2026年2月13日金曜日

【短期連載】未来俳句宣言についてーー高山れおなの読売文学賞受賞を祝して  筑紫磐井

 一.宣言に至る経緯

(1)俳句史の認識

 俳句の歴史とは、子規の「新俳句」→新傾向→ホトトギス→新興俳句・人間探求派→社会性俳句→前衛俳句・心象俳句→閉塞の時代(前衛と伝統の固定化)であった。新しい時代の精神は常に前の時代の否定から生まれてきた。今や「閉塞の時代」から「新しい自由な俳句」に進むべきだ。


(2)新しい俳句をどう模索するか

 我々の望む「伝統」とは、ルールではなく、作品――過去の名作(自由律の名作も含む)という文学的財産である。そして過去の俳句で掬いきれなかったものにこそ「未来」(新しい自由な俳句)がある。

 既存の俳句――それがどんな名作であってもそれを操作するだけでは決して「新しい自由な俳句」は生まれない。我々は、過去に見たことのない風景を見たいのだ。


ある日快晴黒い真珠に比喩を磨き  金子兜太

 *ほとんど知られることのない傑作。メタファーを否定した真の「前衛」である。

麿、変  高山れおな

 *自由律俳句を追い抜いた諧謔という天才的思想。

ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ  なかはられいこ

 *川柳作家の傑作。9・11の衝撃が形式を破壊した。

去年今年貫く棒の如きもの  高濱虚子

 *自ら築き上げたホトトギス俳句・花鳥諷詠を全否定した世界観。


(3)宣言

 そうした未来の作品としてのありかたは作家各人が提案すべきものである。それを「宣言」と呼んでみる。

 かつてアバンギャルドは宣言であった。イタリア未来派宣言、ダダ宣言、シュルレアリスム宣言、形而上派の言説(キリコ『エブドメロス』)・・・。

 前衛俳句に自句自解はできない。できるのは宣言だけである。まず宣言があり、それを踏まえた俳句作品が生まれるべきだ。宣言と作品を含めて談論風発が起こる。

 言っておくが、宣言しても、我々は連帯しない。個々の作家であるからだ。しかし、共感はしたいと思う。

     *

 まず、新しい宣言を作ろうではないか。次章に私だけの宣言を書いた。これに呼応する作家に呼びかけたい。これらは伝統派から狂気扱いされるだろうが、我々はそれを恐れない。我々は、過去に見たことのない風景を見たいのだ。

【参考】「豈」では攝津幸彦記念賞を募集発表してきたが、本年の第11回は評論を募集している。新しい評論(宣言)に応募してほしいと思う。


(4)世界へ

 1999年松山で開かれた国際俳句フォーラムで、有馬朗人を中心に国際俳句の「松山宣言」が発出された。これを受けて、2000年に正岡子規国際俳句賞(2000~8年)が創設され、4協会会長の有馬朗人・金子兜太・稲畑汀子・鷹羽狩行を選考委員に、第1回大賞がフランスの詩人イヴ・ボヌフォアに授与された(第2回はアメリカのゲーリー・シュナイダー、第3回は金子兜太)。この時の受賞講演でボヌフォアは、「俳句の命は極端な短さによる凝縮と省略、余白の暗示性にある。」と述べている。この時、彼に力を与えたのは、芭蕉ではない、フランス中世詩の断片だ。


Hélas,Olivier Bachelin 

(ああ悲しいかな、オリヴィエ・バシュラン)


 新しい自由な俳句として短律に限りない魅力を感じる。


二.宣言集(以後続くことを期待する)

➀【筑紫磐井の宣言】

〈設計〉

詩、とりわけ俳句は――

 ①一行があまりにも長い。四文字、ないし三文字で十分だ。

 文法は要らぬ、名詞・動詞だけで辛うじて伝達はできる。

 文語・詩語、誤字・誤用の駆使も一行を更に短くする。

 ②一行の中でたやすく(部分的)類想が発生する。

 だから全体の模倣だけでなく極微の模倣も否定せよ。

 ③隣る二行は連想を結合する。

 行の谷間を極大にせよ、隣人は背くべきである。

 ④一行ですべてを述べ、全体の構想を断ち切ろう。

 偶然がいつか全体を語るはずだ。

〈総括〉

 律(形式)を自由に。


〈作品例〉

●(GANYMEDE 51句より 2013.8)

吾(あ)と無

逃げれば郭公

●(第50回現代俳句講座より/2025.11)

渾 煌く犠

●(GANYMEDE2/豈68号2025.11)      

前頭葉にさわさわ湧いて明易


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