3.私的解説
昨年11月24日、現代俳句協会の第50回現代俳句講座「昭和100年 俳句はどこへ向かうのか?」のテーマでシンポジウムがあり、その結びで、〈二十年後の俳句がどうなっているか〉を示してほしいと司会から求められ、私が示したのが次の句であった(「現代俳句」8年2月号)。
渾 煌く犠 筑紫磐井
これに対し自由律俳句の人から、会場でもその後の懇談やその日以後の意見交換でも活発な意見が寄せられた。その過程で、個人的な動機ではなく、俳句の未来を考えての宣言としてまとめて見ようと考えた。俳句における宣言は、金子兜太の造型俳句論以後あまり出ていないと感じたのもある。しかし何より、前衛俳句作家は決して自句自解してはならないという信念を持っているからだ。自句自解できる俳句は前衛ではありえない。前衛俳句作家が自句自解以外できるのは宣言しかないのだ。
掲出の句は自由律俳句ではない、少なくとも私は自由律俳句として書いたものではない、しかし自由律俳句作家が自由律俳句として見ることは拒否しない。それでは作者はいかなる俳句として書いてみたのか。自由律俳句と私の俳句の結節点は「短律」にある。もともと私は、東日本大震災直後に短律作品を発表し色々物議をかもしたことがある。阪神は衝撃と炎、東日本は津波。俳句形式はその圧倒的な破壊の映像に敗北した、誰の句もあの映像を超えることができない。映像の前に句は嘘だ。だから人は考えるべきだ、表現とは何か、俳句形式とは何かと。ここにあって諸々を捨て去るべきだ、季語も定型(律)も。従って、個人的には短律はほとんど違和感がない。こうしてできたのがこの宣言である。
もちろん私は定型無季俳句も作れば、花鳥諷詠俳句も、分かち書き俳句、諧謔俳句(川柳に近いと非難する人もいるが別に気にしてはいない)も作っている。俳人はそれくらいの器用さは持ち合わせるべきだと思っているからだ。しかし未来には何が待っているかわからない。混沌とした国際情勢の中で、我々は20年後の末期の句を英語や中国語で書いているかもしれない。そうした私の棚の一つに短律があるのだが、短律が際立っているのは、超・刺激的であるとともに最も未来に近いかもしれないという予感があるからだ。
*
私の詩歌の経験は、前田夕暮の創刊した「詩歌」への投稿だった。ここで初めて自由律短歌を知ったのだが、考えてみると、自由律短歌は決して自由な短歌ではなかった。厳密な定型でこそなかったが、大半は31文字±αであった。17文字まで近づくことさえなかった。自由律俳句と区別がつかないからだ。一方自由律俳句は、限りなく短句に近づける。つまり自由律短歌は短くなると俳句になってしまう恐れがあるが、自由律俳句はどんなに短くなっても俳句である。
4.参考:GANYMEDEより(五一句)(2013年8月)【作品51句】
藻ねむり
稲
道
祈り火
風うそ哭け
わつと言ふくさむら
かげろふ
* *
ひたち憂き
逃げれば郭公
* *
遠くひぐらし
鵜となつて水と空
黄色く夢
はらいそ祈る
弥陀も
無垢の吏
* *
そよ花、そよ死
明日のほかこそ未来
嘔吐して萬歳
森は滴り
溝が螢の
虹真白
黒乙女
馬は
鳥の奇怪
屍の美
本当をいふ
人知
人もすなる