続篇・第一回は三橋敏雄から始めることにしたい。
三橋敏雄「当日集合全国戦没者之生霊」
三橋敏雄(1920〈大9〉.11.8~2001〈平13〉.12.1)の自信作5句は以下通り。
美空ひばり死す軒雀睡れる間 「俳句研究」平成元年10月
原爆死者忌脱ぐ汗のシャツ裏返る 〃
当日集合全国戦没者の生霊 〃
軍装の昭和天皇御眞影 〃
土古き野山の蝉のむくろかな 〃
一句鑑賞者は、各務麗至。その一文には、「当日集合も、全国戦没者も、生霊も、とりたてて驚かされる言葉ではないのである。/懼ろしいのは『の』ではなく『之』で立ち上がつた後の異様な世界である。/時間を遡つて当日集合するのが、集合したのが、全国千尾津者の生霊たちといふことであるのか。あるいは、生霊が現在ある私たちに向つて、集合せよと言つてゐるのか。/しかし、私の中で理解できぬまま崩れるものがある。いつたいそれが何であるのか。/この檄を受けて、迷はず一直線に集ひ来る生霊といはず、あの戦中からの視線をして、あらゆる無念を今なほ引き摺つてゐる遠い遠い軍靴の音が聞こえて来る(中略)/一瞬一瞬の現在といふ時間をさまよふ生霊たちとは、あるいは、私たちのことかも知れないのであつた。現在ある生命こそが、慈愛の、悲しみの揺曳なのである。」
とある。生霊とはまさに戦没者の一人ひとりを抱え込んでいる只今現在を生き永らえ、生きている私たちの魂のことであったのだ。ならば、死霊はいずこにあるのか。靖国神社か。あたかもそれは昭和が終った年に記された一句にひそむ言霊なのかもしれない。
各務麗至に『風に献ず』(詭激時代社)の一集がある。その題字・扉は三橋敏雄の墨影である。それには「貴作『風に献ず』篇のこのたびの一連にひとつの到達を示すもの活字印刷で見るとまたちがった緊張感が伝わってくるように思われます ともかく俳句は(俳句に限りませんが)他に紛れることのない独自性を目ざすことが大切でよいわるいはその後の問題と考えます」とある。
早くも三橋敏雄13回忌がくる。
生前の三橋敏雄さんにお会いしたときに、「軍装の」句に感銘したことをお話しました。今考えてもいい句です。拙句に「戦争の昭和天皇忌の蕪」があります。松田ひろむ
返信削除