2013年11月22日金曜日

赤尾兜子の句【テーマ:場末、ならびに海辺】/仲寒蝉


廃市(はいし)となる橋下おそろしく細い空     『虚像』

廃市とは文字通りさびれ、すたれた町のことで、その意味では「場末」をキーワードに兜子の俳句を読み解くというこの試みにはぴったりの言葉である。ただ「廃市」という言葉は特殊でありどうしても福永武彦の小説を思い浮かべざるを得ない。またこの小説を原作とした大林宣彦監督の映画の方を思う人の方が多いかもしれない。福永の小説は運河のある町というだけでどこという指定はないのだが、映画の方は柳川をロケ地にしている。昭和58年(1983年)公開であるからこの俳句の作られた昭和36年にはもちろんまだ存在しない。ただ原作の方は昭和35年(1960年)に新潮社から刊行されているので兜子が読んでいた可能性はある。兜子より7歳年上の福永は戦時中に中村真一郎、加藤周一らと文学同人「マチネ・ポエティク」を結成し、戦後になって、日本語によるソネットなどの定型押韻詩を試みたが、昭和22年に肋膜炎で療養してからは小説家に転じ、昭和29年(1954年)の『草の花』でその地位を確立したとされる。

この俳句にも橋が登場するので、運河のある町(柳川?)ということになり福永の小説との関連はあるのかもしれない。ただ風景としては水の都と呼ばれた大阪にもこの句のモデルとなるような場所ならいくらもあった。もっと言えば兜子の生まれ育った揖保郡網干町にも揖保川下流の運河があり(兜子の実家の裏がすぐに運河であった)、廃市というならこちらの方がモデルとして相応しいかもしれない。

空が怖ろしく細いのは運河に浮かぶ船から見上げたからである。船は時に橋の下をくぐる。そのような瞬間、岸に挟まれた空はさらに細く細くなる。この町はすでに廃市なのではなく、「廃市となる」、つまり今廃市になってゆく途中ということだ。だから空が細くなると言うのは実景でもあり、心理的描写でもある。滅びに向かって行く町、未来はない、空もない。


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