編集者の共感と熱量によって書き手が自らのテーマを深掘りしたり拡張したりということも実際にはある。引用については必ず原典=一次資料に当たること。著名な書き手の評論にも孫引き、ひ孫引きをしているために事実誤認が多数見られることがある。ファクト・チェックが大切。本のタイトルは、その時代の空気、流行、事件などさまざまなことを考慮してつけている。出版社は売れるキャッチーなタイトルを常に考えているので相談すると良いかもしれない、云々。

 原典=一次資料という話で一点補足しておくと、「囲む会」には神戸大学山口誓子記念館のYKさんも参加していた。前衛俳句をめぐる山口誓子と堀葦男との応酬の経緯に関して、さる高名な評論家の著書に誤った時系列の記述があることを、かつて朝日新聞の記事データベースに拠って実証的に指摘してくれたのは他ならぬYKさんである。

 続いて議論は再び俳句史へ。

 戦後俳句を考えるとき山口誓子の「天狼」の果たした役目は大きかったにも拘らず、磐井さんも川名大氏もそこにあまり触れていないのは何故か、とSKさんが質問。これに対し、磐井さんからは次のようなコメントがあった。西東三鬼を指導者とする「天狼系前衛俳誌-雷光」が「天狼」とほぼ同時期に創刊され、その後、会員たちによる三鬼の排斥を経て「夜盗派」「縄」などに作家が流れた。根源俳句について誓子自身が明言していないこともあり、新興俳句以降の俳句史に「天狼」を位置づけるのはなかなか困難な仕事である、云々。

 終盤、「俳壇無風」といわれると些か忸怩たるものがあると切り出したIKさんからは、三協会統合シンパとしてこれから何をやればよいですか、という率直な質問が飛ぶなど、約2時間に及んだ議論は自由かつオープンそのもの。かくて今回の「囲む会」は俳句の過去・現在・未来を縦横に語りつつ大団円を迎えることとなった。

 奈良、帯解を舞台にした「囲む会」には遠近各地から20名が集まり、すこぶる盛況を呈した。磐井さんはじめ、ご参集の各位にはこの場をお借りして深甚なる謝意を表したい。

 自由闊達な発言を担保する意味で、録画・録音などの形で記録を残すことは一切しなかったが、終了後、開催報告の需めが磐井さんからあった。利き手の指を骨折している状態で残した不完全なメモをもとにこの文章を書いたので、聞き違い、勘違いの類いはひらにご容赦を乞う。なお、SNS等で「囲む会」に触れる際には、発言者の人名をイニシャル表記にするよう参加者にお願いしたため、本稿の記載もそれに従っている。

◆   ◆   ◆

 「囲む会」の主役である筑紫磐井さんの俳号は外国勢力と結んで大和朝廷に叛いた筑紫国造・磐井(いわい)から取られている。将門が東の新皇ならば、磐井は西の乱魁。将門の遺児たちが相馬の古内裏ならば、磐井(ばんせい)の見物たちは帯解の化けもの屋敷。さてさて、吉と出るか凶と出るかはわからぬが、時は旧暦神無月、八百万の神さまのいまさぬその隙に、帯解き放って俳壇の洗濯談義、無事満尾に至ることかくの如し。




まほろば帯解俳談抄――筑紫磐井・大井恒行を囲んで②

 ➁まほろば帯解俳談抄拾遺         堀本吟(豈)

其の一

 ことの発端は、奈良市で開催された現代俳句協会全国大会に、副会長として出席された筑紫磐井さんが、その帰りに、生駒に立ちよって堀本さんをお見舞いにゆきたい、という申し出からはじまった。磐井さんは、このじゃじゃ馬の私が、ついに老いて気も弱くなり衰えゆくことを、心配してくれたのである。緑内障がもとでヒダリ目がつぶれたとか、顔面麻痺のPicassoばりのキュビズムの顔つきでムンクのように瘦せこけた頬を抑えて嘆いているとか、おまけに膝が弱って歩けなくなり、と大騒ぎするものだから、大丈夫かいな、と心配してくださった。そして、生駒は奈良市よりずっと遠い辺鄙な山奥なのだと、彼が思い込んでいる節もあった。

 確かに、私は、八十歳を超えてから、だんだんいろんなことができなくなって、実行力も頭のまわり方も、文章の速度も落ちてきた。増えたのは、物忘れと入力ミス、間違いクリック。これ以上、世界が見えないような生活になったらどうしよう、と不安が嵩じ、いくぶん鬱的になっていた。が、日常の起き伏しは、まだどうにかできる。だから余計に、この「誤解」がうれしかった。

 私は、とたんに元気が戻ってきた。まだ、できる・・・。

 そして、何を考えたか、というと・・・。

 せっかくのチャンス、家族だけで会うのもいいが、もう少しおもてなしの範囲をひろげて、まことに大胆な俳人であり犀利な論客であるこの人を、私の友人たちに直接に会わせておきたい。私が死んだ後も、この関西の地に、磐井さんを親しく見知ってくれる人を拡げておこう、という願望を持った。そして最近、読書会でよく出会っている堺谷真人さんに相談して今回の企画となったのである。同じく、現代俳句協会の大会に参加した大井恒行さんが途中からフォローに入ってきてくれた。大井さんは最新句集『水月伝』(ふらんす堂)を出された。これは現代俳句に生きる無季俳句の佳品が多く見られる。

 ものごとなべて個人的な動機や些細なきっかけから生まれる。何気ない気づかいが人を力づけつないでくれる。蛸壺状に散在している人間関係をほぐす。草の根っ子で出番を待っている発展途上の人のモチベーションを目覚めさせることもできるかも知れない。今回は、そのきっかけとして、「彼―筑紫磐井」の問題意識を十全に引き出そう、という試みである。それをばねに、私も今の自分の退嬰性から向きを変えたかった。

 そして、私は、この「初心」を記念して、今回の集まりのタイトルを「筑紫磐井さんを囲む会」と名付けてもらうことにした。

 それからの次第は、堺谷さんが書いている通りである。これも、堺谷スタイルというべきか、古典的意匠を凝らした文章運び。言葉の本質にかかわるむずかしい話題も出てきた2時間を、わかりやすく軽妙な報告文にまとめてくれている。かつての「黄金海岸」や初期の「豈」に残されている俳諧無頼の雰囲気がどこかよみがえっている。また、前世紀末のニューウエーブのミニ同人誌のシンポジウムの集まりには、解放感とともに知の深みへ誘う、このような祝祭空間が生じていたかと思う。こういう会では、とかく話題は広がりすぎるものだが、堺谷さんのメリハリの利いたまとめや誘導なくしてはなり立たなかった。進行の質問が要を得ていたし、参加者へ返してゆく振りわけ方もよかった。そして、全体に、質の高い応答になっていた。それぞれが記憶の中でこれを消化してくだされば、今後の思考のヒントになるはず。

其の二

 オフレコの放談会、と言うものの、質問に答える磐井さん、大井さんは、俳壇事情を語っているように見えて、日本語で成り立っている短詩「俳句」の命運を押さえながらの放談だった。

 クライマックスは最後に生じた。SKさんが、「天狼」の支柱である「根源俳句」について質問し、さらに、磐井さんがそれに答えて、「天狼系」の同人誌「雷光」と結びつけて話題を拡げた一幕である。(「雷光」は西東三鬼指導から出発したが、のちに「天狼系前衛俳誌」と表題を変えて、その指導を排除した)。さすが、関西俳壇の動きを見つめ続けてきたSKさんだ。彼は、川名大も筑紫磐井もそこにあまり触れていない、と指摘した。

 皆さん気が付かれただろうか? じつは、これこそ関西の地でなければ出てこなかった話である。「三協会統合」を唱える筑紫磐井来たりて、かたや、川名大の『昭和俳句史』(角川書店)の論点がそろそろ検証されよう、という現在の俳句史の転機のタイミングをとらえたもの。「豈」に腰を据えた東西の論客二人の対峙であった。(「天狼」内部の根源俳句論争が、当時の社会性俳句や前衛俳句とのかかわりで総合的に見られてこなかったのではないだろうか?)私は俄然興味がわいてきた。

 磐井さんのコメントは、私たち在関西の「豈」同人たちが中心になり、編集制作した「‐俳句空間‐豈」特別号関西篇39-2(2004年)《関西前衛俳句》特集の「雷光」に関する記事を参考にしている。橋本直と堀本吟が「雷光」3号や、8号、13号を取り上げている。この号で、私たちは、この時期の関西で、社会性俳句や前衛俳句につながるテーマがいまだ整理されていないことを、ほんの端緒であるとしても、提示している。

 同人誌「雷光」は、「天狼系雷光俳句会会報」として、「天狼」創刊とほとんど同時、昭和23年に創刊。8号は表紙に「天狼系前衛俳誌-雷光」と表紙の肩書を変えて、「雷光改組の言葉」を宣言している。関西俳壇で「前衛」という名づけが出てきたのは、これが初めて、しかも「天狼系」と銘打っている。

 原資料には当たっていないのだが、「雷光」は終刊のころには、「前衛」の名をおろしていたように覚えている。そして、「天狼」を離れて「梟」(「夜盗派」と改題)、やがて島津亮、井沢唯夫、東川紀志男、立岩利夫の作家たちは、「縄」へ、さらに「夜盗派」(第二次)と新しい前衛俳誌を刊行した。鈴木六林男や杉本雷蔵は「頂点」を創刊、というように、それぞれの作家の信条に沿って、いくつかの小同人誌ができた。この辺はごちゃごちゃしていて私にもよくわからない。私たちがこれを取り上げた2004年段階では、一次資料の不足していたこともあり、このことに気が付かなかった。

 磐井さん、SKさん二人のやり取りを聞きながら、いまさらながらはっとしたことである。これは、磐井さんの話がきっかけとなり、この会が、関西俳壇に投げた大きなテーマとなろう。

 こちらの前衛俳句の動きは、実はまだ、関西でも、関東中心の戦後俳句史(とりわけ前衛俳句)にも、十分には整理されていないのである。これは、ぼけてなんかいられない。まだものが見えるうちに、なんとかしなきゃ、と思ったのである。

 「はい、もう買っちゃったから」と、いって、磐井さんからいただいた「お見舞い」は、かように挑発の味が焼き込まれたシュトーレンだったのである。そして、同志的友情と言うべき甘みも共に味わったのである。

 おかげさまで、私には、再び、元気がよみがえった。

 そういう顛末で終わったこの邂逅。磐井さん、SKさんお二人にはもちろんだが、この日に関わってくださった方たち全員にこころから「ありがとう」、を言いたい。(了)

まほろば帯解俳談抄――筑紫磐井・大井恒行を囲んで③

③まほろば帯解俳談抄(語られた本人が語る)  筑紫磐井(豈)

 現代俳句協会の仕事で奈良に行くことになったから併せて堀本さんの見舞いに行きたいと電話してみた。豈は忘年会を毎年やっていたがこれに毎回律儀に参加してくれていたのが堀本さんだった。ところがコロナの為2020年以降忘年会を開催できなくなり、再開した時には今度は自身の体調の不調で参加できなくなった。よく会っていた人が久しく会えなくなったので、ぜひ会いたいと思ったのだ。

 ところが堀本さんは意外に元気であった。生駒まで来るのは大変でしょう、名所と言うと山の上のお寺(宝山寺。階段1000段)があるけれど登れる?私はとても登れないから一人で登る? 奈良なら行けるし、堺谷さんを呼ぶから、という話からどんどん広がり、帯解(おびとけ)窪之庄町に歌人・北夙川不可止(きたしゅくがわふかし)さんが改築された古民家があり水輪書屋(すいりんしょおく)となづけた歌会、句会や講演会などのイベントを開ける場所があるから、豈の関西同人や知り合いに声をかけてみようという話にどんどん、発展し、「筑紫磐井を囲む会」にまで広げてくれたのだ。豈同人に限らず、歌人や川柳作家、研究者、伝統俳人、前衛俳人と、属性を定義しきれない人々となるらしかった。

 段取りや司会は堺谷さんが緻密にやってくれたが、最初のテーマは3協会統合論とユネスコ登録問題であった。こんなマニアックなテーマに果たして付き合ってくれるかと思ったが、協会幹部以外発言の場がない俳人にとって、協会批判や幹部の動静はそれなりに面白がってもらえた。或いは、協会分裂する前の、金子兜太や沢木欣一、原子公平たちの酒を飲みながらの「放談」とはこうしたものなのかなと思った。そうした話が消えてしまったのが、この60年だったのかもしれない。

 特にユネスコ登録問題は大井さんと私が対立しているように見えたらしくて、豈同人同士がどうなっているのか、と堀本さんが心配してくれて、大井さんにも電話したらしい。両者そろっての西下の機会である。そろっての参加は勿論叶った。大井さんのユネスコ登録に対する見解は、「俳壇」11月号の「俳句時評」に載っているが、私の見解は「俳句四季」1月号に載る予定だ。大井さんと私の主張は問題の表と裏を語っているもので根本的に対立しているものではないと思う。堀本吟の感想は「俳句界撹乱戦術」だそうだ。言い得て妙である。

 その後は、2つの問題の周辺に及び、俳句とHAIKUの違い、関西における関心事項としての「天狼」の位置づけなどであるが、私が印象的だったのは豈39-2号で、今回集まった人たちも参加した関西俳人を中心にした関西前衛派研究であった[注]。これは私の『戦後俳句史』の考察の元にもなっている。10月に高野ムツオ会長と星野高士副会長で行った現代俳句講座で、司会を行った私は、金子兜太、鈴木六林男、佐藤鬼房の個別の研究は行われているが、戦後の3人のクロスオーバーした部分の研究はこれからしてもよいのではないかと提案したところ高野会長はいたく感心してくれた。戦後俳句のテーマとしてこうした研究がやられてもよいだろうと感じている。戦後俳句史の欠落部分をこうして埋めてゆくことが大事なのである。

    *

 その後席を移して近鉄奈良の近傍の「櫃屋」で食事しながら、昼の話題を中心にして放談のさらに放談が続けられた。話が行ったり来たりする中で、正論、暴論、激論、無茶苦茶論が行き来するのも新しい時代のためには必要なことだ。私個人に関して言えば、歌人・北夙川不可止と向かい合って聞いた巨大な結社「アララギ」がなぜつぶれたのかという話は興味深かった。短歌に比べて俳句が絶望的なわけでもないようだ。いや、皮肉を込めて言えばどのジャンルも絶望的なのかもしれない。

 ということで、実り多いというか、「放談」の本意が如実に示された会であった。「俳句」や「季語」の本意より、「放談」の本意の方が、協会の中で閉塞している現代俳句にとって重要なのではないかと思われた。私としては、昭和31年に金子兜太と「夜盗派」「十七音詩」「坂」で発足した新俳句懇話会が後から考えると前衛の先駆けとなったと言われるように、50年後にこの会が俳句3協会統合の決起集会であったと回顧されるかもしれないと期待している。

 本会の開催を努力していただいた、堀本さん、堺谷さん、その他ご参加いただいた各位に感謝申し上げる。


[注]「豈」の年間刊行回数が減り始めたとき、関西でも編集を担当してもらえないかと堀本さんに打診した。この成果が「豈」39-2(特別号関西篇。2004年12月15日刊)である。なぜ、枝番がついているかというと、編集途中で編集委員(小池正博、樋口由紀子、堺谷真人、岡村知昭、故大橋愛由等、堀本吟。今回大半の方が集まって頂いていた)から報告を受けているうちにとても1年では出ず、後の号が追い越してしまうのではないかと危惧されたからである。評論特集は順番があまり関係ないが、俳句作品は順番が前後すると都合が悪いので枝番にしたのだ。この時堀本さんからなぜ枝番になるのかクレームを受けたのである。しかし、たっぷり時間をかけた編集は大成功であった。

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(52)  ふけとしこ

  合はす

歩く歩く両肌脱ぎの蓑虫が

鈴虫の骸に髭の真白なる

みちのくの菊と都の酢を合はす

ぐりのクッキーぐらのクッキーほら紅葉

霜光る誰かの大き靴跡に

・・・

 〈橘始黄〉たちばなはじめてきばむ

 小雪の三候、七十二候にこういう。

 橘ではないが枳殻のまん丸い実も熟れている。生垣の下にころころと落ちている。一つ拾ってみた。柔らかい産毛が掌に気持いい。この実には種が多かったと記憶していたので、半分に切ってみた。直径2.3cm。種を数えると24個。まさに種だらけ、種密度が高い。

  からたちの花が咲いたよ

  白い白い花が咲いたよ

と始まる北原白秋の詩「からたちの花」には

  からたちも秋はみのるよ

  まろいまろい金のたまだよ

と実を詠った一節もある。鋭い棘も詠っているが、さすがに種のことまでは言っていない。

 カラタチはミカン科ミカン属の常緑低木。3㎝にもなる太くしっかりした棘が目立つ。この棘が賊や獣の侵入除けになるとのことで、畑や住宅の生垣に使われていたが、今ではあまり見かけなくなった。

 いつだったか、小学校の生垣にされているのを旅先で見かけたことがあった。手入れが大変だろうし、児童達が怪我をすることもあるかも知れないな、と思ったりもした。

 でも、初夏に白い花が咲き、秋に実が熟れる生垣というのは何とも素敵なものである。

 香りはいいが、酸味と苦味が強すぎて食用にされることはまずない。これは橘も同様だろう。

 『合本 角川俳句歳時記・第五版』の巻末付録に〈二十四節気七十二候〉があるが、これには「橘が黄葉し始める」と書かれている。橘は常緑樹で、それ故に古来尊ばれてきたわけでもあるから、黄葉はしないはず。偶々見つけただけなのだけれど、気になる。

 他に2、3の歳時記を当たってみたがどれも「橘の実」となっている。校正の際の見落としだろうが、こういうことも起こり得るのだ。初校、再校、再々校と綿密なチェックが入ったことだろうに。

 三浦しおん作『船を編む』の辞書作りの顛末、てんやわんやをを思い出した。

 (2024・11)

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり19『人類の午後』を読む 豊里友行

  『人類の午後』(堀田季何著、2021年刊、邑書林)を再読してみた。

 堀田季何は、しなやかな言葉とごっつい語感、たおやかな思想が、きらきらと希望の光を紡ぎ出す。

 私たちは今、何処にいるのだろう。

 この句集を読んでいると私は、そんな感覚に誘なわれて世界への視野を拡げてもらう。

 堀田季何の歩んだ道と想像力の翼が拾いあげる言葉たち。

 その言葉の実感と真実に寄り添おうとする作者の姿勢がある。

 私は、同時代に違う場所・沖縄からその魂の共振に震えた。

陽炎の中にて幼女漏らしゐる

 陽炎(かげろう)とは、局所的に密度の異なる大気が混ざり合うことで光が屈折し、起こる現象のこと。

 道路のアスファルトの上で揺れながら踊るように風景が歪む。

 物理的には、陽炎は追いかけても追いつけない自然現象。

 その陽炎の中にて幼女がお漏らしをする。

 この視座のやるせなくも遠く遠くに佇む世界への堀田季何の眼差しにふっと気づかされる。

 他の句には、「塀一面彈痕血痕灼けてをり」「ひとりでに地雷爆ぜたる夜の秋」「ぐちよぐちよにふつとぶからだこぞことし」「自爆せし直前仔猫撫でてゐし」など世界の何処かにある戦地や紛争地など命がけで取材している戦場カメラマンさながらの肉迫振りの俳句世界も登場する。

 そんなかつての前衛や社会詠の俳人、顔負けの俳句もあれば、これらの俳句を詠みながらも俳句定型と融合していく堀田季何のしなやかさが、句集では多くの俳句試行が効果的に成果を上げている。

息白く唄ふガス室までの距離

戰爭と戰爭の閒の朧かな

鳥渡るなり戰場のあかるさへ

 堀田季何俳句は、今と歴史軸とを重奏的な俳句の弦で振るわせている。

私たちは広島・長崎・福島・沖縄などの悲劇を含めた世界の戦争や核の歴史を視て、どういった人々が犠牲になるのかを想像しなければならない。

 その戦争や核の時代の歴史の視座を堀田季何もどっぷりとのた打ち回るように作句の格闘をし続ける。

 そして立ち尽くすように世界の絶望を視座に据えている。

 「息白く唄ふ」の句は、端的な史実の描写による歴史描写があり、歴史小説をしのぐほどリアリティーを過去の歴史から現在の「今」に引っ張り込むことに成功した俳句だ。

 私は、ある沖縄戦体験者にどのように戦争に巻き込まれたかを質問したことがある。

その答えは、知らず知らずに巻き込まれていたから分からないという言葉だった。

 堀田季何俳句で戦争を題材にした「戰爭と戰爭の閒の朧かな」は、三橋敏雄の「戰爭と疊の上の團扇かな」を髣髴とさせる名句だ。

 「鳥渡る」の句も戦場の戦火の明るさへ飛んでいく渡り鳥の命を見る視座は、眼から鱗が落ちるようだ。

 たとえば爆弾の被弾は手に触れてしまえば、皮や肉を削ぎ、骨を砕く。

 この俳人の“怖れ”の距離感は、とても大切な実感を海外詠の中で身につけてきたのだろう。

 堀田季何の傍観でなく本質を見抜いて俳句に込める批評性には、痛みの共振がある。

 沖縄でいう「ちむぐりさ」というか。心の痛みの共振にも似ている。

 これは、痛みを感じ取る感受性とでも言える。

 いつかの前衛や社会詠では詠めなかった俳句がいくつもある。

それらいつかの先駆者たちは、戦争の時代に吞み込まれながらその時代に生きる上で生じる傷が創造の翼を剥ぎ取り、心の傷を背負いながらも戦争体験者が辿り着けなかった場所があった。

 その歴史の暗黒地帯へ、果敢にナイフで切り拓くように希望の光を射し込みながら未だ足を踏み入れたことのない俳句世界へ堀田季何は、踏み込み始めているのだ。

 その堀田季何の描写性の卓越したリアリティーも挙げておきたい。

鍬形蟲我武者羅足搔ピン刺せば

こどもの日ガラスケースに竝ぶ肉

冒頭に戾る音盤盆踊

 鍬形蟲を標本にするためピンを刺すのだが、かの生命は我武者羅に足掻きをする。

その生命の我武者羅さがやけにリアルに脳裏にこびり付いてしまう。

 「こどもの日」の何処かの町の肉屋のガラスケースに並ぶ肉塊にふっと思う。

 現代社会の子どもたちは、この肉がかつて心音を躍動させて生きていた形を想像するにおよぶのだろうか。

 まるで盆踊りの音盤が冒頭に戻る。そのエンドレスに社会の深層を深く思考することもなく機械仕掛けのオルゴールの玩具のように私たちは、この現代社会を踊り続けているのかもしれない。そんな現代社会への疑念が垣間見れる。

今生の父のかはりの櫻です

草摘むや線量計を見せ合つて

銃聲と思ふまで龜鳴きにけり

歴史書に前世の名前靑葡萄

夜濯のメイドしづかに脱がしあふ

 堀田季何の俳句創造は、現代の語感で過去から今、縦横無尽に駆け巡る。

 「今生の父のかはりの櫻です」「草摘むや線量計を見せ合つて」と後書きを読み合わせてみる。

 「堀田家の殆どが廣島の原爆に殺されてゐる」とある。

 堀田季何、自身が幼少期から長い間を国際的な環境で過ごされたとも複眼的な視座を獲得させる要因だったのかもしれない。

 また核の世の批評眼が光る句が随所に見受けられた。

 このように人類の午後に立ち現れる核の世の深層は、父の替わりを櫻とせざるをえない原爆の不条理であったのだろう。

 核の世の此処で線量計を見せ合いながら今の現状を確かめ合う。

 それら季語の「草摘む」を効果的に活かしながら詠んでいる。

 歴史書に見つけた。私の前世の名前。それは、青葡萄というポエジー。

 夜濯ぎの洗濯機の回転音のみ残してメイドは夜の快楽に呑み込まれていく。


 私たちは今、何処にいるのだろう。

 地球儀を回すように過去・現在・未来を俳句で縦横無尽に駆け巡る堀田季何俳句を読みながらふっとそんな漂流感を私は、いつしか覚えてしまう。

野に遊ぶみんな仲良く同じ顔

アーリントン國立墓地を穴惑

惑星の夏カスピ海ヨーグルト

冰水ここがカルデラここが森

ヨーグルトに蠅溺死する未來都市

 野遊びのみんなが、同じ顔になっちゃう。

 そんな現代批評が光る。

 アーリントン國立墓地の死と穴惑いの生命の危機の揺らぎが対照的で絶妙な世界観を醸し出す。

 変貌する地球において堀田季何の季語の活かし方が絶品だ。

 「カスピ海」や「カルデラ」の俳句に見られる海外詠の巧みさは、決して旅行的な目線ではなく海外在住の経験にもよる独特な複眼の視座を内包している。

 日常的に食べられるヨーグルトに蠅が溺死する。

 其処に未來都市を暗示させる俳人の詠いっぷりに何処まで付いて行けるのか心許ない。

 少なくとも私自身もまた地球の至る所へ想いを馳せて俳句を詠わねばならないのかもしれない。

 そんな気持ちにさせてくれる素晴らしい句集だ。

【小特集:秦夕美追悼】豈67号 秦夕美特集目次+著作一覧

豈67号 特集Ⅱ・秦夕美追悼

秦先生の思い出  寺田敬子
雲をのむ  依光陽子
禁忌の共同――「巫朱華」そして「胎夢」  宮入 聖
孤高の俳人――秦夕美の素顔――  田中葉月
秦夕美さんの想い出――断片的に  藤原龍一郎
秦 夕美さんの想い出  遠山陽子
秦夕美ノート 私そのものである言葉  佐藤りえ
秦 夕美 年譜

秦夕美著作一覧

【句集】

『仮面』(鷹俳句会叢書)昭和43年9月1日発行
 ※序文・藤田湘子
『泥眼』(端渓社)昭和52年3月20日発行
 ※四ツ目綴じ丸帙装・限定150部
『勅使道』(俳句研究社)昭和56年3月15日発行
『万媚』(書肆季節社)昭和59年3月25日発行
 ※同書名の歌集との二冊組 栞・馬場あき子
『孤獨浄土』(書肆季節社)昭和60年7月発行
『恋獄の木』(冬青社)昭和60年12月25日発行
『歌舞と蝶:都苦泉百銘柄』(冬青社)昭和62年4月20日発行
 ※一部上場株の銘柄を詠み込んだ百句所収。附録:初出銘柄一覧
『夢帰蝶駅』(冬青社)平成元年4月20日発行
『失光遊世』(邑書林)平成3年9月30日発行
 ※栞:倉橋羊村・藤原龍一郎
『銀荒宮』(邑書林)平成5年5月25日発行
 ※九州各所の吟行句を収録
『逃世鬼』(邑書林)平成6年2月7日発行
 ※千字文を句頭に据えた千句を収録。
『夢香志』(邑書林)平成8年11月1日発行
 ※年初に逝去した夫への追悼句集。
『夢としりせば』(富士見書房)平成13年7月29日発行
 ※日本百名山・魚を詠み込んだ「色は匂へど水の中」など
『孤舟』(文学の森)平成17年7月29日発行
 ※タイトルは柳宗元の五言絶句「江雪」より。
『深井』(ふらんす堂)平成22年11月25日発行
 ※タイトルは能に用いる面の名。章題は謡曲の演目。「初雪」「花筐」「杜若」「雨月」
『五情』(ふらんす堂)平成27年2月14日発行
『さよならさんかく』(ふらんす堂)令和2年9月1日発行
 ※横綴じ五句組み。「あさ」「ひる」「ゆふ」「よは」四章からなる。
『金の輪』(令和俳句叢書/ふらんす堂)令和4年1月15日発行
『雲』(ふらんす堂)令和5年1月15日発行

【句文集】

『妖虚句集』(冬青社)昭和61年4月25日発行
 ※女体能の謡曲を主題とする句文集。
『妣翠』(冬青社)昭和62年3月20日発行
 ※17の絵画をめぐるエッセイ+俳句
『十二花句 紫の巻』(冬青社)昭和62年9月発行
『十二花句 黄の巻』(冬青社)昭和62年12月25日発行
『十二花句 白の巻』(冬青社)昭和63年6月20日発行
『十二花句 緋の巻』(冬青社)昭和64年2月20日発行 ※表記ママ
 ※色別の花をテーマとした句文集
『夢騒』(邑書林)平成4年6月1日
 ※月ごとの自伝的エッセイ+俳句

【共著他】

『巫朱華』(冬青社)※藤原月彦との二人誌
 Vol1No1 忘れ雪の巻 昭和五九年四月一日発行
 Vol1No2 幻月の巻 昭和五九年八月一日発行
 Vol1No3 秘す花の巻 昭和五九年十二月一日発行
 Vol2No1 雪眩の巻 昭和六十年四月一日発行
 Vol2No2 月淋の巻 昭和六十年十月一日発行
 Vol2No3 花檻の巻 昭和六十年十二月二十日発行
 Vol3No1 妖雪の巻 昭和六十一年十二月二十五日発行
 Vol3No2 狼月の巻 昭和六十二年十月二十五日発行
 Vol3No3 穹花の巻 昭和六十三年三月二十五日発行

『歳華悠悠 昭和二桁生まれ篇 下巻』(東京四季出版)平成12年7月1日発行
 ※近作五〇句・自選代表作三〇〇句掲載。作家論・藤原龍一郎
『火棘 兜子憶へば』(邑書林)平成7年7月29日発行
 ※赤尾兜子の八八句を鑑賞。
『夢の柩 わたしの鷹女』(邑書林)平成11年11月30日発行
 ※三橋鷹女の70 句を鑑賞。津沢マサ子「鷹女のこと」併録
『秦夕美―自解150句選』(北溟社)平成14年9月30日発行
 ※自解150句選シリーズ15。
『季語への散歩』(ふらんす堂)平成17年7月31日発行
 ※GAに連載した季語を題としたエッセイ集。
『赤黄男幻想』(富士見書房)平成19年7月14日発行
 ※個人誌「GA」11号から40号までの連載に書き下ろしを加えた赤黄男作品鑑賞
『現代俳句文庫83 秦夕美句集』(ふらんす堂)平成29年8月26日発行
 ※『仮面』から『五情』までの作品を抄出。
『夕月譜』(藤原月彦との共著・ふらんす堂)令和元年11月11日発行
 ※藤原月彦との詩歌誌「巫朱華」掲載の共同制作作品を収録

【小特集:秦夕美追悼】秦夕美ノート・余滴  佐藤りえ

 先頃完成した「豈」67号の秦夕美追悼特集を担当した。発行人・顧問への相談のなかでまず挙げたのは、全著作の書誌を掲載したいことと、年譜を作成したいこと、この二つが柱だった。
 秦さんは日本女子大学在学中の20歳時(1958年)に俳句を始め、以来60年以上に亘り、ほとんど休むことなく作品を発表し続けた。著作は句集十九冊、句文集を含めると三十冊以上の著書がある。最初の関門は資料全冊を確認することだった。
 国会図書館、俳句文学館に通いかたっぱしから資料を見て回り、さらに豈の先達たちからも多数の資料をお借りして、なんとか全冊を閲覧することができた。国会図書館では現在資料のデジタル化作業が進められていて、作業中の資料は閲覧できないことになっている。そこにしか所蔵のない資料が何冊かあり、三ヶ月ほど作業が終わるのを待たなければならない、という事態に直面したこともあった。

 秦さんの所属誌は「馬酔木」にはじまり、「鷹」「渦」「犀」「豈」と続いた。これら所属誌を通覧するのは大変な作業だったが、その時々の空気を垣間見ることができる、貴重な体験でもあった。秦さんは後年、孤高の作家として北の一つ星みたいな扱いにあったように思うが、結社誌・同人誌からは数多の作家との交流が見てとれた。「鷹」では倉橋羊村、のちの遠山陽子、「渦」では藤原月彦、桑原三郎、柿本多映、和田悟朗らと同時代を生きてきた。85年の「犀」には長編の宇多喜代子論を執筆している。多数の著書を出版した冬青社主でもある宮入聖氏とは上京の折々に語り合ったというエピソードなども、今回「豈」の藤原龍一郎氏の文章で語られている。
 「鷹」では血気盛んな若手として、「渦」では兜子の影響下で自身の作風を模索し、「犀」では創刊同人として、精神的支柱とも呼べる活躍ぶりを示していた。九州俳句作家協会に入会した平成5年以降は当地での句会に参加、賞の選考委員を担当したり、俳句講座を受け持ち、後進の育成にも力を注いでいた。秦さんの「孤高」とは、決してひとり閉じこもり、人との交流を拒む、といったことではなかった。あくまで表現の高みを目指す、つねに新しい目標をたて、それに向かって自分のペースで進むということだったのだろう、と、膨大な足跡を辿りながら、思い至った。

 与謝野晶子の歌集は24冊ある。それを目指す、と公言し、まさに実行に移した句業だった。特に秦さんの作風は書きためた句を年次に沿って纏めるものではない。一冊一冊に新しいアイデアを注ぎ、趣向をこらし作られてきた。その原動力が何だったのか、著作のなかに秦さんの哲学の一端と見える文章を発見した。

ともあれ、人には選べぬことが多すぎる。生まれる時代・国・親・性別。だからこそ、自分の置かれた場所で勢一杯、自分を生きなければならないのだ。自分より優れた人間は数多い。だが、全宇宙にたった一つの存在である自分、その自分を先ず自分自身が愛さなくて誰が愛してくれるというのだろう。友人・家族・私をとりまく人達、私が好きになれるのは世俗の価値に関係なく自分自身を大切に生きようとする人である。(『夢騒』)

 何かを書き発表することは、ともすれば己の肉体そのものを見せることより、よりあらわに自身をさらけだすことになろう。コミュニケーションを続けるには、評価を得るには、作り続け、発表し続けるよりほかにすべはない。大きな賞賛があろうがなかろうが、自身がここに「いる」ことを主張するには、作品という舟を大海に送りだし続けるしかないのだ。誰に依らず、50年以上に亘って書き続けてきた秦さんにそなわった、この強靱な自己肯定が筆者にはとても眩しく見えた。この根幹をこそ、本来我々は自分自身に育てなければならなかったのではないか。
 耽美的な作品を多く残し、審美を貫いた秦さんに、しかし退廃的な気配、どうにでもなってしまえ、といった自棄的なものを感じ取ることはなかった。いかに死を濃厚に感じさせる作品があろうとも、それは自棄を起こして、また、自分を憐れんで書かれたものではなかった。自己の感性を信じて突き進み続けることができたのは、こうした健全な、強固な自己愛をお持ちだったからなんだと、数多の文章が教えてくれた。

 句集、書籍を作るにはもちろん費用がかかる。大枚が必要だ。しかしお金さえあれば、誰かがちゃっちゃと本を作ってくれるのかというと、そんなことはない。秦さんのように強い拘りがある場合は特に――とはいえ、皆本を作る段になれば、己の思いがけない拘りに気づくというものではないだろうか。誰しも出来上がった自分の本に失望したくはないだろう。
 かつて筑紫磐井氏は秦さんは「句集を作るのを生きがいにしている」と言った。まとめあげ、形にするのが楽しいのだと。これはあたりまえのようでいて、そうでもない、秦さんは非常に稀な人種だったのではないか。秦さんとは生前ついにお目にかかる機会を持たなかった。句集という書物を作る楽しみを、直に伺い、話し合ってみたかった。

澤田和弥句文集特集(2-5)第2編美酒讃歌  ⑤続・熱燗讃歌

⑤続・熱燗讃歌   澤田和弥

 熱燗は心身にしみじみと沁みわたる。これは飲んだ者にしかわからない。しかし飲まずとも熱燗を詠むことはできるらしい。

 夫に熱燗ありわれに何ありや  下村梅子

 えっ。何って言われても……。食卓で嬉しそうに熱燗を飲む夫を横目に、といったところか。

 熱燗の夫にも捨てし夢あらむ  西村和子

 熱燗や夫にまだあるこころざし  長谷川翠

 熱燗の旨さを詠むのではなく、夫という「庶民」を熱燗に象徴させている。一句目「夫にも」とある。私にも捨てた夢があり、夫にも。そうして今、二人は夫婦としてここにいる。熱燗に庶民性だけではなく、「狭いながらも楽しいわが家」を象徴させているようにも感じられる。二句目は平々凡々たる庶民と思っていた夫の胸の内に、今も志が輝いていることを知った驚きである。「惚れ直した」とまで言ってしまっては夫の肩を持ちすぎか。世の奥様方、あなたの旦那様はいかに。

  熱燗やこの人優しく頼りなく  川合憲子

 いいじゃありませんか。頼りなくとも。優しくて、お給料をちゃんと家に入れてくれる人であれば。食卓を挟み、夫にお酌をしてあげながら、その顔をじっと見ていて句ができた。そんな妄想をしてしまう。店ではなく、家庭での熱燗。

  熱燗のある一灯に帰りけり  皆川光峰

 この「一灯」は赤提灯ではなく、家庭の灯だろう。同僚の誘いに「ごめん。かあちゃんが燗つけて待ってるから」と、いそいそと帰る生真面目亭主が頭に浮かぶ。主人公を新婚ではなく、結婚して十年以上経つ中年と考えると、なんだか微笑ましい。あたたかな夫婦愛。未婚の私にとっては空想上の話であるが。

 家庭とは夫婦だけではない。子もいる。

  熱燗やあぐらの中に子が一人  加藤耕子

 もう、家庭円満、幸せ絶頂である。ホームドラマの一場面のようだ。絵に描いたような仲良し家族。家庭での熱燗はその味、旨さということよりも、家族の幸せを象徴するものとして描かれるようだ。

  熱燗や恐妻家とは愉快なり  高田風人子

 「愉快なり」と言い切られてしまっては「はあ、そうですか」としか言いようがない。一緒に飲んでいる人が恐妻家なのではなく、自身のことだろう。恐妻家というと古代ギリシアの哲人ソクラテスを思い浮かべる。悪いのは奥さんのクサンチッペではなくソクラテスの方だ、あんな世間離れした夫では恐妻にでもならざるを得ない、という意見もある。恐妻家というエピソードがいくつか伝わっているが、どうもソクラテス自身、「恐妻家」である自分を楽しんでいるように思われる。いわゆる自虐ネタとして。今も恐妻家というキャラクターで番組出演しているタレントは何人もいる。しかしその実態はどうなのだろう。実は熱燗をお酌してくれるようなやさしさ、かわいらしさがあるのではないだろうか。自身の奥さんをもっと観察してほしい。じっと見つめてほしい。見つめてみたら殴られたという場合はご安心を。間違いない。あなたは立派な恐妻家である。

 奥さんに負けちゃいけない。ほら、グイと飲み干して。さあ、酒の力を借りて、ビシっと。

  熱燗に酔うていよいよ小心な  高野素十

 いやいや。ダメじゃん。小心になっちゃあ。こういうときは気が大きくならないと。ただ、そんな夫だからこそ家庭として、うまくいっているのかもしれない。それぞれの家庭、それぞれの幸せ。なんて言葉じゃまとまらないか。

  熱燗のいつ身につきし手酌かな  久保田万太郎

 癖とは意識せずとも繰り返すうちにいつの間にか身についているもの。手酌。そういえば最近一人で飲んでばかりだな。気楽。でもさびしい。この場合、熱燗という装置はかなしみを引き出すものとして働いている。なんだか、美空ひばりの「ひとり酒」でも聞こえてきそうな。

  ひとり酔ふ熱燗こぼす胸の内  山口草堂

 こちらもひとり酒。「こぼす」って言ったって、派手にこぼした訳じゃない。なみなみと注いだので、口に持っていくときに少しだけ。ちょいちょいと拭えば済むこと。ただしその胸の内はちょいちょいぐらいでは拭いきれない。そういう酒もある。

  熱燗もほど〱〱にしてさて飯と  高濱年尾

 このあっけらかんぶり。これが今の日本には必要なのではないか。現在、年間自殺者数は長きにわたり三万人を下回らない。長期にわたる不況。なかなか明るい話題がない。「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」とは何十年も前のこと。サラリーマンはみな必死の形相である。どこもかしこも、あっけらかんが足りていない。これは単なるつぶやきじゃないのか。俳句なのか。詩なのか。そうです。これが俳句という短詩です。熱燗はほどほどにして、さてみんなで飯を食おうか。和気あいあいとした家族が見えてくる。真実は難解と混迷の奥に隠れた単純にこそ宿るのかもしれない。難しく考えてはならない。幸せはすぐそばにある。そんなことをこの句は語っているように思う。考えすぎか。

  熱燗や美男の抜けしちくわの輪  木戸渥子

 熱燗をやりつつ数人での飲み会。カッコイイと思っている美男子が奥さんからの電話で帰ってしまった。あとに残っているのは……。それをテーブル上にある「ちくわの輪」に喩えた。喩えた、じゃないよ。失敬な。あいつは「美男」で、俺たちは「ちくわの輪」かよ。と言いつつ、熱燗を差しつ差されつするほどの仲。気心の知れた仲である。「こいつっ、憎まれ口を叩きやがって」と、場はさらに盛り上がり。と、考えたいのですよ。「ちくわの輪」側にいる私としては。

  熱燗や四十路祝はず祝はれず  根岸善雄

  熱燗や余生躓くばかりなる  石原八束

 どんどんさびしくなる。熱燗に「ビールで乾杯」というような明るさはない。しかし、ともにさびしさを語り合い、肩をポンと叩いてくれるような懐の深さがある。だからこそ、人々は熱燗を手放せない。

  人生のかなしきときの燗熱し  高田風人子

 大学院生の友人が彼女と別れるという。彼女も私の友人で大学院生。彼女は結婚したいという。彼は学究の身であり、結婚しても家計を支えることができない。就職するまでは待ってほしい。その話がこじれ、別れることになったらしい。電話をすると彼女は泣いていた。私は彼女の側に立った。そして居酒屋にて彼と会う。お互いの行きつけであり、知っている顔がちらほら見える。皆、彼女側に立っていた。私は彼を怒ってしまった。今となれば、彼の考えや気持ちは重々わかる。しかしそのときは感情的に責めてしまった。彼はつらい顔をしながら、ただただ熱燗をちびちび飲んでいた。そして彼らは別れた。私には気持ちの悪い罪悪感だけが残った。半年後、彼に謝罪し、赦してもらえた。そしてそのときにはすでに元の鞘におさまっていた。今、彼らは仲良く暮らしている。よかった、よかった。で、私は一体なんだったのだろう。役柄は。道化師という言葉が頭をよぎる。なんだったのか。今の私にこそ熱燗が必要なのかもしれない。

  熱燗をつまみあげ来し女かな  中村汀女

 あっ。ちょうどよく。ありがとう。さて、この「女」。妻と見るべきか。女将と見るべきか。あぁ、わかってる、わかってる。私は未婚なので、想像上の奥さんね。さて、どちらと見るか。私は「女将」と考えたい。休日に夫婦で散歩。「この店、よく行くんだ。入ってみる?」と夫。初めて知った。好奇心。暖簾をくぐると小料理屋という風情。「うちの奥さん」と女将に紹介される。きれいな人。着物がよく似合ってる。私が持っていないものを持ってる、気がする。「いつもの」と夫は注文し、女将と楽しく話しはじめる。なかなか入り込めない。急に話を振られても、愛想笑いしかできない。「はい、いつもの」と熱燗をつまみあげ、持ってきた。そして夫にお酌。えっ。熱燗飲むだなんて知らなかった。家では全く飲んだことないし、そんな話も聞いていない。「いつもの」って。嫉妬心。それが「女」という無感情な言葉につながっているような気がする。そしてその下に配された「かな」という大らかな切れ字を嫉妬の軽さと見るか、反対に恐怖心をいだくか。私は今、独身の気楽さを噛み締めている。もしくは「奥さん」という方々に対して、間違ったイメージを持っている。

  夭折を果たせぬ我ら燗熱し  青山茂根

 「夭折の天才」という常套句がある。若き天才やカリスマが夭折すると、必ず伝説化する。ロックミュージシャン、画家、小説家。天才について、夭折が一つの条件のようになる場合もある。「夭折を果たせぬ我ら」は凡才か。しかし生きている。生きているからこそ先がある。遅咲き、大器晩成という言葉もある。未来がある。生きているからこそ燗酒の旨さも味わえる。「果たせぬ」とあるが、その向こうには笑顔が見える。この、あたたかさ。これが生きているということなのだろう。

 何か大きなことを言いはじめてしまった。さてさて旨い熱燗を。

  竹筒を焦し熱燗山祭  羽部洞然

 酒に竹の香りがうつり、なんとも旨そうだ。田舎の山祭。露店を過ぎて、寺務所か社務所の辺りで火を焚いている。竹のパンと始める音が気持ちいい。村の衆と語り、笑いながら、こんな旨い熱燗を飲んでみたい。都会ではそうそうお目にかかれぬ贅沢である。

  熱燗や放蕩ならず忠実ならず  三村純也

 熱燗をグイと無頼の放蕩息子、という訳でもない。真面目に生きてきた。しかし親に忠実という訳でもなかった。熱燗片手に自らの来し方を思い出しているのだろう。「忠実ならず」という字余りが印象的だ。私も親に対してどうだろう。私も「放蕩ならず忠実ならず」といったところか。

 熱燗には派手な明るさや爽快感、気品などはない。庶民性を物語る。しかしそこには懐の深さがある。その懐に身を委ねる。誰にも疲れる。死を考える夜もある。そんなときに熱燗を友とする。冷えた体があたたまる。傷ついた心も。我々は所詮凡才だ。しかし我々にしか見えない世界がある。そこには徳利とぐい呑みが待っている。夭折を果たす必要はない。生きて今日も熱燗の旨さを噛み締める。それで充分。美人女将のお酌があればなお充分。恋愛と結婚はもう少し先延ばしにしておこう。

(2022年9月23日金曜日)