2013年2月22日金曜日

赤尾兜子の句【テーマ:多数】/仲寒蝉

髪の毛ほどの掏摸すり消え赤い蛭かたまる
『虚像』

これはまた面白い句である。人ごみで掏摸が何かを盗って消える(その場から居なくなる)。その掏摸に対する形容として「髪の毛ほどの」という。つまりは髪の毛が触れたかどうかという程度の感触しか残さないプロの手口ということ。だがここまでは意表を突くという程でもない、これで終ったらつまらない。

問題は掏摸が消えた後の「赤い蛭かたまる」である。蛭がかたまるのは血を吸って膨らんだ時。もちろん本物の蛭がいきなり人ごみに現れる筈もないのでこれは何かの比喩に違いない。掏られた人が騒ぎだして人だかりができたことをそのように表現したのだろうか。ただその場合「赤い」が分からなくなる。集まった人達の服の色は様々であろうし、むしろ赤い服など珍しかろう。赤い銭入れを膨らんだ蛭に譬えたのか。しかしそれでは掏られた後に「かたまる」というのが分からなくなる。むしろこれは掏られた側の心理と取ればどうだろう。「あれっ財布がない、どうしたんだ?そう言えばあの時男とぶつかったけど、ひょっとして掏られた??」などと焦って記憶の糸をたどる。頭の中が真っ白になるとよく言われるが疑惑が凝り固まって行くのを「赤い蛭かたまる」と表現したのかもしれない。


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