2026年2月27日金曜日

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり45 句集『途中下車』(西村小市・2022年刊・つむじ書房)を再読する。  豊里友行

  西村小市俳句の良さは、気の置けない普段着の俳句である。


 平凡でいいではないか柏餅

 自分をなだめるようにも読める俳句で好感を持てる。

 平凡でいることと柏餅。

 それは、御茶をすすりながら承認欲求を満たしきれないモヤモヤもありつつも平凡だからこそ柏餅の持ち味を活かせるのかもしれないと私もよく味わいたい俳句だ。


 春愁や山口百恵のプロマイド

 この蜂は高倉健の面構え

 俳句で俗っぽさを出せるのは、西村小市俳句の普段着で春の愁いを青春切符だったであろう山口百恵のプロマイドに溜息をついたりできること。

 蜂(はち)の貌(かお)から高倉健の面構えを見い出す。

 この素直に生活空間の現象を俳句に取り込めるのは、平凡でいいではないかと嘆きつつも非凡である。

 自分の持ち味をじっくりと活かす丁寧な生き方が、句集『乱雑な部屋』(西村小市)にあったし、今回の句集『途中下車』(西村小市)にもある。


 秋高し下駄を履いてるケニヤ人

 下駄の分だけ秋は高く感じれるのは、日本文化の良いところかな。

 と思いきや下駄の主は、ケニヤ人だった。

 この意外な取り合わせ。

 素直に普段着の日常を俳句の器に掬い取ることこそ西村小市俳句の真骨頂ではないだろうか。


 三塁のベースの上にいる飛蝗

 俳句という五七五の器に盛るのは、一億総俳句時代のこんな時代だからこそ花鳥諷詠や季語に囚われ過ぎないでいると同じ季語や題材をどう切り口の違いを見出だせるか。

 いっそのこと西村小市俳句のように潔く同じ俳句や題材を違う切り口で詠んでみるのは、いかがだろうか。

 野球俳句と云えば、野球場の球児や大谷選手を詠みたいものだが、誰もいない球場をうろつく。

 1塁を回った。

 2塁を回った。

 3塁を回ろうとしてハッとすると西村小市俳句の飛蝗(バッタ)がいた。

  たぶん私の知る限り野球俳句でこのように野球を詠わずに、だが野球場の日常を俳句化している俳人は、西村小市しか私は、知らない。

 そのままっそのままっそのままの普段着で新たな俳句世界を切り拓く西村小市俳句の世界は、あかるい。

 何故なら俳句らしい俳句でなく西村小市にとって西村小市らしい俳句を綴るということは、俳人・西村小市俳句の道のり、生き様、そのものではないか。

1生涯に1句集を俳句世界のために捧げるよりも生きる糧として普段着の俳句交流にこのような冊子句集が、俳句の開花を彩ってくれる時代が近い未来に到来してくれるのかもしれない。


 共鳴句もいただきます。俳句の未来を照らし出す句集を私も待ちわびています。

 ありがとう。ありがとう。ありがとう。


翳りたるところに集う目高かな

春の風できちゃったのか三人目

花曇りあと十年は生きたいな

蓑虫の揺れて地球は廻ってる

今日もまた同じ作業か心太

十九歳桃にかすかな指の跡

小鳥来る横浜地方気象台

独立をめざし戦う霜柱


【参考リンク】

【読み切り】俳句日記の普段着で生きている ~句集『乱雑な部屋』(西村小市)~豊里友行

https://sengohaiku.blogspot.com/2020/08/blog-post.html