2026年9月25日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(74)  ふけとしこ

眠気

秋風を待つかさゆらぐ花手水

秋の日の天井扇より来る眠気

松籟や胡麻の香の菓子開くとき

零余子落つ暮がての火の透き通り

山遠し塩辛蜻蛉のこれは雌

        ・・・

 おじいさんは山へ柴刈りに

 おばあさんは川へ洗濯に

 昔話の世界だがたまに思い出す。川で洗って手で絞って、それを提げるか背負うかして家まで運ぶわけだろう。行く時はともかく帰りは重かっただろう。

 私は脱水した洗濯物をベランダまで運ぶ。脱水していても結構重い。洗濯ばあさんも大変だ~と思いながら干す。

 桃太郎のおばあさんは一体幾つだったのだろう。そもそも、おじいさん、おばあさんと呼ばれるのは何歳ぐらいからだったのだろう。

 人生五十年とか言われていた頃の話だろうかと思うが、桃から生まれた桃太郎が大きくなって鬼ヶ島へ鬼退治に出かけたのは幾つの時? 例えば十歳にしたって十年分は加齢しているわけだし……。

 黍団子を作って彼に持たせた時にはこのおばあさんはいったい幾つになっていたのだろうか。

 おとぎ話の世界を詮索しても仕方がないのだけれど、暇人は時々こんなことを考える。

 そういえば、かぐや姫を育てたのもおじいさんとおばあさん。一寸法師もそうだったはず。

 これは、父母がいないからではなくて、子供を授からなかった夫婦が老いて、という意味なのだろう。

 だから祖父母ではなくて、老いた夫婦という意味なのだ、きっと。

 年齢の話になるとよく引合いに出されるのが、

 ♪村の渡しの船頭さんは 今年六十のおじいさん~という童謡の歌詞。

この後は

 ♪年はとってもお舟を漕ぐときは~と続いていたように思うが。

 今年の敬老の日も過ぎた。百歳以上の人が何人で……とか例年通りに発表される。

 人生に定年はないから、寿命が尽きるまでは生きてゆかなければ仕方がないけれど、この先もまだその寿命というものは延びてゆくのだろうか?


 ところで、私は「村のワタシの船頭さんは」のこの歌詞を「私の船頭さん」だと長く思っていた。おじいさんと私とはとても仲が良かったのかな、と、呑気に考えていた。

(2026・9)