2026年2月13日金曜日

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり44 句集『草の罠』(水野真由美・2022年刊・風の花冠文庫)を再読する。 豊里友行

  この句集『草の罠』を読みながら俳句の姿勢が私も似た試行錯誤をしていて背中の掻き切れないむず痒さのようなものを感じてしまう。


 水野真由美さんは、略歴によると85年、金子兜太に師事。その後、「俳句空間」新人賞準賞、海程新人賞、海原賞を受賞されている。

 俳句誌「未定」、「吟遊」にも参加したことがあるようだ。

 2001年、俳句誌「鬣TATEGAMI」を林桂、佐藤清美らと創刊。

 句集『陸封譚』(七月堂)により第六回中新田俳句大賞受賞など。

 現代俳句協会会員、「海原」同人、「鬣TATEGAMI」編集人。

「最短という定型から詩としか呼びようがない一つの世界が立ち現れることが不思議で俳句を読み続け、やがて書くようになったことを思い出す。」(「あとがき」より)

 コロナ禍で俳人たちは、さまざまな思いを綴る術を試行錯誤していた。

 水野真由美さんの人生の出会いの財産が、この句集でも俳句に織り成されている。

 俳句に限りませんが、私は私の感性のアンテナにひっかかる詩魂の弦を弾く。

 それは、私が見た俳句の面白味を見出していくことで私独自の選句眼が養われていくと感じている。


夏野へとピアノを運び出す男

 ちょうど私の写真事務所のある沖縄市コザ銀天街にピアニストがいた。

 彼がピアノを弾くために有志によってピアノをコザ銀天街の酒場や広場へ運び出す。

 玩具のミニチュアのピアノと違って本物のピアノの移動は男数名でも力技の大仕事だ。

 そんな風景をみたことがあるだけに「夏野へとピアノを運び出す男」の俳句は、新たな俳句の予感を感じさせてくれる。

 最短という定型の俳句から詩や小説が生まれるくらいの物語を「想像する・創造する」くらいの俳句読者へのその余地がこの俳句には、存分にある。

 夏野でピアノを聴いてみたい。

 そんな豪華な夢を奏でることができるなら実は、とても夢を叶える為の縁の下の力持ちの男たちの努力がある。

 それを水野真由美さんは、俳人としてしっかりと見逃さないで俳句にした慧眼だ。


毀れゆくものは毀れて草の花

 「毀れる」は、この場合、「こぼれる」でも「こわれる」でもどちらでも面白い俳句だ。

 「こぼれる」は、欠けたりくずれたりして、完全な姿を失う。「こはれる」は、そこなわれて、そのものの働きをしなくなる。

 私は、左手の人差し指を取材現場の事故でいちぶ潰したことがある。

 運よく骨ではなく指の肉だけ削いだだけで済んだが、その毀れた指は完璧に完治することはなく肉のえぐれた分は、終始、指の周囲の皮膚をひっぱっているみたいな違和感を持つ。人間は、欠けてくずれたら完全なものでなくなる。しかし水野真由美俳句は、流れゆく時の中で「毀れゆくものは毀れて草の花」とあるがまま俳句に思いを託している。

 生きているすべての生命は、あるがまま草の花のように毀れていくだろうし、毀れても生きていけるだけ生きていくだけの草の花の生命力を躍動させるべきなのだ。そんな気持ちにさせてくれる水野真由美俳句のたくましさを感じる。

 だけれども私たちの愛しむべき生命は、たとえ草の花でさえ生きものであることを忘れてはいけない。この句集には、惜別の俳句の多さが、俳句を高見へ登らせることよりも水野真由美俳句の人生の出会いの財産として生きた証となっていることを特記しておきたい。


木の実落つわたしの村の酔つ払ひ

 木の実が落ちる。ガクンっと私の村の酔っ払いの首も墜ちるようにグデンッとなる。そんな俳人の眼が私の村のメインストリートにある酔っ払いの人生をあたたかく描き出す。何でもない風景として見えても、それが永遠ではない。

  水野真由美さんは、彼女なりのやり方で俳句をまるで写真家がカメラによって時代に焼き付けようとするように俳句にその一瞬に封じ込めてしまう。


綠夜すでに溢れし海や古代文字

 綠の字は、緑(みどり)。この緑夜(りょくや)は、夏の季語。「新緑」の傍題である。 青葉の美しい夜のこと。

 青葉の美しい夜は、月の光の届かない暗緑もあれば、月光がつつみ込む薄緑や街のネオンに染まる赤い緑もある。「すでに」と場が急展開して溢れんばかりの海原が立ち現れる。そこには、現代社会に生きる我らが生きた証を残そうと文学の世界を描くように、いにしえの人びとの古代文字も生き生きと海原の波を一枚いちまい立ち現すのである。


葱のごとく人ら抜かれてゆきしかな

 現代社会は、どうやら人間たちも葱を抜くように消費しているのかもしれない。人間性の希薄さを水野真由美俳句は、ずばり云い切る。


いくさ来る見えないいくさの来る枯野

 戦がやって来ると云う。しかし、その戦は私たちには、見えないままやって来ていると感知する。そこには、枯野が拡がっていてあっという間に戦は、枯野を焼きつくす恐れがある。無関心の廃退によって大衆の枯野が戦を呼び込んでいるのかもしれない。


 水野真由美俳句の試行錯誤は、俳句の未だ俳人たちの足を踏みいれてたことのない領域を果敢に開拓し始めている。

 今回の私の水野真由美俳句のチョイスは、その新たな俳句の試行錯誤にスポットライトを当てるように俳句鑑賞してみました。

 素晴らしい俳人の俳句との出会いは、嬉しいものです。

 ありがとう。ありがとう。ありがとう。