2026年2月13日金曜日

【新連載】俳壇観測278 ユネスコ登録の進め方3 有馬朗人氏の3つの要件・2つの願望  筑紫磐井

  ユネスコ登録論の従来の最大の課題である俳句の定義問題は上述の経緯でほぼ解決したので、ユネスコ登録についての別の登録的論拠について眺めて見よう。俳句の定義についてと同様、かなり有馬発言と齟齬した内容で伝えられている。ここで有馬氏が俳句ユネスコ協議会発起人会の公開記者会見で述べた論拠をおさらいしておこう。これがすべてのはじまりであり、かつユネスコ登録問題の全てだからである。

 ここでユネスコ登録論者とマーチン氏の対比で眺めて見たいと思うのだが、その前に、ユネスコ登録論を最初に提唱し、協議会を発足させ、登録運動を推進した有馬氏と、それに便乗しているその後のユネスコ登録論者の違いをはっきり眺めておくことが必要である。有馬氏が根拠に挙げていない主張(つまり、有馬氏に便乗した偽ユネスコ登録論者の主張)にマーチン氏の反論を組み合わせても徒労に近いからである。我々は真のユネスコ登録論者には真摯に対峙すべきであるが、偽登録論者は無視してもよいのである。

 これは、すでに決着済みの、先に述べた俳句の定義問題で明らかであろう。それではまず真のユネスコ登録論、有馬氏の登録の考えを眺めて見る。


(1)有馬氏のユネスコ登録する3つの必須要件

 「何故、俳句を無形文化遺産にしたいか、というと私が考えていることは

第1に短いということ。

第2に自然を中心に自然の中で共生している人間の生活を詠むということ。つまり、自然と共生する文学であるということです。

そして第3に短くて自然と共生することの文学で誰にでも書けるということ。」


 これが有馬氏のユネスコ登録必須要件である。

     *

(2)有馬氏の2つの願望

 有季定型か無季容認かは文学的な対立であるが、ユネスコ登録は政治的課題である。そうした政治家とのつながりから補足したものが2つある。それについて有馬氏は要件として断言しておらず、願望として述べているだけである。


➀そして又、自然を愛好することによって自然を大切にする、それが地球の温暖化を防ぐのに大変重要な役割を演ずるだろうということ。

➁そしてやがてはそれが世界の平和につながることを私は考えて、この登録推進運動を進めている次第です。


 有馬氏の言説をこのように分けることは不満の人もいるかもしれないが、有馬氏の発言ぶり(それが…演ずる、それが・・・つながる)は自ずからこうした解釈を要請する。

 大分古いこととなるが、愛媛県で開かれた「国際俳句コンベンション」(1999年9月)で有馬氏は、「俳句よりハイクへ」という基調講演を行っている。これが敷衍されて国際俳句の「松山宣言」となる。有馬朗人氏はこのとき文部大臣であったから、文部大臣講演として慎重な話しぶりをしている。言っておくが、20年前の有馬氏はユネスコ登録の話は全く顧慮していない。なぜならユネスコ登録の根拠となる「無形文化遺産の保護に関する条約」(無形文化遺産保護条約)は、2003年10月のユネスコ総会において採択され、日本は2004年6月に締約国となったから、この講演の時(1999年)、有馬氏はユネスコ無形文化遺産のことも知らず、俳句がこの登録を受けることなどおくびにも考えていなかったからだ。有馬氏は、もっぱら「俳句」と「国際ハイク」についてのみ関心を払っていた。とはいえその方が俳句の本質を的確にとらえていたということができる。


 「俳句の特徴をもう一度考え直してみようということです。きわめて簡単に考えてみると短いこと、定型であること、叙景詩が中心であること、そしてキーワードがあることです。我々は伝統としてキーワードとして季語を用いますし、無季語を容認する方は別なキーワードを持っている。そういう意味で短い、定型、叙景、キーワードがあることで俳句が一番はっきり定義されると思います。」


 20年間の間に有馬氏は俳句の本質を考究した中で表現はいろいろ変わらざるを得なかったが、中核そのものが変わることはなかったと思う。例えば、上の講演とユネスコ協議会の俳句の要件を比較してみると、「定型があること」は「短小な詩であること」「誰にでもかけること」、「叙景詩であること」「キーワードを要すること」は「自然と共生する文学であること」と対応しており、この間の表現における試行錯誤であろう。

 だから微妙な表現の違いはあるが、俳句に関する本質的な点は変わらない。例えば有馬氏はここで、俳句には季語を用いるものと季語を用いないものがあると明確に述べている。この対立軸は揺らぐことがない。ちなみに講演でこのような表現になったのは、このイベントが国際俳句を振興する大会であり、聴衆にも多くの外国人ハイク作家が参加していたからである(有馬氏は講演冒頭で「本来なら英語で話すことが礼儀だがお許しいただきたい」と語っている)。外国人ハイク作家は無季作家だからである。こうした状況認識は、ユネスコ登録に当たっても代わることはなかった。

 だからユネスコ協議会のそれ以外の要件(上述した「要望」)は、あとから追加されたものにほかならない。例えば地球温暖化も世界平和も「松山宣言」の講演では述べてはいない。俳句にとっても、国際俳句にとっても、地球温暖化や世界平和は本質的に関係なかったのだ。言っておくが、地球温暖化も、平和の探求も悪いと言っているわけではない、人類の一員としてそうした願望があっても悪くはない。しかし俳句の本質そのものは、それらと全く関係ない。論理的整合性がないのである。

 地球温暖化や、平和が登場したのは、有馬氏が政治家であったためであろう。ユネスコ登録を政治的に進めようとすれば(言っておくがユネスコ登録は文学的活動ではなくて政治的活動である)こうした願望を添えておくことは、充分あり得た話である。ただそれにしても必須条件ではなく、有馬氏の願望であったのである。