この句集は、第二回芝不器男俳句新人賞受賞記念句集で巻末の言葉の花束「刊行に寄せて」(大石悦子)、「刊行に寄せて」(城戸朱理)、「老成と未成」(齋藤愼爾)、「黄金率」(対馬康子)「繊細さと逞しさと」(坪内稔典)の祝福の言葉の花束が贈られる。
受賞作ということもあるが1句1句とても瑞々しい。
それでは私なりの句集の俳句鑑賞をしてみよう。
なぐさめはいらぬ冷奴をおくれ
冷奴(ひややっこ)とは、冷やした豆腐にネギや生姜、鰹節などの薬味を添え、醤油をかけて食べる日本の伝統的な豆腐料理のこと。その前の「なぐさめはいらぬ」で失恋の物語なのだろうかと想像をめぐらす。「冷奴をおくれ」と口語調の展開もいつだって胃袋はお腹が減るのよ。ぐーぐー腹が鳴る。俳句1句が小説以上に匹敵することがある。それは、省略された物語を鑑賞者自身が物語としてふくらませることのできる俳句文学の醍醐味である。
うぐひすに裁かれたくもある日かな
天国へゆけさう春のエレベーター
七人といはず敵ゐて鯨喰ふ
鶯(うぐいす)の鳴き声は、時に我が身の心残りのあれを裁いてくれるのではないかと思う時もあるかもしれない。裁かれたくもあるそんな日の鶯の物語は、小説のひとつの作品にも負けない物語がある。そこを俳句鑑賞が丁寧に俳句を味わうことでやっと俳句作品と俳句鑑賞の対の貝に描かれた物語となる。
ぐぃぃぃんと春のエレベーターの身体ごと昇天するような気持ち。わかります。はい。
「男は敷居を跨げば七人の敵あり」という言葉を素養に置く。むしろ七人とは言わずとも多くの敵がいると周知している。そんな顔の皮も厚くふてぶてしくしくも鯨を食うよというキャラクターもまた俳句鑑賞のし甲斐があるだろう。
下記の観察眼の効いた俳句にも非常に魅力を感じた。
嗅ぎあうてはなれて春の鹿ほそし
春光のかたまりとして猫ねむる
かゝげきて草の匂ひの螢籠
あるときは轟音充つる蟬の殻
夏蝶のひかりにはもう追ひつけぬ
船虫の影のしづかにあふれけり
かたまつてぬきさしならぬ曼珠沙華
紅葉焚くしんしんと静脈はあり
梟にほうとこたへて闇ふくらむ
食卓に雪の匂ひのエアメール
春の鹿の嗅ぎ合って離れてのじゃれ合いの仕草とその足の細さから鹿の恋の機微を良く描かれている。
春光の塊として猫が眠っていると捉える瑞々しい観察眼に脱帽。
ランプをかざすように掲げる螢籠から草の匂いがする。五感フル稼働しながら少年の冒険物語が始まるようだ。
蟬の殻は、ジョーロのように陽射しを溜め込んでいたり、戦闘機の轟音を溜め込んでいたりする。
虫取り網を持って蝶を追いかけていたのだろうか。夏蝶のひかり。その塊として見てみるとまるで蜃気楼のように追いつけない心の距離感が見えてくる。
船虫の「影」がしずかに溢れ出すというのがポイントだろう。影を浮き彫りにする炎帝(ここでは夏の太陽として)が焼き付けるように影を浮き立たせて溢れ出すと捉えた観察眼も観察を超えた詩眼だ。
曼珠沙華の群落のいち塊を抜き差しならないと捉える。それは、擬人化された村人たちの抜き差しならない人間コミュニティーのようで物語性が膨らむ。
紅葉を炊くその模様も観察眼と情感を込めることで葉脈の芯が静脈のようにも見えてくる。
梟にほうと応えるように鳴きまねをしてみると闇が膨らみ、感受する詩性も慧眼。
食卓に雪の匂いのエアメール。そのままと云えば、そうかもしれない。エアメール(航空郵便)とは、航空機を使って海外へ手紙やはがき、小型の荷物を送る国際郵便の手段。その遠方から届いた雪の匂いのする便箋が食卓に並ぶ。マルセル・プルーストの大作『失われた時を求めて』を彷彿とされる。この1句がそれほどの俳句物語を奏でる。
その他の共鳴句もいただきます。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
人入れて春の柩となりにけり
椿山けもののこゑをつゝむなり
ゆふぐれの背をはなびらに打たれをり
花びらやうなお骨となる日まで
螢火や体内の水あふれさう
いちはつや好きといはれて好きになる
どうしろといふの目高を二匹くれて
はてなはてなゆふべのからすうりの花
雲よりも白き犬ゐる海の家
さやさやと裸にふれてゐる裸
躰より去りゆく熱や合歓の花
彗星を待つ少年の洗ひ髪
ずぶぬれの向日葵けふを抱きしめよ
軍歌ふと秋の金魚にちかづきぬ
愛するといふふとどきや草の絮
抱卵の魚喰む音を後の月
言葉とどかず水鳥の脚赤し
狐火にひよんひよんついてゆきさうな
水仙のふるへを感知してゐるか
着ぶくれて会話に入りそびれたる
マフラーがお狐様をぐるぐる巻き
待春の猫を伸ばしてみたりもす
【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり8 杉山久子第四句集『栞』(2023年9月刊、朔出版)
https://sengohaiku.blogspot.com/2024/05/hanameguri008.html